9:絶望の痕跡
これまでの、マリスとの因縁を語り終えたクロは会議室を後にし、フューリーへ向かって歩いていると、イリスが不意に口を開いた。
「クロ。ごめん」
「急にどうしたの?」
「ん。クロを騙すみたいに⋯⋯」
「なんだ。そんな事か。いいよ。別に気にしてないよ。むしろ、私はイリスの事が少し知れたから」
「クロ⋯⋯」
何処となく気恥ずかしくなったのか、クロの歩幅が少し大きくなり、イリスはその手を掴んで歩き出す。
「おや。やっと戻ってきたんだね。お疲れ様」
フューリーへと戻ってきたクロとイリスを出迎えたのは、白いエプロンを胸から掛けたネメアだった。
「ネメア? その格好は⋯⋯」
クロがネメアの姿を見てあんぐりと口を開けていると、彼女は視線を下へとやり、あぁ。と口にする。
「いやなに。今日は大変だったからね。少しでも英気を養えるようにと、砦の人達に食糧を多少分けてもらえてね。ボクと⋯⋯メルナ君が腕を振るってくれたんだよ」
クロがキョロキョロと辺りを窺うと、厨房から薄紅色のエプロンを身につけたメルナその髪色に負けないほどが顔を赤く染めていた。
「何よ! あんまりジロジロ見るんじゃないわよ!」
「いや、ごめん。かなり意外だったから⋯⋯うん。似合ってると思うよ。すごく可愛い⋯⋯あだっ!?」
ふん、と冷ややかに目を細めつつクロの足を踏んだイリスとは対照的に、頬を朱に染めて俯き震えたメルナは、小さく頷くと、クロに詰め寄るように皿を差し出す。
「は、はやく食べなさいよ! それに、アタシはそのちびっ子の見張り役よ。まったく、料理にすぐ変な薬入れようとするんだから!」
「⋯⋯ネメア?」
ぎくっ、と音が聞こえそうな程背筋を伸ばしたネメアは、首をぶんぶんと横に振る。
「ち、違うよ!? 変な薬じゃなくて、あれは⋯⋯うん。アレはアレだよ。栄養剤さ! ほら、持ち込んだ分と、分けてもらった分を合わせても、栄養には偏りがあるだろう?」
わたわた、と振り回したネメアのぶかぶかの白衣袖から、コロンと真っ白なボトルと一枚の紙がこぼれ落ちた。
「なにこれ⋯⋯試薬、第八十二号? こっちはメモか」
「あ、ちょっとクロ君!? それはボクの研究成果だよ。返してくれるかな!」
クロは足元の紙を拾い上げると、ボトルを片手にメモの内容を読み上げる。
「えーと、なになに⋯⋯ガルドニア王国の土地はアストラーダには無い植生が散見される。特に興味深いのは養分となる魔力が希薄となったことにより、周囲の魔力吸収能力の以上に発達した苔だろう。これを煎じたものと、アストラーダから持ち込んだ同じく魔力を溜め込む性質を持つ魔茸の胞子と混ぜ合わせれば、特異な魔力回復薬が出来るかもしれない。仮説である為、要検証。もしも身体に異変があったとしても、クロ君の魔法があれば異物を的確に取り除けるだろう⋯⋯ってこれ!」
イリスに羽交い締めにされたネメアは、音にならない口笛を吹き天を仰ぐ。
「最近は激戦続きだっただろう? ボクはね、キミたちの事を思って⋯⋯」
エルフ特有の長い耳をピクピクと上下に動かし、悲痛な叫びを上げるネメアを尻目に、クロは怪しげなボトルを懐に仕舞い込む。
「えっと、取り敢えずこれは没収で。それと、これからはネメアの料理は禁止だね」
「そんな、横暴だよ!」
「いやいや、調理にかこつけて薬の実験とか論外だから」
ピシャリと言い放ったクロに、イリスもこくこくと頷き同意を示す。
「ん。ネメア。厨房、出禁」
「それだけは⋯⋯!」
「つまみ食い位なら、許してあげられたんだけどね⋯⋯流石に人体実験の手伝いをさせられるのはちょっと」
ネメアの抗議の声も虚しく、襟首を掴まれた彼女はズルズルと引きずられ、着席させられる。
席についたネメアが白衣をべったりと円卓の上に垂らし、涙ぐんでいると、先に席についていたシフィがぱんぱんと手を叩き鳴らす。
「まあまあ。全員席についたのですから。早速いただきましょう!
「待ってくれ。ボクの無実がまだ証明されていないよ!」
「懐からメモとボトルが出て来たのが何よりの証拠じゃない?」
うぐっ、と黙り込んだネメアは、渋々黙り込み、両手を胸の前で合わせ、いただきます、と口にして目の前のバゲットに手を伸ばす。
「うん⋯⋯う〜ん⋯⋯普通に焼いたパンだね。クロ君。何かこう、調味料的なものが欲しくならないかい? 具体的には魔力が回復しそうな、苦味のあるキノコの胞子を原材料に使った⋯⋯」
「まだ諦めてなかったの!? これは絶対渡さないから!」
クロは己の身を抱きしめるように腕を交差させ、ネメアから少し距離を取る。
「いやいや。これはキミの為でもあるんだよ? 魔力を回復できるということは、戦闘を継続できるということさ。少なくとも、キミがアルトシザースでやられたような、強大で単体の魔物との長期戦での魔力切れという夢幻機兵の弱点は克服できるんだからね! いまでこそ、魔力は夢幻機兵に内蔵された魔石から供給しているけれど、それも搭乗している騎士から魔力の補給を行えるかもしれない。そして、魔力の貯蔵量が増えれば、相反する瘴気の蓄積量も⋯⋯」
真剣に語るネメアに、クロは、はぁ、とため息をこぼす。
「⋯⋯ネメア。そういう事ならご飯に混ぜるとかはナシだよ。ちゃんと相談してくれれば、その実験体になってあげるからさ」
「クロ君⋯⋯すまない。つい気が急いてしまって⋯⋯」
クロは気恥ずかしさを振り払うように首を横に振ると、席に着いてパンを一口齧る。
「うん。美味しい。こんな美味しいものを作れる人を、疑うなんてマネはしたくないだけ! さ、ネメアも席についてさ、食べよっ!」
クロの一声でその場にいた全員がバゲットを手に取り、口に運び始め、一様に似通った反応を示した。
「それで、ハンス君とどう言った話をしていたんだい?」
和気藹々とした雰囲気の中、そう切り出したのは、両頬に付け合わせのステーキを口に含んだネメアだった。
「えっと、そうだね。これは皆に話しておかなくちゃいけない事だと思う。実は⋯⋯魔王教の幹部、マリスと名乗った道化の男がこの国にやってきているかもしれない」
先の雰囲気とは一転、クロの言葉に、フューリーの船内には緊張が走るのだった。




