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グリジア王国のタイル―侯爵家には病弱な天使がいるらしい。
そんな噂が王国に広まった。
その天使を一目見ようと男女問わず人々が押し掛けた。
侯爵家の美しい庭園にたたずんでいるのはその天使である。
ウェーブがかかったはちみつ色の髪に、宝石のようにきらめくエメラルドグリーンの瞳。
しかし、そのエメラルドグリーンの瞳にはかすかに涙がにじみ、怯えていた。
原因は天使の前にひざまずき、愛を乞う男性。
貴族であれば年の差というのは普通にあり得るのだが・・・。
怯えてるじゃん、かわいそうに・・・
こほりと天使が咳をした。
天使は病弱というのは噂通りのようだ。熱があるのか顔が真っ赤だ。
しかし、目の前の男性はそれに気付かない。
懐から懐紙を取り出し、魔法で伝言をしたため鳥へと変化させる。
家人に飛ばせば迎えに来るだろう。
目を離した隙に男の手が天使に伸びる。
さすがにそれ以上はダメだ。
「おっとそこまでだね」
満を持して登場する。「何だ君は!」と男性が鼻白む。
(ダリス子爵のバカ息子か――)
女性関係にだらしなく、そのうえ、自分より身分が低い相手には高圧的に身分を笠に着て無茶ぶりをさせる。
しかし、証拠がなく捕まえることができない。
もしかしたら家の醜聞になるからと庇われている可能性もある。
「何しているの?」
「何ってこの天使に」
「え?君ロリコンなの?」
にやりと笑うと「なっ!」と男性が顔を赤くする。
「ぼ、僕は子爵家だぞ!ふ、不敬だぞ!君の家なんて!」
「うん、そのセリフ聞き飽きた、そうやって身分の低い女性に無理強いしてたんだねー」
のんびりと
「こ、この!」
激昂した男性がつかみかかってくる。
「甘いな」
つかみかかってくる男の手首をつかみ、おろそかになった足に足払い、その反動を利用して投げ飛ばす。
男は「ぐえ」とカエルが踏みつぶされたような声をあげて、そのまま気絶した。
「はい、片づいた」手をぱんぱんと払いながら、天使のほうを見やる。
「大丈夫?なにもされていない?」
目線を合わせると顔が赤い、熱あがったのかな・・・。
「ちょっとまってね、家の人には連絡したからそろそろ来ると思うよ」
ハンカチを取り出し、魔法で作りだした水で濡らす。そのハンカチを天使の額へ落とす。
あのことがあったから嫌がるかと思ったが、ぽかーんとしただけだった。
そのうち、ばたばたと隔靴の音がしてきた。恐らく家人が駆けつけたようだ。
「それじゃあね。その気絶している男は引き取ってもらってね」
ひらりと塀に飛び乗る、もちろんハンカチは回収する。
「あ、あの!」天使が声を上げる。声も天使みたいに綺麗だね。
「お、お名前は!!」
こういう時、いつも名乗っている名前を告げる。
「ルカ、ルカだよ、お嬢さん」
ルカ≒セシルはにっこりと笑った。
「ルカ、あの貴族の余罪まだまだありそうだぜ――」
いつの場所に現れたのは町のガキ大将の一人、ダリルだ。
茶色い髪に茶色い瞳。どこにでもいる少年、ゆえにどこにいてもおかしくない少年。
その容姿を生かして、町の情報を集めてくるセシルの子分だ。
「レベッカ姐さんが辟易してた・・・」
レベッカは町の娼館の女主人だ。もとは高級娼婦をしていたが引退後、女主人として切り盛りしている。
元が高級娼婦だけあって、それはもう色気漂う妖艶な美女なのである。
「余罪があってもなー、娼婦だからなー、なかなか証言してくれなさそうだね」
うーんと腕を組む少年、セシルはダリルと同じく茶色い髪だが瞳の色は澄んだ空の瞳。
「その点なら抜かりない。娼婦以外にも被害にあった女性から証言もらったさ」
「でかした!」
セシルは瞳を輝かせる。
「それでどうするんだ?」
報酬のお菓子を食べながらダリルが尋ねる。
「市民の俺たちには貴族さまは裁けないからなー」
悔しそうだ。孤児である彼にとってこの町は生活基盤であり、優しく接してくれた町を守りたいのだ。
「なら、その貴族さまに裁いてもらえばいいだけさ」
セシルはにやりと笑った。
「ルカ、何を・・・?」
「あの男、タイル―侯爵家の天使に目を付けた」
あちゃーとダリルが頭を抱える。タイル―侯爵が天使をかわいがっているのは市民でも知っている。
「病弱だって話だけど、実際病弱だよ。僕の前で咳していたし、熱で顔を真っ赤にしていたからね」
「ルカ、天使に会ったの?」
「たまたまね」
「ここにいるとたまに忘れるけど、ルカの家も伯爵家だもんなー」
ここはセシルとその子分が根城にする秘密基地、教会だ。
貴族が市民と出会うにはこれほど好都合な場所もあるまい。
子分といってもセシルが子分に命じるのは町の情報のみだ。
その情報の報酬は彼らが欲してやまない食料や勉学などだ。
「ダリルの情報は無駄にしないさ」
「じゃあ、また剣の相手してくれよな」
「構わないさ」
貴族であるセシルは滅法強い。騎士を目指す者には剣を教えている。
颯爽と教会を出ていくセシルに、ダリルは嘆息をつく。
(まったく無駄に男前だからなー、女なのになー・・・)
そう、セシルは男装令嬢なのだった。
ダリス子爵のバカ息子の侵入を許したのは失態であった。
誕生日会にダリス子爵とその息子が参加しているのは確認していた。
わずか数秒目を離した隙にそのバカ息子がいなくなっていたのだ。
あわてふためく家人のもとに現れた白い鳥。
家人の手にとまると事情を説明し、一枚の紙に変化した。
伝書鳥!?
魔法の一種である。
すぐさま、現場に駆け付けると我が家の天使と気絶しているバカ息子を発見した。
病弱な天使はまた熱がでているようなので、メイドに任せた。
回復した天使は、ルカという少年が助けてくれたと証言した。
家人に伝書鳥を飛ばし、その上でバカ息子を投げ飛ばしたらしい。
そのバカ息子は現在謹慎中らしい。
バカ息子を投げ飛ばす武術、そして伝書鳥を使いこなす魔法の腕。
「どこにも仕えていないのであれば、うちにほしいな」
マリウス・タイル―侯爵は家人の報告を聞いて、面白そうな表情で頷いた。
アッシュグレイの髪にエメラルドグリーンの瞳。
年齢40を超えた頃、若い頃は騎士としても活躍していた。
「伝書鳥とはまた珍しい魔法ですわね」
リデル夫人も面白そうにそして優雅に笑う。
リデル夫人もまた若い頃は魔導師として活躍していた。
はちみつ色の髪に水色の瞳。我が家の天使はこの二人の容姿を半分ずつ受け継いでいた。
夫人の血をより濃く受け継いだせいか、天使は魔力が多く、そのせいでよく寝込む。
もう少し年齢が上がれば、魔力は安定するとのこと。
「魔力が安定すれば、我が家の三男として公表しよう」
そう我が家の天使は男である。
体の弱い男子を女の子として育てることはたまにある。
しかし、そのせいでバカ息子に目を付けられてしまった。
「さてどうするか、エリアスの証言だけでは証拠にはならないぞ、逆にこっちに不利だ」
タイル―侯爵は腕を組む。
何もしていないのに、こちらの家人に暴力を振るわれたとまで証言しそうだ。
「それだけどね、証拠はあるよ――」
澄んだ声、出所は窓だ。そこには茶色い髪にはしっこそうな水色の瞳をした少年。
誰だと家人は身構える。
「レイモンド」と侯爵は手で制す。家人はレイモンド、このタイル―侯爵家の執事だ。
「ルカか?」
にやりと少年は笑う、それは肯定だ。
「証拠があるとは?」
慎重に侯爵は尋ねる。
「あのバカ息子、町で権力を笠に着て横暴にふるまっていたんだよね。特に女性に対して」
「あのバカ息子め・・・」
侯爵は苦虫をかみつぶしたような表情をしている。
「で、これ町の証言」
ルカは何か紙を机に置く。
「証言が本当かどうかはそちらで調査してね。僕は貴族のほうの証言はわからないけどさ、もしかしたら証言がでてくるかもねー」
「なるほど、貴族のほうはこちらで証言を探す。それでだ情報をただというわけでもあるまい?」
にやりと侯爵は笑う。「もちろん」とルカ。
「僕のことは一切合切、表にださないこと。それと僕に直接接触しないこと――」
侯爵が息をのむ。ルカの言っていることがわかったようだ。
レイモンドにもわかる。この少年を招き入れることは不可能なのだ。
「ルカはこの世にあってこの世にない者。どんなに探しても届かない幻のような存在だからね」
妖しくルカが笑う。
「接触したかったら、町の教会にどうぞ」
じゃあねと彼はひらりと身をひるがえす。次の瞬間には侯爵家の塀の上にいた。
「いやぁ、すごい身体能力だねぇ」
侯爵が関心している。おしいなぁと何度もつぶやいている。
数週間後、貴族のほうの証言も手に入れた侯爵は嬉々として、子爵のバカ息子と対峙した。
その結果、バカ息子は父親と母親と領地に、実質左遷だ。
どうやらかばっていたのは母親のようだったらしい。
ダリス子爵は子爵を長男に譲った。
その後しばらくして侯爵家の天使は三男であったことが公表された。