14:入浴と出立と決意と
「臭い! キミたち、なんだか焦げ臭いよ!」
クロ達がフューリーに戻り、出迎えた頬の膨らんだネメアの一言目がそれだった。
「あ〜。うん。⋯⋯部屋を案内するから、先にお風呂に入ってもらえるかい?」
ネメアが二人の背中に回り、その背中を押してフューリーの中を進み、最初に案内された居住区へと辿り着いた。
「ここが、キミ達二人の部屋だよ」
五、という数字の振られた部屋を彼女が押し開くと、白磁のように白い壁に木製の大きいベッド、更に右側に一枚の扉と、左側に木製のクローゼットがクロ達の目に飛び込む。
ネメアの口ぶりに首を傾げたのはクロだった。
「達?達って⋯⋯まさか!?」
「すまない。部屋の数も時間も労力も限られていてね。ベッドを大きくするしか無かったんだ」
「いやいや、それはイリスが困るだろ⋯⋯イリス?」
「わたしは別にいい。クロは、いや?」
「イリスがそう言うなら特に反論は無いけど⋯⋯」
「ははは。随分と仲が良くなったようで何よりだよ。それじゃあ、そう言う事でよろしく頼むよ」
それだけ言い残すと、ネメアは二人の背中をぽんと叩いて出て行ってしまった。
部屋に残された二人は暫く顔を見合わせていたが、先に口を開いたのはイリスの方だった。
「クロ、先に入ってていいよ?」
イリスに促されて背中を押されると、右側の扉がガチャリと開かれ、奥の脱衣所へと通された。
クロがそこへ足を踏み入れたのを確認すると、イリスは扉を閉めた。
「ふぅ⋯⋯さて。色々あったけど、ようやくゆっくりできるな」
背中の鞄を下ろして買った服の替えを広げた後、自身の服を脱ぎ捨ててカゴへ放り込むと、クロは磨りガラスの扉を開いて浴場へ入る。
「結構広いんだなぁ」
人二人が立ってもまだ余裕のある空間を見て、クロが呟いた。
彼女が取り付けられた正面に取り付けられた魔石に魔力を流し込むと、暖かいお湯が上のシャワーから噴き出し、その身を雫が伝いながら落ちて行く。
「さてさて」
ネメアが用意したであろうと思われる浴槽に張られた湯を見て、ペロリと一つ舌を出して右足から浸かると、クロはまるでその疲れを吐き出すように息を吐いた。
「ふぅ⋯⋯」
静寂の中に響く滴が落ちる音と、疲れが湯に溶けて行くような感覚に身を委ね、天井を見上げてぼうっとしていると、不意にクロの鋭敏になった耳がピクリと動きしゅるしゅるという、何かの擦れる音を拾い上げた。
「なんだ?」
不審に思ったクロが浴槽から出ると、その扉が開かれて一矢纏わぬイリスの姿があった。
「なんで!?」
ブッと噴き出したクロに、イリスは当然とばかりに胸を張った。
「クロの背中、ながしにきた」
「いや、そういうのは⋯⋯」
「クロ、わたし、なにかまちがえてる?」
しゅん、と頭の耳を畳むイリスにクロが慌てて首を横にブンブンと振る。
「そんな事ないぞ! 友達同士なら普通だよな!」
「よかった。じゃあ、すわって」
ぱあっと顔を綻ばせたイリスに促され椅子へと腰掛けると、もう一つの椅子を持ち出してきてクロの背中に回った。
手に湯をつけ、石鹸を溶かしてクロの背中に当てて優しく撫でるように塗る。
「いたくない?」
心配そうに顔を覗いたイリスに、クロは笑顔で返答する。
「ああ」
「じゃあ、前もあらうね?」
まえ、まえ、前⋯⋯?
と、その言葉を頭の中で噛み砕いているうちにイリスは、再び手に石鹸を溶かしてクロの正面へと回り込み、手を滑らせるように動かした。
「いや、ちょっとイリス!?そこは⋯⋯あぅ」
「やっぱりクロ、おおきい。⋯⋯はい、おしまい」
「わっ、ぷ!」
悶えるクロの様子を見て満足げに鼻を鳴らしたイリスが正面の魔石に魔力を流し込むと、先程同様、シャワーから温かなお湯が降り注ぎ、クロの髪や体を滴が伝い落ちて彼女の体についた泡を洗い落として行く。
「ん。こうたい。わたしも」
立ち上がったクロの手に石鹸を渡し、イリスがすっとクロの前の椅子に座り、背中を差し出した。
「良いのか?」
「ん。おねがい」
クロは逡巡の後に、自身の羞恥心よりも、イリスの悲しむ顔は見たくないという想いが勝り、固唾を飲みこむと、彼女の背中に湯をかけながら、割れ物を扱うかのように慎重に手を当てる。
「ふふ、クロ、くすぐったいよ」
目の前の鏡に映った火照るイリスの姿から目を逸らし、まるで雪のように白く細い背中を傷つけないようにと、優しく、ゆっくりと動かしていく。
「ん。もうすこし強くしても、いいよ?」
「う、動くなって!」
イリスが上気した頬をクロへと向けると彼女はその姿勢を前を向かせるようと脇腹に手を差し込む。
「みゃっ!」
「あ、すまん」
「ううん。ちょっとびっくりしただけ。背中はもういいから、まえ、洗って?」
イリスが体をクロの方へと向けようとするのを、彼女は脇腹に入れた手で留め、座らせた格好のまま抱き締めるように手を回しての体に触れる。
「大人しくしてろって」
内心でドキドキと脈打つ鼓動をごまかすように、イリスの耳元で囁いたクロは彼女の全身に、己の全霊をもって洗浄を施した。
「ふにゃあ」
蕩けた表情を浮かべ、イリスはくたりとその身をクロの胸へにもたれかかる。
「イリス。大丈夫か?」
「うん。あったかくて、きもちいい」
「そうか。ならこのまま続けるぞ」
室内の温度と恥ずかしさに、クロの思考も、浴槽から立ち上る湯気のように溶けるように消えるのだった。
すっかりのぼせてしまったクロが先に浴室を出ると、シルキィの店で買った、ゆったりとした部屋着を着てイリスを待つこと数分。
扉がガチャリと開かれ、薄桃色のネグリジェと呼ばれる半透明の薄い布を纏ったイリスが、ふらふらとのぼせた頭を揺らしながらベッドへと歩いて来る。
「ちょっ、イリス!?」
「なに?」
イリスがキョトンとした表情を浮かべで首を傾げた。
「あ、いや、その、寒くないのか?」
「ううん。むしろ、あつい」
そう言ってイリスが首元のチョーカーに触れると、彼女の周囲の気温が数度下がる。
「これ、べんり。クロ、ありがと」
自身で魔力を調整する必要がなく、イリスの顔色もみるみるうちに元の色へ戻る。
「いや、俺よりもワイズさん達二人に⋯⋯」
「それも、クロへのお礼だった。だから、ありがと」
「あー。うん、どういたしまして」
ストレートに言われた言葉に、クロが気恥ずかしそうに頭を掻くと、イリスの頭に手を乗せた。
クロはそのぺしゃっとした感触に、思わず手を引く。
「冷たっ!? 頭拭いてないのか⋯⋯ほら、拭いてやるからじっとしてろ」
「ん」
彼女はイリスの持っていたタオルを受け取り、イリスの頭に乗せて、髪の毛の流れに沿うようにして優しく拭きあげる。
「ふふ。おねえちゃんみたい」
溢れるように出たその言葉に、クロは吹き出した。
「姉ちゃん!?」
「うん。やさしくて、あったかいから⋯⋯」
「いやいや、俺は何もしてないぞ?」
「ううん。助けてもらったり、この首飾りも、わたし、もらってばかりで⋯⋯」
「いや、十分貰ってるよ⋯⋯」
「クロ⋯⋯?」
手が止まったのを不思議に思い、イリスが首を傾げると、クロは首を横に振って答える。
「いや、なんでもない! ⋯⋯と、これで良し! さて、イリスが風呂に入ってる間に少し部屋を物色してて見つけたんだが、何か分かるか?」
そう言ってクロが立ち上がり、ドレッサーの上から取って来たのは、琥珀色の液体が入った手のひらサイズの瓶だった。
「これ、こうゆだとおもう」
「こうゆ⋯⋯?」
「うん。かして」
クロが瓶を手渡すと、イリスは手のひらに数滴垂らし、鼻を近づけてスンスンと鳴らした。
「うん。わたし、この匂いすき。ほら、クロも」
彼女の手のひらがクロへ差し出されると、やや遠慮がちにその匂いを嗅ぐ。
「少し甘くて、けどキツすぎない。これは俺も好きな匂いだな。それで、これをどうするんだ?」
「からだか、かみに、ぬる」
「ああ。こうゆって香油のことか!」
「つかってみる?」
クロは少し悩んだが、掻いた髪の毛に指の引っかかる感触に顔を顰めた。
石鹸による洗髪で髪の油分も洗い落としてしまった為、髪が軋んでいるのが分かった為だ。
「そうだな。やってみるか」
イリスに頼んで手のひらに香油を数滴垂らして貰い、クロが頭頂部をワシャワシャと適当に広げる。
その様子を見てイリスが待ったの声を掛けた。
「クロ、らんぼうすぎ。やってあげるから、わたしにも真似してみて」
自身の手に香油を広げ、クロの髪は触れると、イリスは手櫛ですくようにその髪に沿って優しく馴染ませる。
その距離の近さに思わずクロの心臓が早鐘を打つが、イリスに髪をいじられている為に、離れることが出来ずにいた。
「わたしにも。やって?」
「わ、分かった」
イリスの頼みを断るわけにもいかず、クロは顔を真っ赤にして彼女と同様、手に香油を垂らし、手櫛ですきながらそれを馴染ませる。
「おそろいって、なんだかうれしい」
そんな言葉を放ってはにかむイリスの顔に、クロは更に心臓を高鳴らせるのだった。
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それからクロ達は魔物から剥ぎ取った素材を売って日銭を稼ぐなどをして数日が経ち、いよいよフォゲルナの街から出立の日がやってきた。
「本当に良いのかい?キミはこの街に残って新しい人生を歩む事もできるんだよ?」
フューリーの甲板でクロへそう問いかけたのは、申し訳のなさそうな表情を浮かべるネメアだった。
「ああ。元々騎士になったのは人を守るためだし、なによりこの数日間街の人の顔を見て、改めてこの旅に同行したいって改めて思ったんだ。他の街にも瘴気の脅威に晒されてるんだろ?」
「うん。それは間違いないよ」
「なら、もっと多くの人を助けたいって思うのは⋯⋯おこがましいかもしれないけど、やらせて欲しい」
その決意の灯った黒い瞳をみて、ネメアが小さく頷いた。
「すまない。キミには色々と背負わせてしまうね。イリス君にも正体を打ち明けたい所だろうけど、今は我慢してくれるとありがたいな」
「ああ。分かってるさ。今は精一杯俺のやれる事をやるだけだ」
「ありがとう。さぁ、それじゃあ行こうか!」
そう告げて、ネメアが目を瞑り集中すると、騎士の駐屯地へと停泊していたフューリーが空高くへと浮かび上がる。
その高度は遥か高くに聳える安寧の塔の中腹、街の家々が小さく見えるほどの高さへと至り、後部に刻まれた魔法文字が緑色に輝くと、フューリーはぐんぐんと推進力を得て空を泳ぐように駆け抜けた。
「おや?ふふ。キミの⋯⋯いや、キミたちの頑張りは無駄じゃなかったようだね」
眼下を見下ろすと、あの街の南側に設置された巨大な門に、三十の夢幻機兵が並び、手を振っている姿が目視で確認できた。
『みなさん! ありがとうございました! このお礼はいつか必ず! 必ず致します!』
声の主は衛兵の隊長と呼ばれていた人物、ワイズの物だった。
彼らに見送られ、フューリーは更に勢いを増し、空を駆け抜けて南東へと向かって行く。




