一話
重い鉄製の扉を開けて屋上に出ると、弱々しいながらも心地よい穏やかな風が吹きこんできた。
いつも通りの夕日のまぶしさに目を細め、目をこらす。
味気ないコンクリートの床や壁を。やや錆びついた緑のフェンスを。そして、フェンス近くに佇む先輩の背中を。
夕日はそれらをオレンジ色に綺麗に染め上げていた。
わたしの大好きな、屋上の風景。
扉の閉まる音に、先輩が突然振り向き、私に手をふってきた。
「おー、氷宮。今日は遅かったな」
顔にはいつものニヤニヤ顔が張り付いていて、右手には購買で売っている牛乳パックが握られていた。
私は軽く頭を下げて、先輩がいるフェンス近くに歩み寄る。
フェンス越しから見えるオレンジ色に染められた校庭には、生徒達がまばらに散っている。それを見つめながら、私は口を開く。
「二年や三年の目を盗んで屋上に上がることは大変なんですよ」
「そうか?」
教室が屋上からすぐ下の四階にある高校二年生の先輩は首を傾げた。
「一年は教室が二階だから、三年がいる三階には用心してのぼらなきゃいけないんですよ」
「てか、なんで敬語? タメ口でいいって言ってるだろ?」
先輩がひらひらと左手を振りながら、顔をしかめる。
こう言われるのは既に五回目。でも、敬語をやめた覚えはない。
既に先輩には諦めムードが漂っている。
「どうしてですか?」
「堅苦しいのは嫌いだし。それに俺は年下には優しいんだよ」
フッ、と笑って先輩は肩をすくめた。
絶対嘘だ。
そう言わずに私は先輩のマネをする事にした。
「<年上を敬え>が私のモットーなんです。高齢者の方には出来るだけ、長生きして欲しいですから」
先輩は微妙に疑わしげな視線を私に向けてきた。
嘘だと思っているようだ。
「……嘘だろ」
「嘘です」
「嘘つきめ」
「先輩ほど嘘つきじゃありませんよ」
苦笑する先輩。もしかしたら肯定してる意味なのかもしれない。
先輩は笑顔を消して、視線をオレンジ色に染まった空へと向けた。
横目でわたしより頭一つ分ぐらい高い先輩の横顔を見つめる。
男のくせに長いまつげや夕日のまぶしさに細められた黒い瞳、血が通ってるのかと思うほど白い無機質な肌は、屋上と同じようにオレンジ色に染め上げられている。
先輩と二人でいる時だけしか味わえない心地良い沈黙がながれる。
私は先輩を。先輩は夕日を。
動かずに見つめた。