朝の相席
「シュウ、お帰りにゃ!」
早朝に猫の尻尾亭に戻ってくると、ミーアが出迎えてくれた。
「ただいま。随分と早起きなんだね」
まだ日が昇ったばかりなのにバンデルさんや、ミーアをはじめとする従業員たちはキッチリと朝から働いていた。
さすがに朝が早いからか、朝食を食べているお客はまだいない。
「いつもはもう少し遅いんだけど、今日は目が覚めちゃったにゃ」
そう言いつつミーアの視線が俺の抱えているケースへと移動する。
あー、大好物のサラビがくるってことで目が覚めたんだね。
ミーアだけじゃなく黒猫系獣人であるクロイも、掃除をしながらもチラチラと視線を向けてきていた。気になるんですね。
「おお、よく戻ってきた。どこも怪我はなさそうだな。夜の森はどうだった?」
獣人たちの仕草を微笑ましく思っていると、厨房にいたバンデルさんがやってくる。
「魔物の数が増えていて大変でしたが、夜にしかない素材なんかも採取できて楽しかったです」
「はは、夜の森に単身で向かって楽しかったとは大したもんだ」
素直に感想を告げると、バンデルさんが豪快に笑った。
はじめは魔物が活発化することで緊張していたが、意外と何とかなるものだ。
まあ、行ったこともない場所でいきなり夜に採取に行くのはリスクが高すぎてごめんであるが。
「それでサラビの方はどうだった?」
「どのくらい獲れたにゃ?」
バンデルさんに便乗してミーアが鼻息を荒くして尋ねてくる。
俺は両肩に掛けていたケースをテーブルの上に置き、蓋を開けてあげた。
「ざっと二百二十匹獲れました」
「にゃにゃあ! 二百二十!?」
ケースにぎっしりと詰まったサラビを見て、ミーアがこれ以上ないほど興奮した声を上げた。
そして、おずおずとサラビを手に取ると、恍惚とした表情を浮かべる。
「サラビがこんにゃにもたくさん! 夢のようにゃ!」
よっぽどサラビが好きなんだな。顔が見たことないくらいに蕩けている。
「簡単に捕まえられるとはいえ、短時間でこれほど捕まえてこれるとはな……」
クルタロスやナイトビートルの採取に夢中にならなければ、もっと捕まえられたのだがそれは秘密にしておこう。
これぐらいの数でも十分過ぎるみたいだし。
「結構な数を獲ってきちゃいましたけど大丈夫ですか?」
「ああ、全部きっちりと買い取らせてもらおう。そうしないと俺が恨まれる」
百匹も獲れれば十分という話だったが、その二倍もの数を獲ってきてしまった。
金銭的な心配をしたがどうやら問題なく全部買い取ってくれるそうだ。というか、ミーアやクロイが剣呑な空気を醸し出しているので、買わないといけないのだろうな。
バンデルさんはサラビを数えると、それに見合った金額の報酬を渡してくれる。
金貨一枚と銀貨二枚が手に入った。ただの小魚にしては高いのは、夜の環境下でしか手に入らないからだ。
「はぁ……日頃の仕事を軽く労うつもりが思った以上に高くついたぜ」
「そんにゃことはないにゃ! サラビを食べてアタシたちは、これからも元気に気持ちよく働けるにゃ!」
「従業員のケアは大切ですからね」
「まあ、そうだな」
従業員が気持ちよく働けるように考えて、実行するバンデルさんは実にいい人だ。
前世でもこんな優しい上司がほしかったものである。
なんてぼんやりと考えていると眠気が急に押し寄せてきた。
依頼を達成して気が抜けたのだろうか。どっと疲労が押し寄せてきた。
昼寝をしたとはいえ、睡眠時間が足りなかったようだ。
「では、俺は眠いので部屋に戻ります」
「おお、ありがとな! サラビ料理を食いたくなったら声をかけてくれ。いつでも作るからよ」
「ありがとうございます」
「にゃんにゃら、シュウも慰労会に参加するかにゃ?」
「誘ってもらえて嬉しいけど夜は先約があるから……」
「にゃあ、それは残念にゃ」
本当は特に予定を入れていないのだが、やはり従業員だけの飲み会に参加するのは少し気が引けてしまうからな。バンデルさん以外は皆女性だし。
「では、失礼します」
慰労会なのだから気の置けない者同士で飲むのが一番だ。
俺は欠伸をかみ殺しながら階段を上って、自室のベッドにダイブした。
◆
「シュウ、昨日はありがとにゃ!」
翌朝、食堂に降りてくるとミーアが元気のいい声で迎えてくれた。
ご機嫌そうな表情と声音から、昨日の慰労会が楽しかったらしい。割と遅くまで元気のいい声が響いていたが、疲労が残っている様子はない。獣人の体力と若さだろうか。
「英気が養えたようで何よりだよ」
「また食べたくなった時は頼むにゃよ」
「賄賂かな? まあ、ありがたく受け取っとくよ」
頼んでもいないのに果実水を置いてくれたので、俺はありがたく受け取っておく。
ちょうど飲みたかったし。
まだ俺の分のサラビはあるようだし、朝食もサラビに合わせたメニューにしようかな。
「すみません、相席いいですか?」
「あ、はい。構いませんよ――って、ルミアさん!」
声をかけてきて対面の席に座った少女はルミアだった。
驚きの声を上げる俺を見て、ルミアは悪戯が成功したかのような笑顔を浮かべていた。
「リンドブルムの方はいいんですか?」
ルミアとサフィーは海底神殿の調査で残っていたはずだ。帰ってくるにはもう少し時間がかかると思っていたが。
「はい、そちらの方は師匠のお知り合いの専門家がいらっしゃったので。私はそこまで力になれることがないので先に帰っていいと師匠に言われて……」
少し気恥しそうに言うルミア。
まあ、知識が物をいう調査だ。ある一定の知識がなければ戦力にならず、遊ばせておくのも勿体ないから帰還させたということか。
「それでルミアさん一人で戻ってきたのですか?」
「いえ、冒険者の方に護衛を頼みましたよ。さすがに一人では不安ですから」
よかった。サフィーも年頃の少女を一人で返すほど鬼畜ではなかったようだ。
「そうでしたか。ルミアさんも無事に帰ってこられたようで何よりです」
「お店は明日から開店しますのでよろしくお願いしますね」
「二人とも何を食べるか決めたかにゃ?」
俺とルミアの会話が一段落ついたところでミーアが尋ねてくる。
そういえば、ずっと話し込んでいて何も頼んでいなかった。
「まだ俺の分のサラビって残っています?」
「あるにゃよ」
「よかったら、ルミアさんもサラビを食べますか?」
「え? いいんですか?」
「ええ、たくさん獲りましたので」
俺がそう言うと、ルミアはぱあっと表情をほころばせて頷いた。
「では、是非!」
「ということでサラビ料理を二人前でお願いします」
「わかったにゃー」
ミーアに注文をすると、彼女は尻尾を振りながら去っていく。
「サラビって夜行性ですよね? 夜に街の外に出たんですか?」
ルミアがサラビの捕獲について尋ねてきたので俺は、夜の森の様子や夜だけにしか採れない素材なんかを話した。
相変わらず女の子とするような話ではないかもしれないが。それでもルミアは興味深そうに話を聞いてくれた。
「いいですね。夜の素材採取。星空が写り込む湖も見てみたいです」
さすがに依頼とはいえ、年頃の少女と二人きりで素材採取で行くのは憚れるな。
ともあれ、散々話を語っただけに放置もできない。
「機会があれば行きましょう」
「はい、是非ともお願いします!」
曖昧な言葉を言ってみたが、ルミアは瞳を輝かせて返事した。
あれ? これ真に受けている感じかな? 社交辞令的な感じで流せたと思ったんだけどどうだろう?
「はーい、サラビ料理にゃー」
なんて悩んでいると、ミーアが朝食を持ってきてくれた。
「おっ、揚げたんだ」
「わあ、美味しそうですね」
今朝のサラビ料理は揚げ物だ。
カラリとした茶色い衣を纏っており、とても美味しいそうだ。
傍らには切れ目の入ったコッペパンと海藻と玉子の入ったスープがある。
早速、俺が渡したお土産を使ってくれているようだ。
「挟んで食べるといいにゃよ」
「お魚をパンにですか?」
おお、やっぱりそうか。フィッシュサンドといったところか。
俺はコッペパンに添え物のレタスとサラビを挟み、レモンを軽く搾る。
ルミアは戸惑っていたようだが俺の真似をするようにサンドイッチを作り上げた。
完成したところで互いに食べ始める。
「うん、美味しい!」
サクッとした衣の食感。そこから漏れ出すサラビのジューシーな脂身。味はワカサギのフライに似ている。
食べ進めると少し脂身が強く感じるが、水っ気のあるレタスと搾ったレモンが見事に調和させていた。濃い旨味がパンととてもよく合う。
「すごい! お魚もパンに合うなんて思いもしませんでした!」
ルミアはパンと魚で食べるのは初めてだったみたいだが、気に入ったようで小さな口をしきりに動かして食べていた。
さっき旅から帰ってきたばかりでお腹が空いていたのか、いつもより食べるペースが早い気がする。
あまり人が食事しているのをジロジロと眺めるのも失礼なので、俺も自分の食事に集中。
海藻と玉子のスープは非常にシンプルであるが美味しかった。
海藻から出汁が出ている分、塩をほとんど入れる必要がなかったのだろう。優しい旨味だ。
「貴重なサラビをありがとうございます」
あっという間に朝食を食べ終わると、ルミアがぺこりと頭を下げた。
「気にしないでください。一人よりも二人で食べた方が美味しいですから」
ルミアが思い出したかのように「あっ」と言葉を漏らした。
「そういえば、クラウスさんが三日ほど遅れて帰還するとおっしゃっていました。店を再開させるので、街にはいてくれと」
「わかりました」
まあ、一週間以上追加で滞在したのだ。そろそろネルジュやソランジュも満足しただろう。
クラウスが帰ってくる日は、大人しく街にいることにしよう。