第九十六話「悪辣な指示!」
ここ暫く大人しくしていたゾフィー達は昨晩ヘレーネにお叱りを受けた。さっさとフローラをいじめて追い出せというのはいつもの通りだったがその方法がないと言った時にヘレーネに言われた手段を思い出し、さすがのゾフィー達も顔を青褪めさせる。
「ねっ、ねぇ……、本当にやるの?」
「今更何を言っているのよ!昨晩のヘレ……、お嬢様のお話を聞いていたでしょう!?」
危うく首謀者の名前を出しそうになって慌てて口を噤み言い換える。指示をしているヘレーネがいくら狡猾で悪知恵が働こうとも実働部隊であるゾフィー達が間抜けならば何の意味もない。こうしてそういう所からボロが出てくるのだがそういう所まで徹底出来ていないのがヘレーネの甘さでもある。
「だけどあの娘……、何かおかしいよ……」
「そうね……。私達にあれだけ詰め寄られても一切動じないなんて普通じゃないわ……」
一人の弱気が伝播するように皆が次第に不安そうな声に変わっていく。今まで自分達にいじめられて泣きを入れなかった者など存在しない。普通なら初日で決着がついたはずだ。この五人の家に逆らえる者などそうそういない。多少格上の家ですらこの五人を同時に相手にするのは無理だと判断して妥協して折れるのが普通なのだ。
それなのにあの娘は……、フローラ・シャルロッテ・フォン・カーザースはこの五人でどれほど脅しても涼しい顔をしてまるで堪えた様子がない。
実家の力関係でいえばこの五人の方が確実にカーザース辺境伯家より上だと思っている。今まで自分達に屈しなかった者など存在しない。
でも本当にそうなのだろうか?もし本当にそうなのであれば何故あの娘はあれほど平気で堂々としていられるのだろうか?
もしかしたら……、カーザース辺境伯家は自分達が思っている以上に凄い何かがあるのではないか。そんな不安が五人の頭をよぎる。
普通なら世間を知らない田舎者だから自分達五人とカーザース辺境伯家の実力差も理解出来ていないのだと笑う所だろう。しかし今フローラは王都に住んでいるのだ。王都に住んでいてカーザース家の立ち位置や自分達五人の立ち位置を理解しないだろうか?
フローラが中央政界に疎いという線は低い。何しろルートヴィヒの許婚なのだ。中央政界での力関係も十分分かっているはずだろう。それなのにその中央政界でも権勢を誇る自分達に屈しない。
最初はルートヴィヒの後ろ盾があると思って強気なのかと思った。しかしそうではないことがわかったのだ。あの娘はルートヴィヒに対してですらその態度を変えない。媚を売り阿るわけでもない。例え相手がルートヴィヒやルトガーであろうと毅然とした態度を崩さないのだ。
それに何より……。
「それに……、あの娘が本気で怒った時、私とても怖かったわ……」
「私も……」
教室の扉の前で取り囲んだ時、フローラは初めて五人に対して怒りを見せた。それまではどんなことをしようとも穏やかに笑って受け流していたフローラが怒った時……、五人はフローラを怖いと思った。
実際にはフローラからすると怒ったというほどのことでもなかったのだが、それでも五人には十分に恐怖を与えたのだ。そもそもこの五人はあそこまで怒りや敵意を向けられたことがない。自分達の優位を笠に着て相手を這い蹲らせてきたのであってあそこまで怒りの感情を向けられたことすらなかったのだ。
フローラは中央政界での自分達のことを知っているはずだ。それなのに自分達を恐れない。そして自分達はカーザース辺境伯家や辺境伯領について何も知らない。もしかして自分達の知らないとんでもない何かがあるのではないか。カーザース辺境伯領とはただの田舎ではなく何か恐ろしいものなのではないのか。五人をそんな不安が襲う。
「だけど……、いいえ、だからこそやらなくちゃならないのよ。覚悟を決めましょう!」
「……うん」
ゾフィーが発破をかけても皆のテンションは低いままだった。昨晩のことを思えば誰もが気が重い。昨晩のやりとりを思い出す。
………………
…………
……
今日も夜遅くに集められた五人はヘレーネの前で直立不動のまま冷や汗を流していた。
「貴女達!一体何をしているの!手を緩めて遊んでいないでさっさとあの娘を追い出してしまいなさい!」
ヘレーネに怒鳴られた五人は少しだけ視線を動かしてお互いに目配せし合う。あの日、教室の出入り口の前でフローラに凄まれてから五人はフローラへの嫌がらせを控えていた。ただ単純にフローラが怖いから怖気づいただけであり控えている理由は他にはない。
「はぁ……、本当に私が指示してあげないと何もまともに出来ないのね……。いいわ。それならば私が指示してあげます。明日は学園で初めて魔法の実技の授業があるわね。その時に『うっかり間違えてフローラの顔に火の魔法が飛んでしまう事故』が起こるかもしれないわ。わかるわね?」
「そっ、それはっ!?」
ヘレーネの言葉に五人が動揺する。今まで五人は些細な嫌がらせをしてきたことはあるが人に直接危害を加えるようなことはしたことがない。ましてや女性の顔を焼こうなどという恐ろしいことなど考えたことすらないのだ。
散々いじめを行なってきた五人ではあるが少し嫌がらせをして脅して言う事を聞かせてきただけで相手は勝手に屈服してきた。それがまさかそのようなことにまで手を染めるとは思ってもみなかったことで恐ろしさのあまり震え出す者もいたのだった。
「あら?どうしたの?あくまでそういう事故が起こるかもしれないと言っているだけよ。それにどうせ貴女達は大した魔法なんて使えないのでしょう?確か……、エンマの手下に魔法が得意な子がいたわね。昔にいじめて屈服させた……、ジーモ……、そう!確かジーモン・フォン・ロッペだったわね。彼なんて確か魔法が得意だったわよね?」
「うっ……、あっ……」
そう言われたエンマはカタカタと震える。自分がジーモンに指示してやらせなければならないと言われているのだ。
魔法の実技の授業は一組と二組合同で行なわれる。三組と四組も合同だ。二年生以上になると高度な授業になるので一人の教員で二クラスも見れなくなり一クラスずつの授業になるが、一年生の間は内容も扱う魔法も簡単なものなので二クラス合同となっている。そもそも魔法の教員が足りていないために合同になっているというのもあるが……。
ジーモン・フォン・ロッペは二組でも下から数えた方が早いくらいの家格の者ではあるが合同授業なので一緒に魔法の実技を行なうことになる。
ジーモンの実家であるロッペ侯爵家は領地も小さくそれほど力はない。昔少しヘレーネがジーモンを気に入らないという理由だけでゾフィー達五人にいじめられて屈辱的な目に遭わされた上にエンマの手下として屈服させられるという恥辱を受けた。以来ジーモンはエンマに指示されたら断れない使いっパシリをさせられている。
「わかったのかしら?」
「うっ……、うぅっ……、はいっ!わかりました!明日ジーモンはもしかしたら事故により女の子の顔に火傷を負わせてしまうかもしれません!」
一応腹を括ったエンマはそう言い切った。それを聞いてヘレーネはニヤリと顔を歪める。
「そう。良い子ね。ふふふっ、あはははっ、あはははははっ!」
………………
…………
……
昨晩のヘレーネの様子を思い出して五人は身震いする。確かにフローラに恐れをなしたのは事実だがそれよりもヘレーネの方が怖い。だからヘレーネに逆らうことは出来ない。そもそももうここまで来てしまった以上はヘレーネと五人は一蓮托生だ。最早後戻りする道はない。こうなればヘレーネが上に立つ手助けをするより他に自分達の安寧な生活などないのだ。
「……いくわよ」
「「「「…………」」」」
ゾフィーの言葉にも全員言葉少なにゾロゾロと移動を開始したのだった。
~~~~~~~
校舎裏の人目につかない所に呼び出されたジーモンは突き飛ばされて校舎の壁に激突するとそのままズルズルとへたり込んだ。
「いいことジーモン?貴方、今日の授業で魔法を失敗しなさいな」
「……は?」
何を言われているのか意味がわからない。魔法の得意な自分が良い成績を取らないように魔法を失敗しろと言っているのだろうか。そう考えたジーモンの予想ははずれだとすぐにわかった。
「良く聞きなさい。今日貴方は魔法の実技授業で魔法の制御を失敗するわ。その魔法はうっかり辺境伯家のご令嬢に命中してその顔に火傷を負わせてしまうかもしれない。だけど貴方が気に病むことはないわ。魔法は危険なものですもの。そういう『事故』もたまには起こるわよね?」
「そっ、それはっ!」
ジーモンの心臓がドクドクと脈打つ。激しく鼓動を打っているはずなのに頭からは血の気が引いて呼吸が浅くなり頻繁に繰り返される。この五人は……、一体何を言っているのか。言っている内容はわかっている。この学園に今は辺境伯家のご令嬢は一人しかいない。もう一人の辺境伯家の者は男だ。『辺境伯家のご令嬢』は一人しかいない。
この五人がフローラをいじめていることはジーモンも知っていた。知ってはいたが、まさかそんなことまでしようと思っているなんて思いもよらなかった。それも自分がそんなことをしなければならないなんて……。例え事故として処理されたとしても自分は一生重い罪を背負わなければならなくなる。
「ジーモン、ロッペ家の次男である貴方が事故を起こしても家は安泰だわ。だけどあのことが表沙汰になれば貴方だけではなくロッペ家も潰れることになる。どちらが良いかよ~く考えなさい」
「うっ……」
ジーモンが握られている弱味が世間に知られればジーモンのみならず実家のロッペ侯爵家そのものが潰れてしまう。ジーモンには選択肢はなかった。
そして……、ジーモンにそう言いながら強気に迫っているエンマもまた実は内心では震えていた。これでもう取り返しがつかない。成功しようとも失敗しようともこれでもう自分達が人に危害を加えるようなことをしようとしたという事実は永遠に消せない。
ただだからといって無様に震えている所をジーモンに見せるわけにはいかない。もしそんな姿を見せてしまったらジーモンも言う事を聞かないだろう。だから例え虚勢であろうともいつも通りの態度で偉そうに指示しなければならないのだ。
「そうだね……。今日僕は魔法を失敗するかもしれない。その時はよろしく頼むよ……」
「ふふっ、わかれば良いのよ。わかればね」
こうして……、舞台は整ったのだった。
~~~~~~~
運命の魔法実技の授業の時間。それぞれ思いを胸に秘めて授業を受ける。ヘレーネはこれから起こることを思って笑みを浮かべ、五人はただただ恐怖に震え、ジーモンは死を覚悟する。
これから起こることが事故として処理されたとしても自分はカーザース辺境伯家によって殺されるかもしれない。実家とカーザース家の力関係から言えばそんな大事故を起こした自分を実家は庇うまい。あっさりカーザース家に身柄を引き渡された自分は死ぬより辛い目に遭わされた上で殺されるかもしれない。
仮にカーザース家がそのようなことをしなくとも自分はもう一生表舞台に立つことはないだろう。魔法を失敗して高位貴族のご令嬢の顔を焼いてしまったような者などこれから先何の仕事にも就けない。そんなへぼな魔法使いを雇う雇い主などいないだろう。
それでも……、自分のせいでロッペ侯爵家を潰させるわけにはいかない。覚悟を決めたジーモンは自由に魔法を放てるようになるその時を待つ。
座学では魔法の講義を受けているので実技では簡単な説明の後に各自がターゲットに向かって実際に魔法を放つことになっている。皆がそれぞれ思い思いにターゲットに魔法を放つことになるのでその時が唯一のチャンスだ。
フローラはゾフィー達の計略で一組の端の方のターゲットしか使えないようにされている。ジーモンはなるべくフローラに近いターゲットを使えるタイミングを待つ。フローラに一番近いターゲットが空いた瞬間にすかさずそこを確保したジーモンは運命の一発を放つ。
得意の火の魔法の詠唱を唱えたジーモンは正面のターゲットではなく左隣のフローラの横顔目掛けてその魔法を放った。
「……火の精霊よ、我が魔力によりてその力を現し給え、火球!」
ソフトボールほどもある火の球がフローラの顔に向かっていく。そんなもので顔を焼かれたら一生消えない大火傷を負うだろう。一年生でこれほどの魔法を使える者など他にいない。初めて魔法を使う他の生徒達など精々火魔法ならライターの灯火くらいのものだ。
ジーモンの行動を監視していたヘレーネと五人組はついに放たれた魔法に見入る。ニヤリと笑う者。目を瞑る者。何も考えられずただガタガタと震える者。様々な反応を示す者達がいる中でその火の球は……。
「ふっ」
「……え?」
「「「「「「…………え?」」」」」」
突然クルリと火の球の方に顔を向けたフローラが『ふっ』と息を吹きかけると火の球が消えた、ように感じた。まさか本当に息で吹き消せるわけがない。ジーモンの魔法の腕は間違いなく本物だ。学園でも数年、あるいは十年に一人の逸材とも言える。そんなジーモンの魔法が息を吹きかけただけで消せるような柔なものであるはずがない。
しかし今紛れもなく飛んで行った魔法はフローラの前で掻き消えてしまった。そして少し思案したような顔をしたフローラがジーモンの方へと近づいてくる。
「ひっ、あっ……、ごっ、ごめんなさい!」
咄嗟に謝ったジーモンの前に立つとニッコリ笑ったフローラが口を開いた。
「誰にでも失敗はあると思いますが気をつけてくださいね。他の子が怪我をしたら大変です。そんなに魔法に自信がないのなら私の隣で練習してください。私なら何かあっても大丈夫ですから。ね?」
穏やかな笑顔でそう言われたジーモンはその場で崩れ落ちてへたり込んだのだった。




