第七十九話「調査!」
カーザース邸に帰った俺は机に向かって座りながら溜息を吐いた。あの後……、ルイーザに何を言われるのかと思っていたけど結局何もなかった。
何故ならば家に着いたとヘルムートが割って入ってきたから……。
それで何か白けたと言ったら変だけどそういう空気ではなくなって俺を降ろしてからルイーザを送ることになりヘルムートとカタリーナはそのまま馬車でルイーザを送って行った。
今頃馬車の中でカタリーナとルイーザは何か話しているのだろうか。それとヘルムートが家に到着したと言ってきた時の兄を見るカタリーナの顔は一生忘れないだろう。
今までヘルムートとカタリーナは仲の良い兄妹だと思っていた。思っていたけど今日のあのヘルムートを見るカタリーナの目を思い出すと本当に兄と慕っていた仲の良い兄妹だったのだろうかと思わずにはいられない。あれはまるでゴミを見るような……。
いや、やめておこう。これにはあまり触れてはいけない。しかもヘルムートはヘルムートで妹にあんな目で見られていたというのに、何をムキになっていたのか一切引くことなくさっさと俺を降ろそうと必死だった。あの兄妹に一体何があったのか……。いや、だから考えちゃ駄目だって……。忘れよう。俺は何も見ていない。
ともかくルイーザとは一応和解も出来て徐々にではあるけど普通に話も出来るようになってきた。まだ再会して二回しか会っていないんだからいきなり昔のようになるのは無理だろう。これから追々今までの溝を埋めていけば良い。
コンコン
とノックの音が響く。イザベラに来るように言っていたから恐らくイザベラだろう。
「フローラお嬢様、お呼びと聞き参上いたしました」
「入りなさい。少し話があります」
「失礼いたします」
俺の言葉に応えてイザベラが入って来たので向かいに立ったのを見計らってから声をかけた。
「調べて欲しいことがあります。丁度オリヴァー達の部隊もいるのでカーン領へ帰るのは延期させて調べてもらえるかしら?」
輜重隊の護衛をしながら荷物を届けてくれたオリヴァー達の部隊は、本来ならばこの後すぐにカーン領へ帰る予定だったけど少しばかり調べて欲しいことがある。人手も護衛も必要になる可能性があるから熟練の者が丁度居たのは助かる。
「かしこまりました。それで一体どのようなことを?」
「バイエン公爵家のことを少し調べてちょうだい。それからアルンハルト侯爵家とヴァルテック侯爵家、それに……」
俺をいじめている五人組の家、それから一部気になっている者について調べてもらうようにイザベラに頼む。
「どんな些細なことでも良いわ。最近の羽振りでも、付き合いの深い家のことでも何でもね」
「かしこまりました」
イザベラならうまく調べてくれるだろう。ヘルムートやオリヴァー達も使って良いと伝えてある。イザベラならヴィクトーリア関係の人脈も使うかもしれない。クルーク商会の情報網も使えば相当詳しいことがわかるだろうか。
まだ入学初日だというのに学園生活の先が思いやられる……。
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今日も昨日と同じくらいの時間に学園に来たら案の定誰も来ていなかった。そして俺の次にやってくるのは他の人よりもやや早い時間にやってくる五人組だ。
「ちょっと!貴女なんでもう居るのよ!」
「御機嫌よう」
何でもクソもないだろう。どうせ俺が来る前に何か碌でもないことをしようと思っていたんだろう?昨日は有耶無耶になったけどあれで諦めるくらいなら最初からこんなあからさまな嫌がらせなんてしてくるはずがない。こいつらの嫌がらせはカーザース辺境伯家と全面衝突も辞さないというほど強硬なものだ。
それだけの覚悟をしているのなら当然昨日ヘレーネに少し注意されたくらいで諦めるわけがない。そんな程度の覚悟ならばそもそもこれだけはっきり絡んで来ないということだ。
今日も俺の机に何かしようとでも思っていたんだろうけど生憎今日は俺がすでに座っているから何もしてこない。流石に俺に直接何かぶっかけたりすれば穏便に済むはずもない。俺が簡単に泣いて謝るような奴じゃないということは昨日のことでもはっきりわかっただろうし、そこまですれば万が一バレた時に自分達が完全に悪者になってしまう。それくらいは考えているのだろう。
また昨日のように自分達の机の方に細工して俺がやったと強弁するのも出来ない。何故ならまた昨日のように俺が突っぱねて昨日と同じ結末になれば自分達で汚した机を自分達で拭かなければならないことになる。絶対に俺に拭かさせられるならどれだけ汚しても気にもならないだろうけど、万が一にも昨日と同じ裁定となったら結局自分達で拭く羽目になるから出来ない。
とりあえず朝の嫌がらせは失敗に終わったようで俺も一安心していると徐々に人が増え始めてきた。まだ授業の内容は簡単な所だけどあまり油断は出来ない。この世界の教育はかなり高度なようだから気がついた時には授業に置いていかれているなんてことにもなりかねない。そうならないようにしっかり勉強しよう。
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五人組の嫌がらせはなかった。恐らく朝は何かしようと思っていたんだろうけど俺が居て失敗したからそれ以降は何もなかった。いくらなんでも準備もなしにそんなにポンポン嫌がらせなんて思い浮かばないだろう。相当悔しそうな顔をしていたから明日はまた別の手を考えてくるかもしれないけど……。
机には荷物は置いていかないし日本と違って上履きがあるわけじゃないから下駄箱もない。俺に何か嫌がらせしようと思ったら机に細工するくらいだろうけど昨日今日と俺の方が先に来ていたから失敗に終わった。明日も同じことをしようとするほど馬鹿ではないだろう。明日はもっと早い時間に来るか別の嫌がらせを考えるかのどちらかだと思う。
俺は今以上に早く出るつもりはない。明日五人組が先に来ていて机に嫌がらせをされていたらそれはもう相手を褒めるしかない。わざわざ俺に嫌がらせするために早朝からご苦労さんと言ってやろう。
「ヘルムート、帰る前にクレーフ公爵家へ寄ってください」
「は?何か約束がありましたか?申し訳ありません。そのような予定は把握しておりませんでした」
普通高位貴族がアポも取らずに相手の所へ押しかけるなんてことはない。まぁこの世界だけじゃなくて現代社会でもアポを取って訪ねるのは常識ではあるけど、中世レベルのこの世界は輪をかけてアポを取らなければ空振りばかりになる。
相手に失礼になるだけじゃなくていつどこに居るかもわからないのにいきなり押しかけてもまず会えないというわけだ。だから普通は事前にアポを取ってから約束の日時に向かうのが常識になっている。
「いえ、約束はしていません。少しディートリヒ殿下とお話をしたいと思いましたので面会の約束を取り付けに行こうと思っているだけです」
普通ならアポを取るのに手紙を書いて使いの者をやる。だけど折角俺は学園に通っていて外に出ているのだから帰りに少し寄り道をすれば直接出向くこともそう手間が変わらない。というわけで帰りに寄って直接アポを取って行こうというだけのことだ。
「え?ディートリヒ殿下ですか?ルトガー殿下ではなく?」
「はい?どうして私がルトガー殿下に用があるというのですか?」
ヘルムートの疑問の意味がよくわからない。これまでも俺はディートリヒ殿下とは重要な話をすることはあったけどルトガーとはまともに話をしたこともない。今回の件ではついでにルトガーにもこっそり直接聞けたら良いなとは思っているけどわざわざルトガーに会うためにアポを取るほどのことじゃない。
「いえ……、かしこまりました」
「……?それではおねがいね?」
俺がルトガーになんぞ用はないと言うと若干ヘルムートがニヤニヤしていた気がするけど突っ込まずにスルーして馬車に乗り込む。ガタゴトと馬車に揺られながらクレーフ公爵家へと向かったのだった。
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暫く揺られていると見知った屋敷が見えてきていた。クレーフ公爵家には何度か来たことがある。あまり深く関わりたくはないけど俺も商売上この国の宰相であるディートリヒ殿下とは関わらざるを得ない。
「フローラお嬢様、私が行ってまいりましょうか?」
「折角ここまで来たのです。私が行きますよ」
御者席からヘルムートが自分が行って来るというので俺が行くと伝える。昇降台を用意してもらって馬車を降りると俺のことを知っているクレーフ公爵家の執事が出迎えてくれた。
「これはフローラ様、本日はどうなされましたか?ルトガー殿下はまだお帰りになっておりませんが……」
何で皆どいつもこいつも俺がルトガーに用があると思うのか?俺は別にルトガーに用なんてない。
「ディートリヒ殿下と面会したいので空いている日を教えていただけませんか?」
「はっ……、それでしたら……」
「待て。今丁度私の手は空いている。フローラ姫、よく来たね。どうぞ入って」
執事が予定を確認しようとした所へディートリヒがやってきた。このタイミングで現れたということは玄関の裏で聞き耳を立てていたんじゃないだろうか。それで俺がディートリヒに用があると言ったからそのまま出て来たのだと思われる。
「突然の訪問をお許しください。まさかディートリヒ殿下が自らおいでくださるとは思ってもおりませんでした。都合の良い日をお教えいただければその日に改めて参ります」
「いやいや、いいんだよ。さっき言った通り今丁度暇なんだ。さぁ入って」
こいつは……、俺が固辞しようとしているのに今日家に上げようと必死だな……。そもそも宰相ともあろうものがまだ夕方前のこの時間に暇なわけがないだろうが……。そんな平和な国だったら俺もこんなに苦労していない。
とはいえこれ以上断るのは失礼になる。後日また訪ねるよりも手間も省けるから俺としても助かることは間違いない。ディートリヒの心遣いに感謝しつつクレーフ公爵邸に入る。
「それでわざわざ学園の帰りに寄ってまで一体私に何の用かな?」
応接室ではなく所謂リビングに通された俺はディートリヒと向かい合って座ってそう聞かれた。ちょっと待って欲しい。何故俺はクレーフ公爵家のリビングにいるんだ?普通は応接室か執務室だろう。リビングに通されるなんて親戚かよほど親しい間柄でもなければあり得ない。
「はい……。実はディートリヒ殿下にバイエン公爵家のヘレーネ様とルートヴィヒ殿下の間柄についてお聞きしたいと思ってまいりました」
「あっ……、あ~……、そうか……。そうだね……。(すまん息子よ!父はお前と姫の間を取り持つ役には立てないようだ……)」
明らかに一気にテンションが下がったディートリヒを不思議そうに見ていると一つ咳払いをしてから話し始めた。
「あ~……、ゴホンッ。ヘレーネ嬢のことについてはフローラ姫は気にすることはないよ」
いえ、気にします。多分かなり重要です。
「それでは何故気にする必要がないのかお教えください」
ディートリヒはやり手の宰相だから単純に教えて教えてと言っても教えてくれないだろう。それならば別の角度から攻めるのみだ。
「えっとね……、フローラ姫はルートヴィヒ殿下とヘレーネ嬢の関係が気になるのかもしれないけどね……。ヘレーネ嬢は一番最初のルートヴィヒ殿下の許婚候補だったんだよ。だけどルートヴィヒ殿下は一度バイエン家を訪ねられてから婚約は断られたんだ。後は知っての通りその後何人許婚候補を選んでも全て一度相手の家を訪ねてから断っていたんだよ。フローラ姫と会うまではね」
なるほど……。一番最初に……、ね……。それはいくつくらいの頃の話だろうか。
俺は転生者で前世の記憶もあったから生まれた時から所謂自我のようなものがあった。普通の子供ならどれくらいで自我と呼べるようなものが芽生えるだろうか。
俺とルートヴィヒが婚約したのが俺が八歳の時。ルートヴィヒ達は俺より一つ年上だ。五歳や六歳を超えてくればある程度は分別がついたり悪知恵が働いたりするだろうか?
もし……、もし一番最初に会ったルートヴィヒとヘレーネがお互いに結婚するつもりになっていたとしたら……。そしてそれが何らかの要因により必ず邪魔されるとわかっていたら……?
ルートヴィヒは俺と会った時から子供にしてはそこそこ頭も回っていた。ヘレーネと結婚したくとも必ず邪魔が入るとわかっていれば、まずは一時的にヘレーネとの婚約を避けて他の手段を探すんじゃないだろうか。例えば他の家とも婚約話を何度も持ち上げては断るとか……。
そして二人が結ばれるのに都合の良い相手、つまり俺がいたから二人が結婚するために俺を利用している?
絶対ないとは言い切れない。だけど転生者でもない普通の子供が十歳にも満たない頃にそこまで考えられるだろうか?あるいは誰か入れ知恵している者がいる?
駄目だ……。いくら考えても想像の域を出ない。証拠がない以上はどれも想像、いや、空想でしかない。恐らくこれ以上ディートリヒに聞いても有用な言葉は聞けないだろう。後は自分でどうにかするしかないか。
俺がそんなことを考えていると廊下を早足で、いや、最早小走りと言えるほどの速度で走ってきている足音が聞こえてきた。そして乱暴にリビングの扉が開かれる。
「ここに田舎娘が来ているというのは本当か!?」
思いっきり開かれた扉から飛び込んで来たのは予想通り面倒臭い相手、ルトガーだった。




