7:採寸と教徒と失踪と
衛兵二人に言われた通り、安寧の塔を正面に見て右へ一本通路を入った先で、クロ達一行は、先程とは違い、ごちゃごちゃとした賑わいを見せる通りに目を見開いた。
通りには客引きの野太い声が響き、行き交う人も少なからず足を止めて食品や日用品を買い漁っている。
「ふむ、この人混みは凄まじいね。通路が狭い分混み具合が倍に感じるよ」
「で、ここまで来てやる事は本気で観光なのか?」
得られた情報を切ってまでやる事なのか、と言外に告げるクロに、ネメアは頷く。
「言っただろう?安寧の塔が気になるのはしょうがないけど、蒔いた種の芽を摘む方が先決なのさ。さて、ボクらがはぐれたらお話にならないよ。手を繋ごうか」
手を差し出したネメアに渋々ながら、右手でその手を掴むと、ネメアの右手側に、イリスが左手を繋いだ。
「やるなら迅速に」
クロは身長差があるため、少し歩き辛そうにしながらも、なんとか歩幅を揃えて歩く。
「それで、行く当てはあるのか?」
華やかな道を暫く歩いた所で、クロがそう聞くと、ネメアは首をふるふると横に振った。
「まさか。あるわけ無いじゃないか。でもそうだね、うーん⋯⋯まずはキミ達の服を買う事かな。次回以降の任務に着回しなんて華がないだろう?」
そう言って真ん中を歩くネメアが方向転換をし、釣られて二人も同じ方向を向く。
そこには、沢山の女性物の服が飾られた店舗が佇んでいた。
「うん。このお店が良さそうだ」
ネメアが一つ頷いて手を離し、その店にずんずんと入って行くと、奥からすかさず女性が迎える。
「いらっしゃいませ。どの様な服をご入用でしょうか?」
若緑色のドレスに、白いエプロンをつけた女性は、深々とお辞儀をした。
「ああ、実はこの子達の服を買いに来たのですが、オシャレに疎いので、似合う服を選びに来たんですよ」
ネメアが率先してそう言うと、女性は朗らかな笑みを浮かべて対応する。
「でしたら採寸をしますので、どうぞこちらにおいでくださいませ〜。当店、試着室も完備しておりますので、お気軽にどうぞ!」
未だに店の前で入ろうかと、決めあぐねているクロの手を乱暴に引っ掴んでイリスは、店の奥へと足を踏み入れる。
「こんなとこで迷う時間、ない」
「うっ、分かってるよ⋯⋯」
クロは店の奥へと通されると、仕切りで閉ざされた薄暗い部屋の置いてある椅子に座るよう促され、数値の刻まれた紐を取り出し、クロの服を瞬く間に脱がせ、畳む。
「少し失礼しますねぇ〜」
「えっ?ちょ⋯⋯」
女性が素早くその紐をクロの体に押し当てて、採寸を始めた。
「あはは、くすぐった!」
「こんな可愛い子久々でお姉さん張り切っちゃいますぅ〜!ちょっとまっててくださいね〜。黒髪なんて珍しい髪色なのもまたグッドですねぇ!」
ごわごわとした紐の感触にクロが身をよじる暇もなく、女性はテキパキとその数値を手に持つメモ帳に書き入れる。
「わあ、身長155センチにバスト85、ウェストは55、お尻は86、と。スタイルいいですねぇ!」
あっという間にスリーサイズまで暴露されたクロは、思わず頭を抱えた。
「じ、自分でも触った事ないのに⋯⋯」
げんなりとした、クロの呟きは女性の独り言によって掻き消される。
「さぁ、次の可愛い青髪の獣人さんも測っちゃいましょうねぇ〜!⋯⋯身長146センチにバスト74、ウェスト55、お尻は77と。こっちはこっちで小ぶりで可愛いですねぇ〜!グッジョブですよぉ!」
やはりスリーサイズを暴露されたイリスは、少し恥ずかしそうに顔を赤らめながらも、ぷいっと顔を逸らした。
「別に。成長途中だし」
そんな感想も、女性は聞いておらず、今度はネメアが獲物になっていた。
「え、あ、いや、ボクは自分のサイズは分かっているから⋯⋯」
「え〜んりょしないでくださいなぁ〜!無料ですよぉ〜!⋯⋯ふむふむ、身長142センチにバスト71、ウェストは53でお尻は70⋯⋯と、金髪のエルフさん。ちゃんとご飯食べてますぅ〜?」
メモを一通り書き終えた女性は、その視線をネメアへ向けた。
「そういえば、昼食を栄養食で済ませる事も⋯⋯」
「だ〜めですよ!ご飯はしっかり食べましょうね!」
「うっ⋯⋯はい」
漏れなく数値を晒されたネメアは、生活習慣まで指摘され、少し不機嫌そうな顔をしながらも、正論に頭を垂れた。
「さて、皆さんのサイズは大体分かりました。これから私がいくつかお勧めをお持ちしますので、是非着てみてくださいね〜」
裸で放置される事数分、クロの待つ部屋の仕切りがシャッと音を立てて開かれると、外には店員の女性が、数種類の衣服を抱えて戻ってきた。
「黒髪の獣人さん?のサイズに合う当店の在庫一式持ってきました!服はここに掛けておくので、好きな色の物を選んで試着してみてくださいね」
その言葉と、抱えた服だけを置いて、女性は仕切りを閉めて足早に店の更に奥へと引っ込んで行った。
「嵐みたいな人ってああいう事を言うんだな⋯⋯っ!?」
クロが振り返ると、背後に設置されている大きな鏡が目に入ってしまい、文字通りの相“棒”を失った自身の姿を見て絶句する。
その気恥ずかしさを紛らわせる様に姿見から視線を外すと、クロは店員の用意した下着を何枚か漁っているうちにその手が止まり、思わず声が出た。
「なんだってこんな⋯⋯」
確認済みのものは脇へ退けて、服の山を漁るが、目当ての色が見つからずに、彼女は後頭部を掻いた。
「柄物か派手な色しかねぇ!」
思わずそう声に出したクロの脳内に「可愛い子には可愛い服をがモットーですからぁ」とシフィとエプロン姿の女性がニヤニヤと笑う姿が過ぎるが、それを首を横に振り払った。
「ふ、ふふ⋯⋯やってやろうじゃねえか!」
クロは瞳に反骨心を宿し、淡い水色の下着を乱暴に鷲掴みにして、ショーツにえいやっと脚を通して腰まで引き上げ、背中を這い回る背徳感を無視してブラジャーに肩を通して背中のホックを乱暴に締めた。
「はぁ⋯⋯はぁ⋯⋯やった。やってやったぞ!」
なんとも言えない達成感に打ちひしがれること数分。
我に帰ったクロはそそくさと他の服を適当に選んで着た。
「え⋯⋯?これが俺なの⋯⋯か⋯⋯?」
大きな姿見の前で、改めて自身の姿を見て、クロは驚愕に口を半開きにした。
「いやいや、何度見てもやっぱ姿変わりすぎだろ⋯⋯」
水色のスカートをひらひらと翻しながら、様々なポーズを取り、うっとりと自分の変貌しきった姿へうっとりとするクロの元へ、先の店員が仕切りを勢い良く開けて駆けつけた。
「お気に召した服はございましたかぁ〜?」
「あ⋯⋯」
にこやかに仕切りを開けて店員の顔が、クロの姿を見ると、鼻の下を伸ばして、鼻息荒くクロへと迫る。
「あらあらぁ〜!なぁんだ!やっぱり乗り気なんじゃないですかぁ〜!」
「いや、これは違⋯⋯」
「今度はどれにします〜?」
目を光らせた店員に嫌な予感を覚え、クロが後退りをするが、試着室の大きな鏡に背中をドンとぶつけ、逃げられない事を悟った。
「おや、まだやっていたのかい」
「⋯⋯捕食される小動物みたい」
店員の後からやってきたネメアとイリスも合流すると、クロは羞恥に頬を火照らせた。
「ちょっ!? 見るな!」
店員が気を利かせて仕切りを閉め、手をわきわきとさせると、そこからはクロのファッションショーが始まった。
「おぉ〜!シックな感じも似合いますねぇ〜!さ、次ぃ!」
「ふむ、ボクは服には詳しくないけれど、似合っているんじゃないかな?」
「悔しいけど、スタイルは良い⋯⋯」
新しい服を着せる度に、女性が仕切りを開いて二人の感想を書き、クロ自身も自身の姿をまじまじとは見つめる余裕もなかったため、改めて自身の姿を見てうっとりとする事もあり、二時間ほどが経ち、クタクタになったクロとは対照的に、艶々とした店員の女性が額の汗を拭った。
「ふぃ〜良い仕事しましたぁ〜!」
「本当、良い仕事だったね。クロ君もお疲れ様だったね。よしよし。良い物を見せてもらったからね。あれはボクが買ってあげよう」
そう言って、開放感と喪失感の入り混じった、自分自身、よく分からない涙を浮かべるクロの頭を一つ撫でた後、服の山を指差すと、ネメアは懐から二枚の金貨を取り出し女性店員に手渡すと、引き換えに数枚の銀貨をお釣りとして受け取った。
「では、微調整をしておきますので、明日のお昼頃にまたおいで下さいませ」
「うん。ありがとう。頼んだよ。思ったより長居してしまったね」
「またのご来店お待ちしております〜」
上機嫌な店員に見送られ、店を出たクロ達は、昼間と比べ、明るさと共に活気が薄れつつある道をしばらく歩くと、ネメアが小さく呟く様に声を発した。
「二人とも、分かっているね?」
「しってる」
「あぁ、隠そうともしてないしな」
クロが立ち止まり、それに合わせてネメア、イリスが立ち止まると、視線を感じる背後へと身を翻した。
「誰だ?」
クロが問いかけると、痩身の男が、和やかな笑みを浮かべて近寄る。
「いやぁ、可愛らしいお嬢さん達が並んでいたもんで、お茶でも誘おうと思っていたところなんだよ」
男が左手で後頭部を摩りながらそう言うと、クロは目を細めた。
「へぇ?袖にナイフ隠しながらか?」
クロの指摘に、男は口角を上げる。
「いやぁ、これは違うんだよ。ほら!」
ゆらり。
体を左右に揺らしながら、男が右手の袖から出したのは、その柔和な笑みと相反する様な、ぎらひと鋭い光が、その切れ味を物語っているナイフだった。
男はそれを強く握りしめ、ネメアに向けて刺突を繰り出した。
「魔王様の遺産を穢す者は抹殺するゥ!」
足を魔力で強化しネメアに襲い掛かかろうと、脇を通り抜けようとする男の腕を、俊敏な動きでクロが回り込み、よいしょお!と掛け声を上げて力一杯蹴り上げた。
「うぐぁ!?」
男の手から弾き出されたナイフは、空高くへと舞い上がり、やがて地面にドスっと鈍い音を立てて突き刺さる。
「くそがぁ!」
折れた右手首を庇うように蹲った男は、その手をネメアへと向けると、その手の平には煌々と赤く輝く炎が宿り、彼の背後の景色がその炎と同じく揺らめく様は、相当量の熱量を携えている事を示していた。
「正気か!? 街中だぞ!?」
イリス!とクロが声を掛ける間もなく、イリスは男に両手を向けると、その炎から徐々に熱が奪われ、やがて霧散する。
「なんだ!?」
驚愕に手をまじまじと見つめる男の隙をついて、クロが一歩で彼の背後に回り込むと、その首筋に手刀を叩き込む。
「寝てろ」
一言。そう呟くように、すれ違い様にクロが声を掛けると、男の体はぐらりと揺れ、そのまま白目を剥いて地へと倒れ伏した。
「ふう。二人とも無事か?」
クロは店で買ったまま着てきた淡い水色のスカートに着いた土をぱんと払うと、イリス、ネメアにそう問いかけた。
「概ね予想通りの展開だね。助かったよ。ご苦労様。助けてもらってなんだけれど⋯⋯サービス精神も程々にね?」
ネメアの視線はクロの太ももへと注がれ、そこにはひらりと小さく揺れる水色のスカートが。
徐々に事態を把握したクロは、その理解度に応じて顔を真っ赤に染めた。
「そんな状況じゃなかっただろぅ!?」
自棄気味にそう叫んで、クロがイリスへ視線を向けると、問題無いと言う様に小さく頷いた。
「んっん!さて、ネメアの言ってた芽を摘むってのはこの事か?」
「そうだね、ボクたちが瘴気の無い魔石を持っていた事はギルドの中で大分話題にしてもらったからね。早く炙り出せて良かったよ」
魔法まで持ち出してくるのは予想外だったけれどね。と続けて、ネメアはクロの背負う鞄を漁り、手錠を取り出すと男の手足に掛けた。
「これで良し。さて、と」
ネメアが気を失っている男の頬を叩くと、男は瞼をピクピクと動かして目を覚ました。
「うう⋯⋯ん⋯⋯? お前!」
視界に入ったネメアの姿に、今にも掴み掴みかかろうと踠くが、手錠に手足を取られて立ち上がることも出来ずに他に伏せた。
「さて、聞きたいことは山積みだけれど、ここでは人目につきすぎるからね。場所を移そうか。クロ君。彼を担げるかい?」
なんで目を開けさせたんだ、という言葉は飲み込んで、クロは首を横に振った。
「いや、暴れられると面倒だからな。できれば私は運びたく無いな」
「そうかい? それじゃあボクが運んであげよう」
そう言うと、ネメアは目を閉じ、男の前に手をかざすと、男の体が浮かび上がる。
「やめ、何をする!? 私は神聖なる魔王様の忠実な⋯⋯」
「はいはい、そういうのは守衛に着いてからやっておくれよ」
ネメアが淡々と野次馬の前に立つと、その群衆は道を作るように二つに割れ、そこを歩くと、男もそれに追従する。
「ネメアの魔法は重力を操るのか?」
「お、気が付いたね。正解。ボクの魔法は重力を操って物を浮かせたり、重さを増やしたりなんかできる便利な魔法さ。これでフューリーを浮かべているんだからね?」
歩きながら、魔法の使い道について得意げに語るネメアと、それを熱心に聞き入るクロは、側を離れるイリスに気が付かなかった。
「たいちょー?」
クロスの後ろ姿を捉えたように感じたイリスは、クロ達とは反対方向の、安寧の塔へと走って行ってしまった。