23.守りたいのに
明るさをできる限り絞った宿の部屋。
ベッドでは、ミュゲがすやすやと寝息を立てている。
眺めていたら、寝返りを打ってタオルケットを勢いよく蹴飛ばした。
リアが床に落ちたタオルケットを拾ってミュゲにかけてやる。
普段はミュゲの勉強会に使われているテーブルと椅子。
白ワインを飲んでいるわたしの向かいにリアが腰かけた。薄暗がりでもはっきりと判る端正な顔立ち。
「それで、どうして沈んでいたのかな」
「いや、そんなことでは」
「僕の目はごまかせないよ」
とはいえ、原因は目の前で今話しかけてくる人物なのだ。
わたしは敢えて溜め息で言葉をはじめる。
「尋ねたら答えてくれる? 呪いは今、どうなっているの」
「……あぁ。平気だよ」
突然、リアの声のトーンが下がった。
彼は嘘をついている。それくらいわたしにだって分かる。
「あなたには呪いがかかっている。そして、命を狙っている何者かがいる。それだけでだいぶ物騒な旅なのに、わたしには分からないことだらけ」
テーブルの上に両手を置く。
すると、リアがわたしの手をそっと包み込んだ。
瘦せこけて頼りなかったリアの手は、いつの間にかしっかりとした男性のものに変わっていた。
ぎゅ、と力を込められる。
「前世の記憶で、霞がかっていてどうしても思い出せないことがある」
「それは、何?」
「呪いを解く方法が王国にあると言ったけれど、……その、方法だ」
落とした視線を上に向ける。
菫色の瞳は揺らいでいた。
「鍵となる何かが、城のどこかにある。僕はこの旅のなかでそれを思い出さなければならない」
「だから、この街ではショコラトリーへ行きたかったの?」
リアが頷く。さらり、と黒髪が揺れる。
「この旅に意味のないことなんてひとつもない。そんな余裕は、僕にはない」
さっきとは打って変わって誠実な空気を纏っている。
「リア……」
こつん。
そのとき、窓に何かが当たる音がした。
「シュカ!?」
窓の外で烏が羽ばたいていた。
リアが手を離してくれたのでわたしは立ち上がって窓を開ける。
ばさばさっ、とシュカが闇のなかで羽を広げる。
よく見ると口元に何かを咥えていた。
わたしがそれを受け取ると、何も言わずに再び空へと消えていった。
「……手紙?」
リアがわたしに近づいてきて、上から覗き込んできた。
「そうみたい。何だろう、急に」
くるくると巻かれた紙を広げると、文字が淡く光を帯びていた。
そのまま、紙から剥がれるようにして宙に浮かび上がる。
魔女にだけ読める特別な言語だ。
「何て書いてあるの?」
「魔女集会、開催の、お知らせ」
わたしは振り向いてリアを見上げる。
「親愛なる魔女の皆さんへ。300年ぶりに魔女集会を開催することとなりました。欠席は死を意味します。だって。初めて聞いた」
「まぁ、まだ300年も生きていないからね」
「それはそうなんだけど」
大魔女も教えてくれてよかったのでは。
いや、彼女のことだ。あまり興味がなくて伝えるのを忘れているだけに違いない。
「ところで魔女って馴れ合わない存在のはずなのに、集会を欠席したら死ぬの?」
リアの疑問はもっともだ。わたしも、そこはふしぎに思う。
「うーん。それだけ重要な集まりってことかな。あ、まだ続きがある」
光る文字を目で追って、言葉に詰まった。
「どうしたの?」
ここまで来たら、話さないわけにはいかないだろう。そう決めて、わたしは口を開いた。
「……今回の議題は、ネニュファール・ユイット・グレーヌという人間の魂の保護である。世界の秩序と安寧のために、魔女は彼の者の魂を保護する立場を取らねばならない……」
コクシネルの言葉が蘇る。
【昔のよしみで特別に教えてあげる。マグノリアという青年を手に入れる――それが今のアタシに与えられた任務】
魔女に任務というものは、ない。
ということは、魔女とそれ以外の何かもまた、リアのことを狙っているのだ。
わたしは、努めて平静を装うことにした。
「すごいね。リアは人気者だ」
「ジャン」
わたしの声は明らかに震えていたし、リアの声には熱がこもっていた。
「こっち向いて」
抗えない力。わたしは、リアに向き直る。
ぎゅっ、と包み込まれるように手紙ごと抱きしめられる。
「何があろうと、僕は、君だけのものだ」
声が、気持ちが、降ってくる。
瞳を閉じてわたしはリアに体を預けた。
何ひとつ、分からない。
それでも、彼のことを守りたいと思う自分がいるのは確かだった。