4:顔合わせと不和と到着と
「まずい⋯⋯なんだか段々戻れない所まで来てる気がする⋯⋯」
膝を抱えた形で待機状態のディピスまで戻って来たクロはげんなりとした様子でそう呟くと、耳聡く聞いていたネメアが、その長い耳を揺らしながら彼女の肩を叩く。
「まあまあ。そう言っても仕方ないさ。というより、もう戻れないからねえ。何度も言うようだけど、キミの体は今絶妙なバランスで成り立っているんだ。そこに更に何か加えようものなら⋯⋯ねえ?」
「はあ。分かってるよ。破裂するんだろ?」
分かっているなら良しと、ぴくぴくとネメアの長い耳が動くと、ツカツカと彼女に近寄って来る足音を拾った。
「おや、誰か来たみたいだね?」
「アンタが新規に配属された騎士ね?」
そう高圧的に声を掛けたのは、燃えるように明るい赤髪の少女だった。
少女の体躯はクロと同等程で、何よりも目を引くのは彼女の額から剥き出しになっている白い二本の角と、その背中に見える、丸太のように巨大な尻尾だ。
それこそが、彼女が竜人である事の証左だった。
更に、彼女の着こなす軍服の左胸には、五芒星を象った勲章が黄金色に煌めいていた。
「おいおいネメア!こんな超有名人が乗ってるなんて聞いてないぞ!?」
その勲章を見てハッとしたクロは、ネメアの耳元まで小さく屈むと、耳打ちをした。
「ははは、まあボクらの活動は国家事業だからねえ。国の最高戦力の投入もやむなしさ」
それもそうか、とクロが角を持った少女に向き直ると、ビタン、と尻尾を叩きつけて待っていた。
「コソコソしてないで質問に答えてくれる?」
痺れを切らした少女の問いに、慌ててクロは敬礼をし、事前の打ち合わせ通りに自己紹介する。
「お⋯⋯私はアルトシザース駐屯地在任、クロ・リュミナーレ銅等騎士であります!かの戦いにおいて、貴艦に救出頂き、感謝の言葉もございません!以後は、貴艦の活動に尽力する所存であります!」
クロの自己紹介に、ふぅん、と特段興味もなさげに一つ息を吐くと、少女は口を開いた。
「アンタについては上の決定だし、アタシ達の足を引っ張らなきゃ良いわ。精々頑張んなさい」
威圧的にそう言った彼女は、腕を組み直して胸の勲章を強調するようにして、続ける。
「アタシはメルナ・ルフェンシア。国守の五将の一角、“三の将”を担っているわ。とはいえ、アタシはこの船の護衛で離れられないから、基本戦線に出ることはないわ。だから、直接の戦闘はアンタと、あのちびっ子がメインになるわね」
まあ、よろしく、とメルナと名乗った少女は、組んでいた腕を解くと、その右手を差し出して握手を求める。
クロはそれに対して右手で強く握り応じると、その力が徐々に強まって行くのが分かった。
「いっ!?たたたたたたた!何をなさるんですか!?」
クロが抗議の声を上げるも、その力は一向に緩む気配は無い。
「いい!?あの戦いで一人の騎士が殉死したわ。それは偏にアンタ達騎士団の実力不足が原因よ!分かったら死ぬ気で汚名を雪ぎなさい!」
ふん!と手を振り払うと、彼女は足を踏み鳴らして外へと出て行ってしまった。
「いやー、キミ嫌われ過ぎじゃないかな?あの子達に何かやっちゃった?」
側で聞いていたネメアが耳をぱたぱたと揺らして、クロに向き直った。
「俺が聞きたいくらいだ!」
「あ、“俺”って言わないようにね」
ネメアの厳しい指摘にクロはくぅと小さく鳴いて、頬をぺちぺちと叩いて仕切り直す。
「まあ、これから私に挽回の機会を与えてくれるって言うんだから頑張るしかないだろ。いつか人のこと弱いとか言ったのを後悔させてやるさ」
クロの解答に小さく頷くと、ネメアは彼女の手を優しく摩った。
「けど、無理はしないようにね。キミは奇跡的に命を拾ったけど、二度目はきっと無い。だからこれだけは約束してくれ」
「⋯⋯善処はするさ」
並々ならぬクロの目に宿る覚悟を見て、ネメアは小さく溜息を吐くと、彼女の痣の残る手に、小さな魔法文字の刻まれた包帯を巻く。
「分かったよ⋯⋯今はそれで良い。何処までも平行線になりそうだからね、それじゃあこの話はお終いだ!気を取り直してここを出ようか。早めに顔合わせは終えないとね!」
そう言って声を張り上げたネメアに、待った!と言う声が掛かった。
「ヒドイっすよ!ネメアさん!」
止めたのは、頭の先がクロの胸にも届かない程小さな少女だった。
彼女は他の騎士達とは違い、軍服ではなく、オーバーオールに、白いシャツ、頭のバンダナは機械油と鉄粉で黒く汚れていた。
「ウチの名前はリアっす!ウチはこの船で基本的に夢幻機兵の修理と武器の製造、開発、魔物の解体、それからこの船の保全も担当してるっす!クロスさんの乗ってた機体もウチが治したっすよ!」
彼女はそう言いながら、手に持ったスパナを器用にくるくると回し、その明るい橙色の髪を振って小さくターンを決めて、ウィンクをする。
「私はクロ・リュミナーレだ。よろしく頼む。しかし良かったのか?修理したてのディピスに勝手に乗ってしまったが⋯⋯」
「全然問題無いっすよ!放置してたらただの置物っすからね!元々の乗り手に乗ってもらった方が勝手も分かるんでありがたいっす!」
彼女の口振りに違和感を感じたクロは、ネメアに向き直った。
「なあ、もしかしてこの子⋯⋯」
「ああ。リアにはキミの事を話してある。と言うのも、彼女はこの船から降りないし、彼女とは古い付き合いだからね。それなりの信用もあると見込んでのことさ。それに彼女はドワーフだからね。キミより遥かに長い時を生きているよ」
「そう⋯⋯でしたか。改めて宜しく頼みます」
「ハハ、そんな畏まらなくて良いっすよ!ウチは戦うセンスが無いっすからね!さっきの戦いもっすけど、あのアルトシザースで、皆待機命令を受け入れて動こうともしない中で立ち上がったクロさんを、ウチは尊敬するっすよ!!」
「いやそんな、私は別に⋯⋯」
「謙遜しないで欲しいっす!⋯⋯とと、そういえばまだやり残してた事があったっす!またじっくりお話し聞きたいっすー!」
それだけ言うと、リアはスパナを回してイリスの乗っていた青い機体の方へと走り出してしまった。
「あ、ちょっと!?⋯⋯行っちまったか」
クロが溜息を吐くと、ネメアが一つ頷いた。
「まあ、あの子も忙しいからねえ。さ、ボク達も行こうか」
「行くって⋯⋯何処にだ?」
彼女が手を引いて歩くネメアを引き留めると、ネメアは金の髪を翻して立ち止まる。
「それは勿論、司令室さ。早く上の方にも挨拶しないとね」
そう言うと、彼女は再び歩き出し、格納庫を後にして少し歩くと、ズラリと扉の並んだ廊下へ出た。
「ここが居住区だよ。後でキミの部屋は紹介するから、この位置は覚えておくと良い」
部屋には番号が振ってあり、1と書かれた部屋には、豪華な装飾が施されて居るのが目に付いた。
「ああ、その部屋がこれからお会いする“五王”のうちの一人、オルバ・シャタムーア様の御令嬢、第三王女のシフィ・シャタムーア様のお部屋だね!」
「その、良いのか?私みたいな一市民が王女様と謁見なんて⋯⋯」
「問題ないさ。どころか、これから生活を共にするんだ。挨拶くらいしないと逆に不敬だろう?」
それもそうか、と納得したクロは再び歩き出すと、それに倣うようにネメアが先導する。
そこから暫く歩いた先で、大きな自動扉の前でネメアが再び立ち止まると、クロに先に進むよう促した。
「さ、ここがこの船、フューリーの全指揮系統を司る謂わば命の部分、司令室だよ。くれぐれも王女様に粗相のないようにね」
「分かってるさ⋯⋯あ、そういえばなんでこの船に乗ってるのは全員女だけなんだ?」
ここに来て、今まで疑問に思っていた事を改めて口にしたクロに、ネメアが肩を竦めた。
「ああ、そう言えば言ってなかったね。実はシフィ様が⋯⋯」
そこまで言いかけたネメアの言葉を遮るように、クロ達の目の前の扉がプシュっと音を立てて開かれた。
「お待ちしておりましたわぁ〜!!!」
中から飛び出して来た人物に熱烈な抱擁を受けると、クロは抵抗する事もできずにホールドされる。
「うぅん〜やっぱり獣人の女の子の独特の香りはいいですわねぇ〜。あ、エルフも入ってるんでしたっけ。三倍お得ですわぁ〜。すぅ〜。これは猫吸いと言って、勇者様の国の伝統的な儀式らしいですわ〜!」
「ひぇ⋯⋯」
クロは何か喋ろうともがくが、ネメアに押さえつけられた。
「そう言う事さ。そのお方は大の男嫌いでね。ああ、抵抗はしないでおいた方が賢明じゃないかな。怪我でもさせたらシャレにならないからね」
うんうん、と頷くネメアを尻目に、クロは最早人形のように脱力し、最早どうにでもなれと、思考を放棄する。。
彼女はクロの耳に自身の桃色の髪を擦り付け、それを撫で回し、その香りを肺いっぱいに吸い込むと、恍惚の表情を浮かべた。
一頻り堪能して満足したのか、彼女がクロから手を離すと、その豪奢な衣装を直し、改めて向き直る。
「コホン。私はシフィ・シャタムーアです。父が五王なんていう職業についておりますが、私の身分はそこまで大それた物でも御座いませんわ。それよりも、貴女の乗船を心より歓迎致しますわ」
シフィと名乗った女性は、スカートの端を摘むと、優雅に挨拶を交わす。
それを見て、クロは慌てて敬礼をし、先程メルナにしたような無難な挨拶を簡単に済ませると、彼女から距離を取った。
「あら、逃げられてしまいましたわ」
「ははは、お戯れが過ぎましたな。さて、私はこの子を“歌姫”と合わせて参りますので、ではまた後程⋯⋯」
ネメアが恭しく頭を下げて、その場から離れ、少し奥の席に座っている銀髪の少女の方向へと向かっていくと、クロもシフィに小さく会釈をしてネメアに続く。
「にぎゃっ!?」
去り際に、ふりふりと揺れるクロの尻尾をキュッと握ると、シフィはうふふ、と小さく笑った。
「またね、子猫ちゃん」
「ハハ、えっと、恐縮の極み⋯⋯です?」
意外にも気に入られてしまったシフィに、今度こそ深々とお辞儀をして、自身の尻尾は体に巻き付けるようにして、脱兎の如くネメアの側に寄った。
「どうも、レミ様」
鼻歌を歌いながら、目の前の魔石を通して魔力を送り込み、索敵の魔力を周囲に散布すると同時に、船の周囲の瘴気を祓う作業に夢中になっている彼女に、ネメアが肩を叩いて気付かせた。
「うひゃあ!?⋯⋯あ、こ、こんにちは⋯⋯」
レミと呼ばれた少女は、ビクビクとしながら、銀の髪が地に着くほど深々と頭を下げた。
そんな彼女が微動だにしない様子を見て、ネメアが肩を竦めた。
「こちらは、この船の最重要人物とも言える、“歌姫”のレミファーラ・シンフォニカ様、通称、レミ様だ。この方の魔力は特殊でね、なんと瘴気を中和できるのさ。そして、ボクらの目的は彼女の能力によって、各地方に配備された“浄化石”に溜まった瘴気の中和にある。とまあ、それは今は置いておいて、この方とシフィ様をお守りするというのが、キミに与えられた任務だね」
あ、あの、と吃りながらも、頭を下げたままの、レミと呼ばれた少女が声を発した。
「わ、私が今紹介頂いたレミファーラです。気軽にレミって呼んでください!み、身分が平民なので、そんな、畏まられると困るといいますか⋯⋯そもそもここでお仕事させてもらえてるのが奇跡といいますか⋯⋯」
その様子に、ふうと一つ息を吸い込むと、クロは彼女の顔を覗き込むように片膝を地につけた。
「私はクロ・リュミナーレと申します。必ずや貴女をお守り致しますので、存分にその能力を発揮してくださいませ」
守る、と真剣に言われた事はレミの人生で初めての事であり、彼女は少し戸惑いつつも、小さく頷く。
「酷いですわ!私のことは守ってくださるなんて仰ってくださらなかったのに!」
部屋の真ん中で座って聞いていた、シフィがバタバタと足を暴れさせるが、クロは耳をぺたんと折り畳み、聞こえないフリをした。
「さて!これで挨拶回りが終わった事だし、丁度見えてきたね。アレが、今回ボク達が浄化の儀を行う予定地、アストラーダ王国領最北端、レスト地方の、フォゲルナの街だ」
ネメアが耳を閉じたクロの肩を叩くと、その右手の人差し指で司令室の前方を指差すと、その白い壁に覆われた街が少しずつ近付いて来ていた。
その位置からは街の全容を伺う事はできないが、その状況下でも一番目を引くのは、空を穿つように聳え立つ、巨大な白い塔だった。
「あの街の塔が見えるだろう?あれが、浄化石の安置されている、“安寧の塔”と呼ばれる場所さ。これからキミには、街の調査をして、安全に、かつ迅速に浄化の儀を行えるよう、段取りを組んでもらいたい」
ネメアは視線をクロに戻すと、彼女の肩を掴んで、そう言った。