フェルミ村
都会のように建物は高くなく、電車も自動車も走っていない。地面はコンクリートじゃなく、ただの土。だけど、あちこちに緑が溢れている。
建物も人も密集しておらず長閑な雰囲気。
フェルミ村の人にとってはそれが日常でも、日本の都会に住んでいた俺からすれば、これらの光景は非日常だった。
外からやってくる旅人が珍しいのか、民家の前で談笑している村人や、畑で走り回っていた子供たちが好奇の視線を向けてくる。
とりあえず、笑顔で手を振ってみると村人や子供も笑って手を振り返してくれた。
よかった、外からきた旅人にも優しい雰囲気の村みたいだ。
村人の生活を眺めながら歩いていると、他の民家よりも大きな造りをした三階建ての建物が見えた。
看板にはベッドのマークが描かれており、見た事のない文字が記載されているが、フェルミ村の宿屋と読むことができた。
そういえば、ローランと普通に話せたし、文字だって読むことができている。
神様による異世界のサポートはバッチリなようだ。
宿屋の中に入ると受付台が目に入り、右に視線を向けると広いスペースがあり、テーブルや長椅子が並んでいることから食堂みたいだ。
恐らく食事はここで食べることができるのだろう。
しかし、受付には誰も人がいないな。テーブルにはベルが置いてあるので、これは鳴らして呼べばいいのだろうか。
「もしかして、お客さん?」
受付台にあるベルを鳴らそうとすると、後ろから声をかけられた。
振り返ると、そこには茶色い髪にそばかすが特徴的な十歳くらいの少女がいた。
「ああ、うん、そうだよ」
「お母さん、お客さーん!」
俺がそう答えると、少女は顔を輝かせるなり通りのいい声で叫んだ。
すると、ほどなくして二階の方から女性が降りてきた。
茶色い髪を後ろで括っている女性だ。同じ髪色に特徴的なそばかすまで同じなので間違いなく親子なのだろう。
にしても、年齢が若い。お母さんというよりも大学生のお姉さんくらいにしか見えないのだが……。
とにかく、この人が宿の女将なのだろう。
「見ない顔だね。外からきた旅人さんかい?」
「はい、さっきこの村に着いたばかりで。シュウといいます」
「あたしは、この宿の女将をやっているアンナさ。そしてこの子は看板娘のニコ」
「ニコです!」
アンナさんに紹介されて、元気よく言うニコ。
その元気いっぱいの笑顔を見ているだけで、ここまで歩いてきた疲れが癒される思いだった。
「部屋は空いていますか?」
「ああ、勿論空いてるよ。なにせ田舎の村だからね。お客がいることの方が珍しいよ」
そう言いながらも気持ちよく笑うアンナさん。
サバサバとしているからか、自嘲的なネタでも不思議と暗くならないな。
「じゃあ、泊まりたいのですが一泊いくらです? 銀貨五枚あれば十分に足りますか?」
俺の今の手持ちは銀貨五枚だ。これがこの世界でどれくらいの値段になるかはわからないが、神様が用意してくれた必要最低限のお金だ。三泊くらいはできるのではないだろうか。
「それだけあれば十日は泊まれるよ。うちは青銅四枚で一泊、さらに一枚追加すれば、朝食と夕食付きでお得さ」
なるほど、青銅貨五枚で食事つきか。うん、青銅貨の価値がわからないので何ともいえない。
「……あの、遠いところから来たので、ここの貨幣の価値があまりわかってないのですが教えてもらえますか?」
「一体、どんなところから来たのよ。無駄に丁寧な話し方といい、もしかして貴族?」
「いや、違いますけど……」
異世界人なんて言っても信じてもらえないので苦笑いしていると、アンナさんはため息を吐きながら貨幣を並べて説明してくれた。
意外と面倒見がいい。
アンナさんの説明を聞くと、この世界の貨幣は銅貨が十円、青銅貨が百円、銀貨が千円、金貨が一万円、白金貨が十万円という価値で、銅貨十枚で青銅貨一枚という感じだ。
「それじゃあ、食事つきで十日間お願いします」
色々と情報を集めたり、自分の力を把握したりで時間は必要だ。
ひとまず、十日くらい泊まって、それでも時間が足りなかったり、素材を集めたかったりすれば追加の宿泊を頼めばいい。
俺にはここに来るまでに採取した素材もある。それをどこかで売ればお金にもなるだろう。
そう思って俺はマジックバックから銀貨を五枚差し出す。
すると、アンナさんはそれを回収してエプロンのポケットに入れた。
「ニコ、お客さんを案内してくれ」
「はーい! シュウさん、付いてきてー」
アンナさんから鍵を受け取ったニコの背中を追って宿の二階へ。
一番突き当りの部屋にたどり着くと、ニコが鍵を差し込んで部屋を開けてくれた。
中に入ると、テーブルや椅子、ベッドといった最低限の家具が置かれていた。
だけど、意外とスペースは余っており広々としている。
前世で住んでいた一人暮らしのアパートの部屋よりも広い。
「ここがシュウさんの部屋だよ! 他にお客はいないから広めの部屋にしておいたよ!」
「ありがとう、のびのびと休めて助かるよ」
「食事は朝と夜の二回。昼も頼めるけど、その時は別で料金をもらうよ。何か質問はある?」
「あ、ここって風呂とかある?」
日本人としてこれはかなり重要だ。風呂があるのとないのとでは、大分心の持ちようも変わる。
「あはは、こんな田舎に風呂なんてないよ。身体を洗いたかったら銅貨一枚でお湯とタオルを持ってきてあげる」
ニコの言葉を聞いて俺はガックリと項垂れそうになる。
薄々感じてはいたが、どうやらここにお風呂はないようだ。
だが、まだ希望を捨ててはいけない。俺は藁にもすがる気持ちでニコに質問をしてみる。
「ち、近くに大衆浴場とかは……?」
「ないよ」
ニコの容赦のない言葉に俺はついに崩れ落ちた。
ああ、そうかぁ。ここには風呂はないのかぁ。
「あ、でも、大きな街や王都に行けばあるよ」
「おお、本当!?」
「う、うん。シュウさん、よっぽどお風呂が好きなんだね。なんか変わってる」
おっと、必死過ぎたからだろうか、ニコが若干引いている。
でも、これは仕方のないことだった。お風呂が大好きな日本人だからな。
やはり、異世界でもお湯の中に入ってさっぱりしたいから。
お風呂のことを詳しく聞いた俺は、その後ニコに宿の注意事項を聞く。
物は壊さないでといった当たり前のことや、シーツを昼前に取り替える時間だの。特にそれらにおかしな点はなかったので素直に頷いておく。
「はい、これで説明は終わり! 他に何か聞いておきたいことはある?」
「あっ、森で手に入れた素材があるんだけど、この村で買い取ってくれるところはあるかい?」
フェルミ村にやってくるまでに採取した素材の数々。これらをいくつか売って、お金にできたらと思う。それなりの値段になったらいいな。
「それなら近くの雑貨屋さんが買い取ってくれるよ。よかったら、案内しようか?」
「ありがとう。それじゃあ、早速と言いたいところだけど、一休みしてからでいい? ちょっと疲れちゃって……」
魔物を避けながらはじめての人里に降り、安全な場所にやってきてホッとしたら疲れが押し寄せてきた。
雑貨屋さんに行って素材を売るよりも、今は目の前にあるベッドに寝転びたい。
「わかった。私は宿にいるから行きたい時になったら声かけて! 絶対だよ?」
部屋を出ようとするニコが振り返って念を押すように言う。
その様子からしてよっぽど付いてきたいらしい。
まあ、俺を案内するという口実があれば、宿で仕事をしなくても済むだろうしな。
「わかった。絶対に声をかけるよ」
「それじゃあ、後でね!」
俺がそう言うと、ニコは嬉しそうに笑って扉を閉めた。