26:捜索と返答と航行の再開と
全ての力を使い果たす勢いでプールを泳ぎ回った三人は、売店で会食を購入して休憩を取っていた。
「こっちもおいしいよ、クロ。はい、口開けて」
「ええっ? あっ⋯⋯」
人前と言うこともあって、恥ずかしさのあまりクロは抗議の声を上げようと口を開くが、そこへ力強くサンドイッチを押し込まれる。
「もがっ」
口の中に広がるシャキシャキとしたレタスの食感に、クロは目を見開いた。
「こっちもうまぁ」
トロンと顔を綻ばせ、耳や尻尾等全身で溢れんばかりに美味しさを表現したクロに、イリスは思わず彼女の手に持ったサンドイッチを見つめた。
「⋯⋯イリスも食べてみるか?」
「ん」
今度はクロが、手に持った卵の敷き詰められたサンドイッチをイリスの口元まで持って行くと、その手ごと、イリスは指ごと口に含んだ。
「何してんだ!?」
「んむんむ。⋯⋯おいひい」
「ちょっ、くすぐった、あはは」
指に伝わるザラザラとした舌の触感に、クロが身を捩ってイリスの口から手を抜き出した。
「まさか手ごと行かれるとはな⋯⋯」
「ごめんなさい」
「まあまあ、クロさん」
腕に抱えたバスケットからパンを一つ取り出して、クロに手渡したレミは眉尻を下げるが、クロは首を横に振った。
「ああ、怒っちゃいないよ。ただ少し驚いただけで⋯⋯」
それを受け取りつつ一口齧り、クロはモゴモゴと口を動かし、レミは二人に視線を行き来させると小さく頷いた。
「それもそうですね。⋯⋯仲が戻ったみたいで良かったです」
「別に喧嘩してた訳じゃないんだけどな。まあ、色々とあってな」
「ん。わるいのは、ぜんぶ、たいちょーだから」
背後に冷気を漂わせ、若干の怒りを滲ませるイリスに、クロは剥き出しの背筋が凍える感覚を覚えた。
「えーと⋯⋯そ、そうだよな。うん、こんな所まで追いかけて来てくれる可愛い子が居るのに罪な男だよな、ホント!」
逡巡の後、クロが出した答えはクロスを出しにしてこの場を乗り切る事だった。
「ん。ぜったい、ゆるさない。⋯⋯なぐるだけじゃ、たりないから」
「えぁ!? えーと、クロスさんもほら、止むに止まれぬ事情があるかも⋯⋯」
「でも、あいにきてくれても、いいとおもう」
頭頂部の三角形の青い二つの耳をピクピクと揺らし、瞳に怒りの色を滲ませるイリスに、困惑顔のクロが視線を彷徨わせていると、助け舟を出したのはバスケットの中身を空にしたレミだった。
「まあまあ。クロスさんも今は王国から追われている身。危険が貴女に迫らないよう配慮している面もあるのでは?」
「むう」
そう諭されたイリスは、頭を振って気持ちを落ち着かせるためか、手に持ったサンドイッチに齧りつくのだった。
昼食を食べ終え、売店でお土産を眺めつつ小休憩を取った三人は更に泳ぎ回り、イリスもクロもウォータースライダーを特に気に入ったようで、何度も二人で滑り降りている姿を、レミは下で悩ましげに眉尻を下げた。
「今はクロさんとイリスさんが楽しんでくれればそれでいいんですけど⋯⋯」
みゃあああという二人の悲鳴を聞きつつ、眺めていてもしょうがない、とばかりにレミもその輪に加わった。
「ふぅ。よく遊んだなぁ⋯⋯」
すっかり空も茜色に染まり、冷たい風に吹かれたクロが、小さくそう零した。
「ん、こうすれば、あったかいよ?」
身を震わせたクロに、イリスは抱きしめてぴったりと密着し、体を温める。
瞬間、クロの体温は急激に高まる。
「イ、イリス!?」
「あのねクロ、明日はたいちょーをさがすの、手伝ってほしい。まだこの街に居るとおもうから」
今度は違う意味でクロの心臓が跳ね上がるが、少し考えた後、彼女は口を開く。
「あぁ⋯⋯元々そのつもりだったよ」
「ん。ありがと」
クロはチクリと痛む胸を押さえてそう返し、顔を顰めながらシャワーを浴びて、再び更衣室へ。
「クロ、また目、つむるの?」
「まあな。⋯⋯ちょっと集中する」
エルフの血が増した影響か、魔力への知覚能力の上がり、目を瞑ったクロはヒトや物の発する視認できないほど微弱な魔力すら知覚できるようになっていた。
「っと、こんなもんかな」
クロが普段着ている服に残った魔力の残滓を頼りに着替え終えると、小走りで更衣室から出ようと足を向ける。
「まって!」
「ぐへぇ」
またもやイリスに襟首を掴まれたクロは呻き声を上げて仰け反った。
「早く出ないと日が沈むぞ?」
「て、つないで、かえろ?」
差クロはし出されたイリスの手を見つめ、小さく口角を上げて握り返した。
「ああ。丁度外、寒いかなって思ってたんだ。助かるよ」
夕焼けに染まる空を見つめながら、フューリーへと足を向けた二人は、日に焼けた肌に清涼な風を受け、言葉を交わすことはなかったが、何処となく心地よさを感じるのだった。
「私も居ますからね!?」
追いかけて来たレミは力の限りそう叫ぶのだった。
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翌日、翌々日とクロはイリスに付き添い、元の姿の自分を探すという奇妙な体験をしつつ、あっという間に時は流れ、補給車輌部隊 キャリーも到着し配給や補給が滞り無く行われ、この街の滞在日の期限が訪れた。
フューリーに備えられた自室で、二人はベッドに並んでいた。
「結局、クロスさんも見つからなかったな」
「ん。もう、このまちに、いないのかも⋯⋯」
「かもな。まあ、その⋯⋯あんまり落ち込むな」
見つからない事が分かっているだけに、歯痒い思いを紛らわせるように、クロは俯くイリスの頭を撫でた。
「ん。ありがと⋯⋯」
暖かな手に触れられ、少し気が和らいだ様子で、にへらと笑みを浮かべるイリスに、クロは小さく胸を撫で下ろし、外へ出る準備を始める。
「クロ。どこか、いくの?」
「あぁ、ラスティには今回世話になったから、最後に挨拶でまた思ってな⋯⋯」
「わたしもいきたい」
その目には強い意志が宿っており、付いてくることを拒否する理由も見当たらなかったため、クロは手早く普段着へと着替えると、フューリーを出た。
「さて、領主様の家を探さなきゃなんだけど⋯⋯」
「それなら、ロウさんに、きいたほうが」
「ああ! そうだな、それじゃあ、取り敢えず商業区の方、目指してみるか」
「ん」
イリスが同意を示して頷くと、先を行こうとするクロの手に自身の指を絡めた。
「クロ、すぐいなくなるから」
「えーと⋯⋯まあいいか。好きにしてくれ」
「うん」
嬉しそうに耳を張ったイリスは、より一層握る手を離すまいと力を入れて、歩く。
近くを流れる川のせせらぎに耳を澄ませつつ、ゆったりとした歩幅で散歩を楽しむと、二人は刹那にも感じるほどの時間でロウの化粧水を販売していた地点まで足を運んでいた。
「あの、ロウさん」
「おや、これは御二方様。この度はどうも有難うございました。なんとお礼を言って良いやら⋯⋯」
深々と腰を折って頭を下げたロウに、クロは胸の前でせわしなく手を振った。
「ちょ、よしてくださいよ。そんな頭を下げられるような事は⋯⋯」
「いえ、貴女様には一度ならず二度三度。恩があります。大蛇の襲撃の件も、ウィル様の件も、更には街の近郊に現れた巨龍さえも撃退なされた。なんとお礼を申し上げて良いのやら⋯⋯」
更に膝まで折り曲げ、土下座の姿勢を取ろうとするロウの肩を掴んで引き上げ制した。
「ロウさんがそんな事する必要無いです。きちんと想いは貰いましたから。それにほら、報酬なら国から出るので間に合ってるんですよ」
それでも、となおも食い下がるロウは、カウンターの下から棒状の物を取り出す。
「これを受け取って頂きたいのです。でないと、これを渡すようにと頼まれた私の立つ瀬がありませんから」
そう言ってロウが差し出したのは、厳かな装飾の施された片手で持てるほどの短い杖だった。
「これは“幻影の杖”と申しまして、お一人様に限り、二十四時間だけ別の姿を見せることのできる、かの勇者様が使用なされたとされるアーランド家の家宝でございます」
「そんな大切なもの貰えませんよ!」
「ええ。ですので、あくまでも貸し出すと言う事のようです。また返しに来てほしいとの言伝を伺っております。これを手にするに相応しいご活躍をされたのです。どうか、お受け取りくださいませ」
「⋯⋯分かった。必ずまた、返しに来るから」
渋々受け取ったクロに、安堵したロウは困り顔で皺の多い頬を掻く。
「他に何かお渡し出来る物が有れば良かったのですが⋯⋯」
それならば、とイリスが小さく手を上げて口を開いた。
「そのラスティに、あいたいの」
「⋯⋯申し訳ございません。三日前よりお嬢様は外出中でございまして」
「そう⋯⋯」
しゅん、と耳を萎らせて項垂れるイリスの頭を撫で、クロが続ける。
「帰りはいつ頃になりそうですか?」
「そろそろ戻るとは思うのですが、何分隣の領まで出向いております故」
恭しく腰を折るロウは、申し訳なさそうに目を伏せると、クロとイリスは互いに顔を見合わせた。
「そうか。だからあんな事言ってたんだな」
「はて、あんな事⋯⋯とは?」
首を傾げて尋ねたロウに、クロが向き直って答えた。
「ラスティが困ったらいつでも呼んでくれとか、また会いに行く、とか言ってて、しんみりしちゃったなって話をイリスとしてたんだよ」
「左様でございましたか。お嬢様は領主様の言葉をマネて、凛々しくあろうとするが故に同世代の子達ともあまり触れ合おうとしませんでしたから。別れ方、というのも困ったでしょうな」
納得したように一人頷くロウは再び腰を折って言葉を続ける。
「重ね重ね、有難う存じ上げます。そして、別れの言葉も交わせぬ無礼をお許しください」
「そんな、気にしないでくださいよ。まあ、ちょっと寂しいですけど、また会いに来れますから」
「ええ。是非お待ちしております」
じゃあ行こうか、と顔を見合わせたクロとイリスは再び手を繋ぎ、ロウの店を後にする。
二人の背中を見送ったロウは、机の下で丸まっていたラスティに声をかける。
「出ていかなくてよろしかったのですか? お二人共、寂しそうでしたよ」
「今更どんな顔して出て行けばいいか分からないもん!」
他地方での買い出した品の納品に訪れていたラスティは、クロ達の姿を見て、咄嗟に隠れてしまったのだった。
「とはいえ、別れの言葉、また会う約束というのは心に残る物。このままでは御二方に忘れられてしまいますよ?」
「うぅ。分かってるけど⋯⋯」
「その選択も一つの答えでしょう。私めからは、これ以上申し上げません」
よく晴れた青空を見上げ、ロウは見送った二人に思いを馳せるのだった。
ロウと別れたその後、クロ達は再びクロスを探して街を練り歩き、商店に並んだ土産物を物色して過ごすと、太陽は頭上まで登り、出発の時間となった。
魔伝石を通してシフィに召集をかけられた彼女達はフューリーへと急いで戻り、その甲板の上でクロとイリスは次第に小さくなる街の姿を眺めていた。
「結局、成果は無かったな⋯⋯ラスティにも会えなかったし」
「ん。しかたない⋯⋯」
手に持った幻影の杖を見つめ、意を決したようにクロは口を開いた。
「あのさ、この間言ってた、私の事を好きって話なんだけど⋯⋯」
その先は、イリスの人差し指によって閉ざされ、次の言葉は出なかった。
「いわなくて、いいよ」
「けど⋯⋯」
口を開こうとしたクロが、イリスの肩越しに街の姿を見ると、大きく目を見開く。
その様子を不思議に思ったイリスが振り返ると、街のあちこちから無数の水泡がとめどなく湧き上がり、天へと昇る光景があった。
「「わぁ⋯⋯」」
荒野の空を覆い尽くす程の泡は照りつける太陽の光を受けて煌めき、二人はあまりの美しさに言葉を忘れて魅入っていた。
暫く経つと、その泡は一箇所に集まり文字を形成する。
「ありがとう⋯⋯って、⋯⋯ラスティィィ!」
街を囲む水壁の上に彼女の姿を見つけたクロは、居ても立っても居られず甲板の淵に駆け寄ると、彼女を大声で呼び手を振った。
その声を聞いたのか、彼女は視線を船体の更に上、甲板へと大きく手を振り返して見送る。
「お姉ちゃん達いいいい! ありがとうううう!」
精一杯の声を張り上げて手を振るラスティにクロ達も全力で応えつつ、遠ざかって行く。
「また来ようか。⋯⋯今度は二人で、さ」
「うん。それもかえさなきゃ、だね」
別れを惜しみつつ、フューリーら西へと舵を切って進むのだった。




