テラフィオス湿地帯
クラウスの指名依頼を受けて三日後。
予定通りである必要なアイテムが完成したので俺はそれらを受け取り、軽く確認した上でルミアと共にテラフィオス湿地帯に向かった。
グランテルから馬車で南に一週間。俺たちはテラフィオス湿地帯にやってきた。
「ここがテラフィオス湿地帯か……」
視界一面に広がる果てしない沼地を眺めながら俺は呟いた。
少し前に雨が降ったのか地面はぬかるんでおり、あちこちで水たまりができていた。
ラビスが教えてくれたように菌類であるキノコが倒木などに豊富に生えている。
「いつ雨が振り出してもおかしくない天気ですね」
傍にいるルミアが空を見上げながら呟く。
今でこそ雨は降っていないが、頭上には分厚い雲が空を覆っていた。
年中のように雨が降ってるこの地域なので当然か。むしろ、雨の降っていない中、たどり着けたのはむしろ幸運だろう。
「やっぱり、足場が悪いですね」
少し歩いてみるとぬかるんだ地面に靴が深く沈み込む。泥が靴にへばりついてきて、まるで錘をつけているかのようだ。
それに土に含まれている水分のせいで、あっという間に靴が湿った。このまま歩き続ければ、間違いなく水浸しになるだろう。
「対策した靴に履き替えましょう」
「そうですね」
このためにルミアが作ってくれた靴がある。
マジックバッグに収納していたそれを二人分取り出した。
「ルミアさんが作ってくれたスライム靴です」
「ありがとうございます!やっぱり、マジックバッグがあるととても便利ですね!」
マジックバッグから取り出した靴を見て、ルミアが目を輝かせる。
ルミアにはマジックバッグのことを打ち明けているので、今回の旅では遠慮なく使える。
そのお陰で俺たちは最小限に荷物でありながら、最大限に荷物でやってこられたのである。
スライム靴を履いて、元の靴を収納すると適当に歩いてみる。
「うわっ、すごく歩きやすい!」
ルミアの作ってくれた靴で歩くと、泥に足がとられることもなくスタスタと歩ける。
「よかったです。ちゃんと機能しているようで」
「泥の中でも歩きやすいのは裏のスパイクのお陰だとわかりますけど、泥や水を弾くのはどうしてなんです?」
「それは靴の表面をスライムの皮でコーティングしているからです。実はスライムの皮は水だけでなく、泥なんかの付着物を弾く特性があるんです! 他に用意しているレインコートにもスライムの皮が使われていますよ!」
「なるほど。スライムの皮にそんな使い道が……」
素材として採取することはあっても、そのように素材を加工して道具にする発想は俺にはないので、ルミアには素直に尊敬の念を抱くばかりだ。
「とはいえ、この靴にも限界はあります。長時間水没していれば濡れてしまいますし、底なし沼に入ってしまえば沈んでしまいますので注意してください」
「わかりました。過信しないようにします」
ルミアの忠告を聞いた俺は、しっかりと頷いた。
何事も絶対というものはない。いい装備があるとはいえ、迂闊なところには近づかないのが賢明だろう。
「それじゃあ、雨が降っていない今のうちに進みましょうか」
「はい」
雨が降ってしまえば、探索速度は落ちる。
そうなる前にできるだけ進むのがいいだろう。
互いに考えは一致しているので、俺とルミアは沼地の中を進む。
今のところ周囲に魔物はいないし、魔石調査にも反応しない。
俺たちが歩く度にパシャパシャと水を弾く音だけが響き渡る。
「……とても静かですね」
ルミアが歩きながらポツリと呟く。
俺も全く同じようなことを思った。
森の中であれば、もう少し生き物の息遣いを感じるものだけど、ここにはそれらがあまり感じない。
調査スキルの反応からして、
「魔物の気配はありませんが、一応は小さな生物はいるようです。しかし、皆が気配を沈めていますね」
「大人しい性格をした子が多いんでしょうか?」
ルミアらしい可愛らしい判断にクスリと笑ってしまう。
「恐らくは、この土地で生き抜くために磨いた習性なんだと思います」
「そうだとすれば、念入りに周囲を警戒しないといけませんね」
俺の言わんとすることがわかったのか、ルミアが警戒感を強める。
気配を消すのが上手いということは、奇襲をしかけるのも得意ということだ。
単純な力勝負を仕掛けてくるとは限らないということを頭に入れておく必要があるだろう。
ここに生息する生物は一癖も二癖もある奴が多いようだしね。
「あっ! ドクドクキノコです!」
念入りにスキルで周囲を警戒していると、ルミアが前方を指さした。
そこには太い倒木があり、びっしりと紫色のキノコが生えている。
【ドクドクキノコ】
テラフィオス湿地帯で主に生えているキノコ。
ドクドクしい紫色の傘をしており、根元となる軸が太い。
食性に適さないキノコである。直接触ると、手が荒れる。
食べると三十分ほどで嘔吐、下痢、腹痛などの消化系の中毒症状が現れる。
また神経系の中毒症状である、縮瞳、発汗、めまい、痙攣、呼吸困難などを発症する。
解毒剤や解毒ポーションを早めに服用すれば、三日程度で回復する。
鑑定していると、ドクドクキノコについての詳細が出てきた。
「さすがは毒性素材……鑑定で出てくる情報がおっかないです」
「毒キノコですからね」
素材の説明を見ているだけで怖いと思うのは久しぶりだ。
この沼地にはこんな素材ばかりが溢れているのか。
「これもサフィーさんの課題の中にあるリストですか?」
「いいえ、基本的な課題素材はシュウさんが採取するものと同じです。ですが、研究材料として、できるだけ多くの毒性素材が欲しいので!」
「なるほど」
「採取した素材の保管をシュウさんにお任せになってしまうんですけど、いいですか?」
こちらの様子を伺うようなルミアの瞳。
「任せてください。思う存分採取するためのマジックバッグですから。荷物になる心配はいりませんよ」
「やった! ありがとうございます! 一度、荷物を気にすることなく、思う存分採取したいって思っていたんです!」
力強く許可すると、ルミアはその場で飛び跳ねて喜ぶ。
「やはり、採取していると一度は思う願望ですよね!」
「ですです!」
この悩みは採取をしていると誰もが思う願いだ。
採取に集中できることは勿論、道程を安全に進むことができる。
なんでもたくさん採取すればいいものではないが、荷物量を考えて採取することを断念することほど悔しいものはないからな。
しかし、マジックバッグがあれば話は別だ。荷物になることを考えなくてもいいし、鮮度についての問題も解決だ。存分に採取に励むことができる。
「では、ドクドクキノコの採取――の前に、手袋をしましょうか」
「そうですね。素手で触ると肌が荒れてしまいますから」
マジックバッグから黒い手袋を二人分取り出すと、俺たちはそれぞれの手に嵌める。
「これがブラックスライムの皮ですか。スライムの皮が使われている靴とはまったく質感が違いますね」
ぴっちりと手を覆い、吸着してくる感じだ。
指を動かすとギシギシとしたラバー生地のような音が鳴る。
「ブラックスライムはスライムの亜種ですから。まったく質感が違うんです。ファイヤースライムやアイススライムの皮にもそれぞれ違った特徴があって面白いですよ」
「へー、スライムも奥が深いですね」
なんて会話をしながら、ブラックスライムの皮を加工した手袋でドクドクキノコに触れる。
太い軸をしているが根元に力を入れると、スムーズに採取することができた。
ルミアもグランテルの森で経験を積んで慣れたのか、俺の様子を伺うことなく根元からむしり取っていた。こういうのは慣れれば、最善の採取法がわかるというものだ。
二人で採取したドクドクキノコは、木箱に入れていく。
この程度の毒性素材であれば、専用の採取ケースに入れる必要もない。
倒木に生えているドクドクキノコを俺とルミアは、ドンドンと採取していく。
表側の採取をルミアに任せて裏側に回ると、ドクドクキノコとは色合いの違う赤いキノコが見えた。
【アカテングタケ】
真っ赤な傘に白い小さな斑点模様が特徴的。
食べると五分から十分でめまい、寒気、悪寒、震えなどの神経症状が発生し、多量に摂取する幻覚、幻聴、異常な興奮などが出る。
味は中々に美味であるが、毒を含んでいるために食用には適さない。
「おっ、こっちの裏にも違う毒キノコが生えていますね」
「……赤いキノコですね。これは見たことがないです」
事前にサフィーからレクチャーは受けていたようであるが、このキノコに関しては知らないらしい。まあ、毒キノコといっても何百種類があるだろうし、すべてを説明するのは難しいか。
鑑定内容を纏めて説明すると、ルミアは小さなメモを広げるとペンでササッと書いた。
「ありがとうございます。知らなかったので勉強になります!」
「メモはもういいんですか?」
「後は帰りの馬車でゆっくりとすることにします。今は採取に集中したいですから」
「わかりました。じゃあ、どんどん行きましょう」
「はい!」
十分な数のドクドクキノコとアカテングタケを採取してマジックバッグに収納すると、俺とルミアは次の素材を探すために足を進めた。
『異世界ではじめる二拠点生活』
3月30日に書籍1巻が発売です。
よろしくお願いします。
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