34.気弱なアドレー
自分は断罪される悪役令嬢なのだ、百%ない、とは言い切れない。
「クリスティン様」
アドレーの宮殿内に入れば、メルがクリスティンに声を掛けた。
「私は廊下に控えております。何かあれば、すぐにお呼びください」
「ええ」
精緻な彫刻の入った白い扉。
アドレーの部屋だ。
扉をノックする。
「クリスティンです」
眠っていてくれれば、このまま帰れる。
「どうぞ入って」
が、室内からアドレーの返答があった。
クリスティンは、震えながら扉を開けて室内に足を踏み入れた。
「失礼します」
メルにも一緒について来てほしい。
が、彼は部屋の前で待つよう父から言いつけられている。
後ろ髪を引かれる思いで、扉を閉めた。
大きな部屋の天蓋付き寝台で、アドレーは半身を起こしていた。
「クリスティン」
クリスティンは室内を横切り、アドレーの傍に寄る。
「アドレー様。ご体調を崩されたとのことですが。お加減はいかがですか」
何より訊きたいのは、「さっきのはアドレー様の仕業ですか?」だった。
アドレーはこんこんと咳をした。
「ああ……少し熱があって。すまないね、舞踏会で君をエスコートするはずだったのに」
「……いえ、お気になさらないでくださいませ」
果たして尋ねてよいものか。
室内に視線を配り気配を探るが、刺客は潜んでいないようである。
ここにいるのは自分たちだけだ。
「あの……」
「なんだい?」
体調不良の彼は、気だるげだ。
眼差しは熱っぽく、害意は感じられない。
(たぶん……アドレー様によるものではないわね……)
クリスティンは直接会って、そう結論を出した。
襲撃者を放ったり、異空間に閉じ込めようとした様子は、彼から一切みられない。
本当に体調が悪そうだ。
「お身体を大切になさって、どうぞ、ごゆっくりお休みください」
アドレーは手を伸ばす。
「手を握ってはくれないだろうか」
「え……」
彼はふっと哀しげに目を伏せる。
「いや……体調を崩したせいか、少し心弱くなってしまって。嫌ならいいんだ……」
クリスティンは、躊躇したけれど、そっと彼の手をとった。
手を握るくらい、構わない。
「クリスティン……」
彼はクリスティンの手をぎゅっと握り返した。
「今夜は、私の傍についていてはくれない?」
「アドレー様、それは」
「駄目だろうか」
彼は横を向き、苦しそうに咳をする。
「……そうだね。私の傍にいれば、君にうつってしまうかもしれない」
憂いに沈みアドレーはそう言った。
さっきの出来事を報告するのは、今はやめたほうが良さそうである。
体調が戻ってからにしよう。
気弱なアドレーは余り見たことがないので、心配だった。
「お一人でお休みになったほうが、よろしいと思いますわ。わたくしがいることで、かえってアドレー様のお身体によくありません」
「いや、私は君がいてくれると、安らぐんだ」
彼は寝台から、じっとクリスティンを見つめる。
「幼い頃から婚約をしていた、最も心安らぐ相手だ。でも君にうつってしまったら、いけないね」
アドレーの声は力がなかった。
恋愛感情はないが、幼少時から知る相手。
(放っておけないわ……)
アドレーはゲームの攻略対象でメインヒーローであるため、クリスティンは前世の記憶が戻ってからアドレーを恐れてはいるが、彼を嫌いなわけではない。
「……わかりましたわ。傍についております」
彼は顔を綻ばせた。
「いいの」
「ええ」
「ありがとう、クリスティン」
彼の握る手が強くなる。
「あの、アドレー様……。外にメルがいますので、室内に入ってもらってもよろしいでしょうか」
するとアドレーから笑顔がすっと消えた。
「メル……?」
長い間、メルを外で待たせるわけにはいかない。
「クリスティン一人でと、公爵に念を押したのに……」
「え?」
「いや」
アドレーはクリスティンを、引き寄せた。
クリスティンは前のめりとなる。
「人が多いと疲れてしまうよ。君だけに傍についていてほしいんだけれど」