58:祝祭のエルン
クロとネメアが過ごしあのた夜から二日後、ついにエルンカップの行われる日が来た。
「うはぁ。この街って、こんなに人が居たんだねぇ」
「ぼへぇ⋯⋯」と口を突いて出そうな程に大口を広げたクロは、街の真ん中に建てられた広場を中心に、周囲を眺める。
街の広場から見える家屋には飾り付けが施されたうえに、紙吹雪が舞い、空には結界ギリギリの位置にバルーンがいくつも打ち上げられ、更に鳴り響く金管楽器の音色が盛り上げる祭りの雰囲気に、クロとイリスも胸を高鳴らせて雰囲気の変わった街を駆けていた。
「ほらほら。あまりその衣装で走ると、胸が文字通りこぼれ落ちてしまうよ⋯⋯まあ、宣伝を頼んだのは他でもない、ボクなんだけれどね」
客引きのため、と着せられた衣装は胸元の大きく開いていながらも、品のある色合いと模様がどこか神秘的な気風を感じさせる白のドレスだった。
「うぅ。だからボツにしたのに!」
「だから、こうして再利用しているんじゃないか。アイデアは有限だからね。有効活用しないと」
「ん。クロ。似合ってる」
イリスはクロと同じく胸元が大きく開いたドレスではあるが、その色は水色で統一されており、爽やかな印象を与える仕上がりになっていた。
「イリスまで! ⋯⋯まあ、イリスも似合ってるけどさ」
照れを隠すように後ろ髪を掻いたクロは、ややあって空を飛ぶバルーンに目をやる。
「あんなに空高くに上がって、結界に触れちゃったらどうするんだろ?」
「その時は自動的に炸裂する仕掛けが⋯⋯おっと。これは夜になって実際に見てもらった方が良いかもしれないね。きっと喜んでくれると思うよ」
なら、楽しみにしてる、と話に区切りをつけた所で、周囲の好奇の視線にクロは思わず身を抱いて震わせる。
「ほらほら。今からその視線に耐えられるようにしないと、本番で上がってしまうよ。せっかく頑張ったのに、それじゃあもったいないだろう?」
「勿体無いなんて⋯⋯そんな理由で!」
「そんな理由⋯⋯?キミのその薄っぺらで今にも陥落しそうな羞恥心のせいで折角の服を作り直さなければならなくなったボクから言わせて貰えば、それこそそんな理由だよ。大体キミが隊長をしてた頃なんてもっと胸の空いた服を着ていたじゃないか」
「う、ご、ごめん⋯⋯なさい」
シュン、と耳を畳んで反省を見せるクロに、イリスがすかさず頭を撫でくります。
「ん。クロ、すぐ負ける。かわいい」
「⋯⋯分かったかい?キミの服は確かに魔道具でインプット出来るとはいえ、一度は形にしなければいけないんだ。その登録を拒否したという事はそれだけの努力を水泡に帰したという事だよ⋯⋯衆目も集まってきたね。丁度いいからここでキミの公演時間を宣伝しておくれよ」
ネメアから尻をパン!と叩かれ「ひゃん」というか細い声と共にクロは取り囲むような目線に改めて目を向ける
「え、えっと⋯⋯皆さん!見・に・来・て・にゃ」
恥ずかしげに上擦った声が響くと、クロはその場でくるりとターン。手を上げた先には魔力の精錬を繰り返した末に可視化できる程の濃密な魔力で作られた、開演の時刻を示す数字が空に映し出される。
「へぇ。あのお嬢さん、踊り子だったのか。てっきり見せつけてるのかと思ったぜ」
「だよな。それにしても、夕方からか〜時間あるなぁ」
数秒の沈黙があり、という二人の声が聞こえ始めた後、続々と拍手が送られる。
「うん。良いじゃないか。魔力制御もよくできているね。さて、ここはもう粗方ヒトの目には留まったからね。観光がてら少し歩こうか」
ネメアはめぼしい魔道具は見終えたのか、身を翻して広場を後にする。
「けど良かったの? あの広場で粘ってた方が⋯⋯」
暫く歩き、シャムの魔道具店の前まで来たクロは思わずそう零した。
「あの時、嫌な視線を感じたからね。今は髪色を変えて姿形はボクらエルフそっくりに見えているはずだけれど、あまり感情が揺れ動いてキミの中の瘴気が漏れ出したら一巻の終わりだよ。時間はまだまだあるんだ。少しここでクールダウンをして行こうじゃないか」
古い木製の扉を乱雑に開け放ったネメアはズカズカと足を踏み入れ、テーブルに置かれたポットから水を出して飲み始める。
「ふぅ。さて、あまり派手に動きすぎて要らぬやっかみを受けても面倒だからね。あとは口伝いに噂になってくれれば⋯⋯おや。シャム爺は二階かな? 随分と厄介なお客様の相手をしているみたいだね」
バタバタと騒がしい足音と天井の隙間から落ちる埃にこめかみを押さえたネメアは、ゆっくりと階段を登って行く。
「むっ! 来てはなりませんぞ、お嬢様! そのままどこぞで時間を潰しててくだされ!」
二階の扉を開けようと手を触れた瞬間、シャムからの怒号が飛び、一瞬怯んだネメアだったが、緊急事態である事を悟り、シャムの声に従う事なく先と同様乱雑に扉を開け放つ。
「やはりお前が匿っていたか!」
中には甲冑を着込ん長身の男に長銃を突きつけられているシャムともう一人、片眼に眼帯を付けた男がネメアに銃口を向けていた。
「はぁ⋯⋯キミたちは本当に学習しないんだね。ソレはヒトに向ける物じゃないって何度言ったら」
「動くな! ここで暴発させたらジジイごとドカンだぞ!」
「それは都合がいい事だね。ボクもその老いた従者の処分に困っていたところさ」
「こいつ!やはりセレス様の子か!」
不敵に笑んでみせたネメアに、眼帯の男が引き金を引きかけたその瞬間、手元から凄まじい炸裂音と爆発が起きた。
「な、なぜ!? だってコイツはまだ指を鳴らしてないぞ!」
ネメアの手は確かに下げられたままどころか、彼女は肩をすくめてため息を吐いた。
「クルスさんの⋯⋯ネメアの思いを⋯⋯踏みにじらせはしないよ!」
よくよく男が手元を見れば、ネメアの後から駆けつけたクロの手から伸びる薄くも可視化できるほどに圧縮された糸が絡み付いていることに気がついた。
「こ、この野郎、よくも! おい!人質を取って目に物を⋯⋯」
後の言葉は、男がシャムに視線をやった時に途切れた。
シャムは解放されたうえ、イリスによって長身の男が絞め落とされていたからだ。
「な、なんと⋯⋯」
「こやつらはもう手出しできんじゃろう。セレスめ⋯⋯ついに捜索に本腰を入れて来たということじゃな。もう本番は始まると言うのに⋯⋯ここはもう安全ではない。街を巡ってヒトのいる場所の方がかえって安全かもしれんな。ワタシのことは良い。思う存分、楽しんできなされ」
「シャム爺⋯⋯わかったよ。ありがとう。彼らの処分はキミに任せるよ。恐らく、別の者も来ると思うから、居留守を使うといい」
そう告げて身を翻したネメアを筆頭に、クロとイリスは、再び熱狂の渦巻くエルンへと戻るのだった。