37:白と黒と回想と
ロリコーンに攫われたクロは、安寧の塔の麓、山をくり抜いた洞窟の中で真っ白な幼女と対面していた。
歳の頃はラスティよりも更に幼く、七〜八才程だろうと予想できた。
「えっと、あの、着替えを用意したので、着て欲しいのだ。裸は寒いのだ⋯⋯」
肩を震わせながら、おずおずと衣服を差し出した幼女に、クロは更に眉間の皺を深めた。
「確認するけど、君はロリコーン⋯⋯なんだよね?」
礼を述べつつ差し出された服を着たクロと目を合わせた幼女は、その白い瞳と額の角を輝かせてブンブンと頷く。
「我が先走ったせいで、迷惑をかけてしまったのだ。だから、クロには謝りたかったのだ⋯⋯」
肩を落とす幼女を責めるわけにもいかず、首を捻り、クロは小さく嘆息する。
「はぁ。分かった。いいよ、許す。それじゃあ」
「待つのだ!」
青白い光を放つクロの腰にロリコーンがしがつくと、その光は徐々に消えていく。
「えっと、まだ何か?」
「ひぅ。冷たいのだぁ⋯⋯やっぱり怒ってるのだぁ!」
目尻に涙を浮かべたロリコーンに、クロは慌てて屈み、白く小さな頭を撫でる。
「そういう訳じゃないよ。ただあの場所でやり残した事があるだけで⋯⋯」
「なら、我も着いて行くのだ! 何かお手伝いさせて欲しいのだ!」
「えっ? う、うーん。やってもらう事あるかなぁ?」
「無くても着いて行くのだ! 離さないのだ!」
「まあ、服を用意してくれた恩もあるし⋯⋯」
胸にびったりと張り付いたて離れそうもないロリコーンに、クロは渋い顔を浮かべつつ、青白い光に包まれて消え去る。
次に二人が目を開けると、里の広場の様子が広がっていた。
しかし、浄化の歌声により、瘴気の脅威が去った後とは思えない程物々しい雰囲気に、クロは訝しげに周囲を見渡した。
「あ、みんな!」
手を振りつつ、広場の噴水前に集まっていたイリス達に駆け寄ったクロは、顔色を青くして足を止めた。
「ふぅむ。よもやお主があの黒き夢幻機兵の乗り手であったとは⋯⋯のう? クロスよ」
あっさりと言い当てあられ、クロはバツが悪そうに敬礼を返す。
「ハッ! 仰っている意味が分かりかねます! 私は⋯⋯」
「もう良いじゃろう。命令違反に夢幻機兵の違法所持。全ての罪を其方の命を散らすことで以て裁きとしてやろう」
真っ白な顎髭を撫で、ピシャリと言い放つグレンに、イリスが両手を広げて割り込む。
「まって。クロはヒトを守ろうと⋯⋯」
言葉を遮るように、グレンは首をふるふると横に振る。
「そういう問題ではないんじゃよ。規律とはな」
「そんな⋯⋯」
「この犯罪者を庇い立てするようであれば、清浄の姫園の面々も纏めて断罪せねばなるまい。無関係を主張しておけば無論、ぬしらの減刑を検討しよう」
「イリス。これは私だけの罰だよ。誰かが巻き込まれるなんて耐えられないよ」
「だめ!」
クロにしがみつこうと伸ばした手を押さえて、メルナがゆったりとした足取りでやって来る。
「ナマ言ってんじゃないわよ。全員、とっくに覚悟できてるわ」
彼女の背後には、清浄の姫園の面々が集結し、一様に頷いていた。
「ほう。随分と良い面構えをする様になったものじゃのう。されど罪は罪。王都に到着次第処罰とするでのう。道すがら、己の行動を鑑みるとええ」
どこか憤慨した様子で、グレンは踵を返して進むと、彼の部下に指示を飛ばし去って行く。
「こりゃあ、エラい事だ!」
物陰からその様子を見ていたロクスは、足早にディピスに乗り込むと背中の大翼を広げ、逃げるように飛び去っていった。
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軍服の男達にコツンと銃口で後頭部を突かれたクロは、魔力の流れを阻害する手錠をかけられ、フューリー内部に備えられた各自の部屋へと分断されて押し込まれた。
「大人しくしてろ!」
「ぐっ!」
クロは薄桃色の絨毯へ転がされ、男を睨んで見せるが、それに気に留めた様子もなく、扉は乱暴に閉じられた。
「ヒドイ奴らなのだ! 聞く耳を持ってないのだ!」
「うわっ!? あぁ⋯⋯連れて来ちゃった⋯⋯」
クロの腰を未だに掴んでいたロリコーンが飛び出し地団駄を踏むと、クロは目を見開いて顔を青くした。
「どうしよう。神獣⋯⋯なんだよね?」
「平気なのだ! 我が居ない間は、姉様がなんとかしてくれるのだ!」
「姉って⋯⋯ショタコーンの事? 姉妹なの?」
「何を言ってるのだ? 当然なのだ!」
腰に手を当てて、ふんすと小さな胸を張ったロリコーンに、クロは小さく嘆息する。
「ああいや、番って聞いてたから⋯⋯」
「それは里の人たちが勝手に言ってるだけなのだ。創造主様は我らに寂しくならない様にって事と、里の人口比を考えて創ってくれたのだ!」
嬉々として語る幼女に触発され、クロも腕を組んで頷いた。
「へぇ〜。会ってみたかったなぁ」
「うぅ。我も会ってぎゅっとしてもらいたいのだ⋯⋯」
目尻に涙を浮かべるロリコーンを包み込む様に抱きしめたクロは、彼女の頭を優しく撫でる。
「亡くなった人を蘇らせるなんて大それた事は出来ないけどさ⋯⋯その、胸くらいなら貸すからさ」
「うう。クロは優しいのだ⋯⋯」
「いいよ。いくらでも泣けば。前を向くのも大事だけど、忘れちゃうのは悲しいもんね」
「うぅ⋯⋯」
小さな嗚咽はやがて大きな泣き声となり、部屋中に響き渡った。
やがて泣き疲れた様子で目を擦る彼女に、クロは声を掛ける。
「眠かったら寝ても良いよ」
んぅ、と返事を返しつつ寝息を立てるロリコーンを抱き上げベッドのシーツを捲ると、クロは声を上げた。
「みゃあっ!?」
一先ずロリコーンをベッドの脇へと寝かせたクロは、恐る恐ると横たわる白い髪の少女へと手を伸ばす。
「この格好、間違いない。あいつらが巫女って呼んでた子だ⋯⋯でもなんでこの部屋に? いや、今は良いか。生きてるん⋯⋯だよね?」
クロがそっと少女の頬に触れると、そっと瞼が開かれ、灰色の瞳が顕になる。
「んん、ここは⋯⋯あっ、ママァ!」
胸元へと飛びついた少女の頭が驚きに声を上げたクロの胸へと突き刺さる。
「ママ!? ぐえっ!」
大きく後ろに飛ばされたクロは、少女を抱えて転がり、壁に背中を打ち付けて止まる。
「ちょっと、怪我はない?」
「うん!」
手を伸ばし、元気よく答えた少女の姿をマジマジと見つめ、クロは眉間に皺を寄せた。
「ママを面白い顔してる〜」
「人を指差す様に育てた覚えはありません! 違う! キミ⋯⋯名前は?」
「僕? 僕は⋯⋯シロ・オスクリテ! 名前を忘れるなんて酷いよ!」
「えええ? 名前似てるし⋯⋯」
シロ、と名乗った少女に、クロは手首に巻かれた錠をじゃらりと動かし頭の後ろを掻いた。
「ますます分からない⋯⋯えっと、私達は初対面のはずなんだけど?」
シロは真っ白な髪を左右に振り乱して答える。
「ううん。ママはママだもん!」
話が通じそうにないと判断したクロは、呼称問題は一旦保留とし、シロを胸に抱え直した。
「ま、まあいいか? それじゃあ質問を変えようか。キミは魔王教徒なんだよね?」
「んぇ? まおうきょーと? しらなーい。⋯⋯あ、でもなんか、巫女様とか呼ばれてたよ?」
ブンブンと首を勢い良く振ったシロに、クロは小さく項垂れる。
「やっぱりあの噴水の下で眠っていたのはキミだったんだね。でも、どうしてここに?」
「分かんない。僕は寝てたから⋯⋯」
「あぁそうか。ごめんね、寝起きに質問ばっかりしちゃって」
「ううん。気にしないで。僕もママの事聞きたいな。コレの事とか」
シロは左右に繋がる弛んだ鎖を握り、クロを見つめる。
「あぁえっと、コレには少し訳があって⋯⋯」
「じゃあ、それを聞かせてよ!」
クロはシロの急かすままに、これまでの旅を振り返りながら語った。
命令違反で戦場に赴いた事から、ドランの里での戦闘までを語り終える頃には、丸二日が経っていた。
「へぇ〜、いいなぁ。色んな所へ行ったんだね。それに、その旅はママにとってすっごく楽しかったんだね!」
「楽しかった?」
「うん! だって話してる時のママの顔、すっごく楽しそうだったもん!」
クロは言われてふと口元に触れてみれば、確かに口角が上がっていることに気がついた。
「ああホントだ。こうして意外と語れるモンなんだ⋯⋯」
「ママ?」
「あぁごめん。なんだか嬉しくてさ。こんな経験、普通の騎士でいたら絶対できなかったし。皆元気かな」
流れる景色を眺めつつ、微笑んだクロの胸元に頭を預けてシロもつられて笑う。
「それじゃあ、処罰は嫌だよね?」
「いや、それはそうだけど⋯⋯何をするつもり?」
「いいから。見てて! ⋯⋯んっ!」
シロが小さな右手を握りしめて力を込めると、周囲に赤と白の光が広がった。
「はぁ、はぁ⋯⋯はいコレ! 出来たよ!」
光が収まると、シロの手が開かれ、その上には小さな鍵が握られていた。
「どこの鍵? というより、今何を⋯⋯」
「まあまあ。コレはその手錠の鍵だよ! 凄いでしょ。コレがあれば、ここから逃げることだってできるよ!」
差し出された鍵を手に取り、クロは促されるまま手錠の穴に鍵を差し込み捻ると、あっさりと枷が外れた。
「うわ、本物だし⋯⋯」
「ふふん、どうどう? 僕の魔法は凄いってよく言われるんだ!」
小さな胸を張ったシロの頭を撫で、外れた手錠を手に取って再び嵌め直す。
「ママ、どうしたの? 何か気に食わなかった?」
「いや、そういうことじゃないんだよ。でもね、私だけ逃げる訳には行かないんだよ。裁判でちゃんと真実を明らかにするだ」
決意の固まったクロの表情を見つめ、シロはしゅんと肩を落とす。
「ごめんね。僕、ママの事⋯⋯」
「ああいや、気持ちは凄く嬉しいんだよ。これは私の我儘だ。だから、謝らなきゃいけないのは私の方で⋯⋯」
言いかけたその瞬間、ゴウンと一際大きな音を立てて、フューリーがその船体を地面に着けて停泊する。
「ああ、着いたみたいだね。王都ペンテットへ」
窓からフューリーの船首が指す方向へと視線を向けると、そこには、王都を囲うようにズラリと並んだ円形に壁が威圧感を放つ。
少し先を見れば、甲板にグレンが上がり、声を張り上げて門を開かせている様子が窺えた。
「折角コレ創ってもらって悪いんだけど⋯⋯」
返却をしようとクロは手の平に黒い鍵を乗せてシロの眼の前に差し出すと、彼女は首を横に振る。
「それはママが持ってて。なんとなくだけど、必要になりそうな気がするから。それと、これ以上ママに着いていく事はできないからね、それを僕だと思って欲しいな」
「そうか⋯⋯うん、ありがとう」
鍵を服の下に押し込み、差し出された頭を撫でたクロの耳に、ドアをガチャリと開く音が飛び込んだ。
「到着だ!急げ!」
ノックもせず乱暴に開かれた扉の先で、銃を構えた男が叫ぶように言った。
「この子と少し遠くで見守ってるからね。頑張って、ママ」
クロの耳元に穏やかな風を残し、ロリコーンの襟首を掴んで去って行った不思議な少女シロを思いつつ、クロは手錠の鎖を揺らながら先導する男に着いて行く。
フューリーから降りると、クロは王都から漂う香りに、懐かしさすら感じて鼻を鳴らす。
「うっぷ。あんまりやってると酔いそう⋯⋯」
クロが人酔いを紛らわそうと顔を上げてみれば、目の前には空を覆う雲を貫く王城が聳え立っていた。
「帰ってきた⋯⋯か」
「これ以上印象を悪くするな! キビキビ歩け!」
「はいはい。まったく、少しくらい感傷にも浸らせてよ」
むくれた表情でそう言ったクロに、騎士の男は顔を赤らめて銃口を空へと向ける。
「す、少しだけならばいいだろう。ただし、あまり遅れるなよ」
「分かってるよー」
促されるままに大門を通り抜け、王城へと一直線に伸びる大通りを歩きつつ、クロは周囲を見渡す。
「お、ラビおじさんの串焼きに、あっちはサラスおばさんのケーキ屋さんか。皆元気かなぁ?」
「他人の心配より自分の心配を少しはしたらどうだ?」
思わず漏れたクロの言葉に、前を歩く騎士がそう返した。
「はは、お気遣いどうも。でも私は悪い事をしたとは思わないからね」
「はあ⋯⋯流石だな。この状況で胸を張って笑えるのは。実はな、俺の出身はアルトシザースにある村なんだ⋯⋯これだけは言わせてくれ。ありがとう」
「初めからそう言えばいいのに⋯⋯まあいいや。えっと、どういたしまして!」
暫く歩き大通りを渡り終えると、クロの目の前には王城へと繋がる巨大な木造の橋に辿り着いた。
「さあ、ここから先が⋯⋯って知ってるわなそりゃ、職場だし! あーもう!慣れねえな! お前本当に“戦鬼”なのか?」
「名乗った覚えはないけどね。しかも五王様から賜った名称じゃないし。え、何そんな怖い?」
「今はすっかり可愛くなっちまったけどな」
「はぁ〜そういうところは相変わらずだね、フォルスは。程々にしないといつか刺されるよ?」
「なんだ、気付いてたのかよ。全く、調子狂うぜ。まあ、何はともあれおかえりだな、クロス」
ガリガリと頭を掻いたフォルスに、クロは小さく笑みを浮かべる。
「あぁ。ただいま」
クロは踵を返してフォルスに頭を下げ別れを告げ、荘厳な雰囲気を持つ目の前の巨大な建物、アストラーダ城へと足を踏み出すのだった。




