世界が怖かった日
僕は、ぼくが思い描いていた人生を歩めなかった。
僕は、ぼくが理想としていた人間にはなれなかった。
僕は、ぼくが自身を認めることのできる何者には在れなかった。
僕は、ぼくを裏切った。
一.
目覚まし時計が存在証明するかの如くがなり立てるので、僕はベッドの海から漸く顔を出した。暫くはそのまま動かなかった。動こうとしなかった。動いてしまうと、また一日が始まってしまう気がした。そのまま目の前をしんと舞う埃を眺めていると、祖父の呼ぶ声が聞こえた。朝食の用意が出来たみたいだ。
また、今日が始まる。
そう独り言ちて、まだうまく働かない頭を励ましながら、ベッドから漸く離れた。
「散歩に行こう」
朝食を済まし、寝起き一杯のコーヒーを嗜む僕に祖父はこう言った。大して面白くもないニュースを寝惚け眼に映していた僕にとってそれは有難いことでもあったが、同時に落胆することでもあった。祖父の日課である散歩は、些細な変化はあるものの、多くは変わり映えのないことで、小さな変化にも気づかない程疲れ切った自分にとっては、つまらないものとなっていた。「つまらない」と感じることで、日課が「ノルマ」と化し、よりつまらないものとなってしまう、この悪循環で足が重くなるのだった。
しかし、こんな退屈な作業の中でも、有意義に感じられるものがあった。歩きながら思考に耽るのだ。祖父との会話は一つ、二つ。他に聞こえるのは鳥の囀りや、猟銃の発砲や、先程蹴った石ころが川に沈む音ぐらいだ。この環境ならば、思想を深めたり、空想の世界に飛び込んでみたりと好き勝手出来る。脳内では僕は自由なのだ。どんなに大変なことをしたって、糾弾するものはいないのだ。僕自身を否定するやつは此処には存在しないのだ。
そして、今日も心の海に身を委ねる。足は一歩一歩。歩を緩めずに。されど心は議会の準備で慌ただしく。
あいつはそんな僕をじっと見つめていた。
※
抑も、僕は病気なのだろうか。
医者は僕をうつ病と診断した。否、正しくは冬季うつ病だそうだ。春が来れば治るさと言っていたが、果たしてこのもやもやとしたものが消え去ることはなかった。診断され、薬を処方されたらそれはもう、うつ病なのかも知れないけれど。
病院に行く前、僕は散らかった部屋で、ぼう、とテレビを眺めていた。カーテンは閉め切ったまま。部屋の電灯はずいぶん前に切れてしまっていた。カビ臭い部屋では食事をとるのも嫌気がさし、食べに行こうにも金が無かった。いや、外に出るのも嫌だったのだ。誰とも話す気になれなかった。大学の友達は心配する旨のメッセージを送ってくれたが、やんわりと断っていた。大学には行けなかった。怖かったのだ。唯一残された僕にできることは、寝ることぐらいだった。このまま死んでしまえたらとカーテンで遮られた星に願い、埃臭いタオルケットを身に纏った。
窮地に立たされた僕を引きずり上げたのは、両親だった。電話に出ない僕が心配になり、独り暮らしをしているアパートまでやってきたのだった。部屋の惨状を見て、母は嘆息した。途端に申し訳ない気持ちになった。ここで終わりにしないといけないと思った。消えてしまいたい気持ちを必死に隠して、大学には時間通り出かけ、講義には出ずに、図書館で時間をつぶし、時間通りに帰宅する。
「今日は行けた?」
心配する母が顔を曇らせるのが怖くて、嘘をついた。
「今日は行けたよ」
そんな日を繰り返すうちに、だんだんと母の存在が疎ましく思えた。憂鬱な気持ちを抱えて帰宅しても、母が常に部屋に居座っている。気持ちを吐露することはできない、母を悲しませるから。涙を流すことはできない、母が額に手を当てるから。まるで、本当の気持ちをさらけ出すことを禁じられているみたいだった。鬱屈した気持ちに耐え切れなく、母を拒絶した。母は悲しんだ。
母を実家に帰してしばらくした頃。僕はロープを手にしていた。世界を恨んだ。世界が怖かった。金もなく、大学にも行かず、母を傷つけた僕は、生きることは許されないと思った。ロープに輪を作り、首にかけ、ドアノブに引っ掛けた。少しずつ体重を掛けるうちに、かつての絶望は生への執着へと変わっていった。僕はロープを首から外した。死ぬことが怖くなったのだ。
「死にたくないけど、生きていたくはなかった」