第九話「第三王子はドM?」
父に婚約の話を聞かされてから二週間が経っている。今日は件のルートヴィヒ第三王子がわざわざ家にやって来る日だ。
いくら幼い年頃の第三王子だったとしてもたかが二週間くらいで王族が予定を決めて王都からこんな辺境までやってこれるとは思えない。恐らく父が俺に婚約の話をするかなり前から俺とルートヴィヒ第三王子との婚約は規定路線だったのだろう。でなければこんなに早く家に来れるはずがない。
そして本来であれば婚約したとしてもわざわざ訪ねてくる必要はない。恋愛結婚でもなければお見合い結婚でもないこの世界の結婚事情からすれば今の俺と第三王子のように婚約者候補というだけじゃなくて本当に婚約が決定してからも一度も会ったことがないなんてザラにあることだ。
結婚するまで一度も会ったこともないなんて当たり前の世界で、まだ正式に婚約も決まっていない俺にわざわざ会いに来るというのはどう考えてもおかしい。仮にどうしても会いたければ俺を王都に呼び寄せれば良い話であって第三王子がわざわざやってくる必要はない。
つまるところこの第三王子は婚約する気がないんだろうと思う。婚約話が持ち上がっているので一応建前上一度は顔を合わせて義理は果たしておくだけで、いざ顔を合わせたら何だかんだと理由をつけて婚約話を蹴るんだろう。でなければこれまでの行動の説明がつかない。
俺が今いるこの世界の貴族社会というのは家の利益が最優先だ。子供の結婚も当然家の利益になるかどうかで判断される。恋愛結婚やお見合いで相手を選ぶようなことは絶対にない。だから例え結婚相手が不細工だろうが無知な馬鹿であろうが家同士の利益があれば両家の決定で結婚させられる。
第三王子がいちいち婚約話の持ち上がった相手の家を訪ねて顔を確認して気に入らないからと結婚を蹴れるような社会じゃない。それは王族であろうとも同じことだ。いや、むしろ王族だからこそ相手は慎重に選ばれなければならない。
ゲームや創作物のように王子の結婚相手がぽっと出の平民や下級貴族などということは絶対に許されないことだ。そんなことをすれば貴族社会から総スカンを食らった王家が没落するのが目に見えている。
つまり王子が婚約者候補の家を訪ねて直接会ったからといって『こいつは不細工だから嫌だ』とか『こいつは性格が悪いから嫌だ』などと選べない。ならばわざわざ訪ねる必要もなく結婚してから会うだけでも十分というわけだ。
それをわざわざ相手の家に訪ねて行くということは第三王子は最初から婚約を断るつもりで、最低限の義理として一度は相手の顔を立てて家を訪ね、相手と会い、その上で婚約を断っているのだと思われる。
ならば俺が何か小細工をするまでもなくルートヴィヒ第三王子との婚約話は自動的に向こうから断られる可能性が高い。
でも『じゃあ何もせず成り行きに任せて放っておきましょう』とはならない。これまで第三王子が婚約を断ってきた理由も本心もわからないのに成り行き任せで『どうせ俺も婚約を断られるだろう』なんて呑気に構えて婚約が決定してしまったら目も当てられない。
第三王子が婚約を断ってきたのが偶々相手が小物だっただけでカーザース辺境伯家となら婚姻を結ぶのも悪くないなんて婚約決定されてしまったら大変だ。だから俺は確実にこの話が破談になるように動かなければならない。
俺と父が意図的に破談させることを考えているとも知らずに玄関前に並んで一緒に第三王子を待っている執事やメイド達は俺が王子の妃になったらどうだこうだと浮かれた様子で話をしていた。
そんなことを考えている間に屋敷の門を潜って馬車がやってきた。家の前で停まった馬車から銀の髪に碧い瞳の少年が降りてくる。年は九歳だと聞いているから俺より一つ上だ。
見るからに『ザ・王子様』という感じのこの少年こそがルートヴィヒ・フォン・プロイス第三王子だろう。
父と挨拶を交わした王子は俺の方を向いた。俺も挨拶をしなければならない。
「御機嫌ようルートヴィヒ様。わたくしはカーザース辺境伯家長女、フローラ・シャルロッテ・フォン・カーザースと申します。お見知りおきを」
今日はドレスでスカートなのでカーテシーで挨拶をする。いつもオリーヴィアに怒られているから俺の作法なんて王族には通用しないかもしれないけど最低限の礼儀というものがある。出来るか出来ないかではなく礼を尽くすことこそが本質だ。
まぁそれはマナーのなってない奴の言い訳なわけだけど……。
「今日は非公式な場です。そう畏まらず自然にしてください」
にこやかに笑いかけてくるルートヴィヒ第三王子を見てピンと来るものがあった。王子としてではなく自然に接して欲しいと言われてその通りにした場合、いくら非公式だと言ったとしても王子に対してなんという態度だと責められるかもしれない。
あるいはそう言われても態度を崩さず硬いまま対応すれば王子がそういう態度をやめよと言ったのに言うことが聞けないのかと責められるかもしれない。どちらを選んでも王子の腹一つでどうにでも出来てしまう。
そもそも俺はこの王子を見た第一印象は『嘘くさい』だった。一応表面上は笑顔を振りまいている。マナーにも何の非の打ち所もない。ただ何というか……、全てが嘘くさい。
普通の同じ年頃の女の子が見れば素敵な王子様の笑顔に見えるのかもしれない。ただ前世で社会人をしたことがある俺からすればあれは作り笑い、営業スマイルにしか見えない。俺がヒネているだけだと言えばそうなんだろう。でもこの笑顔は間違いなく年相応の子供の笑顔ではなく営業用の作り笑いだ。
顔も整っている。物腰も柔らかく爽やかな笑顔を浮かべている。だけどこの王子の本心はきっと違う。普通の子供なら気付かないかもしれないけど腹芸に秀でた貴族の大人達なら本当はこの王子の本心がこんな笑顔の爽やかな少年じゃないってわかってるんじゃないか?
何はともあれ相手の出方がわからなければ対処のしようもない。こちらに一切非がなく自然と、しかし確実に向こうから婚約話を蹴ってもらうためにはどうすれば良いか考えながら俺と父はルートヴィヒ第三王子を連れて屋敷へと入っていったのだった。
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第三王子と話しながら色々と探ってみるけど中々隙を見せない。あくまで表面上は爽やかな笑顔のままだ。このままでも婚約話は破談になりそうな気はするけどもっと明確な決定打が欲しい。父も同席しているからこのまま何事もなく破談になっても俺が頑張ったからだとは思われないだろう。
そうなると後々父が怖いから明確に俺が何かしたお陰で破談になったという形を見せ付けておきたい。かといってこちらに非がある形で王子を怒らせるなんていうのは論外だ。もっとこう……、自然と王子の方から断ってくれるような……。
「僕の話はつまらないですか?フローラ?」
「え?」
あっ……、しまった。どうやって決定的な破談にもっていくか考えるあまり王子の相手がおざなりになっていたか。もしこのまま王子を不機嫌にしてしまえばこちらに問題があったということにされかねない。
「そのようなことはありませんよ?ただ普段の生活とあまりにかけ離れた体験であるために少し戸惑ってしまったのです。不快にさせてしまったのならば申し訳ありません」
まぁ一応申し開きはしておくけどあまり効果は期待出来ないな。急に良い言い訳も思いつかないしこれは俺の減点だろう。このままじゃまずい。
「そうですか。それではその普段の生活というのはどのようなものなのでしょうか?」
おっとぉ!思わぬ所に食いつかれたぞ……。そんな反応が返ってくるとは思ってなかったから適当にでまかせで言っただけだ。
「そうですね……。いつもならば朝少し体を動かした後で家庭教師の授業を受けている時間です」
この辺りは本当のことだから焦ることもない。いつもの生活についてぼかして語れば良い。
「体を動かすとはどのようなことをするのですか?家庭教師とは誰に何を習っているのでしょうか?」
おっとぉぅ!この王子うざいぞ!何でそんなところに食いついて来る?例えば俺が変な習い事をしていたらそれを理由に婚約を断るのか?って、そんな理由で断れるような社会じゃないって自分で言ったのに説得力がないな。
とは言えこれはチャンスかもしれないぞ?普通のご令嬢ならマナーを習ったりお花やお茶や歌や楽器を習うものだろう。それに引き換え俺が習っているのは凡そ貴族のご令嬢のイメージから程遠いものばかりだ。
尤もそのイメージというのは俺の勝手なイメージで父も母も何も言わないからもしかしたらプロイス王国のご令嬢は皆俺が習っているようなことを習っているのかもしれないけどちょっと第三王子に言ってみようか?それで変なご令嬢だと思われて破談になるのならそれはそれでオッケーだ。
ちょっとカーザース辺境伯家について妙な噂が流れることになるかもしれないけどそのくらいなら何とでもなるだろう。
「いつもならば朝一番に剣を振って魔力が枯渇寸前まで魔法の練習をしてから、本来の今日の予定ではジークムントに歴史と内政を習っている頃です」
「なっ!もう魔法を使っているとっ!?それに剣に内政?フローラが?」
第三王子が立ち上がって驚いている。そんなにおかしなことなのだろうか?俺はもう八歳なのだから別に普通なんじゃないか?
俺が聞いた話では貴族の子息子女は五歳から十歳の間には一度は魔法を習って適性をみたりすると聞いた。それならばすでに八歳になっている俺が習っていても何も不思議はないはずだ。
「何かおかしいでしょうか?婦女子といえど我が身を守る術を身に付けるのは当然ではないですか?いえ、むしろ婦女子だからこそ、最後は自らけじめをつけなければならないはずです。そして夫となる人を支えるためには政治も出来ないでは話になりません」
「――ッ!?」
王子が心底奇妙な物を見るみたいな目で俺を見ている。そこには先ほどまでの取り繕った爽やかな笑顔はなかった。父も隣で口をパクパクさせようとしているけど何か言いかけてやめていた。どうやら俺がどうするのか見守る方針に決めたようだ。
「なっ、なるほど……。ですが言うは易し行なうは難し。剣や魔法を習っていると言っても子供の遊びでは意味がないでしょう?」
「まぁ!ふふっ……、それではルートヴィヒ様が一手ご教授くださるのかしら?」
ここだ。急に第三王子の余裕が崩れた。ここを攻めれば第三王子との婚約話も破談に持ち込めるに違いない。そう思った俺は一気呵成に第三王子を攻め立てる。
「――ッ!いいでしょう。それでは練兵場に向かいましょう。名高い辺境伯家なのです。練兵場の一つや二つくらいあるのでしょう?」
「はい。それでは向かいましょう」
俺はにっこり笑って立ち上がると第三王子を先導して裏の練兵場へと向かった。ギリリと歯を鳴らして余裕のなくなった顔で俺を睨むかのように見ているけど知ったことじゃない。このまま練兵場で剣の一つでも交えれば第三王子の方から破談にしてくれそうだ。
まさかこんなにうまくいくとは思わなかった俺はルンルン気分で練兵場へと向かったのだった。
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練兵場で向かい合う俺と第三王子。王子には念のために皮製の胴をつけてもらっている。練兵場に来るまでに聞いた話では何でも第三王子は大人顔負けの剣の腕だそうだけど接待試合の可能性もあるから本当の所はわからない。普通なら誰だって王子との手合わせだと言われて王子にあっさり勝つ者はいないだろう。
「フローラ、君は防具をつけないのか?」
「ええ、ルートヴィヒ様の剣がわたくしに触れることは絶対にあり得ませんので必要ありません」
ドレスからいつもの訓練用のパンツに穿き替えてはいるけど防具は一切ない。そもそも俺は父やエーリヒと訓練している時でも防具をつけたことはない。父やエーリヒが言うには防具をつけていると防具の守りを過信して防御が疎かになるから自らの体を危険に晒して感覚を研ぎ澄ませておかないと戦場ではすぐに致命傷を受けて死ぬとのことだった。
まぁ何にしろ本当に王子が強いにしろ弱いにしろ俺は防具をつけないのがデフォルトだ。そもそも防具をつけると重くて思うように動けない。俺の長所であるスピードを自ら殺すことになるから成長して筋力がつくまでは重い防具など無用だろう。
「いくら女の子が相手とは言ってもそこまでコケにされては僕も引き下がれない。これが最後だ。フローラ、頭を下げるつもりはないんだね?」
「はい。例え王であろうとも事実を捻じ曲げることは出来ません。相手が誰であれ本当のことを曲げて頭を垂れるのは神に反することです」
俺が最後にもう一押し挑発するとルートヴィヒは親の仇を睨むくらいに俺を睨んでいた。
「いいだろう。もう手加減はしない!」
開始の合図と共にルートヴィヒが猛ダッシュで距離を詰めて来る。豪華な細身の剣で斬り掛かってくるけどあまりに遅い。やっぱり接待試合をしてもらっているんだろう。父やエーリヒの剣に比べればまさに子供の遊びレベルだ。
「遅すぎて欠伸が出てしまいそうです。それに軽すぎます。女だからと手加減は無用ですよ?本気をお出しになってくださいな」
「うわっ!」
突進の勢いも乗せた一撃でもまるで羽のように軽い斬撃を受け止める。そのままグッと押し返したら簡単に後ろにすっ転んだ。足腰があまりに弱い。これで本当に鍛えているのか?やっぱり王族のボンボンだからこんなものか。
「もっ、もう一度だ!」
「はいはい。何度でもどうぞ」
起き上がってきた第三王子は再び剣を構えて俺に向かってくる。だけどどれも話にならないレベルの子供のちゃんばらだ。幾度となく俺に転がされては向かってくる王子との戯れは二時間も続いたのだった。
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あの日散々俺に剣で打ち負かされたルートヴィヒ第三王子はスゴスゴと帰って行った。父は何か言いたそうに俺を見ていたけど俺が満面の笑顔で頷くと黙って去って行った。何も言われなかったということはきっと満足のいく結果だったのだろう。
こうして俺と第三王子との婚約話は確実に破談になった……、と思っていた。
だけどどうしてだろうか。一週間後に届いた書状には俺と第三王子の婚約決定の知らせが書かれていた。どうしてこうなった?俺がしたことと言えば剣で第三王子をコテンパンにしてプライドをへし折ったくらいじゃないか?接待試合で天狗になっていた王族の子供に現実を突きつけてやっただけだ。
それなのに何故か第三王子の強い希望でどうしても俺との婚約をしたいと書状には書いてあった。あの王子はドMなのか?俺に甚振られて気持ち良くなっちゃったのか?想像したらゾッとした。
それともあれか?婚約者として俺に近づいて寝首を掻こうって腹か?あの腹黒そうな第三王子のことだからこっちはありえそうだ。剣では俺に敵わないと見て暗殺しやすいように婚約、あるいは結婚してから殺そうとしているのかもしれない。
何にしろ父に呼び出されてその書状を見せられた俺は真っ青になって父にお叱りを受ける覚悟をしていたけど、意外にも何も言われることなく書状を見せられただけで無事に退室出来た。
心なしか父が疲れたような顔をしていたことからやっぱり婚約はまずかったのだろう。俺を怒る余裕もないほど心労が溜まって頭を悩ませているのかもしれない。
一度失敗してしまったものは仕方がない。ただこれからでもまだ婚約破棄ということもあり得る。そうなるように何とかしてルートヴィヒ第三王子に嫌われるように立ち回ればまだ今からでも挽回可能かもしれない。
そう思うと俺はどうやって第三王子との婚約を破棄してもらうか今後のことに考えを巡らせたのだった。