海底神殿に潜む魔物
「騙された!」
延々と続く石造りの神殿の中で俺は叫ぶ。
サフィーに乗せられて未知の素材を探すべく、海底神殿の中に入ってみたが素材のその字もない有様だ。
海底神殿の中は海水で満ちており、住み着いた魚がいるだけで摩訶不思議な素材のひとつもありやしなかった。
西洋の神殿そのもので礼拝堂や広間、渡り廊下などが延々と続くだけだ。
「騙されたとは心外だな。あたしはまだ見ぬ素材があるかもしれないと言っただけだ。素材が確実にあるだなんて名言した覚えはない」
「ぐぬぬぬ、確かにそうかもですが……」
素材があると期待して入った分、ガッカリ感は拭えない。
冷静に考えれば建造物の中に素材などあるはずもなかった。
中にあるのは神殿の内部に相応しい彫像や調度品、朽ちた家具の数々くらい。
素材を出汁にして、まんまとサフィーにはめられたようだ。
「ま、まあ、こうして内部を探索するのも楽しいじゃないですか。私たちの知らない昔の文明が垣間見えることですし」
落ち込む俺を元気づけようとルミアが前向きな言葉を言う。
壁面には古代の文明を示す壁画などが描かれているようであるが、歴史研究者でもない俺からすれば興味のそそられるものではなかった。
ましてやここは俺の住んでいた世界とは違う異世界。
過去の出来事について何も知らずに転移してきた俺は、サフィーやルミアの歴史話になにひとつ付いていけないのだ。
とはいっても、いつまでもウジウジしていても仕方がない。
「そうですね。最初に言っていた通り、観光だと思って楽しむことにします」
そう、素材採取ではなく、当初の目的のように観光だと思えば悪くないだろう。
ルミアに励まされた俺は気持ちを切り替えて、神殿を探索する。
「この神殿にはたくさんの礼拝堂がありますね」
今、俺たちがいる場所は礼拝堂だ。
神殿の中を進んでいるが、いくつも見かけている。
「大きな神殿ですからね。ここを訪れる人が多かったのか、あるいは色々な宗派が入り混じっていたのかもしれません」
「他の宗派まで入っているなんていいのですか?」
「私は信者ではないので規律について詳しくはないですが、一つの神殿で複数の神を信仰する場合もあるようです」
考えられるのは、その方が運営と資金繰りがしやすいということだが。
そのような事を考えるのは無礼なような気がしたので、これ以上考えないようにした。
「あれ? サフィーさんは?」
ふと周囲を見渡すとサフィーがいないことに気付いた。
「師匠なら前にいますよ」
ルミアの指先を辿ると、礼拝堂の先にある廊下にサフィーはいた。
「サフィーさん、あまり先行し過ぎないでくださいよ」
「ああ、すまん。つい、興味深いものが多くてな」
なんて呑気な返答をするサフィー。
彼女にとって海底神殿は好奇心を大いに刺激するもののようだった。
内部を観察する眼差しはとても真剣なのだが、警戒心が抜けているように見えて危なっかしい。
神殿の内部とはいえ、ここは海の底だ。何が潜んでいるかわからない。
念のために魔石調査で周囲を警戒すると、金色に輝くシルエットが一瞬見えた。
そして、そのシルエットの一部である細長い物体が猛然とこちらに飛来している。
「サフィーさん! 危ない!」
「師匠!」
俺とルミアにできたのはそう叫ぶだけ。
次の瞬間、渡り廊下の奥からの伸びてきた触手がサフィーを拘束した。
ライトボールで照らしてみると、赤茶色くて大きな吸盤がいくつも見えた。
もしかして、巨大なタコの足? だとすると、サフィーがヤバい。
触手はそのまま奥へと引きずり込もうとするが、バチバチと紫電が迸った。
「ッ!?」
焼き焦がされた触手はサフィーを解放して、速やかに廊下の奥へと引き返していく。
その引き際の良さが主の狡猾さを表しているようで気味が悪かった。
どうやら調査にギリギリまで引っかからない位置に潜伏していたようだ。
って、今はそんなことよりもサフィーの安否だ。
「サフィーさん、大丈夫ですか!?」
「ああ、咄嗟にアイテムを起動させたお陰で無傷さ。シュウ君、礼を言うよ」
ルミアと共に慌てて駆け寄ると、サフィーは無傷だった。
手の中には黄色の水晶が砕け散っている。
一体、どんな原理で触手を退けたのだろう。
「これは魔封水晶といって魔法を込めることができるんだ。それを砕くことで詠唱や魔力を使うことなく、いつでも魔法を放つことができる。緊急時の自衛アイテムさ」
「なるほど、それは便利そうですね」
さすがは錬金術師、いいアイテムを所持している。
「中々に高級品で作るのに時間がかかるから、そういくつもあるものじゃないがな。ちなみにルミアも持っている」
サフィーがそう言うと、ルミアもポケットからちょこんと翡翠色に染まった水晶が出てきた。
先程のサフィーの水晶とは色が違う。
「ちなみにこちらはどんな魔法が?」
「ウインドストームという風属性の上級魔法です」
「起動させれば風の刃が荒れ狂い、周囲にあるものは塵になるな」
どうやらかなり物騒な魔法が込められているらしい。
これは俺が下手に護衛しようとするよりも離れた方がいいかもしれない。
「シュウさん、露骨に離れないでください!」
「あくまでこれは緊急用だ。そう使用するものじゃない」
「そ、そうですか」
サフィーの言葉にルミアが同意するように頷いているので一応信用する。
さっきの雷もすごかったからな。話を聞いて巻き込まれるのではないかと思ってしまった。
「それにしても、さっきの魔物は一体……」
「恐らく、クラーケンだろう」
「……そうみたいですね。鑑定でもそう出ています」
【焼け焦げたクラーケンの吸盤】
足元には先程の触手についていた吸盤の残骸が落ちていた。
先程の魔物がクラーケンであるのは間違いない。
「クラーケンって危険度Sの魔物じゃありませんでしたっけ?」
ルミアが不安そうに言う。
クラーケン。前世でも伝承が残っている海の怪物だ。
その姿は大きなタコだったりイカだったり、ヒトデだったりと多岐に渡るが、船を転覆させて人を食べてしまうと恐れられていた。
先程の触手を見るに姿は巨大なタコのようだ。
触手だけで軽く何十メートもあった。全体の大きさなど想像したくもない。
「実際は海の中という環境を加味してSだから実際にはA程度だ」
「AでもSでも危険なのに変わりはないんですけど!」
「なんだ? レッドドラゴンを倒した者とは思えない弱気な発言だな?」
「あれは成り行きで別に討伐を狙ったわけじゃないんです」
「成り行きでレッドドラゴンが倒せるわけないだろう。まったく、シュウ君は変な奴だ」
いや、確かにそうかもしれないけど、これは神様のお陰であって……ああ、ダメだ。そんなこと言えないし、この人は真面目に話を聞いていない。
さっき奇襲を受けたのはサフィーなのに、どうしてこうも危機感が足りないのだろうか。
「ひとまず、神殿の調査は打ち切って撤退しましょう」
俺がそう言った瞬間、後方の地面から触手が突き出てきて出口を崩した。
唯一の出口が瓦礫塗れになると、触手は満足したのか速やかに去っていった。
まるで盗聴していたかのようなタイミングの良さだ。
この光景を俺はデミオ鉱山でも見たことがある。
「…………」
「これでどうやって撤退する?」
「む、無理ですね」
クラーケンは神殿の内部、あるいは地下に潜んでおりそこから長い触手を伸ばしてきているのだろう。
ここから逃亡しようにもそれをかいくぐる必要があるわけで、室内で延々とそれを躱しながら出口までたどり着ける自信はちょっとない。
「クラーケンを倒して出るしかありません!」
ルミアが声を震わせながらも決意を露わにする。
「やるしかないようですね」
自分よりも年下の少女が覚悟を決めているというのに、年上の俺がいつまでもビビッていてはカッコが悪い。
俺も腹をくくってそう決意する。
「レッドドラゴン、ドボルザークと続いて次はクラーケンか! シュウ君といると退屈しないな!」
ええ、本当に。今回はイカれた魔物と出会わないと思っていたんだけどね。
俺はただのんびりと素材採取をしていたいだけなのに。