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16.((回想・14歳))




 グレーヌ城。

 中庭のひとつには水晶でつくられた女神像があり、その足元は泉に浸されている。

 通称、女神の中庭。

 気候に合わせて多種多様な花が咲き誇り、色と香りが溢れたその場所は。限られた者しか足を踏み入れることが許されない。かくいうわたしも、最近許されたばかり。城内にこんな艶やかなのに穏やかな場所があることに心底驚いた。


 そして、限られた者のみが知っている。

 女神の中庭は、第一王子・ネニュファールさまのお気に入りだということを。


 今日も巨木の木陰にもたれかかって、両足を芝生の上にまっすぐ伸ばし。

 足の上で両手を組んで、彼は女神像を眺めていた。


 婚約者とはいえど、相手は将来の国王だ。姿を目にするだけで緊張と躊躇いがないまぜになり、落ち着くまでに時間を要した。

 ようやく意を決して、声を発する。


「またここにいらしたのですね」

「ジャンシアヌ嬢」


 ネニュファールさまがわたしを見上げた。

 さらり、と金髪が揺れる。整った口元に浮かぶのは優雅な笑み。

 菫色の瞳は鮮やかで、木陰だというのに眩しい。


 ――王子さまの瞳の色に合わせて仕立てましたのよ、ジャンシアヌさま。


 針子係が自信満々で仕立ててくれたドレスが急に恥ずかしくなってくる。

 この色が似合うのは、ネニュファールさましかいないというのに。


「一番、考え事がまとまるんだ」

「考え事、ですか」

「いかにして貧しい民の生活を豊かなものにできるか? 父上には笑われたし、周りの大人には相手にもされない。王子とはいえどまだ子どもですね、だと?」


 ぐっ、とネニュファールさまは拳を強く握った。


「あまつさえ友人たちも、貧しい者がいるから国の均衡が取れているのだと言う。しかし、私はそうは思わない」

 

 王子という身分でありながらも、誰とも分け隔てなく接する。

 そんな彼の険しい表情を見るのは初めてのことだった。


「理想主義だと言われても、私には諦めることなんてできない」

「ネニュファールさまなら実現できるとわたしは思います。もしよろしければ、聞かせていただけませんか?」


 きょとん、という表現がまさにぴったりな、少し幼さの残る表情。

 これもまた、わたしは初めて目にした。


「興味を持ってくれたのは君が初めてだ。よかったら、隣に座ってくれないか?」

「恐れ入ります。失礼いたします」 


 ドレスの裾を軽く束ねて、少しだけ離れて腰かける。

 洗濯係に怒られそうな気もしたけれど、ネニュファールさまに言われたので、と説明すれば許してくれるだろう。


 涼しくやわらかい風が頬を撫でていく。

 木陰から見る女神像は常にきらきらと煌めいていて、眺めているだけで心が洗われるようだ。

 わたしの視線の先に、ネニュファールさまは満足そうに頷いた。


「ここから見る女神さまが一等好きなんだ。これまで誰も座ってくれなかったけれど、どうだい? いい眺めだろう?」

「えぇ。こんなに美しいものを教えてくださって、ありがとうございます」


 ネニュファールさまへ顔を向け、微笑みを返す。

 ネニュファール・ユイット・グレーヌさま。この国の第一王子。

 物心のつく前、親によって決められた婚約相手。

 まだ14歳。

 そもそも家のための結婚であり、わたしの意志は存在していない。

 不安がないといえば嘘になる。

 だけど、彼とならばきっと一生添い遂げることができるような気がしている。


「それでは本題に入る前に、もうひとつ、私のとっておきを教えてあげよう。手を出してごらん」


 手のひらを差し出すと彼はそっとチョコレートを載せてくれた。

 薔薇のかたちを模したそれは、宝石のように艶めいていた。


「街で最近見つけたんだ。これより美味しい菓子を、私は知らない」

「街……?」


 ネニュファールさまが、己の人差し指を唇に当てる。

 片目を瞑ってくる仕草はまるで悪戯好きの少年のようだ。


「頂戴いたします」


 すっと口のなかで融けるチョコレート。甘すぎず、苦すぎることもなく、なめらかな舌触りが心地いい。

 続いてふわりと香ってとろけるのは、優雅な薔薇だった。

 ジャムというよりはとろみのついたジュースのような食感。

 チョコレートと薔薇のマリアージュは一瞬にして消え、惜しい気持ちが泉のように湧きあがる。

 

「これは……!」

「どうだい? 美味しいだろう、ジャンシアヌ嬢」


 ネニュファールさまの微笑みに、胸は静かに高鳴る。


 まだ、14歳。

 友人たちが恋とか愛とかの物語で盛り上がっているとき、その輪の中に入ったことがない。

 それでも。


「えぇ。とっても美味しいです、ネニュファールさま」


 彼といると、心が静かに満たされていくのは確かなことだった。




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