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第八十六話「馬鹿王子!」


 ベルン貴族学園の中を一輪の可憐な花が歩く。立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花をまさに体現しているかのような美しさに男子生徒達はクラス、学年を問わずに目を奪われていた。


「うっわ~……、凄く綺麗な子だなぁ……。歩くだけでサラサラ流れる金髪に、大きな薄いブルーの瞳。ドレスも相当上質なものだな。あれは絶対一組の子だろう」


「馬鹿っ!お前知らないのか?あれは例の辺境伯家の……」


 学園の廊下を歩く美少女に目を奪われた男子生徒の感想にもう一人が肘で突いて黙らせようとする。それでも男子生徒の言葉は止まらない。


「へぇ?あれが?何であんなに綺麗で可愛いのにそんなことになってるんだ?周りの女のやっかみか?俺なら断然バイエン公爵家のご令嬢よりあっちの方が良いけどなぁ……」


「ばっ!お前もう黙れ!誰かに聞かれたら俺まで首が飛ぶ!」


 注意している男子生徒の方もそれは思っているのだ。バイエン家のヘレーネよりもカーザース家のフローラの方が美人で可愛いとは大半の男子生徒達が思っている。だがここは現代日本ではない。どのアイドルが可愛い、どの子が推しメンだと気軽に言えるような社会ではない。


 男女問わず例えどれほど不細工だったり年齢差があったとしても笑って相手を褒めて結婚しなければならないことも普通にある。低位の貴族家のイケメン息子が高位貴族の厚化粧年上後家ババァと結婚するなんていうこともある。


 貴族家にとって重要なことは外見やスタイルではなく実家の力関係だ。若くて見た目が良い者と恋愛や肉体関係を楽しみたければ外に愛人でも作れば良い。結婚はあくまで家同士のためになることが最優先される。


 とはいえいくつかある辺境伯家の中でも最上位であるカーザース辺境伯家は家格的にも財力的にも兵力的にも何の問題もない。むしろカーザース家と縁談が結べるとあっては飛びつく貴族ばかりだろう。


 今回ばかりは相手が悪かった。プロイス王国とオース公国の間を取り持ち南方を抑えるバイエン家の発言力はあまりに高い。カーザース家のご令嬢も潔く身を引けばこんな目には遭わなくて済むだろうに、家の意向もあるのだろうがあまりに可哀想だ。


「あの?」


 二人がしみじみ世の理不尽に思いを馳せていると声をかけられていることに気付いた。


「すみません」


「「えっ!?」」


 今まさに考えていた人物、カーザース辺境伯家のご令嬢フローラに声をかけられて二人は慌てふためいた。


 もしかして今の話を聞かれていただろうか。四組の生徒であるこの二人の実家から見ればバイエン公爵家など逆らうべくもない雲の上の存在だ。しかしそれはバイエン公爵家だけではなくカーザース辺境伯家にも言える。この二人の実家などカーザース辺境伯家が吹けば飛ぶような家でしかない。


 もし今の会話を聞かれていて侮辱したなどと言われたら家の一大事となってしまう。この学園ではいじめられっこになっているカーザース家のご令嬢でもこの二人を捻り潰すくらいはわけないことだ。しかしその心配は杞憂に終わった。


「これ、落としましたよ」


「あっ、あぁ、ありがとうございます」


 いつの間に落としていたのか、フローラを褒めていた男子生徒を窘めていた方の男子生徒はいつの間にかハンカチを落としていたらしい。それを拾って手渡してくれた。


「どういたしまして」


 にっこり微笑みながらそういって去っていく美少女の後姿を眺めながら最初の男子生徒が再び口を開く。


「はぁ……、やっぱり可愛いなぁ……。ルートヴィヒ殿下との婚約を解消されるなら俺と結婚してくれないかな」


「馬鹿野郎!」


 ハンカチを拾ってもらった方の男子生徒は再び最初からフローラを褒めている男子生徒に罵声を浴びせた。


「わかってるって。お前以外にはこんなこと言わないよ」


「違う!そうじゃない!フローラちゃんは俺の嫁だ!」


「……え?」


 てっきり他の者の目がある場所でフローラを褒めるようなことを言うなと言われているのだと思っていたフローラ推しの男子生徒は、否定派だった男子生徒の言葉に一瞬理解が追いつかず首を傾げた。


「フローラちゃんマジ天使!見たか?あの笑顔!あれは俺に向けてくれたんだよ!はぁ……、フローラちゃ~~~ん!」


「…………」


 あまりの掌返しぶりにフローラ推しだった男子生徒は何も言えなくなっていた。ただボソッと『フローラちゃん推しは俺の方が先だし』と言っていたが、今の異常なテンションの否定派だった男子生徒に聞かれたらややこしいことになると思って黙っていたのだった。




  =======




 とある二人組が二年生の校舎を歩くと人の波が割れる。昼食前の人でごった返す時間だというのにその二人が進む先は自然と人が割れて道が出来るかのようだった。


「や~ん!ルートヴィヒ様素敵ぃ」


「私はルトガー殿下に引っ張ってもらいたいわぁ」


 歩いている二人、プロイス王家の第三王子ルートヴィヒとクレーフ公爵家のルトガーは行く先々で黄色い声援が送られる。


「ちょっ!見て!ルートヴィヒ殿下よ!」


「どうしてルートヴィヒ殿下とルトガー殿下が一年生の校舎に!?」


 昼食の時間だというのに二人が向かったのは一年生の校舎だった。二人の動向に注目が集まる。


「やっぱりヘレーネ様にご用があって来られたのかしら?」


「それはそうでしょうね。他に何かご用があるとは思えないわ」


「しっ!ヘレーネ様が立たれたわよ!」


 一年生の校舎にやって来た二人は一組の教室へと入る。出入り口付近で目的の人物を探そうと視線を彷徨わせていると周囲の注目が集まった。しかしルートヴィヒやルトガーにとってはその程度の視線など日常茶飯事なのでいちいち気にも留めない。いや、自分達に注目が集まっているという自覚すらなかった。


 そんな中、席に着いていた女子生徒の一人が立ち上がりルートヴィヒの前に向かう。流石に自分達の前まで来ればルートヴィヒやルトガーでも気に留める。


「御機嫌ようルートヴィヒ殿下、ルトガー殿下。ご用がおありでしたら言ってくださればこちらから出向きましたものを。お二人が直々に一年生の校舎に足を運んでくださるなど恐縮ではありますが騒ぎが大きくなってしまいます」


 ルートヴィヒとルトガーの前に立ち、そう言葉を発したヘレーネに対して……。


「おう、そうか……。そう言われたらそうかもな。忠告感謝する。……えっと、何て名前だっけ……」


「こらルトガー!失礼だろう!この子とは何度か会っているだろう?確か……どこかの公爵家のヘレネー?だ」


 ルトガーを叱るルートヴィヒではあったが本人もヘレーネの顔を見ながらおぼろげな記憶を頼りにそれらしい名前を言う。しかし間違っていた。


「はっ……、覚えていただきこのヘレーネ恐悦至極に存じます」


「うむ。大義である。通路を塞いで悪かったな。僕とルトガーのことは気にするな。隣を通るが良いヘレネー」


 そう言ってルートヴィヒはルトガーと一緒に扉の前から少し横に寄った。ヘレーネがさりげなく名前を訂正していたのだが言葉をほとんど聞いていないルートヴィヒやルトガーにはそれすら気付いてもらえなかった。


 その場の空気が凍りつく。ヘレーネに対するルートヴィヒとルトガーのこの扱い。そして許婚候補筆頭の名前すら覚えていないなどあり得ない。つまりはそういうことだとこの場の誰もが理解した。


「おっ!ルートヴィヒ殿下、あそこに居ますよ。あの田舎娘」


「おおっ!フローラ!」


 俯きながらプルプルと震えるヘレーネを置き去りにしてルートヴィヒとルトガーは顔を隠すように教科書を広げているフローラの下へと向かった。その頭には最早ヘレーネのことなど微塵も残っていない。


 この場に残っていた一組の生徒全員がギョッとする。ヘレーネを置き去りにしてうれしそうにフローラの下へ向かうルートヴィヒとルトガーを見ればその勝敗はあまりに明らかだ。


「約束もせずに押しかけてすまないフローラ。急に来てこのような申し出、不躾だとは思うがこれから一緒に昼食でもどうだろうか?フローラのために宮廷料理人を呼んであるのだ。迷惑かもしれないがどうだろう?」


「ええ、迷惑ですね」


 それまで教科書を広げて顔を隠すかのようにしていたフローラは諦めたように教科書を閉じて口を開いた。


「そうか。そう言ってくれるとありがた……、え?」


 断られるなど夢にも思っていなかったルートヴィヒは途中で言葉の意味を理解して固まった。さすがのルトガーもポカンとすることしか出来ない。


「良い迷惑だと言ったのです。この騒ぎがわかりませんか?ルートヴィヒ殿下やルトガー殿下はこの国において絶大な影響力を持つお方なのです。その自覚もなくこのような行いをされては他の人々が迷惑を蒙ります。少しはご自分のお立場をご自覚してください」


 教室がシーンと静まり返る。ヘレーネが無視されたも同然に放置されたこと以上の衝撃が襲っていた。どこの誰が次期国王であるルートヴィヒ第三王子に恐れ多くもここまで言えるだろうか。普段のポワポワしているフローラとは打って変わったその厳しい姿勢に誰も声を発することも出来ない。


「おっ、おい!田舎娘!ルートヴィヒ殿下に対して失礼だろう!」


 暫くしてようやく動き出したのはルトガーだった。さすがはルトガーと言うべきなのだろうか。それともいつものような強気なルトガーにしては遅すぎたというべきなのだろうか。そんなルトガーの言葉にもフローラは動じない。


「失礼?忠言をする家臣の言葉が礼を失するといわれるのでしたらいつでもこの首をお取りください」


「うっ……」


 自らの首を差し出して言い切るフローラにルトガーもタジタジとなる。ルートヴィヒもルトガーもここまではっきり怒っているフローラを見たことがなくどうして良いのかわからない。


「失礼というのは声をかけてきた女性になおざりな態度で返し、あまつさえ名前まで間違え、その指摘をされているにも関わらず気付きもしないことを失礼というのです!彼女の名前はヘレーネ・フォン・バイエンでありどこかの公爵家のヘレネーではありません!名前をうっかり間違えることはあるかもしれません。ですが彼女自身がそれを訂正したにも関わらず気付きもせず女性を無視するかのような態度こそが失礼ではないのですか!?」


「「…………」」


 ルートヴィヒとルトガーは何も言えなかった。フローラの言葉には何一つ間違いはない。この場の誰もがわかっていながら誰も口に出来なかったことをフローラは相手が誰であろうときっちり忠言したのだ。


「すまなかったヘレーネ。僕を許して欲しい」


 フローラの前から出入り口の扉まで戻ったルートヴィヒは胸に手をあてヘレーネに頭を下げる。少し遅れてルトガーもやってきた。


「俺も……、悪かったな。名前を忘れていたのなら最初に謝ってそう告げるべきだった」


 確かに前に会ったことがあるのに『貴女の名前は何でしたっけ?』などと聞くのは相手に対して失礼かもしれない。しかし名前を覚えてもいないのに適当にそれらしく振る舞うのはもっと失礼だ。名前を忘れていたのならば謝罪してもう一度名前を尋ねるのが当然であって適当に誤魔化すのは不誠実である。


「いえ……、お気になさらないでください……」


 無理に作った笑顔でそう答えるがヘレーネが本心からそう思っているわけではないことは一目瞭然だった。本来ならばルートヴィヒやルトガーに直々に謝られたのだからそれで終わりだろう。内心の不満を表に出してしまうなど高位貴族のご令嬢としては失格だ。


 しかしルトガーには名前すら覚えてもらえておらず、一度は許婚候補として会ったことがあるルートヴィヒにすらその名前を間違えられた。バイエン公爵家のご令嬢としては相当にショックなことだろう。怒ってはいなかったとしても早々に立ち直れるようなことではない。


「ルートヴィヒ殿下、謝罪もこめて彼女と昼食を共にされてはいかがでしょうか?」


 そこへトコトコと歩いて来たフローラがそう提案する。


「しかし今日の昼食は三人分しか……」


 宮廷料理人を連れてきて料理させているのは三人分だけだ。ルートヴィヒとルトガーとフローラの分しか考えていなかった。余計な食材があるはずもなければ今から用意するとしたら時間もかかる。しかしフローラがジロリと睨んだことでルートヴィヒは肩を竦めた。


「ヘレーネ、どうだろうか?先ほどの謝罪の意味も込めてこれから僕とルトガーと三人で昼食を共にしないか?そこで少し話そう」


「はい……、慎んでお受けいたします」


 ヘレーネに選択肢はない。チラリとフローラの方を見るとにっこり微笑まれてしまった。三人は二年生の食堂へと昼食に向かいフローラは一人一年生の食堂方向へと向かったのだった。




  ~~~~~~~




 学園もとっくに終わっている夜遅い時間に、フローラをいじめているいつもの五人組はある屋敷に集められていた。整列して直立不動のまま五人とも冷や汗を流す。


「貴女達がもっとしっかりしていないからあの女がいつまでものうのうとしているのよ!早く追い出してしまいなさい!」


「もっ、申し訳ありません……」


 今年の一年生で一組序列五位であるアルンハルト侯爵家のゾフィーですら畏まり頭を下げる。


「お陰で私があのような辱めを受けたじゃないの!」


「ひっ!」


 投げられたコップが床に叩きつけられ中身をぶちまける。ガシャンと割れたコップは最近有名になりつつある超高級品の透明度の高いガラスで作られた高価なものだ。そんなガラス製のコップを惜しみなく使い怒りに任せて割れるような家など限られているだろう。


「覚えていなさいよ!フローラ・シャルロッテ・フォン・カーザース!」


 闇に溶けるかのような暗い金髪に茶色い瞳が怒りと憎しみの炎を燃やしていたのだった。



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