44:賢姫の帰路
木っ端微塵に砕け散った夢幻大喰らいの体内から僅かに取れた魔石の力を最大限に引き出し、瘴気に塗れた国境を越えたフューリーの医務室で、クロはベッドの上に座らされ診察を受けていた。
「ふむ。魔力の波形にも異常はないようだし、身体の方には擦り傷は多いけれど、特に目立った傷はなさそうだね。いやぁ、良かった良かった。まさか瘴気で魔法文字を描くとは思わなかったからね。瘴気の影響か、戦闘中にやや好戦的になるのは、普段の誰かを助けたいという願いの裏返しだろうね。まあ、それ自体良いか悪いかの判断はできないけれど⋯⋯それに飲まれないよう、上手く立ち回るべきだとボクは思うな」
手元のティーカップに口をつけたネメアは、ふぅ、と息を吐いてクロを見る。
「キミの右胸にある魔石。つまり、魔力側の魔石が崩壊している以上、その無茶の負担はキミ自身の身体で精算しなきゃならない⋯⋯この意味がわかるね?」
苦虫を噛み潰したような顔を浮かべるクロに、ネメアは肩をすくめてカップをテーブルに戻す。
「ああしまった。お説教が長くなって、今度は医務室を水浸しにされては敵わないからね。手短にしないと⋯⋯さて。すぐにどうこうなる事じゃないからね。キミの身体についての話しはこれでおしまいだ。くれぐれも無茶は禁物という忠告だけはその大きな胸に詰めておいて欲しいな」
やや不満げに頷いたクロの様子から、ネメアは首を横に振って続ける。
「キミの判断が間違っていたとも思わないけどね。実際には別の手段として、ガルドニアに戻って援助を呼ぶことも出来たはずだよ。まあ、そうこうしている間に街や村が襲われ、戦闘に関わる人数が多くなる分、被害が出ていたかもしれないけれど⋯⋯はぁ。つくづく思うのが、そんな馬鹿正直なキミだから、ファズ様はキミをボクらの隊長に選び、ボクらもそれに頷いたって事かな。ま、身体を壊さないように用心しておくれよ。ボクも出来る限りは協力するからね。さ、長々とお説教して悪かったね。これで本当に話はおしまいさ。何か気になることでもあるのかな?」
ずっと沈黙を保っていたクロは、ゆっくりと口を開いた。
「ネメアは、どうしてあのデカい蜘蛛。を浮かせるほどの魔法を撃てたの? あんな巨体を動かすだけの魔力、それにアイツは、魔法を吸収するんじゃ⋯⋯」
顎に手を置き、疑問を次々と反芻するように述べたクロに、ネメアはしたり顔で答える。
「ああ。そんな事を考えていたのかい? 奴自身に魔力を吸収する能力は無いよ。あれはあくまで糸の方が厄介なだけさ。そうでないと、存在するだけで魔力を吸い続けて、あの巨体の自己維持すらままならなくなるだろうね。それは生物の目指す進化の先としては破綻しているだろう? まあ、あの巨体を維持するために好物が魔力の保有量が多いエルフという傍迷惑な話だけれど⋯⋯」
まあ、と一息ついたネメアは更に続ける。
「その点についてはボクらの天敵を撃ち倒し、損害も出さず万事上手く纏めたキミの功績は讃えるべきものがあると思うけれどね。まあ、そんなエースだから、無くしたらボクらだけじゃない。アストラーダ王国にも大きな痛手だからね。それに、メイメツもキミにしか乗れないわけだし⋯⋯とと。この話はそろそろ終わりだね。そうそう。キミのもう一つの質問だけれど⋯⋯」
と、一息吐いたネメアは神妙な面持ちで唐突に席を立つ。
「ボクたち王族の血は穢れているからね」
ネメアがそう言った瞬間、医務室の扉がバン!と音を立てて勢いよく開け放たれた。
「うわわっ!? な、なんだ、イリスか」
危うく取り落としそうになったティーカップを持ち直し、ホッと胸を撫で下ろすと、扉へと目を向けた。
「クロ。アルファリア⋯⋯ん。ちがった。王都、見えた!はやく!」
イリスは頭頂部の三角耳をひょこひょこと跳ねさせてクロ
腕を乱暴に引っ掴むと、されるがままにその場を後にした。
「ネメアは?」
「ああ。ボクはいいよ。あんな所、散々見飽きたからね。二人きりで行って来なよ。ボクはこの子の面倒を見ないとね」
ネメアはおもむろにベッドのシーツをはぐると、身体を丸めて幸せそうな表情で眠り続けるルルアの姿があった。
「んへへ。お姉様ぁ〜」
彼女は目にも止まらぬ速さでネメアの裾を握りしめると、ネメアはもはやそこか、一歩も動けなくなる。
「ね? キミたちの邪魔をするつもりもないし、行ってくるといいさ」
と、ひらひらと手を振るネメアに見送られ、釈然としないまま甲板へ出たクロはあまりの異次元すぎる光景に目を見開いた。
まず目についたのは空に浮かぶ、無限とも思えるほどの水が湧いて出る滝を備えた島だった。
「「すごい⋯⋯」」
思わず二人の口を割って出た言葉に、クロとイリスは顔を見合わせて笑い合うと、その情景に再び目を向ける。
円形に囲われた城壁は半透明の魔力障壁によってドーム状に覆われ、その中央には空を穿たんと巨大な城が鎮座していた。
絢爛豪華な城とは裏腹に、街並みは水路や通路がまるで迷路のように複雑に入り組んでおり煩雑とした印象を与えた。
「そろそろ着くみたいだね⋯⋯ようこそ。ボクらの故郷エルンへ」
クロの訝しむ視線をものともせず、ネメアは流れる景色の先に見える故郷を見下ろし、眉を顰めていた。