18.この世で最も
夜。
いつの間にか、部屋でリアがミュゲに文字を教えることになっていた。熱心なミュゲは矢継ぎ早に質問を繰り出していて、リアがたじたじになっているのが珍しくて面白かった。
手持ち無沙汰のわたしはそっと宿から出る。
湖を臨む外の空気は、夜風がなにより心地いい。
藍色の空は昼間と違って静寂を辺り一面にもたらしている。
最近、ずっと周りに誰かがいる。たまにはひとりでぼーっとするのもいいものだ。
宿の裏側にまわって人気のない場所を探していると、シュカとシアがどこからともなく現れた。
『酒を飲みに行くのかと思えば』
「いや、その案も捨てがたいといえば捨てがたいんだけど」
リアに説教をくらう羽目になるのは明らかなので。
『真面目だね~』
ははは、と苦笑いで答える。
それからしゃがみ込んで、地面にそっと触れた。
やわらかくてほろほろとした土。栄養もきちんと巡っているいい土だ。ぎゅっと握ると、しっかりと固まった。
「ルヴァンシュ、ルヴァンシュ」
両手を地面に翳すと、ほわ、と微かに地面が光る。
大事なのは、成功をイメージすること。
「「生まれよ、土人形」」
ぐに。ぐにぐに。ぽてっ。
盛り上がる地面。脈打つように動いて、やがて手のひらサイズの人形が立ち上がった。まるで、ジンジャーブレッドマンのようなかたちをしている。
飲みに行かなかったもうひとつの理由。
それは、土魔法の修行をするため。
村からこの街へ向かう道中も、時間をつくっては土人形を試作してきた。未だ、試行錯誤の途中。
「大きくするか、数を増やすか……。うーん」
ちょんちょん、と土人形の頭を突っつきながらひとりごちる。
「ルヴァンシュ、ルヴァンシュ」
ぽてっ。ぽてぽてっ。次々と生まれる小さな土人形。
『ふしゃーっ!』
量産された土人形たちの動きはシアのお気に召したようで、突然わたしの周りで追いかけっこが始まる。
「シアに負けているようじゃ頼りないぞー。がんばれー」
逃げ惑う土人形たちはシアに襲われ、次々と土に還っていく。まだまだ実戦には程遠そうだ。
立ち上がって眺めていると、シュカが肩に止まった。
『この街で不審な動きがある。何かあればすぐ報せる』
「ありがとう。助かる」
『吾輩の主はジャンだ。主のためなら何なりと』
すべての土人形が倒されたところで、わたしは大きく伸びをする。
「そろそろ戻るね」
『承知』
『またね~』
歩きながら、考える。
【秘密結社フォイユの目的はグルナディエ王国の滅亡。そして、ネニュファール・ユイット・グレーヌの生まれ変わりを見つけて――正しく殺すこと、です】
アベイユは言っていた。正しく殺す、と。
一体どういう意味なんだろう。
近いうちに秘密結社フォイユがわたしたちに接触してくるのは間違いないだろう。
対話を、しなければならない。答えに近づくために。
藍色の空を見上げる。
あの日も。すべてを失った夜も、同じ色だっただろうか?
「イリス。どうして、フォイユの名前を継いだの?」
まだ生きているというなら、わたしの問いかけに、答えてくれるだろうか。
イリス。
・
・
・
部屋の前まで戻ってくると、ふたりの話し声が漏れてきた。
まだまだ勉強は続いているらしい。熱心なことだ。
「――この世で最もさびしいことって何?」
内容とは対照的に明るい問いかけに、思わず苦笑する。
どうしてそんな話になったのか気になるぞ。
扉の外で、聞き耳を立ててみる。
「興味を持たれず、関心を向けられないことだよ」
「死ぬこと、じゃなくて?」
「人間というのは必ず終わる生き物だから。出会ったら別れがあるし、生まれたら死ぬ」
おーい、リアよ。
10歳に語る内容としては、難しすぎやしないか?
「不幸の底に落とされても愛するひとがいてくれたら、それは僕にとって不幸ではないんだ。だから、最も恐ろしいのは、無関心」
つきん、と、胸の奥が痛む。
リアがどんな思いでこの旅を選んだのか、少しだけ垣間見えた気がしたから。
「だからミュゲのご両親は、さびしくなんかない。安心するといいよ」
「……うん」
扉に手をかけることすら躊躇っていたら、足音がこちらに近づいてくる。
がちゃり。
「戻ってきてたの?」
そして、内側から開いてしまった。
見上げれば菫色の瞳が穏やかに光を湛えていた。
「うん、まぁ。……ただいま」
「おかえり。温泉の予約をしておいたから、ミュゲと一緒に入っておいで」
「温泉?」
「水が豊かなこの街は、浴槽にたっぷりぬるま湯を張って、そこで疲れを癒す習慣があるんだ。明日は少し遠出して、街の外れにある菓子店に行くよ」
「完全に観光旅行だね?」
リアはわたしの背中に手を回して、部屋へと招き入れた。
テーブルの上にはどこから手に入れたのか、分厚い本が開かれている。
ミュゲはテーブルに頬杖をつき足をぶらぶらさせながら、その本を見つめていた。
「この街に関しては完全に。ずっと来てみたかったショコラトリーの本店があるんだ。花を閉じ込めたようなチョコレートが有名でね」
えっ、と驚きが零れた。
花のチョコレートをリアに食べさせたことは――ない。
寧ろ、それは。
王子が、わたしに。
良好な関係だった頃教えてくれた、王子のお気に入りだ。
震えながら問いかける。
「あなたはマグノリア? それとも、……」
リアがわたしの唇に人差し指を向けてきた。触れるか触れないか、ぎりぎりの距離。
薄く微笑むリアに、王子が重なってぼやける。
「両方だよ、ジャンシアヌ」