57:命の価値
「無限の⋯⋯魔力? それに、街全体が魔法文字になってる⋯⋯ってこと?」
ふよふよと宙に浮いたクロは、眼下のエルンを見下ろしてそう尋ねた。
「うん。無論、それだって無制限ではないよ。代償はエルフの命さ。この街に住まう全ての民から少しずつ寿命を徴収して魔力へと変換する⋯⋯それが、この街の呪いだよ」
「そんな⋯⋯そんな大事なこと、なんで黙ってたの!」
クロの握った拳の上からネメアが包み込むと、首を横に振る。
「言えばキミはどうにかしようと別の方向に動いていただろう? ここに住む者は最初に代償を払うことへの同意を示しているんだ。代わりに、無限に近しい程の魔力と、それを利用した街の防衛機構⋯⋯“無限結界”の恩恵に授かれるというわけだ」
「けど、命を削ってまで魔力を得て、何をするつもりなの!?」
クロの白むほどに握られた手を見て、ネメアは首を横に張振る。
「あぁ、それはね、エルフの目指す先は、この街エルンを魔王にすら手の届かない、文字通り別の次元へと昇華させる事にあるんだ」
「別の次元⋯⋯」
ネメアが言葉の途中でポンと手を叩き、クロに指を向ける。
「そうそう。丁度キミが転移魔法を使った瞬間、その場から消えるだろう? そして次の瞬間には任意の場所に再び現れる。あの瞬間にはキミの身体は別の次元へと一旦身を寄せ、再び低位の次元に降り立っていると考えられるね」
「私が、高次元に?」
「そう。キミの魔法はもしかしたら、“次元渡り”と言っても過言ではないかもしれないね。しかし、高次元に昇華するだけでも魔力をかなり消耗するのに、それを維持し続けるのには莫大な魔力が必要だったんだよ。それこそ、命を削ってでも手に入れたい程の魔力が⋯⋯ね」
「でも、どうしてそんな事が罷り通るの!? だって、命を削ってるんだよ! そうまでして手に入れたい物ってなんなのさ!」
クロの絶叫が夜の冷たい虚空に静かに溶ける。
「キミは優しいね。よく知りもしない相手の命のことで、そこまで怒りを露わにしてくれるんだから⋯⋯あぁ、すまない。嫌味っぽく聞こえてしまったのなら謝るよ。これは純粋に褒めているんだよ。けれど、ボクらにも譲れないものがある。だからこそボクは別の方向から無限の魔力を抽出する方法を模索していたんだ。それが、魔物の魔石を集め、ヒトの体へと移植する研究だね」
クロはその言葉でハッと息を飲み、自身の胸に手を当てる。
「だから私の体は⋯⋯」
「まあ、ボクがしたのはせいぜいイリス君とボクの細胞をキミの中に移すだけだからね。しかも、この研究を悪用されたせいでボクらは研究成果と施設を廃棄せざるを得なかったんだ」
悪用、という言葉に首を傾げたクロは、すぐにその言葉の意を確かめるべく口を開くが、ネメアに手によって制される。
「それはね、ボクの理論を逆さにして使う⋯⋯つまり、魔物の身体を持ちながら、ボクらヒトのように思考する生命体を生み出す実験さ」
「それって⋯⋯マリアさんがドラゴンになったみたいに⋯⋯?」
「そうだね。彼女とレン君には本当に申し訳ない事をしたと思っているよ。どう言い繕おうとあの姿に変えてしまったのはボクの研究が起因しているのは間違いない。そこに弁明の意義も意味も無い事はよくわかっているつもりだよ。だから、ボクのできる限りの贖罪はするつもりだよ」
「そんな⋯⋯でも! |マリアさんの魔石は瘴気に侵されてそれどころじゃ⋯⋯」
「そうだね。奇跡的に助かりはしたけれど、これはボクの心の問題さ」
「もし、ネメアが自分を許せない罪悪感に駆られているなら、私にも半分持たせてよ」
「⋯⋯ありがとう。キミのそういうところは美点だね。けれどこれはボク自身の手で決着をつけなければならない問題だ⋯⋯話が逸れてしまったけれど、ボクの研究が生み出してしまったものはマリア汗への被害だけじゃないんだ。セレスの目的は恐らく、無限にも等しい魔力と人工の魔物を使っての多種族との戦争に打ち勝つ事⋯⋯そして、それを成すに値する手頃な魔物がいただろ?」
クロは小首を傾げつつ目を点にして聞き入る。
「ほら、ボク達が辛うじて倒せた、魔法を完全に無効化してしまう能力と、魔法文字を吸収してしまうボクらの天敵がさ」
「それって⋯⋯まさか、夢幻喰らい?」
「そう。まさに毒を以て毒を制す、とはこの事だね。今や各国の主力兵器と行っても過言でないくらい夢幻機兵は圧倒的な武力があるからね。それを無力化できるのは正直言って脅威だよ」
「私は絶対にそんな事⋯⋯」
させない、と言いかけた先はネメアの人差し指を立てられて掻き消される。」
「それはボクがどうにかする術を持っているし、キミはキミの役目を果たしてくれればそれでいいんだ。⋯⋯さて、随分とボクを気にかけてくれたお礼にコレを返そうじゃないか」
そう言って、ネメアが白衣の裾から取り出したのは、いつもクロがつけている黒いチョーカーだった。
「⋯⋯私の感情と瘴気を揺さぶるんじゃなかったの?」
「ああ。あれは方便というやつだよ。キミの戦闘データはメイメツとフューリーに記録されているからね」
ネメアの手によりチョーカーを首に括り付けられたクロは不満げに口を尖らせる。
「だったら最初から渡してくれればいいのに」
「ごめんよ。どうしてもキミとこの街の“呪い”を見て欲しかったんだ。それに、キミの言葉を聞いて漸く決心がついたよ。ありがとう」
真っ赤な月に照らされたネメアの顔は、微かに寂しさを湛えている気がした。