19.一子相伝
がっくりと、リアが肩を落とした。
ここまで落ち込むことはそうそうない。なんだか可哀想に思えてきて、ぽんぽんと背中を叩いてやる。
「まぁまぁ、リア。そう気を落とさないで」
「……ようやく、ようやくファリーヌまで来たっていうのに」
事情を把握していないミュゲが、つんつんとわたしの脇腹をつついてくる。
「どうしたの?」
「お目当てのチョコレートは、もう作っていないんだって」
宣言通り、宿からはだいぶ歩いた先にショコラトリーはあった。
まさしくチョコレート色の建物は歴史を感じさせる重厚さ。
店内に入ると、むせ返るような甘い香りに包まれた。
壁の両脇には箱詰めされた多種多様なチョコレート菓子。
クッキー、マフィン、パウンドケーキ、……。
そして、奥にはよく冷えたガラスケース。
まるで宝石のように彩られたマカロンやテリーヌ、ボンボンは芸術品のよう。目でも楽しめるなんて、すばらしいショコラトリーだ。
「ここにあるチョコレートも、全部美味しそうだし。買って、宿で食べよう?」
「……そうだね」
言葉は頷いているものの、態度はそうではない。
可哀想を通り越して苦笑いを送る。
「そんなに食べたかったの?」
「ジャンが喜んでくれると思って」
そこで拗ねるとは思わなかったぞ。
子どもか。子どもの駄々か。
ついに呆れはじめたところで、店の奥から明るい声が響いた。
「ごめんなさいねー!」
どかどかと大股で現れた女性は、小柄ながらも大きなお腹を抱えてガラスケース側から店内へ歩いてきた。
ゆったりとした栗色のワンピース。
ワンピースより少し濃い目の髪の毛はショートボブ。淡いピンク色の瞳が明るく輝く。
「花のシリーズは一子相伝で、私しか作れないのよ。この子が産まれて大きくなったら再開しようと思ってるんだけど」
女性が愛おしそうにお腹をさする。
なるほど。妊婦さんということは、再開は少なくとも1年以上後になるだろう。
「あ、私はスリジエ。このショコラトリーの4代目よ」
「ジャンといいます。すみません、お休みのところを」
「いいの、いいの。とんでもなくがっくりしているお客さんがいる! って店の子が知らせに来たから見てみたくなっちゃって」
ちらり、スリジエがリアへ視線を遣った。
ようやく立ち直る気になったのか、リアはすんっと鼻をすする。
「店の雰囲気を悪くして申し訳ありません。僕はマグノリアといいます。ここの花のシリーズがどうしても食べたくて遥々やって来ました」
「あらまぁ、うれしいことを」
「あたしはミュゲ! あたしも楽しみにしてきたわ」
会話に入れないことを嫌うミュゲが下から主張してくる。
「あらあら、まぁまぁ。せっかくだから、カフェスペースへどうぞ。よかったらお話を聞かせてちょうだい?」
随分と気さくな店主だけど、こちらもせっかくなのでお言葉に甘えることにした。
促されて右側に続くカフェスペースへと向かう。
ショコラトリーとは対照的にガラス張りで明るく、開放的な空間が広がっていた。
てってってっ、と勢いよく先行するのはもちろんミュゲだ。
空いている丸テーブルの椅子に腰かけると、早速メニュー表を開いた。
「リア、読んでちょうだい!」
「かしこまりました、お姫さま」
調子の戻ってきたリアはミュゲの隣の席に座る。
お姫さまと呼ばれたミュゲはとてもうれしそうだ。
うーん。機会はないだろうけれど、彼の前世が王子さまだと知ったらびっくりするだろうなー。
「お子さん?」
……分かってた、そういう質問をされるであろうことは。
「いえ、全員赤の他人デス」
「そうなの。楽しそうな旅ね」
スリジエとわたしも遅れて席に着く。
チョコレートの説明を頷きながら聞いていたミュゲが顔を上げた。
「ジャン、あたしはチョコレートパフェってのにするわ」
「僕はホットコーヒーとオペラ」
「ふたりとも早い。わたしはまだメニューを見てないんだけど?」
リアがメニューを差し出してきた。
「チョコレートパフェで」
「ジャンこそ即決だったね」
店員さんが寄ってきて、注文を取ってくれる。
スリジエはにこにこしながらテーブルに両肘を載せた。
「ところでマグノリアさんは花のシリーズを食べたことがあるのかしら」
「はい。ずっと昔に、王都で。一等好きなチョコレートなんです」
「王都で? 誰かのお土産? それともパーティ?」
スリジエがふしぎそうに首を傾げた。
「王都へ納品していたのはグレーヌ王国時代のことよ。祖母によく聞かされたの。最後の国王さまが好きだったって」
「ごふっ」
最後の国王といえばわずか数日間しか玉座にいなかった……誰のことかは推して知るべし。
なお、飲んでいた水を吹き出したのはわたしである。
口を尖らせてリアを睨むと、わざとらしく視線を逸らした。あとで文句のひとつも言わないと気が済まない。
「お待たせしました、チョコレートパフェです」
話を逸らすにはすばらしいタイミング! ありがとう店員さんっ!
「わぁ、ボリュームたっぷり~」
「ジャン? 棒読みになってるけどどうかしたの?」
「気のせい、気のせい」
細長いスプーンにぴったりな背の高いチョコレートパフェ。
トップには濃淡のあるチョコレートアイスがふたつと、豪華なことにチョコレートケーキが1ピースとチョコレートマカロンがふたつ刺さっている。
グラスのなかはムースだろうか?
とにもかくにも、チョコ尽くし。
「すごい! すごーい!!」
ミュゲがこれでもかと言わんばかりに瞳を輝かせ、頬を真っ赤に染めている。
「こんなの初めて見た! どこから食べればいいの!?」
「お好きなところからどうぞ」
スリジエはミュゲの反応に満足そうな様子だ。
反対にわたしはメニューをちゃんと読んでいなかったことを若干後悔していた。
「パフェにケーキが刺さっているとはなかなか豪快だね」
美味しいのは間違いない、が、完食できるだろうか……。