11.メルの祈り(前編)
そのときの気持ちを、どう表せばいいだろう。
「私が想っている相手は君だ!」
王太子が彼女を抱きしめ、そう叫んだとき、部屋の奥に控えていた自分は、両の拳を固く握りしめた。
(クリスティン様に、触れるな……!)
他の者が彼女に触れるのは勿論、彼女の姿を男が視界に入れることすら、メルは日々憤りを感じていた。
「君と結婚をしたいし、必ずするよ。私は君と幸せになりたい。私が好きなのは、ずっと君だ!」
明確な殺意を、メルはアドレーに抱く。
しかし頭の片隅では、どこか冷静に、悟っていた。
(──アドレー様は、クリスティン様をお好きで。アドレー様とクリスティン様はご結婚なさる──)
二人はれっきとした婚約者である。
王国中が認める、公認の間柄。
アドレーがクリスティンを抱きしめるのも、問題のある行動ではない──。
では、なぜ自分はこれほどまでに、許せないと感じているのか。
それは──。
今は──結婚前だからだ。
そのため、黙っていられないのだ。
本当はそれだけではないが、メルは思考を止め、足を踏み出した。
「──失礼します」
気絶しているクリスティンを、ゆっくり慎重に、だがアドレーから奪うように受け取る。
彼女は、アドレーに抱きしめられたことで、意識を失っていた。
(クリスティン様……)
アドレーはクリスティンの心の平穏を、損なわせる。
アドレーへの震えるほどの怒気を懸命に抑え、彼に念を押した。
クリスティンは元々身体が弱い。体質改善しても、発作を起こすのだ。
彼女に恐れられている彼が、こんなことをすべきでない……。
クリスティンを腕に抱え、退室した。
血の気を失ったクリスティンの美しい姿。
まるで、折られた薔薇だ。
クリスティンの柔らかなぬくもりを身に感じながら、彼女に視線を注いだ。
(このまま──どこにも戻らず……クリスティン様を脅かすもの全てから離れ、このかたをどこかへ連れ去ってしまえたら、どんなに──)
メルは真剣にそう考え、呆然とした。
──何を。
何を自分は。
自身に呆れ返った。
かぶりを振り、思考を霧消させる。
クリスティンを抱えながら、馬車に乗った。
スプリングのきいた椅子にそっと彼女を横たえ、帰路につく。
◇◇◇◇◇
(そろそろ、目を覚まされているだろうか)
クリスティンを部屋に送り届けたあと、メルは再度彼女のもとへと向かった。
扉をノックする。
「クリスティン様、お目覚めでしょうか」
中から、彼女の返答があった。
「ええ、どうぞ」
入室すれば、クリスティンの顔色は先程より良くなっていた。
彼女は身体を起こし、寝台から降りる。
「アドレー様といるときに気を失ってしまって、あなたが運んでくれたのね?」
「はい」
メルは意識の戻った彼女に安堵しながら、アドレーの伝言を話した。
舞踏会についての言葉など伝えたくなかったが。仕方ない。
するとクリスティンは、愕然とし、ふるふると身を震わせた。
「! 舞踏会……! アドレー様とずっと過ごすことになるじゃない……!」
彼女は崩れおちる。
アドレーの愛は、クリスティンの心には残念ながら届いていなかった。
メルはアドレーを少々、気の毒に思う。が、過度にクリスティンに触れていた彼への同情心は一瞬で失せる。
「王宮に二日間滞在して、自室に戻って緊張が解けたわ」
恐れている婚約者と過ごし、彼女は疲労困憊だろう。メルは微笑んだ。
「お茶菓子をすぐにご用意いたします」
甘いものを摂れば、彼女も落ち着けるはず。
クリスティンに元気になってもらいたく、メルはお菓子とお茶を部屋へと運んだ。
テーブルに並べると、彼女は礼を言い、幸せそうにそれらを口にした。
笑顔でそんな彼女を見守る。
クリスティンの表情、しぐさ、眼差し──。
一挙一動、一瞬たりとも見逃したくはなかった。
一番傍にいて、彼女を最も理解できるのは、自分である。
信頼され、誰より気を許してもらえる存在でありたい。
この気持ちは、主君への忠義──。
──それだけではない──。
危険なものだという自覚は、ある……。
王太子がクリスティンに触れるのを許せないと感じるのは、結婚前だからか?
結婚後であれば許せるのか?
(──前だろうが、後だろうが……許せない──。──とてつもなく嫌だ……!)
こんなことを自分が思うのは、筋違いもいいところなのだ。
アドレーは彼女の婚約者で、自分は一介の近侍。
けれど……。
誰かが彼女に触れることを考えれば、気がおかしくなってしまいそうだった。




