取引先には困らない
海中での戦闘をいくつかこなした俺は、疲労を感じたので陸に上がることにした。
自分の周りにある海水を水魔法で操作し、海岸へと進んでいく。
海水の中で機敏に移動するための魔法だ。他にも足の裏を起点にして水を噴射することで速度を出す方法なんかも考え付いた。
これで海の中での不便は大まかに解決できたと言っていいな。
長時間、海の中で戦闘や採取をやり続けた甲斐があったというものだ。
水魔法で海岸にたどり着くと、浮遊感がなくなって視界が一気に明るくなった。
それと同時にドッと身体が重くなる。
「おっと……ッ!」
ふらつきそうになるが何とか踏ん張って堪えた。が、足がプルプルと震えている。
どうやら長い間海中にいたからか予想以上に疲労が蓄積していたようだ。
海守の腕輪のお陰で水圧や温度とは無縁であったが、水流に逆らって進む必要はあったし、手足を大きく使って泳いで進んだりもした。
結果として水中で激しい運動をしていたということなのだろう。
海から上がって気が緩んだことで一気に疲労が押し寄せたようだ。
あまりの気怠さに砂浜に座り込んでしまう。
海守の腕輪への魔力供給を切ると、自身を包んでいた膜がなくなった。
前方には徐々に傾きつつある太陽の光が波に反射すてキラキラと輝いている。
海中にいたので暗さにすっかりと目が慣れていたので、その明るさに思わず目を細めてしまう。
しばらくすると目が光に慣れてきたようで、ようやく目を開けることができるようになった。
「本当に海って広いんだな」
今眺めている海は広く、大きく、果てしない。
つい、先程海中にいたのはその中の一部分でしかないのだ。
そんな世界がまだまだ続いていて、そこにはたくさんの生き物がいて素材が眠っている。
そう考えると、海の世界は無限のように思えるな。
小一時間程度休んでいると太陽が海に沈んで、空と海が茜色に染まっていく。
朝日とは違う夕日の美しさに見惚れそうになるが、ボーっとしていると夜になってしまう。
クラウスたちに海に出かけると言っている以上、あまり遅くなると無用な心配をかけてしまうかもしれない。
身体の疲労も落ち着いてきたことだし、名残惜しいが屋敷に戻ることにした。
リンドブルムの街は日が暮れかかっても賑わいを落とすことはない。むしろ、仕事を終えた漁師が夕食に繰り出しているせいか、より賑々しいものになっていた。
あちこちにガタイのいい男たちの集団がいて、俺なんかよりもよっぽど冒険者らしかった。
そんな人にぶつからないように大通りを抜けて階段を上っていくと、ちょうど空が薄暗くなった頃に屋敷にたどり着いた。
「すみません、ネルジュ様に帰還のご報告をお願いします。遅くなられたせいかご心配されていたようですので」
玄関に入り、そのまま自分の部屋に向かおうとするとメイドに引き留められた。
「失礼しました。ちょっと行ってきます」
「お願いします」
宿での一人暮らしが長かったせいで、帰ったら誰かに声をかけるという常識が欠如していた。
それにネルジュには海の世界の話をするという約束もしている。
正直、今すぐベッドに直行したい気持ちがあるが、ここはもうひと踏ん張りといこう。
「シュウさん、お帰りなさいませ」
「ただいま、戻りました」
「随分と遅くなられましたがお身体の方は大丈夫でしょうか?」
リビングに戻ると、ソファーに座っていたネルジュがすぐに立ち上がってやってくる。
その心配そうな声音と表情でメイドの言う通り、かなり心配していることがわかった。
「慣れない海で少し疲労はありますが、特に怪我などはしていませんよ」
「それならよかったです」
「ネルジュは大袈裟だ。レッドドラゴンやドボルザークを倒す男が、海の近海で怪我をするはずがないだろう」
ホッと息を吐くネルジュに書類の整理をしているクラウスが呆れたように言った。
「そうかもしれませんが、何があるかわからないのが海の怖さですよ」
「フン」
ネルジュの問答に付き合うつもりはないのか、クラウスは鼻を鳴らして書類に視線を落とした。
「まったく、お兄様は。もう少し友人であるシュウ様のことを気に掛けるべきです」
ネルジュはそう言うが、俺としては今更クラウスに優しくされても不気味にしか感じない。
俺が原因で兄妹の仲が不穏なものになってしまうのは心苦しいので話題転換を図る。
「まあまあ、それよりも海で採れた素材を見ませんか?」
「見たいです!」
こうなることが予想していたので談話室にたどり着く前に、マジックバッグからいくつかの素材を取り出していたのだ。
「……ここに置くといい」
ひとまず素材を取り出せる広いテーブルに向かおうとすると、クラウスがテーブルの上に散らばっていた書類を片付けてそう言う。
それはつまり自分も見たいからこっちに来いということだろう。
クラウスの妹であるネルジュもそれがわからないはずもなく、俺たちは顔を見合わせて笑った。
「……ふたりとも、なにを笑っている?」
「「いえ、別に」」
「……不愉快だ」
揃って返事すると、クラウスが眉間にシワを寄せた。
あまり笑ってやると可哀想なので、俺たちは速やかにクラウスのいるテーブルに寄る。
そして、海で採れたグラスガイ、ハンマーシャークの鱗、プチプチタケ、アクア鉱石、バルーンニードルの棘、キングロブスターの抜け殻、ハリボウなどの素材をテーブルの上に乗せた。
「グラスガイ、プチプチタケ、ハリボウ……どれも中々見つからぬ高級珍味だな」
ちなみにハリボウというのは、針の生えているウニのような生き物だ。身は美味しく食べられるそうだ。
グラスガイは透明で見つかりにくいし、ハリボウは岩陰に隠れている。
プチプチタケは海藻に紛れているので調査スキルがないとかなり見つけにくい。
「始めて海に入ったというのに、これほどの素材が採れたのですか!?」
「ええ、まあ。今日は色々とやることがあったので近海で少し採取しただけですが……」
本当はもっと採取をしたかったが、海中での動き方や戦闘方法を模索する必要があったのであまり採取ができていない。
「そんな短時間でこれだけの素材を……? お兄様がシュウさんを頼りにする理由がわかった気がします」
「ボーっとしているように見えるが採取の腕は中々だからな」
……なんだろう。褒められているようで褒められている気がしないな。
「ところでこの珍味はどうする? どうせ食べるのであれば、うちの料理人に作らせた方が美味いぞ?」
「料理人の腕を対価に相伴に預かる気か! 卑怯な!」
「フフフ、どれもお兄様の大好物ですからね」
ネルジュもこれらの食材を食べたいのだろう。微笑んでいるだけでクラウスを非難する様子は微塵もない。
適当に店で処理して料理にしてもらおうとしていたが、エキシオール家お抱えの料理人の腕がいいのは身に染みて理解している。
プロにやってもらう方が美味しく食べられることだろう。それに一人で食べるより皆で食べた方が美味しいし。
「わかった。ここの料理人に預けるよ」
「懸命な判断だ」
俺が食材を渡すとクラウスは嬉しそうにメイドに預けた。
メイドは一礼すると、すぐに部屋から出ていく。
料理人のところに持っていって夕食に出させるのだろうな。
「ところでシュウさん、グラスガイの貝殻を売っていただけませんか? これほど透き通っていて綺麗なものは珍しくて……」
「私はバルーンニードルの棘が欲しい。神経毒の分解実験をしたいのだ」
……この屋敷にいると素材の売買や料理で困ることはなさそうだな。
繋がりや信頼関係の築けていない店で売るよりも、よっぽど誠実だし儲かる。
ひとまず、海で手に入れた素材は町で売らず、屋敷に持って帰ることにしよう。




