毒袋の採取
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お気に入りのコートを水魔法で洗って、土魔法で服かけを作ってそこに掛ける。
神様に貰ったコートだけあって、とても着心地が良くて気に入っている。
コートは乾かして使いたいので、火球をいくつにも分裂させてより乾かしやすいようにする。魔法の訓練を繰り返す内に、こういう細かい魔法の使い方がスムーズにできるようになってきた気がするな。
女性陣はまだ少し時間がかかっているようなので、俺はマジックバッグから魔道コンロを取り出し、温かい飲み物の準備をすることにする。
すぐに着替えたとはいえ、少し身体が冷えた感じがするからな。
薬缶でお湯を沸かすとクラウスから貰ったフツの葉を急須で煮だしておく。
「お待たせしました」
「着替え終わったぞ」
煮だしたお茶をそれぞれのコップに注いでいると、ちょうど着替え終わったルミアとレイルーシカが戻ってきた。
ルミアは同じような衣服の色違いを着ているが、レイルーシカは俺の簡素な私服を着ているのでイメージがガラリと変わって新鮮だ。
「では、土壁を崩しますね」
役割を全うした土壁を解除すると、窮屈さはなくなった。
広々とした場所でも大きなオブジェクトがあると圧迫感を感じるからな。
「私の衣服もかけさせてもらおう」
「どうぞ」
レイルーシカも濡れた衣服をかけて乾かす。
分裂させた火を微調整し、彼女の衣服も乾かしやすいようにしておく。
「衣服の収納をお願いします」
「わかりました」
「すみません、私でも収納できればそうするのですが……」
「気にしないでください」
濡れた衣服を申し訳なさそうに渡してくるルミア。
神様から貰った俺のマジックバッグは、防犯上の都合で俺以外に取り出しができない仕様なので、俺が受け取って収納する必要があるのだ。
他のマジックバッグがどうなっているかは知らないが、信頼した人くらいには自由に出し入れできるようにしておくべきだったかもしれない。
「温かいお茶を用意しましたよ」
「ありがとうございます」
「何からなにまですまない」
ルミアとレイルーシカはスライムシートの上に座ると、二人はゆっくりとコップを傾けた。
「身体が内側から温まります」
「初めての味だな。これはなんというお茶だ?」
既に味を知っているルミアはホッとしたような表情を浮かべ、レイルーシカは不思議そうに目を瞬かせていた。
「フツの葉のお茶ですよ。リンドブルムという港町の近くに自生している植物のようです」
「なるほど。世の中には変わった味のお茶があるものだ」
そのように教えると、レイルーシカはしみじみと呟きながらコップに口をつけた。
俺もチビチビとフツの葉のお茶を飲む。
雨に打たれ、ひんやりとした空気に包まれているが温かいお茶のお陰で内側から温まる。
ザーッと降り注ぐ雨の音を聞きながらホッと一息。
特に誰も喋ることはない。強い雨音だけが響き渡る。
だけど、不思議とこの静かな時間は嫌いではなかった。
ルミアもレイルーシカもこの静けさを楽しんでいるようだ。
「さて、昼食の前に毒沼蛙の解体を済ませてしまうか」
皆がお茶を飲み終わると、レイルーシカがスッと立ち上がった。
「それもそうですね」
今すぐにゆっくりと休みたい気持ちもあるが、先にやるべきことを済ませた上で休みたい。
ルミアも異論はない様子なので、俺はマジックバッグから回収した毒沼蛙を取り出した。
「毒沼蛙の毒袋はどの辺りにあるんでしょう?」
「それなら知っている。私が解体の仕方を教えてやろう」
「お願いします」
調査スキルを使えば、毒袋の位置や解体の仕方はわかるだろうが、経験者がいるのであれば教えてもらうのも悪くはない。
「良かったら、ブラックスライムの手袋を使いますか? 抗酸、抗毒作用があるので安全ですよ」
「そんな便利なものがあるのか。是非、借りさせてもらおう」
ルミアの提案に頷くレイルーシカ。
俺はマジックバッグから予備のブラックスライムの手袋を取り出すと手渡す。
レイルーシカは手袋をはめると、横たわった毒沼蛙をごろんと転がして仰向けにした。
毒々しい表皮をしているが、お腹側はとても綺麗な真っ白だ。
肉感がとても出ておりとても柔らかそうだ。指で突いてみたい。
「食用の沼蛙なら首元から刃を入れて皮を剥いてやるのが定石だが、毒沼蛙の肉は手間がかかる上にあまり美味しくない。他に有用な素材もないし、毒袋を採取するだけで問題ないな?」
「はい、それで問題ありません」
ルミアの言葉に同意するように俺も頷いた。れ
仮に食べられたとしても沼シャコの鮮度のことや降り注ぐ大雨のことを考えると、悠長に肉まで採取している場合ではなかった。
しかし、その前にどうしても試しておくべきことがある。
「「でも、その前にお腹を突かせてください!」」
「……あ、ああ、そうか。なら存分に突くといい」
俺とルミアの口から同時に発せられた言葉に、レイルーシカは戸惑ったような顔をしながら頷いた。
これだけぷよぷよとした腹肉があるんだ。突かずにはいられない。
手袋をきっちりと装着している俺とルミアは、肉感のある腹肉を指で突く。
指が深く沈み、そして押し返される感触。
「すごいもっちりとした腹肉ですね!」
「ぷよぷよ! ぷよぷよですよ! スライムの弾力にも劣らない心地良さです!」
土の中で相当な栄養を蓄えているのだろう。毒沼蛙の腹肉はもっちりとしていて、突くと気持ち良かった。
「普通のヒキガエルと違って、質感がかなり柔らかいですよね」
ルミアがたぷたぷとお腹を撫でながら唸ってみせる。
フェルミ村の畑にいたヒキガエルや、道中で見かけるカエルなどは腹側の質感がとてもザラザラとしていた。それらの個体と毒沼蛙の腹肉はまったく質感が違う。
「恐らく、湿地帯に住んでいるからですかね。ここではほぼ年中が雨で乾燥に悩まされることもないですし、乾燥に強い肌を手に入れる必要がなかったのでは?」
普通のカエルが一番に恐れることは乾燥だ。しかし、ここは乾燥とはほぼ無縁の場所であり、そういった弱点を補うための進化は必要としなかった。だから、このような質感になったのかもしれない。
「なるほど、その可能性は大いにありますね!」
俺の考察に対してパンと手を叩いて頷くルミア。
「……そんなこと考えたこともなかったな。二人は生物学者のようなことを考えるのだな」
そんな俺たちの様子を見て、感慨深く呟くレイルーシカ。
「こういう動物や魔物の生態や素材について考えることが好きなので」
普通の人であれば、こんなところまで考えはしないだろう。良い意味で俺とルミアは変わり者だ。
「二人とも満足したか? 悪いがそろそろ解体に入りたい」
「すみません、よろしくお願いします」
俺たちがそう言うと、レイルーシカは躊躇うことなく柔らかな腹肉にナイフを突き立てた。
思わず「ああっ!」という声が漏れそうになるが、俺とルミアは全力でそれを堪えた。
レイルーシカはナイフを動かし、首元から股の辺りまで掻っ捌く。
ぱっかりと皮を開くと中には黄色っぽい内蔵がいくつも見えていた。
「毒沼蛙の毒袋は左腹部にある」
そう言いながら小さな内蔵をかき分けるレイルーシカ。
そこには片手に収まるくらいのサイズの毒袋があった。
「おお! これが毒沼蛙の毒袋なんですね」
「思っていたよりも綺麗ですね」
紫色のプルンとした質感を持つ袋。水風船のような弾力と柔らかさを持っていそうだった。
「毒袋は肉壁に付着している。本来ならナイフで接着面を優しく切ってやる必要があるが、ブラックスライムの手袋があるなら――」
片手で周囲の内蔵をかき分けて、肉壁から優しく毒袋を引っ張り出すレイルーシカ。
毒袋が一切傷つくことなく、綺麗な状態で取り出された。
「このように手で引っ張り出してやれる。これで毒沼蛙の毒袋の採取は完了だ。後は丁寧に布で包んで専用のケースに入れればいい」
【毒沼蛙の毒袋】
毒沼蛙の毒袋。
袋状になった器官で、毒沼蛙が捕食した毒成分を蓄え、強力な酸性毒が製造される。
毒液が染み出してくるので素手で触るのは危険。
鑑定してみると、きちんとこれが毒袋である情報が出てきた。
クラウスや欲しがっていた毒性素材の一つであり、ルミアの課題素材の一つだ。
「私は特に必要としているわけじゃないのであげよう」
「ありがとうございます」
レイルーシカから毒袋を受け取り、清潔な布で丁寧に巻いてやる。
それからブラックスライムの皮で加工された専用のケースに入れ、マジックバッグに収納した。
「二人もやってみるか?」
「「やってみます!」」
レイルーシカに言われた俺とルミアは即座に頷いた。
せっかくの機会だ。やらないと損であろう。
こういった経験に慣れているルミアも解体に怯む様子は微塵もないようだった。
マジックバッグから追加で感電死した毒沼蛙を取り出す。
レイルーシカがやったようにゴロンと転がして仰向けにし、柔らかな腹肉を縦に掻っ捌く。
学生の時にカエルの解剖実験をしたことはあるが、これだけ大きいと解体している感がすごいな。
ぱっくりと開いた入り口を広げると、片手で内蔵をかき分けて左腹部にある紫色の毒袋を探す。
「あれ? 見当たらないな?」
「たまに隠れて奥にある個体もある。腸の後ろを探してみるといい」
「あっ、ありました」
レイルーシカに言われて、腸を押しのけて探すと見つかった。
「ゆっくりと丁寧にだ。毒液が漏れてしまえば、ダメになってしまう」
「は、はい」
肉壁に付着したひだを丁寧に手で切り離し、毒袋を丁寧に掬いだすようにして持ち上げる。
すると、手の平にプルンとした毒袋が乗った。
「よし、成功だ」
「ありがとうございます!」
この毒沼蛙は毒を吐いていなかったからだろうか。ずっしりとした重みを感じた。
付着した体液を拭うと先程と同じように布で巻いてケースに入れる。
そして、マジックバッグに収納すると採取完了だ。
「私も採取できました!」
ルミアの方も無事に採取ができたようだ。手の平に毒袋を乗せて喜んでいる。
毒袋を手にして喜んでいるというのは中々にシュールな光景であるが、俺たちにはこれが平常運転だった。