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第八十九話「揉め事!」


 その日、王都の表通りは騒然としていた。確かにいつも人通りが多く客引きや値段交渉の声が響き渡っている表通りではあるが今日はそれ以外にとても大きな話題が駆け巡っていた。


「おい!聞いたか?今度は雑貨屋に出たらしいぞ」


「いやいや、そんな噂どうせ嘘だろう?」


「どこにそんなお貴族様がいるっていうんだよ」


 噂を信じる者。信じない者。自分の目で見た者。まだ見ていないと騒ぐ者。反応は様々あれど皆噂しているのは全て同じ人物についてのことだった。


 この日王都の表通りに庶民の娘の格好をしたお貴族様が店を見て回っているという情報がまことしやかに流れていた。


 実はそのようなこと自体は珍しいことではない。下位の貧乏貴族の娘は普段庶民と変わらない生活を送っていることが多い。着ている物も庶民と同じなら買い物をする場所も庶民と同じ。食べ物も使う物もいたって普通の庶民と同じ程度という貧乏貴族は決して珍しいものではない。


 さらに美人な娘さんなどに対して『まるで貴族のご令嬢のようだ』という言葉がついてまわることも珍しいことではない。本当に貴族だと思っているわけではなく、貴族のご令嬢のように綺麗だとか可愛いというだけでそのような言葉で言われるのだ。


 だから噂を信じていない者達はまたいつものその手の話だろうと思っていた。実際今この表通りを歩いている人の中で貧乏貴族のご令嬢という者もいるだろう。またご令嬢のようだといわれている看板娘がいる店もあちこちにある。


 それに対して実際に見たという者達は反論していた。それはいつものそういった話とはまったく違うものだと。


 しかしいくら言葉で説明されようともうまく伝わらない。ご令嬢のような看板娘やここらで買い物している貧乏貴族のご令嬢というものに慣れている人々は想像出来ないのだ。今噂の庶民の格好をしたご令嬢というのがいかにそれらと一線を画した存在であるのかを……。


 魚屋の店主もそんな噂を耳にしていたがどうでも良いと思っていた。どうせいつもの誰が美人だの貧乏貴族が歩いているだのという話だろうと思って聞き流す。客達はあーでもないこーでもないと話しているがいつものことだと思って適当に相槌を打っていただけだった。


「すみません。少しお話をよろしいでしょうか?」


「あ~?何だ?買わねぇんだったらむこうへ……、はい!何でしょうか?お嬢様」


 そんな時に客に声をかけられて雑に応じた店主は振り返って固まった。何故ならばようやくその噂の意味がわかったからだ。


 そのご令嬢は確かに町娘と同じ格好をしている。しかしその姿を見て誰一人そのご令嬢が町娘だなどと思う者はいない。何故ならばあまりにチグハグすぎるからだ。


 確かに格好は町娘がよく着ている服装をしている。それは間違いない。誰もそれ自体は否定しないだろう。しかしどこに徹底的にお手入れが行き届いていてサラサラでキラキラの髪を靡かせた町娘がいるというのか。その髪は相当お手入れをしていなければあり得ないと一目でわかるほどに綺麗なものだった。


 また肌は白く美しい。そこらの町娘の放ったらかしの肌と違い毎日磨いていることが窺える玉のような肌は庶民のものではあり得ない。光り輝いているとさえ思えるようなその肌は一体どうすれば手に入れられるというのか。


 さらに所作からして違う。ただ歩いているだけの動きですら美しく洗練されている。歩く以外にも動作の一つ一つが優雅で到底そこらの庶民が真似して出来るような芸当ではない。


 そして何よりもその顔立ちだ。気品に溢れる美しい顔立ちはまさに貴族の中の貴族と言わんばかりである。ただ美人なだけの庶民とは決定的に違う。高貴なる血が流れていると確信させられるその顔立ちはちょっと美人なだけの庶民ではあり得ない。


 魚屋の店主はようやく噂の意味が理解出来た。これは今までのご令嬢のような美しい看板娘でも庶民に紛れている貧乏貴族の娘でもない。明らかな異質。何故か庶民の服装をしている本物の高貴なるお方だ。


 そしてその姿を見て思う。貴族とは美しく着飾っているから貴族なのではない。そこらの庶民が貴族の服を着たからといって貴族に成れるわけではないのだ。貴族とはどのような格好をしていようとも高貴なる者であるからこそ貴族なのだ。


 何故このご令嬢が庶民の格好をしているのかはわからない。ただ一つわかることはこの庶民の格好をしたご令嬢に失礼な態度をとれば自分の命も危ういかもしれない。粗相がないように最大限の敬意を払って対応したのだった。




  =======




 カンザ商会王都支店に勤めるビアンカは未だに緊張していた。ビアンカがカンザ商会に雇われて研修を終えて店に立つようになってからもう数ヶ月は経過している。まだまだわからないことは多くあるが普通の者ならばもうそれなりに仕事に慣れている頃だろう。


 しかしビアンカは元々大人しい性格だったこともあり未だにカンザ商会の接客に慣れていなかった。


 特に業務に問題があるわけではない。仕事自体はきちんとしているので上司達の評判も悪くはなかった。ただビアンカが自分にあまり自信がないために少し大人しいというだけだ。


 カンザ商会王都支店の従業員募集を見てビアンカはすぐに応募した。別に表の業務がしたかったわけではない。今話題のカンザ商会の仕事に少しでも関われるのならと思って応募しただけだ。それが裏方であろうとも力仕事であろうとも構わなかった。


 そう思っていたのに何故か面接から採用試験に到るまで悉く接客係の試験だったのである。


 もちろん本人としては接客係でも裏方でも事務でも何でもとにかく雇ってもらえるのならばよかった。しかし自分より美人のいかにも看板娘になりそうな人も、本当に貴族の次女や三女というような人も居た中で何故地味で大人しい自分が選ばれたのか。ビアンカ自身にもそれはわからなかった。


 ビアンカは不細工ということはないが目立つ方ではない。性格も大人しく控えめで愛嬌はあっても美人とは言えない。そんなビアンカが何故表の接客業務に選ばれたのか。


 わからないにしても選ばれた以上は一生懸命仕事をするだけだ。みっちり研修を受けたビアンカは晴れてカンザ商会王都支店の接客係として店に立つことになった。未だに緊張は解けないながらもきちんと仕事はこなしている。そんなある日とんでもない客がやってきた。


「すみません。冷やかしで来ただけですが良いでしょうか?」


「はい?」


 店に入って来た庶民の格好をした本当に普通の庶民の娘と、同じく庶民の格好はしているが到底庶民には見えない貴族のご令嬢がビアンカに対してそんな声をかけてきた。


 カンザ商会はもちろん、現代に到るまでヨーロッパですら現代日本の店のように商品棚に陳列してある商品を客が勝手に物色して買って行くようなスタイルではない。スーパーやコンビニでは現代日本と同じようなシステムだが、日本人が海外のブランドショップに行って日本で買い物をするようなつもりで商品を自分で見て周り、商品を選んでレジに持っていったら鼻で笑われて馬鹿にされる。


 現代ですらヨーロッパでは店員がついて回り、どのような目的や用途でどのような商品が欲しいかを店員に告げ、お薦めされる商品を見ていき選ぶのが基本スタイルとなっている。


 当然この世界でも露店や八百屋や魚屋はともかくこの手の商会は全て店員に話を聞きながらお勧めされた商品を見ていく。そのため店員は客につきっきりになるので『冷やかしだけど見せてくれ』と最初から言ってくる客などまずいない。いないはずなのにこの少女達はきっぱりそう言い切ったのだ。


「あっ!いらっしゃいませ。どのような商品をお探しでしょうか?」


 しかしビアンカは一瞬驚いていたがすぐさま気持ちを切り替えて笑顔で対応する。冷やかしだったら帰ってくれと店主が客を選ぶこともあるがカンザ商会ではそのようなことはない。経営者の方針で公平で開かれた取引を標榜しているカンザ商会では客を選ぶようなことはしない。


「今流行りの石鹸を見せてもらえる?」


 どう見ても貴族のご令嬢なのに無理をして言葉を崩そうとしているのがありありとわかった。しかしビアンカは表情を崩すことなく応じる。


 カンザ商会では良い香りのついた高級な石鹸の他に、一般でも普及するようにと香料を混ぜていない代わりに比較的値段の安い石鹸も販売している。安い石鹸は会員専用の高級品とは違うので誰でも買えるものだ。


 多少は商品のサンプルも店頭に並べられているが現代日本のように全ての商品を店頭に並べていてそこから選ぶというようなシステムとは違う。とはいえ安価な固形石鹸は今売り出し中であり店頭にたくさんのサンプルが置いてあるのでその一画で商品を見せながら説明を行なう。


「こちらは香料が入っていない石鹸です。こちらは少しだけお値段が上がりますがほんのり良い香りのする石鹸です」


 この世界の石鹸とは独特の臭みがある液状の石鹸が主流だった。そこへカンザ商会がほとんど嫌な臭いのしない固形石鹸を売り出したことで爆発的な人気を博している。さらに高級品として香料を混ぜた良い匂いのする石鹸も貴族を中心に売れている。


 店頭に置いてあるサンプルは庶民にも手の届く値段の匂いのしない石鹸が中心だ。しかし最近ではその安価な石鹸にもほんのり匂いをつけている物も開発されている。そちらは少し値段は上がるがそれでも大人気だった。


「あっ!これ良い匂い。私はこれが好きかなぁ」


「そうですか?それではルイーザにこれを贈りましょう」


「えっ!いやいや!そんなの悪いよ!自分で買うよ!」


 少女達のやり取りは微笑ましい。その相手の片方が見るからにやんごとなきお方でなければだが……。何故庶民の格好をして庶民の娘を連れているのかはわからないがどう考えても普通の貴族ですらない。明らかに相当上位の貴族であろう相手に粗相があってはならないとビアンカは緊張していた。


 ルイーザは最近流行りの石鹸を買ってみたいと思っていた。牧場でそこそこ上役にまで出世しているルイーザのお給金は決して安くはない。大勢の弟妹達を養っているルイーザではあるが普通の家よりも裕福なくらいだろう。


 そんなルイーザから見てもカンザ商会に入るのは勇気のいることだったが、入ってみれば接客は丁寧だし、石鹸も思ったほど高くはなく十分ルイーザでも買える値段だしと、これならもっと早く来ておけばよかったと思ったくらいだった。


「あっ!そうでした。実は香りつきの石鹸も今一つだけお買い求めいただける物がありますよ。持って参りますね」


 そう言ってビアンカは奥から香りつきの高級石鹸を持ってきた。本来であれば会員専用の高級品だが認知度を上げるために数量限定で一般販売する企画が行なわれていた。その最後の一個がたまたま残っていたのだ。


 ルイーザがカンザ商会に入るのを躊躇っていたように一般庶民にはまだカンザ商会は近くて遠い商会であった。カンザ商会の方としては庶民にも解放されているのだが普通の一般庶民にとっては有名な商会に行くというだけでも恐れ多い。到底気安く入れるような店ではない。


 そんなこともあって値段もお手頃価格に抑えられている数量限定だったはずの高級石鹸もまだ残りがあった。丁度最後の一個であるその高級石鹸をルイーザと呼ばれていた少女に手渡す。


「わぁ!良い匂い!さっきのと全然違う!」


 包みのまま手に持っただけでもフワリと香る匂いにルイーザは驚いた。先ほどの匂い付きの安い石鹸でも十分良い匂いだと思ったものだが高級品はこうまで違うものかと思わずにはいられない。


「それではこれを買いましょう。最後の一個が残っていたなんてよかったねルイーザ」


「うん!フロトも、店員さんもありがとう!」


「ふふっ。いいえ。お買い上げありがとうございます」


 冷やかしだと宣言していた客に買わせた辺りビアンカも実はやり手なのかもしれない。あるいは最初から少女達は買うつもりだったのだろうか。何はともあれこうしてルイーザは幸運にも本来ならば会員限定の高級石鹸を買うことが出来た。


 お金を支払い商品が渡されて店を出ようかとしたその時、商談用の個室が並ぶ店の奥から太った貴族のおばさんが出て来た。ギンギラに着飾り絵を描いているのかと思うほど厚化粧のおばさんは大声で捲くし立てる。


「ちょっと!どういうことよ!ベリル伯爵家に売ったことは知っているのよ!それなのにヴァルテック侯爵家には売れないとでも言うつもり!」


「ですので何度も申し上げております通り、そちらの商品は当商会の会員様限定商品となっております。当商会では例えどのようなご身分のお客様であろうとも他のお客様と区別することなく順番にお待ちいただくことになっております。」


 捲くし立てる太ったおばさん貴族に丁寧に説明しているが言葉も通じないのか、まるで理解出来ないとばかりに喚き散らしていた。


「それがおかしいって言ってるでしょう!ヴァルテック家が会員になってやると言っているのにいつまで経っても会員にもなれないじゃないの!たかがベリル伯爵家が会員になれるのにこのヴァルテック侯爵家がなれないなんて馬鹿にしているの!こんな商会うちの力でいつでも潰してやれるんだからね!」


「先ほども申し上げました通り当商会の会員への加入待ちのお客様は大勢おられます。順次対応させていただいておりますがヴァルテック侯爵家様の順番まではまだ暫くかかります」


 今まで何度その説明を繰り返してきたのだろうか。それでもその店員は丁寧さを崩すことなく太った貴族に対応していた。


「あっ!ちょっとそこの小娘!あんた何持ってるのよ?その匂い例の石鹸でしょう!私には売らないくせにどうしてこんな小娘に売っているの!」


 目敏くルイーザを見つけた貴族のおばさんはその手に持っている物が自分の求めていたものだと気付いてさらに喚き出した。


「ですから先ほど非会員様用に一つ残っている物があるとお伝えした時にいらないと言われたではありませんか……」


 当然会員ではないヴァルテック家のおばさんに香りつきの石鹸を寄越せと言われた時に店員は数量限定の一般用があることは伝えていた。しかし何故貴族である自分が一般用など買わさせられなければならないのかと怒っていたのはこのおばさんの方である。


 このおばさんは人の話を聞いていないのか理解する脳がないのかまったく話がかみ合わない。自分の言いたいことだけを捲くし立てるので会話にすらならなかった。一般用の物とは言っても内容は同じだと説明したのに理解出来なかったのだ。


 そして会員専用の物が買えないとわかるとこうして捲くし立てていたわけだが、丁度ルイーザが一つ持っているのを目敏く見つけたので近づいてきたというわけである。


「ちょっと、それは私のだからこちらに渡しなさい」


「え?あの……、これは私が買ったもので……」


 太った偉そうな貴族に詰め寄られてルイーザはオロオロと視線を彷徨わせた。例え自分が正しくとも貴族にこうも詰め寄られては一般庶民は諦めるしかない。そう思っていた時……。


「お客様、こちらの商品はこちらのお嬢様方が先に買われたものです。当商会では例えどのような身分の方であろうとも順番を守っていただくことになっておりますのでご理解ください」


 ルイーザを庇うようにビアンカが貴族とルイーザの間に立ったのだった。



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