生きる気力をなくした少年
僕は生きる気力をなくした。
勉強をして何になる?良い高校へ通い、良い大学へ進み、良い会社で金をたくさん稼ぐ。いいことだろう。しかし、それをして何になる?社会の歯車となって社長の命令通りに働き、実績を出し、金を稼ぎ、その先に何が見えている?老後に楽しく遊んで暮らす?もう遅いだろう。体は衰え、昔ほどの気力もないだろう。
自分のしたいことをし続ける。それもいいだろう。しかし、それをして何になる?周りが良い大学へ進み、就職していく中、1人でゲームをして引きこもりニート生活。それは楽しいのだろうか。まぁ当人は楽しいのだろうが、いつかは飽きがくる。その時に何を思うだろうか?自分はなんて愚かなのだろうと思うことだろう。
そう。何をしても自分のためにはならないのだ。いや、正確に言えばためにはなるが''人生を全うする''ことなど出来るわけが無いのだ。自分のやりたいことでお金を稼いでも周りからは遊んでいるなどと言われ、早く就職しなさいと言われる。若いうちに起業し、成功して、お金を沢山稼げた。大富豪になった。だが、お金の価値を見失い、遊び呆ける。それで全うしたと呼べるのだろうか?
人生とは死ぬまでの暇つぶしなどと言われることがあるが、要するに死ぬことこそが全うしたと呼べるのだろう。ならば、暇つぶしなどせずに自殺をすれば人生を全うしたと呼べるのだろうか?いや、呼べない。なぜなら''寿命を全うすること''こそが人生を全うしたと呼べるからだ。
ならば、何をすれば寿命を全うできる?そここそが最大の問題点だ。何もせず気楽に過ごし、寿命で死んでも、せこせこ働いてお金を稼ぎ、子供を産み、育て上げて死んでもどちらでも寿命を全うしたということにはなるのだ。
しかし、それでは人生は全う出来ない。要するにこの問題は''死んだことがない人間には解答不可''な超難問なのだ。故に''哲学''などと呼ばれたりするわけだ。
この問題を考え初めたが最後生きる意味をなくし、何にもやる気力が起きなくなる。
それが今の僕の状態だ。
そんな僕は輝いた。何を言っているのだろうと思っただろう。だが、適当なのだ。いや、正確には''周りが全て消え、真っ白な空間になった''と表現する方が正しいのだろうか?経験したことの無い体験に僕は興味を惹かれた。故に''やる気''が起きたのだ。
そんな真っ白い空間だが、僕以外にもう1人人間がいた。その少女は僕にこう話しかけてきた。
「君が''適合者''か。
ならば、ついてくるが良い。」
と。
途中で終わってしまい申し訳ありません。
この先はご自分で補足していただけると幸いです。