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第八十二話「抱き締めあう二人!」


 気がついたら俺は家に帰ってきていた。いつの間に帰ってきたのだろうか。午後の授業の記憶もない。というか今は何時頃だろうか。夕飯は食べたっけ?それともまだ夕飯の時間にもなっていない?


 駄目だ。アレクサンドラのことばかり考えてしまって何も集中出来ない。


 あの時まで俺とアレクサンドラは良い仲だったはずだ。別に喧嘩別れしたわけでもないしお互いに嫌いだったわけでもない……、はずだ。


 それなのに今日のアレクサンドラの態度はどうだった?まるで俺に興味などなく道端の石ころを見るような目で俺を見ていた。まぁアレクサンドラは顔だけで言えば悪役令嬢顔だから普通にしているだけでも、睨んでいるように見えたり、怖い顔に見えるけどそういうことじゃなかった。言葉も合わせて考えれば明らかにアレクサンドラは俺とわかった上で俺に二度と関わるなと言ってきたんだ。


 一体アレクサンドラに何があったのだろうか。それとも俺は知らない間にアレクサンドラを怒らせるようなことをしてしまったんだろうか。


 俺はアレクサンドラが王都に移住してから何度か父に頼んで手紙を届けてもらった。だけど一度も返信が来たことはない。何度か手紙を送っても一切返信がなかったから迷惑かとも思っていつの間にか送るのを控えるようになっていた。


 もしかして俺の手紙はアレクサンドラに届いていなかったのだろうか。それで連絡の一つも寄越さない俺に怒っていたとか?あるいはきちんと手紙は届いていて途中から俺が連絡しなくなったから怒ったとか?


 そもそももし俺が本気でアレクサンドラの心配をしていたなら自分で手紙を送るなり、王都での住所を聞いて王都に来た時に訪ねたりするべきだったんじゃないのか?


 俺は言葉ではアレクサンドラを心配しているかのようなことを言っておきながら何もしてこなかった。何度か人伝に手紙を出しただけで返信もこないからといつの間にか放っていただけだ。


 ……俺は最低だ。アレクサンドラがそれで怒ってああなってしまったのかどうかはわからない。ただ一つはっきりしていることは俺はアレクサンドラを心配している振りをしながら何もしてこなかったということだ。


 オリヴァー達やカーン家の兵士達が増えてから俺はリンガーブルク家の事件について調べはした。アレクサンドラ達が王都に行って以来行方がわからなくなっていたリンガーブルク家の家人達のその後も調べた。だけど結局事件の真相も掴めていないし家人達も見つからなかった。


 アレクサンドラと一緒に王都に行った可能性もあるのかもしれないけど、俺が知る限りではアレクサンドラ達には同行者はいなかったはずだ。いても精々御者くらいで……。


 そう言えばリンガーブルク家の御者をしていたカスパルとかいう男の行方もわからない。普通ならカスパルが御者なのだから王都へ向かう馬車はこの男が御者をして行ったと考える所だけど……。


 駄目だ。何もわからない。結局俺は何もしてこなかったんだ。アレクサンドラが大変な時に俺は自分の領地でのうのうと暮らしていた。アレクサンドラに嫌われても仕方が無い……。


 どうしたらいいんだろう……。せめて前のように……、というのは贅沢なのだろうか。アレクサンドラが何に対して怒っているのか。どうして俺を避けるのか。それだけでもわかればまだ解決策もあるかもしれないけど……。


 よし!少し調査しよう。王都に向かってからのアレクサンドラとリンガーブルク家について。一体何があったのか。どうしてアレクサンドラは俺にあんなことを言ったのか。せめてその原因と理由だけでも調べてみよう!




  =======




 クヨクヨしているだけじゃ何も解決しないのでとにかく動くことだ。昨晩のうちに方針は決まったからイザベラに伝えてある。


 ……うん。またイザベラに調べておいてと頼んだだけだ。俺はこうして人に頼むことしか出来ない。自分で汗を流して調べるわけでもなく人に命令してやらせるだけだ。こんなだからアレクサンドラも俺に愛想が尽きたのかもしれない。


 それでも俺は勝手に一人で出歩けない。世間知らずだということは自覚している。俺が自力で調査しようと思っても失敗して余計ややこしくなるだけだ。専門の人に任せるのが一番だろう。


 そんなわけで今日も朝から訓練で母に何度か殺されかけてから学園へと向かったのだった。




  =======




 学園の授業も終わり帰りの馬車を待つ。馬車自体は来ているけど混雑する時間だから順番を待っているというわけだ。前から順番に乗っていかなければならないから玄関口に来たからといってすぐに帰れるというわけじゃない。


 馬車を待ちながら考え事に耽る。今日はアレクサンドラに会えなかった。というより今の所そもそもほとんど他のクラスと会うこと自体が滅多に無い。将来的には合同授業などがあるのかもしれないけど今は授業もバラバラだし休憩時間に他の教室に訪ねて行くこともない。


 さらに一組と二組、三組と四組はお互いに比較的仲が良いようだけど両者の間にはほとんど付き合いはない。


 他のクラスと会う機会があるとすれば食堂くらいだろうか。その食堂でもアレクサンドラと会ったのは昨日の一回だけ。それも帰り際の廊下でたまたますれ違っただけだ。アレクサンドラは取り巻きも大勢居たしそう簡単に一人で居る所に出会うことも難しいだろう。


 アレクサンドラの事情を考えれば仮に会えたとしても取り巻き達が居る場で不用意なことを言うわけにはいかない。じっくり話をしたければアレクサンドラと二人っきりで会う必要がある。


「あのぅ……」


 ただ問題はどうやって二人っきりで会うかということだ。向こうが俺に関わるなと言っている以上は呼び出しても訪ねても素直に会ってもらえるとは思えない。どこかで偶然取り巻き達もいないタイミングでばったり出会う。そんな奇跡みたいなことでも起こらない限りは難しそうだ……。


「あの……」


 ただ奇跡を待つだけじゃなくてどうにかしたいとは思っている。何か良い方法を考えなければ永遠にアレクサンドラとじっくり話し合うなんて不可能になってしまう。


「あのっ!」


「はい?」


 何度か『あの』と言っているのは聞こえていたけどまさか俺に言っているとは思っていなかった。この学園で俺に話しかけてくる者はほとんどいない。たまに話しかけられたかと思ったらあの五人組に嫌味を言われたり暴言を吐かれたりするくらいだ。そんな俺に話しかけてくる相手がいるなんて思わないのも無理からぬことだろう。


「あっ……、貴方は確か近衛師団の……」


 俺に話しかけてきていたのはルートヴィヒの護衛についていたいつかの近衛師団の団員だった。物凄い美形でまるで女の子のようだ。……ん?近衛師団で女の子?


「少しいいですか?ここではお話しにくいことなのであちらでお話をさせていただきたいのですが!」


「あっ、えぇ……、はい」


 美形の騎士に言われるがまま玄関口から離れてついていく。その横顔や後姿をマジマジと観察する。やっぱり……、どこか面影がある……。この人は……。


「フロト!あの時はごめんなさい!謝っても許してもらえるようなことじゃないかもしれないけど何度でも謝ります!ごめんなさい!」


 周囲に誰もいない校舎の裏でその人は俺に向かって頭を下げた。その手にぎゅっと握り締めているのは青いサシェ……。確認するまでもない。この人は……、この娘は……。


「頭を上げてクラウディア」


「僕の名前……」


 ようやくその人が誰かわかった俺は名前を呼んで肩に手を置いて頭を上げさせる。美形の男だと思っていたからまったく気がつかなかった。女の子だと思って見てみればこんなに面影が残っているのにどうして男だと思っていたら気がつかなかったんだろう。思い込みというのは不思議なものだ。


「五年と少しぶり……、かしらね」


「うん……」


 お互いに言葉は少ない。俺は思いっきりクラウディアに拒絶されてしまった。それなのに俺の方から下手に余計なことは言えない。俺が余計なことを言えばまたクラウディアを困らせてしまうだけだ。


「クラウディアが謝ることなんて何もないのよ。私が悪いのだから……。ごめんなさいクラウディア」


「ちがっ!フロトは悪くないんだ!僕が勘違いでフロトを傷つけただけで!それにフロトだとかフローラだとかそんなことは関係なかったんだよ!男だとか女だとかそんなことにこだわってた僕が馬鹿だったんだ!本当にごめんなさい!」


 またしてもクラウディアが頭を下げる。頭を上げさせるけどこのままじゃずっとこの繰り返しになりそうだ。


「ねぇクラウディア、今は時間があるかしら?少し私の家でお話出来る?」


 これは賭けだ。またクラウディアに気持ち悪いって思われるかもしれない。だけどじっくり話し合うにはここは落ち着かない。お互いの心の内を語り合うならもっと落ち着ける場所に行くべきだ。そう説得してみる。


「……僕が行ってもいいのかな?あんなひどいことを言ってフロトを傷つけた僕が……」


「いいのよ。私が誘っているんですもの。ね?クラウディアが良いのならば一度家でゆっくり話し合いましょう」


「……うん」


 よかった。一先ず断られなかっただけ良しとしよう。そろそろ玄関口にうちの馬車が来ている頃だろう。クラウディアを乗せて一度家に帰ってじっくり話し合おう。




  =======




 カーザース邸に帰って来た俺達は俺の私室で向かい合って座りながらお茶を飲む。輸入品の緑茶だけど出所は不明だ。あやしいことこの上ない。味は確かだし毒なんて入ってない。ただお茶の貿易商は出所は言えないという。何故そこまでして頑なに口を閉ざすのか。


 俺には一つ思い当たることがある。恐らくこのお茶の出所もお米や大豆の出所と同じ所なのだろう。おいそれと他人にはそのことを言えない場所から仕入れているのだと思う。


 それも北東の海はうちの領海として監視しているしうちの船が往来しているから怪しい貿易船は臨検される。それがないということは北西の海からフラシア王国経由で陸に揚げて陸路で輸送しているのだろう。そんな輸入方法をしていればお茶が高級なものになるわけだ。


「これがお茶……」


「クラウディアはお茶は初めてだった?」


 俺はなるべくお嬢様口調にならないように気をつけながらフレンドリーにクラウディアに話しかける。そう。理想はフロトとクラウディオだった頃のように……、気の置けない友人のように話すんだ。


「うん……。ルートヴィヒ殿下やその周りの人が飲んでるのはよく見るんだけど自分で飲んだのは初めて。とってもおいしい」


「そう。気に入ってもらえたならよかったわ」


 まだ慌てるな。何気ない会話から入るんだ。がっついてはいけない。


「それで……、どうしてクラウディアが私に謝ろうと思ってくれたの?私が悪かったのよね?同性なのにベタベタしてクラウディアを不愉快にさせてしまったのは私の方だったわよね?」


「違うんだ!僕は昔から女の子が好きだったんだよ!だから自分は男だと思おうとしてたんだ!同性同士で好きになるのは気持ち悪いって言われたから。じゃあ僕が男だったら女の子を好きになっても良いんだって、ずっとそう思おうとしてたんだよ!」


 クラウディアの告白に相槌を打ちながらしっかり目を見詰めてじっと耳を傾ける。


「それなのに僕はフロトが好きになってたんだ!僕は男なのに男のフロトを好きになっちゃいけないんだって!そう思おうとしてたんだよ!」


 ん?フロトは女ですが?フロトもフローラも俺なんだから女だよな?心は男なんだけど……。この際それは良いだろう。


「だから僕はフロトに『男同士で好きになるなんて気持ち悪い!』って言ったんだ。だけどフロトは男じゃなくて女の子だって、あの時、フロトと、フローラと最後に会った時にようやく知ったんだ!」


 なるほど。そういうことか。ずっと男になろうとしてたのに男だと思ってた奴のことを好きになってしまったらそれは悩むよな。それも当時十歳やそこらの子供だ。自分の性の不一致や、そのために男になろうとしていたのにあろうことか同性の男だと思っていた相手に徐々に惹かれていくとか、どれほどクラウディアは悩んだことだろう。


「だけど……、フロトと、フローラと別れてからわかったんだ!男だとか女だとかそんなことは小さなことなんだって!どうでも良いことなんだって!僕はフロトであろうとフローラであろうと、男であろうと女であろうとフロトという人間を好きだったんだってようやく思い知ったんだ!僕は男だとか女だとかそんなことのために最愛の人を傷つけてあんな酷いことを言ったんだよ!だからごめんなさい!」


 この娘は……、どれほどそのことで思い悩んだのだろう。俺とでは全然立場が違うけど、それでも俺もクラウディアの葛藤の一部はわかるつもりだ。俺だって心は男なのに男の許婚をつけられて将来結婚して跡継ぎを産まなければならないと言われたら心の整理をつけるのに時間がかかる。


 ましてや当時のクラウディアはまだ十歳そこそこで、それまでの恋愛遍歴上もきっと周りから気持ち悪いとか変だとか言われ続けたはずだ。


「良いのよ……。良いのよクラウディア」


 俺はただそっとクラウディアの頭を抱き寄せて撫でることしか出来ない。クラウディアの葛藤も苦しみも本当の意味では理解出来ない俺が何を言っても薄っぺらな言葉にしかならないだろう。


 だから俺はただクラウディアを許すことしか出来ない。俺が傷ついたことなんて小さなことだ。俺以上に苦しんだクラウディアが少しでも楽になるのならば俺はいくらでもクラウディアを許し慰める。


 そもそも元々俺はクラウディアに対して怒ってなんていないし許すも何もないんだけど、俺がそう言えば少しでもクラウディアの気持ちが楽になるのならいくらでも言おう。


 夕闇の中、俺とクラウディアは二人でいつまでも抱き締めあっていたのだった。



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