第九十四話「夢のシチュエーション!」
クラウディアが騎士クラウディオとして練兵場で訓練をしていると入り口からひょっこりと顔を出した人物がいた。
「皆さん精が出ますね」
「フロトッ!?」
ここにいるはずのない人物にクラウディオは驚く。トコトコと練兵場内に入って来たフロトにクラウディオは見惚れた。
長い髪は邪魔になるから頭の上で巻いてお団子にしている。その髪型も可愛い。服装は騎士爵の正装を身に纏っているけど上半身はかなりフワリとしたマントで隠されていた。恐らく豊満すぎる胸を少しでも隠すためにフワリとしたマントで覆って隠しているのだろう。
フロトが女のフローラであると知っているクラウディオが見ればいくら押さえつけていてもその胸が不自然に膨らんでいることなどすぐにわかる。しかし何も考えずに遠くから見ていればただフワフワしたマントを纏った騎士爵の正装を着た優男に見えなくもない。
「クラウディオは休憩中かい?」
「え?あっ!うっ?おっ?」
自分の横に腰掛けたフロトに急にそんな言葉をかけられてクラウディオはどう答えて良いかわからなかった。クラウディオが考えていたことは『男装しているフロトも可愛い!』ということと『このままフロトを押し倒したい!』ということだけだったのだ。そんな煩悩に塗れたことしか考えていなかったので急に話しかけられても何と答えて良いか咄嗟に浮かばなかった。
近衛師団師団長のホルストがやってきてフロトと会話を交わす。何故か流れで百人組手することになりクラウディオはフロトを止めた。
猛者揃いの近衛師団の団員達を百人も相手に出来る者なんてそうそういない。クラウディオが近衛師団に入ってから実際に百人組手をやり遂げたという者など見たこともないのだ。それがこんな綺麗なお嬢様であるフロトが出来るはずがない。
それなのに……、あの細腕のどこにそんな力があるのかと思うような出来事が目の前で起こった。明らかにフロトより圧倒的に体格の良いアドンの一撃を片手で軽々受け止めたのだ。アドンの腕力はクラウディオも認めている。剣技に関してはまだまだ荒いがその力は本物だ。それをフロトの細腕一本で受け止めるなんて悪い夢でも見ているとしか思えない。
そして剣が壊れたからと戻ってきたフロトが持ってきていた包みを解くと出て来た剣を見てクラウディオは息を飲んだ。その剣の厚みは一体どれほどあるというのか。肉切り包丁のように厚く太い剣は見るだけでも重厚そうだった。
遠くから見ていても目で追えないほどの速さで駆け抜けたフロトが剣を一振りしただけで分厚いアドンの大剣がへし折れ、鎧を着込んだ大男であるアドンが何mも空を舞う。何の冗談かと思うほどに空を飛んだアドンはそのまま地面に落下した。フロトの剣を受けた時点で気を失っていたアドンは受身など取れるはずがない。
さらに信じられない光景は続く。アドン以上の怪力と言われるサムソンの鉄球を打ち返したのだ。それだけでも驚くべきことだが打ち返された鉄球と一緒に巨漢のサムソンまで吹っ飛ばされて壁まで飛んでいき激突。そのまま気絶してしまったのだった。
もう何が何やらわからない。にっこり微笑んでいるフロトの笑顔は相変わらず可愛いはずなのにまるでそこに化け物でも佇んでいるかのような錯覚に陥る。
そのあと三十人目くらいまでは一人一人かかっていっていたが一合もまともに打ち合うことなくフロトに吹き飛ばされていく様を見てホルストは方針を転換した。
「あとはお前ら全員でかかれ。どうせ残り全員でかかっても打ち合いにもなるまいよ」
投げやりにそう言ったホルストの予想は当たる。というより誰でもわかる簡単なことだった。今までのフロトの戦いぶりを見ていれば残りの全員がフロトを取り囲んで一斉にかかっても勝負にもなりはしない。
「囲め!」
「一斉にかかれ!」
「後ろをとれ!」
ゾロゾロと六十数名がフロトを取り囲む。しかしフロトに慌てた様子はない。ただ静かな表情で佇んでいた。
「五人以上で一斉にいけ!」
「死ねぇ!」
前後左右あらゆる方向から近衛師団の猛者達が殺到してくるというのにフロトに大きな動きはなかった。ただ剣を振るうたびに人が空を舞い悲鳴が響き渡る。まさに阿鼻叫喚の地獄絵図。最精鋭とすら言われる近衛師団が数十人がかりでたった一人に一太刀ですら浴びせることが出来ない。
あれよあれよという間に六十数人もいた近衛師団達は全員地面を舐めることになったのだった。
「あれ?これで終わりですか?まだ九十七人ですよ?あとはホルスト師団長とクラウディオが相手をしてくれるんですか?」
「は?いやいや!僕はお断りだからね!」
冗談じゃない。フロトの夜のお相手は是非したいがこんな馬鹿げた訓練の相手なんて御免蒙る、とばかりにクラウディオは即座に断った。
ここにいる団員達は比較的新しく入って来た者達ばかりでほとんどはクラウディオよりも後輩だ。クラウディオは本来女性ではあるがそこらの男になんて引けを取らない実力を持っている。今この場にいる団員のグループの中でもトップクラスの実力者だ。
それでもクラウディオはフロトに一太刀ですら浴びせられるとは思えなかった。大の男数人がかりで打ち合っても押し負ける力。遠くから見ていても見失うほどの速度。まるで舞いでも踊っているかのような優雅な動きでありながら実戦的でいかに効率的に敵を殺すかに特化したかのような武技。勝てるかどうかどころか勝負にすらならないことなど明白だ。
「うむっ!俺も今は訓練の後で疲れているからな!絶対にお断りだ!」
ホルストもクラウディオに続いて断る。ホルストも負ける勝負はしない性質だ。団長として団員達の前で無様は晒せない……。というのは建前でたた単純に殴られたら痛いからやりたくないだけだがそれは言わない。
「あぁ……、そう言えばそうですね。私は学園が終わってから来ましたから、いつもなら午後の訓練が終わった後ですもんね。皆さんお疲れだからこんなに動きが悪かったのでしょうか」
フロトはプロイス王国一厳しいと言われている近衛師団の訓練が終わった後だったから皆疲れてヘロヘロだったのかと判断した。しかしそんなことはない。確かに訓練の後で疲れてはいたがそんな次元ではなかったのは誰の目にも明らかだ。
フロトの剣は異様過ぎる。力も速度も剣技も何もかもが常識はずれで常人がいくら束になった所でまともに打ち合うことすら出来ない。一体どんな訓練を積めばこんな人間が出来上がるというのか。厳しい訓練に明け暮れる近衛師団が赤子の手を捻るより簡単にやられるということは、日頃のフロトの訓練が常軌を逸したものであることは想像に難くない。
「うおおっ!何じゃこりゃ!」
「どうなってんだ?」
「新人どもが全員死んでる?」
「先輩方……」
クラウディオが呆然と練兵場を眺めていると巡回警備から戻った先輩団員達が戻ってきた。今戻ってきたのはフロトが近衛師団に入団した頃以前からいるようなベテランばかりだ。ここに残って訓練をしていたのは比較的新しく入ったフロトの後輩達ばかりである。
「げっ!あれはもしかして!」
「あぁ!うっすら面影がある!」
「「「「「俺達でも泣いて逃げ出す地獄の特訓を十歳にして軽々こなしてた化け物小僧だ!」」」」」
叙爵されてから訓練に参加するようになっていたフロトは近衛師団の訓練を軽々こなしていた。それを見てムキになったホルスト師団長がどんどん訓練の内容を増やしていったためにその時期の近衛師団の訓練は常軌を逸したものになっていた。
先輩団員や同期団員達はほとんど全員がついていけず、辛うじてついていけていた者も毎日ヘトヘトになっていた。そんな地獄の訓練を軽々とこなした挙句自主訓練までしてからクラウディオと一緒に悠々と帰って行く化け物小僧としてフロトは当時の団員達に恐れられていた。
その化け物小僧の面影を持つ人物が死屍累々の練兵場にいれば嫌でも昔のことを思いだしてしまうのだ。
「ヒイィッ!」
「逃げろ!」
「俺達までやられるぞ!」
戻ってきたばかりの先輩団員達は急いで逃げ出そうとした。しかし世の中はそんなに甘くない。
「お前達、逃げられると思っているのか?さぁ!あいつと百人組手だ!」
自分が戦うことを回避するためにホルストも必死で門の前に立ち塞がり残りの団員達をフロトとの訓練に送り込んだのだった。
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それから僅かな時間の後、練兵場で立っている者はホルスト一人だった。フロトはクラウディオと一緒にすでに帰った。ここに残されているのはボロボロにされた近衛師団の団員達とホルストだけだ。
「お前達!フロト一人を相手にこの様とは情けないな!」
「……そう言うなら団長が戦ってくださいよ」
「馬鹿野郎!俺は負ける勝負はしねぇんだ!」
「「「「「…………」」」」」
そこまできっぱり言い切るホルストにいっそ清清しさすら感じる。後輩団員達はヒソヒソと先輩団員達に尋ねる。
「さっきの優男は誰だったんですか?」
「お前知らないのか?伝説の化け物小僧だよ」
「えっ!あれが!」
当時を知る先輩団員達は一緒に訓練していたのでその存在をよく知っている。しかし先輩達になかば伝説として聞かされていた後輩達はそんな者が実在するなんて思ってもみなかった。ただちょっと脅しにそういう話をしているだけだろうと思っていたのだ。
しかし自分達が全員寝転がっている今の状況を見て嘘だの後輩を脅すための作り話だのと笑える者は一人もいなかった。こうしてまた近衛師団には伝説が一つ増えたのだった。
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近衛師団の訓練を終えたフロトはクラウディオを誘って帰ることにした。あれだけの猛者を相手にしたというのに息一つ乱さず、汗さえ掻いていないフロトにクラウディオは薄ら寒いものを覚えた。見た目は可愛いけどフロトは絶対に怒らせてはいけない。それを深く肝に銘じる。
フロトの馬車に乗せてもらって向かいあって座りながらカーザース邸へと向かう。別にクラウディオがカーザース邸に寄っていくという約束をしているわけではないが何故かそういう流れになっていた。
「フロトのその剣ちょっと持たせてもらっても良いかな?」
「え?ええ、どうぞ?」
そう言って何気なしに片手で手渡された剣を受け取ろうとして……。
「うわっ!重っ!ちょっ!待って!無理!返す!」
まだフロトが持ったままだったというのにズシリとかかった重量に到底持てないことを理解したクラウディオはそのままフロトに持ち上げてもらった。あのまま自分が受け取っていたら剣の下敷きになって動けなくなっていたことだろう。
フロトの細腕の一体どこにあんな重い剣を持てるだけの力が隠されているのだろうか。にっこり笑っているフロトの顔が今だけは別人のように見える。
そんなことをしている間にすぐにカーザース邸へと辿り着いた。大貴族であるカーザース家の邸宅は貴族街の中でも王城に近い重要な位置にある。家の位置というのは大きな意味がある。貴族街の中でもはずれの方にある家と中央にある家とではそれだけで家格に決定的な差があるという証左に他ならない。
カーザース邸に入ったフロトとクラウディオは臨時の浴室の前に来ていた。実はフロトがクラウディオを家に招いた目的はこれだったのだ。
「仮設の浴場で申し訳ないですが機能も広さも十分ですのでゆっくり入れますよ。さぁ入りましょう」
フロトは一緒に汗を流すという名目で合法的に女の子の裸を見て、一緒にお風呂に入るという王道シチュエーションを楽しもうと思っていたのだ。
『クラウディアのおっぱい大きい』
『あん!くすぐったいよぉ~。フロトだって大きいじゃない。お返しよ!』
『あ~ん、ごめんなさい。もう許してぇ~!』
フロトの脳内ではそんなシミュレーションが行なわれていた。クラウディオは気付いていないがカタリーナがそんなフロトの様子を見逃すはずもない。
「それではクラウディアは私が入浴介助いたしますのでフローラ様はお部屋でお待ちください」
「え!?」
「……なにか?」
「……いえ。何もありません……」
カタリーナの思わぬ反乱に素っ頓狂な声を漏らしたフローラだったが冷たく言い放つカタリーナに反論も出来ずにスゴスゴと引き下がることしか出来ないのだった。
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それでもお風呂あがりのクラウディアを見れると思ってフローラは自室でソワソワしていた。ようやくお風呂から出て来たクラウディアとカタリーナが部屋にやってきたので迎え入れる。
「すっごいお風呂だったよ!それにあの固形石鹸?とってもよかった!普通に売ってる石鹸ってもっとドロドロしてるし凄く臭いんだよね!あの固形石鹸は良い匂いがしてとってもよかったよ!」
(良い匂いがしているのは貴女のほうですクラウディア!今すぐ押し倒したい!)
石鹸のフローラルな香りをさせながらお風呂上りの薄着で無防備にフローラに抱き付いてくるクラウディアにフローラは我慢の限界に達しつつあった。しかし冷たい目で見つめているカタリーナがいるので何とか自制する。
そして実はクラウディアは無防備を装っているがわかってやっていた。カタリーナがいる手前フロトに襲い掛かって押し倒すわけにはいかないので薄着の体を押し付けてアピールしているのだ。
でもフローラの方もそれが満更ではないしクラウディアも望んでそうしている。winwinであって誰も損をしていない。いや、カタリーナだけが物凄い形相でクラウディアを睨んでいるが美少女のカタリーナにそうして見詰められることもちょっと快感になりつつあるクラウディアにとってはそれもご褒美にしかならないのだった。




