27:譲歩の条件
唐突にクロ達の耳をつんざいた怒声が一旦収まると、床に散乱するガラス片には一切の意識も割かず、その視線はイリスのみを捉えていた。
「パパ言ったよねぇ!? 強くてカッコいい旦那さんを見つけて来なさいってさぁ!ねぇ!!キミの隣にいるのは、百歩譲って将来的になるとしてもお嫁さんだから!確かカッコいい系だけれども!ねぇ! それが元男⋯⋯って、尚更パパは許さんからな!」
行き場を失った感情がファルガの内では留まらず、吹き出した濃密な魔力は衝撃波となってクロ達へ襲い掛かる。
「あの、違うんですお父様! これには深い事情が⋯⋯」
「お義父様なんて呼ぶんじゃねえ!」
ぎゃあぎゃあ、とひたすらに喧しい怒声と雄叫びの跋扈する謁見の間で、状況が一転したのは、イリスが足を踏み鳴らした時の事だった。
「全員黙って」
踏み出された足から冷気が放たれ、その場にいた全員の目の前に氷の槍が生える。
「「こら、イリス!」」
全く同じタイミングで声を揃えたクロとファルガンは、互いに舌を打ち鳴らして声を上げた。
「貴様は黙っていろ、クロ・リュミナーレ! 我は今、このバカ娘と話しているのだ!」
「一方的に怒鳴り散らす事を会話とは呼べません! 周囲の話に耳を傾けることのできる聡明な王よ! どうかここは一つ寛大な心で⋯⋯」
クロが身振りを加えて説得を試みるが、ファルガは聞く耳を持たないとばかりに首を左右に激しく振った。
「ええぃ、黙れ黙れ! 我との謁見のために功績を上げるなんてズル賢い奴と話すことなんてないもん! あーあー、娘を拐かしてる奴らと同盟なんか組んでやらないもんね! 魔王教? 知らないね! 我がいればこの国は⋯⋯」
頭頂部の三角形の青い耳を押さえて首を振り続けるファルガを見届けたクロは、透明な氷越しにイリスに視線をやると、彼女の表情からは感情を一切感じられなかった。
「恥」
まるで氷でできた刃のように冷たく鋭いたった一言が、ファルガの胸を貫き、彼の悶える姿によって威厳は儚くも散った。
俯いた彼はやがて肩を振るわせると、玉座に座り直して足を組む。
クロ達の側に控えているミリィの姿を一瞥すると、ファルガは鼻を鳴らした。
「⋯⋯はぁ〜! それで、要するにお前達は我らガルドニア王国との同盟を結びたいんだろう? ⋯⋯ふん。ハンスの奴までたらし込んだか。ますます姑息な奴らだ」
「ハンス兄ぃはたらし込まれてるわけじゃ無いの! そんなこと言う王様には、もうパパって呼んであげないの!」
う、うわぁ⋯⋯と今にも声に出てしまいそうな程冷たい視線がファルガへと突き刺さる。
「ま、待て!違うぞ。これには深い事情があってな。決してアイリスが出て行った寂しさを紛らわせていたわけじゃ⋯⋯」
語るに落ちる。
現在進行形で真っ直ぐ最短で墓穴を掘り進んでいくファルガに痺れを切らしたのか、傍に控えていたアルマが手を挙げて発言の許可を得る。
「王よ。発言の許可をいただきたく」
「よかろう。我は此度の件、迅速な対応と単騎解決せしめる貴公の手腕は認めておる。 発言を許そう」
「ありがたき光栄に御座います、陛下。それでは、不肖このアルマ・クルセより申し上げます。この度アイリス・ガルドニア様との婚約を結ばさせて頂きまして感謝の言葉もございません」
恭しく、しかしどこか仰々しく礼を述べた彼に、イリスは目を見張った。
「お断り」
「そんな反射的に拒否するな!」
声を張り上げて怒鳴り疲れたのか、肩で息をするファルガに、イリスはふるふると首を横に張って、隣にいたクロと腕を絡ませる。
「違う。わたしは、もう相手がいる」
「⋯⋯代替の事情はアルマからの報告によって聞いている。しかし、相手がそんな可憐な少女とか⋯⋯“少女”とかぁぁぁぁ!!! やっぱり納得できんわぁ! パパは絶対に許さんからな! そんな木っ端な小娘より、我の選んだ勇者の血の方が強いもん! 尊いもん!」
まるで発作のように昂った感情を発散させようと頭を掻きむしったファルガは顔を真っ赤に染めてクロを睨みつける。
「おぉ。それは名案ですね、陛下。それでは、わたくし、このアルマ・クルセと、この者、クロ・リュミナーレでの決闘をし、より優れた者がイリス嬢を娶るというのは如何でしょう?」
ファルガは愛娘を景品にする事とイリスの意思を尊重したい葛藤に俯き、暫く経った後に顔を上げてゆっくりと口を開く。
「⋯⋯我も参加する。おっ、そうだな。それがいい。よし。勝ったやつが負けたやつのいう事を一つ叶える。それでいいだろ」
突然の宣告に、その場にいた全員に戦慄が走る。
「お、お待ちください王よ! 貴方様は至極尊きお方! もしものことがあれば⋯⋯」
脇に控えていたシャルが声を荒らげると、彼女の方向を睨みつけたファルガは有無を言わせぬ威圧感を放つ。
「いいや。今の我がここにいるのはこの力があったからだ。なれば、我に参ったと言わせるような者に娘を託したいと思うのは、そんなにおかしい事か?」
「い、いえ。しかしながら⋯⋯」
続けようとしたシャルはファルガのプレッシャーに耐えられず胸元を押さえて押し黙った。
「我が負けるとでも?」
その問いは、幾度もまとまりの無い獣人達を力のみで統治してきた矜持が滲み出ていおり、シャルには応えうる術を持ち合わせていなかった。
「他に意見のある奴はおらぬな。ならば、この会合は解散だ。決着がつくまではこの城で好きに過ごすが良い。決闘に不調でしたなどと言い訳はさせぬからな!」
ギラついた眼光がクロとアルマを見下ろすと、その場の威圧感は消え去り、シャルは逃げるように彼女達を先導して謁見の間を出た。
「ふん。勇者の末裔にアストラーダ“最強”の一角か。久しぶりに胸が躍るなぁ!」
クロは、そんな嬉しそうなファルガの声を聞いた気がした。
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「ちょっと、あんた達正気なの!? あの国王様、中身はあんなだけど、とにかく強いんだから! 死にたくなかったらさっさと降伏する事ね」
大きな客室に通されたクロ達は部屋の真ん中に備えられた長テーブルに着くと、鼻息を荒くしたシャルを無視して周囲にある暖炉や壁画、豪奢な造りの魔道具にも視線を向けた。
「アストラーダの物も幾つかあるんだ⋯⋯」
「ちょっと人の話を⋯⋯あぁそれ? 確かファルガ様が外国のお土産って言って献上されてたわね」
先程の怒りは何処へやら。魔法文字の組み込まれた水瓶を手に取り、うっとりとした表情を見せるシャルは更に続ける。
「この発明品には驚かされたわ。まさかこんなにも技術の発展した国があるなんて⋯⋯あたしも一台家に欲しいくらいだわ」
慣れた動作で陶器の中に水を注ぎ入れ、水瓶に手をかざすと、台座に刻まれた魔法文字が赤い発光と共に熱を発し始める。
「おや、随分と慣れているようだね」
「まあ、あたしはイリスの学園生活とか報告によく来てたからね」
それを耳にしたイリスの顔から、表情がストンと抜け落ちた。
「衝撃。シャルは友達じゃなかった」
「あぁ、嘘嘘! ごめん!違うから!」
膝を曲げて視線を合わせ、頭を撫でるべく手を伸ばしたシャルの手を、イリスはひょいと避けると、クロの背中に隠れながら威嚇する。
「あちゃー。だから嫌だったのに⋯⋯あのバカ王め」
ポツリ。そう呟いたシャルに、興味津々といった様子でクロは口を開く。
「イリスの過去か。そういえば本人から聞いた事もなかった。ねぇ、その王様へしていた報告の内容とか教えてよ」
「クロは、知らなくていい」
クロの背中に飛び乗ったイリスに耳を噛まれてもなお、彼女の興味は尽きる事なく、シャルの口から語られるイリスの幼少期の思い出を話の種に、夜は更けていくのだった。