56:高みの景色
紆余曲折を経て五日が経過し、クロは仮設のテントステージの上でマイクを手に取って練習の成果を披露していた。
数多のスポットライトが照らす中、クロは薄紫色に発光する煌びやかな布を手に持ち舞い踊る。
凛として響き渡るクロとイリスの歌に導かれ、ステージ上は勿論のこと、観客席にも及ぶ全ての魔力が共鳴し合い更なる盛り上がりを見せる。
ステップ、ステップ。ターン。ここ! クロの脳内で反芻された言葉以上に身体が動き、手に持った布を空中に投げると、イリスが魔力の風を巻き起こして布を更に空高くへと舞い上げる。
「光雨」
クロが呟き空を舞う布へ魔力の弾丸を指から放ち撃ち込むと、暗がりの中にあったステージは一瞬の閃光に包まれ、無数の光が細かい粒となって降り注ぐ。
やがて光が収まったことを確認したクロは先の真ん中で惚けていたエンとネメアにウィンクを繰り出し、ピアノの余韻とともに舞台はフィナーレを迎える。
舞台が暗くなり暫く余韻に浸っていたエンはトレードマークのバンダナを外し、唐突に立ち上がり大きく手を叩く。
「良い⋯⋯良いじゃねぇか! たった五日でここまでできれば上等だろ!」
「うん。素人ながら、ボクがみても良い物だったと思うよ。魔力の雨なんていう演出もフィナーレには持ってこいだね⋯⋯あとは、途中で転ぶアクシデントを無くしたらもっと良くなるかもしれないね」
慣れない賞賛の声に頬を紅く染めたクロは、まだまだ、と呟いて首を横に振る。
「うん。まだイリスと呼吸を合わせられてないし、魔力の操作がおぼつかないし、魔力の弾も安定してない⋯⋯もう少し演出を練らないと、お客さんからあんまり見えにくくて何が起こってるか⋯⋯」
とクロはそこまで力説してポカンと口を開けたエンとネメアを見て首を傾げる。
「ふふ、そこまで真剣に考えてくれてるのは、とてもありがたいことだね」
「ちゃ⋯⋯茶化さないでよ! 私はやるとなったらしっかりやるんだから、舐めないでよね、全く⋯⋯それで、魔道具の方はどう?上手くいきそう? やっぱり息を合わせるだけじゃ足りない部分もあってさ⋯⋯」
「あぁ。そのことなんだが⋯⋯今朝方、キミの瘴気を打ち消す魔道具の大まかな型は出来たところで、後は微調整と言ったところだが⋯⋯なにせキミの瘴気は感情によって左右されれ易いんだ。つまり、平時のキミの瘴気には揺らぎが殆どないから、なかなか観測が難しくてね。現に、“扱おうと思えば扱える”段階にあるだろう?」
長くなったね、と咳払いしたネメアは手元のコーヒーカップに口をつけて一息つくと、更に続ける。
「ここ数日、同時並行でイリス君と二人きりで出掛けさせたり、ドッキリ企画まで考えてあげたのに、想像以上にタフなキミのせいで成果はゼロだよ。まったく、イリス君と過ごしすぎて、少しばかり刺激に慣れすぎているんじゃないのかな?」
ネメアの言葉にハッと目を見開いたクロは顎に手を添えて考え込む。
「た、確かにこの街の事も私はよく分からないし、失敗しないようにって、無難な方向にしかイリスを連れて行ってなかったかも⋯⋯」
「おや。それは初耳だね。それなら、簡単にこの街の地図を⋯⋯いや。それならボクが直接街の案内をしたほうが早いだろう。着いてきておくれよ」
「え、い、今からッ!?」
「善は急げ、勇者君の口癖のような物さ。行動は早いに越したことはないからね」
ネメアに腕を引かれたクロはイリスに助けを求めるが、彼女は既に、エンの作る手料理とスマホ操作に夢中になり、眼中から外れていた。
「行ってらっしゃい」
ふりふりと手を振るイリスを尻目に、クロは気分転換と称してネメアに腕を引かれて外へと躍り出る。
「さて、勢いよく出たは良いけれど、まだ日も高いからね。キミの瘴気を呼び覚ますような刺激の強い店はそうそう簡単に思いつかないかな⋯⋯そもそもボクも基本的には研究が主だったからね。あまり街には詳しくないんだ」
燦々と降り注ぐ暖かな陽の光に目を細めながら、当ての無い散策の道すがら、ネメアはクロの手の温もりを感じながらポツリとそう溢した。
「ならなんで!」
一緒に行くなんて、と続けようとした言葉はネメアによって遮られた。
「いや。キミには一度、しっかりと謝っておきたくてね。成り行きとはいえ、ここまでキミを巻き込んでしまったからね。本当に、すまない」
長く美しい金色の髪をだらりと垂らし、深々と頭を下げたネメアにクロは腕をブンブンと振って宥める。
「あ、頭をあげてよネメア。そもそも私はネメアに命を救われたんだ。私が勝手に突撃して勝手に死にそうになって、それでも手を差し伸べてくれたネメアのお陰でこうして生きていられるんだよ。だから、そんなに気にしないでよ。途中で諦めたらなんかしないからさ!」
俯いていたネメアはふるふると肩を震わせて呟く。
「クロ君⋯⋯キミは変わらずボクの欲しい言葉をくれるんだね。けれど、それじゃあボクだけが赦しを得たのじゃ気が済まない。だから⋯⋯」
「え、ちょっと、ネメアさん!?」
「キミを空の旅に連れて行ってあげるよ!」
ネメアはクロの手を取ると、二人の体が眩い光を放ち、次の瞬間には二人の身体は宙に浮いていた。
「あぁ、手を離すと魔法が切れてしまうから気をつけておくれよ」
連れ出したくせに、とクロは文句を口にしようとしたが、それすらも風圧によって発することができなかった。
「く⋯⋯ああそうか。こういう時のために⋯⋯!」
クロは体内で魔力を高速で練り上げ、二人を包み込むように魔力の膜を張る。
「うん。ただの魔力の膜じゃない。精錬と凝縮を施した魔力の膜だね。それだけできれば上出来じゃないか。それじゃあ少し速度を上げるからね。ちゃんと耐えられるように魔力を練るんだよ!」
ミャアアアアア!というクロの絶叫が木霊し、二人は大空高くへと上り街を見下ろせる位置まで辿り着く。
「ん?あれ、この街の自体がなんだか魔法文字みたいになってる⋯⋯?」
遥か高みから街を見下ろし、幾何学模様を浮かべる街並みを眺め、クロが首を傾げると、ネメアはニンマリと口角を上げる。
「あぁ、よく気がついてくれたね。そう。この街エルンには、街に無限の魔力を与える祝福⋯⋯いや、今となっては呪いかな⋯⋯そんな物が施されているのさ」
哀しみを湛えたネメアに、クロは口を噤み、街の幾何学模様をを見つめるのだった。