40:執念と咲星と結集と
「ほう? 確かにお主には魔封じの錠を掛けたと思うたのじゃがのう?」
「大切な友達が命を張ってくれてるんだ。じっとしてなんて居られないよ」
「ふむ。その意気は良えんじゃがな。これ以上の罪を重ねて何とする?」
「罪、罪ねえ。そうそう、罪と言えば⋯⋯そこの道化師と密談してる方がよっぽど悪どいと思うんだけど!」
腰に手を当てて頬を膨らませたクロは、グレン指を突きつけてそう言った。
「ワシを悪と断ずるか⋯⋯」
グレンは彫りの深い皺を更に寄せてクロを睨めつける。
「例えワシの行いが非難されようと、やり遂げなければならぬことがあるのじゃ!」
グレンは懐から赤黒く禍々しい光を放つ封玉を取り出しそう叫ぶ。
「ヨホッ!? もしや、もう絶望玉を解き放つので!? ただ今、ガラク様が準備中に御座いますよ!?」
仰々しく全身で反応を返すマリスに向き直り、グレンは耳につけた紫色の魔伝石を軽く二度叩いた。
「今しがた、連絡が入ったんじゃ。準備は万全じゃとな」
「おやぁ? もしかして、ワタクシへの連絡忘れてあるのですかな? くぅ。もうお好きにしてくださいな。ワタクシ、この涙に濡れた化粧を直して参りますのでぇ⋯⋯」
シクシク、と啜り泣く声を残し、マリスは足元の影に飲み込まれるように沈み立ち去った。
「魔王教と組んで、一体何を考えてるの!?」
クロの怒鳴り声に、グレンは落ち窪んだ目を彼女に向ける。
「全てはマリアの為じゃ。邪魔立てするでないわ!」
「一体何を⋯⋯!」
拳を構えたクロを見つめたまま、グレンは手の中の封玉を天高く掲げると、それを握り潰した。
パリン、という硝子の割れるような小気味良い音を響かせ、封玉があっさりと砕け散ると、内包されていた瘴気が荒れ狂い、天を穿つかのように立ち昇った。
「こんな事をしたら魔物が⋯⋯王都には沢山の人が居るのに!」
「同意など最初から求めておらぬ。道理や倫理では、救えぬ命もある! その事はお主も良く知ってあるじゃろう」
冷酷なまでに淡々と告げられた言葉と、射殺すような視線へ乗せられた殺気に、クロはたじろぎ半歩引く。
「さて、お主の事はガラク様から任されておっての⋯⋯三秒やろう。その間に逃げるなら良し。もしも、ワシの邪魔をすると言うので在れば⋯⋯」
グレンは杖に両手を預け、真正面のクロを見据える。
「只、斬るのみ!」
「ラスティ!ネメアに状況の報告! あとは全力で生き延びること!」
「待って、おねえちゃ⋯⋯」
クロに横抱きに抱えられたラスティは言葉を遮られたまま青白い閃光に包まれて姿を眩ませる。
「それが恩に報いるお主の答えというわけじゃな!」
言うや否や、グレンはクロが見上げるほど高く跳び上がり、白銀の夢幻機兵、プレシエに乗り込んだ。
「何をしようとしてるかは分からないけど、瘴気を使って引き起こされる事が善い事な訳がない! 絶対に止めてみせる!」
クロは天高く手を掲げ、その名を高らかに叫び上げる。
「来て! メイメツ!」
その声を目印にして、彼女の髪と同色の、艶やかで研ぎ澄まされた装甲を纏う夢幻機兵が現れる。
『ふむ。魔力は全て絶ったと思うたのじゃがのう!』
「くっ! ⋯⋯負けないから!」
ガキン!と音と火花を散らして互いの持つ刃同士がぶつかり合う。
鍔迫り合いになった二機は、格納庫の天井を突き破りアストラーダ城の更に上、空を覆っていた鈍色の雲を突き抜けて遥か天高くに舞い上がる。
『なぜ⋯⋯なぜ邪魔をするのじゃ! ワシらの安寧を邪魔立てするでない!』
『この状況を見て、今ようやく貴方の計画の一部を見られたよ⋯⋯こんな、こんな事!』
クロの眼下には、次々とディピスに乗り込むが、動力である魔石から魔力を奪い去られたために静まり返る騎士たちの姿が見て取れた。
更に王都を守護する壁近くに目を向ければ、オーガや大蛇をはじめとした魔物がまるで湧き出す水のように溢れ出す。
「マリア⋯⋯」
グレンの呟きに呼応するかのように、両翼をはためかせ天空を駆けた虚竜は、口腔に魔力を溜め、それを灼熱の吐息として吐き出し、魔物たちを次々と薙ぎ払う。
『人を⋯⋯守ってる?』
クロの呟きに、グレンが反応する。
『そう⋯⋯これを以て騎士の時代は終わりを迎えるのじゃ! 夢幻機兵などと大層な名前はついておるが、実質無限に動けるなどとは愚者の戯言じゃ! 瘴気を吸えばいずれヒトの身に取り込まれ暴走する!』
じゃから、と呼吸を置いたグレンは更に力強く咆哮を上げる。
『こんな夢幻機兵に頼らずとも、己が手で全てを守る事のできる時代が幕を開けるのじゃ!』
しわがれた声を張り上げ、白銀の剣を振り回すプレシエに、クロの乗るメイメツが黒い大剣を立てて応戦する。
「速いし⋯⋯重い!」
込められた想いもあってか、その威力は今まで相対した相手の全ての剣筋よりも研ぎ澄まされ、クロは背中に冷たい汗が伝うのを感じた。
『お集まりの皆様方! 我々の開発した新たな兵器、虚竜をご覧頂きたい!』
防戦一方のクロの耳にふと、城門の前に立つガラクの叫ぶような大声が響く。
『あれこそ、新時代の象徴とも言える新たなる力⋯⋯我々の救世主となる生物なのです!』
彼の指差す方向には、虚竜が豪炎を吐き散らし、魔物たちを溶かしていく姿があった。
『そうか⋯⋯竜に取り込まれたマリアさんの正当化⋯⋯それがオヤジの目的!』
『左様。なれば、ここで全てを台無しにされるわけにはいかんのじゃ! 堕ちてもらうぞ!』
より鋭さを増したグレンの剣戟を受け止めたメイメツは、腹に蹴りを受けて叩き落とされる。
「ぐぅっ!」
背中から受けた衝撃に肺から空気を吐き出し、クロは大きな翼をはためかせるプレシエを見上げる。
「容赦ないな⋯⋯だったら私も、本気で行くから!」
クロは目を閉じて意識を集中。クロガネを大上段に構えたメイメツの腕が振り下ろされ、目を開いた次の瞬間、彼女の視界は黄金の輝きに包まれた。
『鈍いのう』
あくび混じりの声が響き、プレシエは半身を逸らして黄金の斬撃を避けると、翼をはためかせて高度を更に上げる。
『ワシの全てを賭けた計画じゃ。そんな迷いだらけの剣に阻めるはずもなかろう!』
プレシエ自身の重量と、翼の魔力噴射による推進力を得た刺突は、音速を超えてメイメツへと迫る。
「くっ!」
小さく声を漏らしつつ、クロは眼前に迫る剣戟をやり過ごそうと魔力を練り上げて高速の明滅を繰り返す。
メイメツが次の転移場所に向けて、的確に振るわれたプレシエの刃を払っていると、グレンの声が響いた。
『無意味な事を⋯⋯よもや、ワシのチカラを忘れたわけではあるまいな?』
クロが目の前の白銀騎士を睨みつければ、その両目には半透明の五芒星が、まるで花を咲かせるように広がっていく。
「にゃるほど⋯⋯“咲星眼”を使ってるわけね。見たのは何年前だっけかな!」
クロの叫び声と同時、メイメツは一旦クロガネを手放し無手となりプレシエに突っ込む。
『ふむ、悪くない手ではあるのう』
メイメツは地を蹴り駆けながら右手を前に突き出し、左手を自身の腰付近にやる。
「来い! 焦槍!」
メイメツの腕には長い柄の先端に、真っ赤に燃える炎を纏う穂先のついた長槍が現れる。
『ワシが相手でなければ、の話じゃがな』
突き出された穂先を弾き、プレシエは白銀の刃を振り降ろす。
「まだまだぁ!」
燃え盛る槍を投げ捨て、再び無手となったメイメツは上空へと跳び上がり、両腕を掲げ青白い光に包まれると、その手には身の丈の倍以上もある大斧が握られていた。
『それも見えておるわ』
斧とメイメツの重量を乗せた一撃は、プレシエの左手に備えられた小型の丸盾によって軌道を逸らされた。
「それならこれで!」
すぐさま斧を手放したメイメツは、プレシエから距離を取り、両手を前に突き出して構えた次の瞬間、その手の中に双銃が現れ、迷わずに引き金を引く。
『くだらぬ。児戯に付き合うてやる理由も無いでな。次の一手、主はワシの背後を取るのじゃろう?』
瞳の五芒星を向けプレシエが左手の小さな盾を振りあげると、それはメイメツ胸部へと刺さり、クロに多大な衝撃を与え天高く弾き飛ばした。
「ぐぅっ!」
打ち上げられたクロに、更なる追撃を加えようと翼を広げ舞い上がったプレシエの中、グレンは遠くに見える光景に目を見開いた。
「間に、合わぬ⋯⋯」
グレンの視線の先、宙に浮かぶマリスは両腕を広げ眼下の虚竜を見下ろすと、手に握っていた赤黒い封玉を取り落とす。
「ヨホホホホ! あのオモチャはグレンさんの工作により動けず、魔物から防衛できるのは魔物である虚竜のみ。ここに魔王様の祝福を授けたら、どうなってしまうのでしょうかねぇ? ヨホホ!」
回転しながら落ちる封玉は虚竜の額に当たると、ゆっくりと吸い込まれるように沈んでいく。
「キサマァァァァ!」
グレンが怒号を上げ、マリスの首を切り落とそうと白銀の刃が迫る。
「ヨホッ!?」
プレシエの剣はマリスの首を捉え、あっさりとその頭を落とす。
『マリアァァ!』
慌てた様子のプレシエは、剣を放り捨てて虚竜へと向かう。
虚竜の額にプレシエが愛おしそうに優しく触れた瞬間、その白銀の機体は赤黒い巨大な尻尾の一撃を受けて吹き飛ばされた。
『そんな⋯⋯ワシが分からぬのか!? なぜ⋯⋯なぜマリアがこんな目に遭わなければならぬ!ワシらが何をしたと言うのじゃ!』
「ヨホホ。運命とは、往々にして残酷な物なのですよぉ。強者の深き絶望はそれだけで他の凡百と一線を画すチカラがありますからぁ!」
落ちた首を拾い上げ、首に付け直すと、変わらずおどけた様子のマリスが仰々しく礼を返す。
『マリス⋯⋯貴様!』
「ヨホホ。その怒りを多大なる絶望に変えて、全てを滅ぼしてやろうではありませんか! おっと、ワタクシは巻き込まれるわけには行きませんからねぇ! ここで失礼いたしますよ!」
マリスがパチンと指を鳴らすと、ギラギラと照り付けていた太陽は漆黒に塗りつぶされ、ペンテットの周周囲一体が影に覆い尽くされる。
「愛する者を手かにかけるのも絶望。守るのも絶望。さぁ、貴方の運命に魔王様の導きがあらん事を⋯⋯」
マリスがヨホホ、という不快な笑い声を残して影に飲み込まれると、その姿は完全に消え去った。
項垂れるグレンの乗ったプレシエを尻目に、クロは瘴気に染まり、体色まで赤黒くなった虚竜の側に群がる魔物達を蹴散らす。
「マリスを追いかけたいけど⋯⋯こっちも厄介だね!」
メイメツが黒と金の大剣を振り回していると、不意にその横面にプレシエの拳が突き刺さる。
『オヤジ⋯⋯なんで邪魔をするの!』
『お主もマリアに危害を加えるのじゃろう? なれば、先に排除しておくのが定石というものじゃ』
『あなたの見た“未来”は私がマリアさんを傷つけてたの!?』
『そう。数分後、お主はマリアの首を天高く掲げ、民衆に晒している姿を見た。しかし! そうはさせんぞ!なんとしてでもな!』
クロは悪態をついて周囲に目を向け、ぎりりと奥歯を噛み締めた。
「こんな頑固者に構ってる場合じゃ無いのに! 魔物を倒さないと、王都の皆が⋯⋯!」
クロが己の無力感に咆哮を上げると、地面がひび割れ、中からメイメツの体長の倍はあろうかと思われる巨大で紫色の夢幻機兵が飛び出した。
『やぁ、お久しぶりっすね! あの時の礼を返しに来たっす!』
響いた声に、クロはハッと目を見開き、耳をピクリと動かした。
『ジャルク⋯⋯って、もしかしてその声!』
『おうっす! ガリムっすよ!!』
『あ、おい!腕をそんなに振り回すなガリム!』
トンと胸を叩いたジャルクの下半身から声が響き、その声にもクロは聞き覚えがあった。
『ワイズさんまで!』
『おう、この機体はデカすぎて二人居ないと操れなくてな。ガリムがどうしても行くって言うから⋯⋯』
『あっ!ズルいっすよ、ワイズさん! クロ姐さんさんがピンチだから助けに行くって息巻いてたのワイズさんじゃないっすか!』
『あぁ? 知らねえなぁ!』
ジャルクが少しだけ屈むと、無数の鋼糸が飛び出し、足元に居た魔物を切り刻んだ。
『んな小っ恥ずかしい事はどうでも良い! クロ!おめぇはやる事他にあんだろ! ここは任せとけ!』
行ってこい、と優しい声色で放ったワイズは、一つ口元の髭を撫で、ジャルクの足を動かす。
『でど⋯⋯』
『でももヘチマもねぇんすよ! 早く行け!』
顎で先を促されたクロは、意を決して頷き返し、メイメツは地を蹴り駆け出す。
王都の手前に敷かれた壁の向こうで苦しげにくぐもった咆哮を上げ、空高くへと瘴気の混じった吐息を吐き出す虚竜とクロは対峙する。
「人を守って十年も苦しみに耐えて⋯⋯挙句にコレなんてあんまりだよね。今、楽にしてあげるから⋯⋯」
メイメツの真正面が光り、それを握りしめるとその手には黒と金の大剣、クロガネが握られていた。
『やらせはせぬぞ!』
瘴気で暗く覆い尽くされた真っ黒な空を切り裂くように空を駆け、プレシエが虚竜の前に立ち白銀の剣を向けて言い放つ。
『ワシの⋯⋯ワシの全てを奪わせてなるものか!』
『どいて、オヤジ! マリアさんを放置したら王都がどうなるか、その目で視たよね!』
『王都なぞどうでもよい! ワシらの平穏のためじゃ! 致し方あるまい!』
『アンタのいつも言ってた騎士道はどこに行ったの⋯⋯そんなの、全然らしくない!』
『知ったような口を聞くでないわ!』
再び白銀と黒金の刃が交錯し、甲高い金属音を奏で火花を散らすと、プレシエの背後にいた虚竜が鬱陶しそうに眉を顰めて翼を広げる。
『っ! どいて!』
『できぬ! この命を賭けてでも⋯⋯できぬ理由があるのじゃ!』
「このままじゃ⋯⋯あれは!?」
いつかの日、クロ・リュミナーレとして初めて出会った時のように、氷河に浮かぶ氷の如く深い青色の夢幻機兵が、王都の防壁の上で長銃を構えていた。
『準備ばっちり! やっちゃって!』
首元から聞こえる幼女の声に、りょうかい、と小さく返事を返して魔伝石の通信を切り、イリスは照準を定めて引き金を引く。
「発射」
回転が加わり空を切り加速する弾丸は、ラスティの魔法によってぬかるんだ草原に足を取られ、もがいていた虚竜の足元に命中し、パキパキと音を立てて氷の結晶を次々と生み出す。
『イリス! 無事でよかった!』
真っ先にクロが首元のチョーカーに触れて連絡を入れると、イリスからは怒気を含んだ声が帰ってくる。
『また⋯⋯かってにうごいた』
『え? あぁ⋯⋯いや、その』
『あとで、おしおきだから!⋯⋯だから、はやくこの悪夢、おわらせて!』
乾いた音が更に三発立て続けに起こると、虚竜の四肢は完全に氷によって地面へと縫い付けられる。
「皆がいる⋯⋯ここまでして貰って、負けるなんてカッコ悪い事、出来ないよね!」
『ワシに勝てるとでも思うておるのか? 先までの劣勢を忘れたわけではあるまいな?』
『なんとしてでもアナタを⋯⋯全部全部まるごとどうにかしてやるから! 覚悟しろ!』
再び互いの剣を構えた二機は、睨み合い交錯するのだった。




