1:再起と喪失とすべきこと
彼が目を覚ましたのは、病室へ運ばれてから三日が経った日のことである。
「う⋯⋯うう⋯⋯ん?」
薬品の匂いで目が覚めた彼の視界に映ったのは、隣のベッドと仕切られている薄緑色のカーテンと真っ白な天井だった。
「えっと⋯⋯ここは⋯⋯」
最後に意識のあった腹のじくじくとした痛みと熱を感じぬ事を不思議に思い、思い切って体を起こしてみるが、やはり腹の熱は感じられなかった。
「生きてる!? なんでだ!?」
意識を無くす直前までの状況を鑑みるに、到底あり得ない現状に取り乱した彼は更なる困惑に陥った。
腹に受けた致命傷を確認する為、ヘソを見下ろした時の事だった。
「はぁ⋯⋯? 胸が⋯⋯膨らんでる⋯⋯?」
それが幻覚でないことを確認する様に、指先で自身の胸を軽く突いてみると、押し返す様な反発と、胸部に触られている感覚が混在していた。
「嘘だろ!?」
そして、驚愕に震える自身の声が、いつもより高い事にも気が付いた。
「あ、あ〜⋯⋯やっぱり高い。いったいどうなってるんだ!?」
声の確認も含めて、大きめの声で叫んだのが外へ響いたのだろう。
外で待機していた、金髪から覗く尖った様な耳が特徴的なエルフの少女が病室のドアを乱暴に開けて入室する。
「やぁ、お目覚めだね、クロスくん」
未だに胸を揉んだり弾いたりをしていたクロスだったが、ベッドから飛び上がり、声の主対峙とする。
「誰だ!?」
警戒心を剥き出しにして目を細める彼に、ネメアは手と首を横に振って敵対心は無いと身振りで伝えた。
「そう警戒しないでくれたまえ。手には何も持っていないよ」
一応、相手に対話の意思がある事を確認すると、ほんの少し警戒心を解いて、彼女の様子を伺うことにした。
「うんうん。今まで死地に居たわけだし、そのままで良いからどうか聞いて欲しい」
その深刻そうな少女の顔を見て、警戒心をもう一段下げたクロスの態度を見て一つ頷くと、続けた。
「まず、ボクの名前はネメア。姓はもう少し仲良くなったら教えてあげるよ。あぁ、ボクはキミのことは一方的に知っているから、名乗ったり、口を開く必要はないよ?」
彼女はうんうんと、腕を組みつつ更に続ける。
「それで、君がここに運び込まれる前に戦っていた、アルトシザーズの戦いだが、クロスグリンベルト・ジャジアルーグ銀等騎士一名の殉死により、キミが率いていた部隊、クロス隊と近辺の街の住民達は、死人はおろか怪我一つないよ」
その言葉を受けて、クロスは声を半ば叫ぶように食ってかかった。
「本当か!?アイツら無事なんだな!?⋯⋯はぁ⋯⋯良かった⋯⋯」
「うんうん。キミが命を賭して守ったものだからね。彼らの心配は要らないよ」
嘘を言っている様にも、ここで嘘をつく理由も見当たらないため、彼は胸を撫で下ろした。
「それで、キミ自身の事についてなんだけど⋯⋯」
話を続けようと口を開いたネメアに、クロスはまたもやその言葉を遮った。
「そうだ!俺は今こうして生きているぞ!殉職って一体⋯⋯」
「話が終わらなくなるから、黙って聞いててくれるかい?」
「う⋯⋯はい⋯⋯」
ギロリ、とネメアに睨まれ、クロスは彼女は話は好きだが、割り込まれる事を好かない事を悟った。
「それで、どこまで話したんだったか⋯⋯あぁ、キミが殉職したっていう話だけど、それは表向きにはっていうだけで、実際にキミは生きて⋯⋯あ〜、その辺は実際に見てもらった方がいいかな?」
そう言うと、ネメアはぶかぶかの白衣の袖に手を一旦引っ込め、再度出した時には一つの手鏡が握られている。
差し出されたそれをまじまじと覗き込み、そこに映った自身の姿を見て、彼、改め彼女は呆然とする以外、為す術は無かった。
「は?これが⋯⋯俺⋯⋯?は、はは、ウソだろ?いやいや、俺は男だぞ?骨格的にも無理あんだろ⋯⋯?しかもなんか耳⋯⋯こんな位置についてんのか?」
鏡の中には長く黒い髪に、吊り目がちな銀の瞳を更に細め、困惑の表情を浮かべ、エルフのように左右に細長い耳は、まるで猫の様なフサフサの黒い毛に覆われていた。
雪のような白い肌を僅かに朱に染めた、紛れもない美少女が映っている。
更に、クロスは癖で頭を掻こうとすると、それに倣う様にして、鏡の中の彼女も頭に手を持っていくのを見て、鏡に映っている少女こそ、自分である事を認知する他なかった。
「うう⋯⋯本当か⋯⋯?本当に、これが⋯⋯俺、なのか⋯⋯?」
ネメアはクロスの言葉にこくりと小さく頷いた。
「いやぁ、まあほら、ボクもキミの命を留める為に手は尽くしたんだけどさ⋯⋯?ね?分かるでしょ?損傷箇所も激しいし、その為にはエルフの魔法への適正を備えた細胞と、ああ。この場合はエルフの治癒魔法への適応力とでも言うのかな?人間だとどうしても魔法への抵抗力が高いからね。それと、獣人の自然治癒能力を備えた細胞を移植するしか無かったんだよね。で、その細胞の移植元になったのがこのボクと君の部隊のイリス君なんだよ! 感謝こそすれ、怒られるなんて道理はないはずだよ!むしろボクに怒るくらいなら、彼女の細胞とボクの細胞に負けて女の子になっちゃった自分の弱さを悔いるがいいさ!」
ネメアは怒られるとでも思っていたのか、最初はバツが悪そうにしていたが、段々と早口になってヒートアップしてしまっていた。
彼女の説明を受け、命を救われたのだと悟ると、クロスは緊張を解いて対話の姿勢を見せる。
「そうか。アンタ⋯⋯いや、ネメアさんが助けてくれたのか。ありがとう」
「え、あ、いや、そういう直球で来られるのもボク的にはなんかこそばゆいというか⋯⋯あ〜、うん。一応、礼は受け取っておくよ」
ネメアは気恥ずかしそうに頬をぽりぽりと掻いた。
「それで、ネメアさんはどうして俺にここまでしてくれるん⋯⋯ですか?」
「ああ、ネメアで良いし、畏まらなくてもいいよ。“さん”だなんて他人行儀な。キミはボクの一部から生まれ変わったいわば妹のような存在だからね。もっと気安く呼んでよ。むしろお姉ちゃんって呼んでも良いんだよ?」
クロスを見上げる少女に、素直に頷けるわけもなく。
「いや、ネメアって呼ばさせてもらうよ」
「そうかい。いつでもお姉ちゃんって呼んで良いからね!あぁ。それで話を戻すと、キミには是非やって貰いたいことがあるんだ」
朗らかな表情から一転、ネメアの深刻そうな顔を見て、喉仏が消失しすっかり滑らかになった喉をの鳴らして固唾を飲んだ。
「やって欲しいこと?」
クロスのオウム返しに頷くと、ネメアは続ける。
「うん。実は、キミが行方不明になっている事と関係しているんだけど、あの魔物の襲撃は仕組まれたものだった可能性があるんだ」
伝えられた情報に口を挟めずにいるクロスに構わず、ネメアは更に続ける。
「そこで、その黒幕を炙り出すために、ボク達“清浄の姫園”に同行してもらい、迫る脅威から守ってもらいたいんだ。そして願わくば、“国守の五将”に匹敵するくらいの権力を持って欲しいんだ」
にこやかにそう告げた少女に、クロスは目を見開いた。それは、国民なら誰もが知る、騎士の最高地位に属する五人の事だからだった。