クラウスの家
「着いたぞ。ここが私の家だ」
屋台通りから歩くことしばらく。
クラウスは閑静なエリアにある一つの家を指さして言った。
「ええ? 家っていうか屋敷ですよね?」
白塗りの見事な屋敷。そう、家ではなく屋敷なのだ。
港町の喧騒から離れ、遠くで高台すら見えるほど眺めのいい場所にある。
見事な庭園が広がっており、優雅に談笑するスペースがあるほど。
魔道具を使っているのか知らないが、どこからか水が流れていた。
定期的に庭の手入れを誰かがしているのは一目瞭然。
クラウスの育ちがいいことは何となく察していたが、どう見てもちょっとしたお金持ちが住めるようなものではない。
呆然としながら庭園を眺めていると、ひょっこりと年配の庭師が顔を出した。
「クラウス坊ちゃん! よくぞ、お戻りで!」
「まあ、クラウス坊ちゃま! お帰りなさいませ!」
「ああ、今戻った。しかし、私もいい歳だ。坊ちゃん呼びはやめてくれ」
庭師の男性が声を上げると、近くにいた他の庭師やメイドが耳にして、賑やかに動き始めた。
久し振りのクラウスの帰省を皆が歓迎しているようだった。
年配の人に坊ちゃん呼ばわりされて恥ずかしがっているクラウスが新鮮だ。
小さな頃から知られているが故に、クラウスも強く言えないのだろう。
「クラウス坊ちゃんは愛されておりますね」
「……お前、殺されたいのか?」
思わず坊ちゃん呼びをしてみると、殺意のこもるような視線が飛んできた。
クラウスの鋭い口調と合わせると中々の迫力であるが、日ごろ屈強な冒険者を目にしているだけあって、それほど怖くなかった。
「いやだな、クラウスさん。そんな怖い顔しないでくださいよ」
「くっ、アレがなければコイツをここに連れてこなかったというものを……」
俺が微塵も怖がっていないとわかったのか、クラウスは頭を押さえて何かをブツブツと言い出した。
何を言っているか知らないが、俺にからかわれたことが大層不満なことだけはわかる。
「……クラウス坊ちゃん、この方は手紙でおっしゃられていたお客人ですか?」
「まあ、そうだな」
「はじめまして、お世話になります冒険者のシュウと申します」
紹介される流れになったので、俺は名乗りを上げる。
「こりゃ、どうも。庭師のエンジといいます。いやー、坊ちゃんがお客人を連れてくるなんて驚いたもんだ」
「エンジさん、そんな所で立ち話していないで坊ちゃまとお客人を案内してください。奥様とネルジュ様がお待ちかねです」
感慨深そうにエンジが呟くと、屋敷にいるメイドが声をかけてきた。
どうやらクラウスの母さんと妹さんが待っているらしい。
「おっと、こりゃいけねえ。ひとまず、先に案内しますね」
エンジに案内されて庭園を抜けて、屋敷の中に入る。
屋敷の中には絨毯が敷かれており、とても広々としていた。
造りはグランテルの領主様の屋敷と似ているが、そちらに比べるとシャンデリアの造りも装飾品も若干華やかなものが多い。家主の性格なのだろう。
「クラウス坊ちゃんと、お客人がいらっしゃいました」
「入れてちょうだい」
玄関を通り抜けてエンジが扉をノックすると、中から品のいい女性の声がした。
エンジが扉を開けて、クラウスと俺が中に入ると広々とした部屋が広がっており、クラウスと同じ銀色の髪をした女性と少女がいた。
穏やかな笑みを浮かべている女性がクラウスの母さんで、物静かそうなセミロングの少女が妹さんだろう。
「はじめまして、この度はお招きありがとうございます。冒険者のシュウと申します」
「あら、ご丁寧な挨拶をありがとう。クラウスの母のソランジュ=エクシオールといいます。隣にいるのが娘であり、クラウスの妹であるネルジュよ」
「ネルジュといいます。遠いところからいらしてくださり、ありがとうございます」
ソランジュとネルジュはドレスの端を摘まむと、優雅な動きで一礼をした。
にしても、ソランジュは本当にクラウスの母親なのだろうか。
こうして見ていると、姉妹にしか見えない程若々しいのだが。
ネルジュの耳には俺が作って、クラウスが買った月をモチーフにしたイヤリングが付いている。
俺の視線に気付いたのか、ネルジュはイヤリングを軽く触って微笑んだ。
「綺麗なイヤリングをありがとうございます」
「こちらこそ、気に入っていただけて恐縮です」
わざわざこうして礼を言ってくれるとは作り手として嬉しい限りだ。
「にしてもエキシオールという家名がついているということは、クラウスさんは……」
「貴族だな」
特に悪びれる様子もなく、平然と言い放つクラウス。
「聞いてないんですけど?」
「あら、クラウス隠していたの?」
俺が抗議するように言うと、ソランジュさんも驚いたように目を見開いた。
「隠してなどいない。別に言う必要がなかっただけだ」
「グランテルではともかく、今は必要ですよ! 貴族の屋敷に向かうとなれば、それなりに心の準備とか手土産とか変わりますから!」
友達の家にお泊りしに行く……みたいな感覚できてしまった。
手土産にクレッセンカの蜜を渡そうと思っていたのだけどな。
「別にこちらが呼んだのだ。気にすることはないだろ?」
「クラウスさんは気にしなくても俺は気にしますから!」
なんてクラウスとやり取りをしていると、ソランジュとネルジュが呆然とこちらを見ていた。
「……あの、どうかしましたか? もしかして、私がなにか失礼なことでも……」
初対面の二人の前で、言い争いのような言葉はマズかったのだろうか?
冷や汗を流しながらおそるおそる尋ねると、ソランジュとネルジュはにっこりと笑った。
「いえ、クラウスとそのように仲良く喋る人は初めてで驚いたのです」
「お兄様、本当に仲の良いご友人ができたのですね」
お、おお、そうか。なんかちょっとクラウスが可哀想な奴に思えてきたが、彼の気難しい性格を考えるとソランジュたちの気持ちが理解できる気がする。
「……友人などではない。こいつとは依頼人と冒険者というだけだ」
「あら、となると冒険者であれば誰でも呼ぶのかしら? クラウスが中々戻ってこなくて私たちも退屈だから面白い方でも呼んでほしいわ」
さすがはクラウスの母さん。不機嫌になるから俺が突っ込まないところを敢えて、突っ込んでいく。
クラウスとまともに話せる冒険者なんて俺以外にいるわけないよ……。
「ええい、今はその話はどうでもいい! 手土産ならクレッセンカの蜜でいい。あれなら私は貰って嬉しいし、母上やネルジュも喜ぶだろう」
劣勢を悟ったのかクラウスは悔しそうにしながら強引に話題転換をした。
「お兄様の手紙に書いてあった美味しい蜂蜜ですね! わたし、気になっていました!」
クラウスの投げやりな言葉を聞いて、ネルジュが気を利かせてくれる。
なんていい子なんだ。
クラウスがこんな感じだから、家族の人も気難しいのではないかと思ったが大違いだった。
俺は手土産に持ってきていたクレッセンカの蜜を近くにいるメイドに渡し、それがネルジュの元に届けられる。
「綺麗な色ね。紅茶やお茶菓子に合いそうだわ」
「お昼の紅茶に是非入れましょう」
クレッセンカの蜜を眺めながら和やかに会話をする二人。
その表情を見る限り、気に入ってくれたようだった。
「よし、こちらの顔合わせは済んだな。次のところに行くぞ」
これ以上二人に追撃されたくないのか、クラウスは強引に俺の身体を押して進む。
ちょちょ、さすがにソランジュたちに挨拶なしで退室は失礼過ぎる。
「すいません、ひとまず失礼します!」
「シュウさん、後ほどアクセサリーの話をゆっくりお願いしますね」
クラウスのそんな行動にも慣れているのか、ネルジュたちは気にすることもなく手を振ってくれた。
部屋を出ると、クラウスはコツコツと廊下を歩き出す。
「次に挨拶するところってクラウスさんのお父さんですか?」
「いや、父は既にいない」
「すいません」
「気にするな。昔のことだし、この流れでお前がそう聞くのは普通だ」
思わずクラウスの顔を窺ってみるが、本当に昔のことのようでやり取りにも慣れているようだった。
「では、これから会う人は誰なんです?」
「リンドブルムの領主。ルーカス=アステロス様だ」
……はい?




