21.望まぬ再会
初めてスリジエのショコラトリーを訪ねた、数日後。
わたしはひとりで併設のカフェに足を運んでいた。
店内は満席で、静かな話し声は耳にちょうどいい。
「いらっしゃい、ジャン」
頼んだホットココアを運んできてくれたのは女店主のスリジエだった。
ゆったりとした栗色のワンピースに紺色のエプロンをつけている。
淡いピンク色の瞳は、今日も明るく眩しい。
「店に出てていいの? 産休中なんでしょう?」
疑問を口にすると、彼女は笑いながらわたしの向かいに座った。
「皆にもそうやって言われるんだけど、じっとしていられない性分なの。ずっと立ってはいられないからチョコレートは作れないけれど、お客さんが喜んでいる顔を見るのが楽しくて」
元々人懐っこい性格なのだろう。わたし以外のお客さんとも、楽しそうに会話をしていたから。おそらくその全員から、わたしと同じツッコミをされていたに違いない。
「大人しくできないってのは、なんとなく分かる気がする」
なぜならば。
現在、ミュゲの勉強熱は留まるところを知らず、昼間も宿で勉強会が開かれている。
とりあえずの目標は、この店のメニューをすらすらと読めるようになること、らしい。
するとそんなリアの講義中は、わたしに役目がない。
だから外で土魔法の修行をしたり、湖の周りをぐるりと散歩したりしていた。
わたしもわたしで、じっとしていることができないのである。
「ふふっ。ジャンも仲間のような気がするわ」
「それでも、スリジエは身重なんだから無理は禁物。そうだ」
わたしは懐から、木彫りの女神像を取り出してテーブルの上に置いた。
ここに来る途中、湖周辺の雑貨屋で買ってきたものだ。
「受け取ってちょうだい」
「そんな……! ジャン、ありがとう」
スリジエの表情がいっそう和らぐ。
木彫りの女神像は大小問わず安産祈願のお守りとなる。
妊婦に出会ったら贈るのは一種のマナーで、数が多ければ多いほどいいとされているのだ。
「だいぶ大きいけれど、予定日はいつ頃なの?」
「もういつ産まれてもおかしくないわ。もしかしたら、今晩かも」
子どもが産まれたらやりたいことをスリジエが挙げていく。ふつうの人間が送るであろう一生の物語を聞くのは心地いいものだ。
耳を傾けながらホットココアに口をつける。
小さな丸皿には砂糖控えめのボンボンショコラが添えられていた。
舌の温度だけですっと融けるチョコレートは甘くなくて、だけど苦すぎでもない。
「ココアと一緒にボンボンを口にしても美味しいわよ」
「ほんとだ……!」
言われた通りにしてみると、ココアの風味が一層引き立つ。
しかも、ボンボンのとろけ具合が、違う。
チョコレートは口のなかにあるはずなのに、全身が美味しさを感じている。
「どう? これは私考案の組み合わせなの」
「ほんとうに美味しい。よく考えついたね」
「カフェは母の代から始まっているんだけど、私も子どもの頃から何回も何回も試作して、試行錯誤して。いかにしてこの空間でチョコレートを楽しんでもらえるか、研究を重ねてきたの」
なんという向上心。わたしも見習わなければならない。
土人形たちを実践に対応できるように。
「まさか、ミュゲから魔女って言われるとは思わなかったけれど」
「あのときはごめんなさい……。あの子はまだ村から出てきたばかりで世の中を知らなくて」
軽く頭を下げると、スリジエは右手をぱたぱたと振った。
「いいの、いいの。ただ、よそでは言わないようにしておいた方がいいかも。この街って昔、新月の晩に魔女が人攫いをしていたっていう伝説があって。悪いことをした子どもは魔女に攫われて食べられてしまう、って言われて育つから」
おぉっと……。予想通りだった。
これは、あらためて、迂闊に魔女という言葉を口にしてはいけないとミュゲに説明しておかねばなるまい。
同時に。
魔女を目指すというのは、そういう覚悟も必要なのだとも。
・
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湖まで戻ってくると、弦楽器の音色が聞こえてきた。
前回と同じ、どこか切なくなるメロディーだ。
惹かれるように、わたしは広場へとゆっくりと歩いて向かう。
青々とした芝生の中心で演奏会は開かれていた。
観客はまばらだったものの、じっくりと耳を傾けているようだった。
♪~
よく目を凝らしてみれば、弦楽器はヴァイオリンのようだ。
演奏家の恰好は全身真っ黒。
シルクハットに、シャツに、スーツパンツ。足元はぴかぴかに磨かれた革靴。
すらりとした体型でリアよりも背が高そうだった。
近づいてみても、思い出せない。
だけど確実にどこかで会ったことがあるような気がする……。うーん?
見つめていたら演奏家は急に手を止めた。
突然のことに観客たちが戸惑う。
演奏家は弦をくるくるとまわした。それから流れるようにヴァイオリンごと足元のケースへ片づける。
優雅な仕草でシルクハットに手をかけた。
ふわっ。
きれいに切り揃えられた前髪がなびく。
その色は、目の覚めるような鮮やかな青色だった。
透き通るような白い肌。
奥二重の三白眼は灰色。
視線が合って、――わたしはようやく思い出した。
思い出して、しまった。
そして、彼女もまたわたしを認識して、歩み寄ってきた。
じり、と後ずさるわたし。
注目する、観客たち。
「そんなあからさまに逃げようとしなくたっていいじゃなぁい?」
くぐもっているのに透明に聞こえる、不思議な声。
演奏からはかけ離れた気怠そうな、どこか偉そうな態度。
変わっていない。
「アタシは久しぶりに妹弟子に会えて感激してるっていうのに」
「いやいや。絶対に本心から言ってないですよね。嘘は体によくないですよ」
手のひらを向けて拒絶の構え、おまけで最大限の愛想笑い、苦笑い。
「コクシネル。どうしてあなたがこんなところに?」
彼女は【音の魔女】、コクシネル。
大魔女シャルドンのもとで魔法を得た、わたしの姉弟子である……。