第八十一話「豹変!」
クレーフ公爵家から帰って来た俺はベッドに腰掛ける。結局有用な情報は得られなかった。まぁ流石に調査一日でそんな劇的な進展があればそもそももっと前にどこかから情報が漏れているだろう。今までそんな情報が出てこなかったということは少し調べたくらいで出てくるような簡単な話ではないということだ。
普通に考えて貴族同士がお互い嫌いだったとしてもここまで露骨に嫌がらせしてくるのはあり得ない。目に見えない範囲での嫌がらせや足の引っ張り合いくらいならするだろうけど、辺境伯家相手にこれだけ正面切って喧嘩を売ってくるなんて相当なことだろう。
これはもしかして最早第三王子の許婚どうこうという話どころではないんじゃ……。
なんてな。まさかそんな大きな陰謀もあるまいよ。漫画や小説じゃあるまいし現実にそうそうそんな陰謀とかだらけだったら誰も安心して眠れないっていうの。
……ないよな?
もういい。寝よ寝よ。今日はもう寝る。おやすみ。
=======
さぁ今日も朝から元気に殺されよう!
「いくわよフローラちゃん」
「はい!」
俺は未だに母から一本取るどころかまともに打ち合うことすら出来ていない。もうそろそろ肉体年齢がどうとか言えなくなる年頃だ。それなのに母にはまったく太刀打ち出来ないとはこの世界は地球人から見たら超人ばっかりか……。そりゃこの世界に異世界転生や転移してくれる勇者もいないわな……。チートどころか地球人の方が劣るんじゃ誰もわざわざ来るはずもない。
相変わらず父にも届かない。掠り傷程度の一本を取れたのはバフ魔法を初披露して不意打ちした時だけだ。それ以来父も少し手加減を緩めたらしい。あれ以来また父にはまったく剣が届かなくなってしまった。この家は夫婦揃って化け物だ。
突きをかわす。そして前進する。ただそれだけのことが出来ない。槍の突きで出る音とは思えない『ボッ!』という音と共に物凄い速度で槍が俺の頭を掠める。
突きをかわしても引きが速すぎてまるで後ろから攻撃されてるかのようだ。こういう時にハルバードのような武器は威力を発揮する。刃や鉤爪がついているから後ろから戻ってきた槍に引っ掛けられるだけでも終わってしまう。何がって、訓練じゃないぞ。命だ……。
引きに合わせて前に出ようとすると父の剣が胴を薙ぎ払おうと迫ってくる。そう……、最近では母と一緒に父と二人を相手に訓練だ。王都に来て以来四人がかりでの訓練が出来なくなっているから代わりに父と母の二人がかりらしい。
あり得ない……。これならまだしも四人がかりの方が楽だ。父と母の二人を同時に相手にするとかどんな地獄ですか?
胴に迫っていた父の剣をいなす。まともに打ち合ってはいけない。俺はかなり大きくなったはずなのに未だに父と鍔迫り合いすら出来ない。受けた瞬間に吹き飛ばされてしまう。俺が強くなったら強くなった分だけ父も母も強くなっているんじゃないかと錯覚しそうなほどだ。
いくら力をつけてもまったく追いつけない。本当に俺は強くなっているんだろうか?まるで父にも母にも追いつけない。差が縮まった気さえしない。
「そこっ!」
「ふんっ!」
やばい……。父は足元を払う軌道。母は俺の胸を突く軌道。両方を同時にかわす方法は……。
「くぅっ!」
体を槍がくる方向に水平に一直線に向けて飛びながら回転して足払いも突きも同時にかわす。だけど俺は回転しながら空中に浮いたままだ。
「ふっ!」
さらに母の突きがくる。なんて引きの速さだ……。頭から地面に落下している俺は両手で地面に着地してすぐさまバフ魔法で両腕を強化して思い切り後ろに飛ぶ。腕だけで飛ぶだけでも大変なのに母の槍を避けれる速さで離脱するために両腕の負担が半端じゃない。ミシミシと腕が軋む音が聞こえる。
「武器なしでどうする?」
「――ッ!」
両腕で後ろに飛んだ俺を追うように父が迫っている。腕で飛んだ時点で俺の武器は手放している。でも今俺は地面にしゃがんだ姿勢だ。これなら……。
「土よ!」
「ぬ?」
土魔法で槍を生み出す。いつも俺は剣で訓練させられているけど槍だって練習している。ただ朝晩の実戦訓練では何故か剣しか持たせてもらえない。自前の魔法で武器を生み出せば槍でも何でも使い放題だろう。前に魔法で武器を出した時も父は何も言わなかった。リーチのある槍が使えるならまだ戦い様もある。
「やぁ!」
「甘いわよフローラちゃん。お母様のこと忘れてない?」
父を突こうとしたら母が逆から迫ってきていた。だけど当然忘れているわけがない。むしろきちんと手加減してくれる父よりも母の方が要注意だ。絶対母への警戒は怠らない。
「ふっ!」
「はぁっ!」
父への牽制の突きで距離と時間を稼ぐとすぐさま逆方向の母と突きあう。方天画戟やハルバードは確かに厄介な武器だ。だけど色々と付いている分だけ普通の槍より重く取り回しが利かない。ただ突きあうだけなら普通の槍の方が有利なはずだ。
「へぇ……。槍でお母様の槍を撃ち落すなんてやるわね」
母の言葉通り俺の槍は母のハルバードと突きあい叩き落とした。母の槍の刃に触れることなく柄同士を当て迎撃することが出来た。
「だがまだ終わりではないぞ」
「土よ!」
ダンッ!と足を踏み鳴らして土魔法を発動させる。背後から迫っていた父と俺の間に土の壁が発生する。父の巨大すぎる大剣は土の壁ごと俺を切り裂こうと迫る、けど俺はもうそこにはいない。
「やぁっ!」
「ふむ……。まだまだだな」
「え?……う゛っ!」
土壁を目くらましにして父の側面へ回りこんだはずなのにミシリと俺の腹に父の剣の柄頭が減り込んでいた。息が止まってその場に崩れ落ちる。
「ここまでだ」
「かはっ!げほっ!……はい。ありがとうございました」
今日も届かなかった。俺は本当に強くなっているのだろうか。もう十年も訓練に明け暮れているというのにまるで強くなった気がしない。本当にこの世界は地球人から見たら超人ばかりで心が折れそうになる。それでもせめて自分の身くらいは守れるように今日も明日もまた剣を振るうしかない。
=======
今日の朝御飯は白米に豆腐に味噌汁の和食セットだ。ちょっと物足りない気もするけどこれくらいが丁度良い。大豆が栽培可能になったお陰で豆腐も作れるようになった。豆腐は大豆を搾って豆乳を作り温めながらにがりを入れれば作れる。言葉で言うほど簡単じゃないから試行錯誤と失敗は繰り返したけど一応豆腐と呼べる物は完成している。
またにがりは製塩する際に副産物として出来るからうちでは入手は簡単だ。豆乳を搾った搾りかすの大豆はおからだからこちらも使い道はいくらでもある。
「フローラちゃんはまたそれを食べているの?フローラちゃんの作ってくれる料理はどれもおいしいのだけれどお母様はそれは苦手だわ」
俺の朝食のメニューを見て母が首を振る。どうにも日本食はあまりウケが良くない。まぁ別に理解して欲しいわけでもないし広めようと思って作り出したわけでもない。俺が食べたいから作ったのであって俺が食べられればそれで良い。
「それより父上もお母様もまだこちらに居られるのですか?カーザーンへはいつお帰りに?」
俺の入学式はもう終わったんだからいつまでも居る必要はないだろう。父も母も忙しいだろうしいつまでも王都で遊んでいるわけにもいかないはずだ。
「まぁ!フローラちゃんはお母様にさっさと領地へ帰れと言うのね……。お母様悲しいわ。ヨヨヨッ……」
「そうは言っておりませんが父上もお母様もお忙しい身ではないかと思ったのです」
母が泣き真似をしているから慌ててフォローする。本気で泣いているわけじゃないというのはわかっているけど放置していると拗ねるからすぐにフォローするのが正解だ。
「私もマリアもまだ暫くこちらに居る。私達が領地に帰るまでみっちり訓練に付き合ってやるから心配することはない」
「……はい」
いやぁ、それは全然心配してないんですけど?むしろそれに関しては早く領地に帰ってくれた方が良いくらいなんですが?
そんなこんなでいつもの朝食を終えると学園に向かったのだった。
=======
今日も俺が一番に着いたようだ。教室には相変わらず誰もいない。あの五人組も俺より先に来て嫌がらせをしておくというつもりもないらしい。俺は毎朝訓練をしてから来ているんだから俺より早く来るなんて簡単なはずだけど……。
「貴女なんでまたいるのよ?野蛮人は朝から暇なのかしら?」
「御機嫌よう」
ようやくやってきた五人組に挨拶するけど相変わらず挨拶が返ってくることはない。別にこいつらと親しくしたいわけじゃないから良いけど……。
それにしても俺の予定も随分狂ったなぁ……。俺の予定では学園に入れば可愛い女学生達と毎日楽しくキャッキャウフフ出来るはずだったのに……。
そういえば社交界でもずっとそうだったな。社交界のレディ達と親しくなれるかと思っていたけど結局俺は社交界もほとんど顔を出すことはなかった。たまに行っても初回同様鼻つまみ者にされるだけで碌な思い出はない。
おかしいな。辺境伯家という高位貴族に生まれて、自分で言うのも何だけど母に似たお陰か見た目もそんなに悪くないはずだ。それなのにどうしてこうも俺は友達に恵まれないのだろうか。
やっぱり俺の性格が問題なのか?前世でも表面上は社交的に振る舞っていたけど実際は仕事に行ってるだけの引き篭もりも同然だったし……。俺の性格に問題があるからこうもうまくいかないのだろうか……。
そんなことを考えている間にガヤガヤと周囲が騒がしくなってきていた。やがて生徒達も集まり授業が始まる。今日も朝は嫌がらせを受けなかったのでこのまま沈静化しないかな~、なんて希望的観測に期待しながら授業を受けたのだった。
=======
お昼休みに食堂へと向かう。この学園では昼食は食堂で食べることになっている。とは言っても食堂の料理を食べる必要はない。日本の学校のようにあちこちで好き勝手に座って食べてはいけないだけで食べる物は持参でも食堂のメニューでも自由だ。
一組や二組は基本的に執事やメイドに持ってこさせたお弁当?を食べている。ただあれはお弁当の範疇に入れて良いのかどうかはわからない。日本のお弁当のような簡単なものではなく本格的な料理が目の前に並べられている。相当上位の者は食堂の厨房を借りて連れて来た料理人にその場で料理を作らせることもあるようだ。
俺はカタリーナが持ってきてくれるお弁当を食べる。だけどたまには食堂の料理を注文してみるのも良いかもしれない。俺のお弁当は完全に日本のお弁当レベルのものだ。食堂で俺の昼食は明らかに浮いている。
三組、四組の者はほとんどが食堂の料理を注文しているようだ。ただ食堂の席には限りがあるから一組、二組の生徒が大部分を占拠して三組、四組の生徒は狭いスペースを交代で利用している。
ちなみに校舎や食堂は学年ごとに別々に用意されているからここには一年生しかいない。さらに校舎より食堂の方が大きくて豪華だ。一体何のための学校だというのか……。
周囲の豪華な料理に比べてこじんまりしたお弁当を食べた俺はカタリーナにお弁当箱を返して席を立つ。食堂には家人等を入れても良いことになっている。教室とかには用がない限り入れない。
カタリーナと別れて食堂から校舎の方へ歩いているとゾロゾロと数人の生徒を引き連れた女生徒が向こうから歩いてくるのが見えた。取り巻きをしているのは入学式の時に俺の後ろでルートヴィヒやヘレーネや俺のことについて噂話をしていた三人組だった。あの三人組は三組の生徒だったのか。
だけどそんなことはどうでも良い。俺の目はその生徒達を引き連れている女生徒に釘付けだった。その女生徒が近づいてくるたびに心臓が高鳴る。
金髪を縦にロールさせたドリル頭のウィッグ。この世界では他に類を見ない真っ赤なタイトスカートのドレス。俺が贈った物とは別に新しく同じようなものを作ったのだろう。体のサイズは完全に変わっているから前の物が着用出来るはずもない。それに微妙にデザイン等も変わっている。
それでも俺がこの娘を見間違えるはずがない。ついに目の前と言えるほどに迫った彼女に声をかける。
「御機嫌よう!アレクサンドラ!」
まさか彼女もこの学園に通っていたなんて……。確かに伯爵家の上位ならばこの学園に通う要件は満たしているだろう。カーザース家の中でも最上位の伯爵家だったリンガーブルク家ならば学園に通えても不思議ではないのか。
「どいてくださるかしら?それから……、今後二度と声をかけないでちょうだい」
「……え?」
アレクサンドラの言葉の意味が理解出来ない。一瞬で頭が真っ白になって呆然としている俺の横をアレクサンドラと彼女に引き連れられた三組の生徒達が通り過ぎていく。通り過ぎ様に例の三人組がクスクスと俺のことを笑っていた。
何故だ?アレクサンドラ?俺とアレクサンドラは悪い別れ方をしたわけじゃないはずだ。二人ともお互いに一緒に居たかったのにやむを得ない事情によって離れ離れになっただけ……、だったはずなんだ。
それなのに今のアレクサンドラの言葉と態度はどうだった?
完全に俺だとわかっていたはずだ。それなのにあんな冷たい目で俺を見詰めて二度と話しかけてくるなとまで言って俺に興味もないかのように去って行った。
頭が真っ白で考えがまとまらない。ようやく……、ようやく再会出来たというのにアレクサンドラに一体何があったというのだろうか……。思考が定まらず呆然としたまま俺はフラフラと教室へと戻って行ったのだった。




