第七十七話「何かおかしい?」
とりあえず弁明くらいはしないと本当にこのまま俺が悪いことにされかねない。
「その液体を持ってきて私の机とアルンハルト様の机にこぼしたのは貴女達でしょう?昨日も私が一方的に絡まれただけで昨日は言い返しもしていないではないですか。貴女達は一体何がしたいのですか?」
普通なら俺のこの言葉を聞いて周囲はそうだなと納得するはずだ。だけどそんな簡単にはいかない。外野もヒソヒソと話をしているだけで俺を支持している人はほとんどいなさそうだ。
「野蛮人がゾフィー様の机にこのようなことをしたというのに私達の所為にしようというのですか!何と非常識な人なのでしょう!皆さんお聞きになられましたか?この野蛮人はこのような人物なのです!」
う~んこの……。そもそも相手を一方的に野蛮人だの何だのとこき下ろしているのはどちらだというのか。
公正な目で見れば例え液体をぶちまけたのがどちらかはわからなかったとしても、五人がかりでヒステリックに相手を貶める言葉を発している者達と、冷静に的確に答えている俺とどちらの主張に合理性があるかは一目瞭然のはずだろう。
それでも周囲を見渡してみれば明らかに俺を非難する目を向けてきている者や五人組の言っていることを支持していそうな人しかいない。流石にちょっとおかしい。
「皆さんは私達とこの野蛮人、どちらの言っていることが正しいとお思いですか?」
「それは……、なぁ?」
「ええ……」
五人組の煽りで周囲の視線が俺に突き刺さる。これは明らかに俺が悪いという空気が出来上がっている。五人組が俺を貶めようとするたびにきちんと論理的に反論しているけど誰も聞き入れてくれている様子はない。
「さぁ!答えは出たわね!さっさと罪を認めて謝りゾフィー様の机を拭きなさい!」
エンマ・ヴァルテック侯爵令嬢が俺に命令を下す。確かヴァルテック侯爵家はアルンハルト侯爵家の親戚で分家筋だったはずだ。実にわかりやすい。エンマはゾフィーの手下だということだろう。このクラスで序列五位のゾフィー・アルンハルトと序列十位のエンマ・ヴァルテックの主従関係は一目瞭然だ。
「お断りします。私がしてもいないことを私のせいにされて謝罪するつもりもありませんし、拭くつもりもありません。貴女方がご自分達で撒き散らしたのですからご自身で拭き取られれば良いではありませんか」
まぁ残念ながら俺はたかが十五歳やそこらの小娘達に凄まれたからといって萎縮したり頭を下げたりなどしない。普通の貴族令嬢なら自分より格上の者達に囲まれたら萎縮したり自分が悪くなくても謝るのかもしれないけど知ったことか。
「なっ!この期に及んでまだシラを切ろうというのですか!」
「白を切るも何も本当に私はしていませんし、そのようなことをする理由もありません」
何で俺が昨日が初対面のゾフィー・アルンハルト侯爵令嬢にそのようなことをしなければならないのか。理屈がまったく合わない。
「それならば私達が野蛮人である貴女にこのようなことをしなければならない理由でもあるというのですか!」
「それは……」
俺がルートヴィヒの許婚だからだろうな。だけどそれを自分で言うのは憚られる。まず自分で『私がルートヴィヒ殿下の許婚だから妬んでるんでしょ!』なんて言ったら気持ち悪すぎるだろう。勘違いのピエロ野郎になりかねない。
それに俺がそれを言えば俺自身が許婚だと認めているということになる。いずれ婚約破棄してやろうと思っているのに自分から婚約者ですなどとアピールしては自分で自分の足を引っ張る結果になるだろう。
「『それは』何なのよ!はっきり言いなさいよ!ほら!何もないんでしょう?どうして私達が貴女のような野蛮人にそのようなことをしなければならないというのよ!説明してご覧なさい!」
このエンマという奴は……。俺はこの手のタイプが非常に苦手だ。まともに論理的な話し合いすら出来ず感情的に叫ぶだけのこの手のタイプの相手は出来ない。
そもそも男女間では、右脳的・左脳的だとか、男脳・女脳と言われるような違いが存在する。これから俺が言うのは決して男女差別でも男尊女卑でもなく純然たる事実だ。それのどちらが良い悪い、優れる劣るという意味はないので誤解しないでいただきたい。
まず男脳・女脳の大きな違いは男脳は論理的で女脳は感情的ということがあげられる。男脳では論理的に相手の言い分を聞いた上で自分も間違いがないか考えながら話す。だから言語が苦手で次々言葉を発するということがない。相手の意見を聞いて理解して自分の意見を反芻して間違いがないか考えてから次の言葉を発する。
それに比べて女脳では論理的矛盾や先に自分が言ったこととの整合性など関係なくその時に思ったことをまず口にする。論理的な会話は成立せず感情のままに話す内容は矛盾していたりあちこちに話が飛んだりと理路整然としておらず、ヒステリックに叫ぶというのはここからくる。
ただしそれは欠点だけということではなく女脳は言語を得意とし語学などでは活躍している女性の方が多い。通訳などで女性が多いのはそういう理由だ。
男脳は感情表現が苦手であったり考えていることを言語化するのが苦手でありうまく相手に自分の言いたいことを伝えるのが苦手な傾向にある。何も男脳が一方的に優れているということを言っているわけじゃない。
また男脳が論理的ということの証明として感情を排して論理的に思考しなければならない囲碁、将棋、何らかの研究などの分野で男性が圧倒的に強いのがわかりやすい証明となっているだろう。他にも一つのことに集中するという意味では似たようなものに料理人などの職人も男の方が向いているというのもある。
女脳は一つのことに集中するというのが苦手なのでじっと同じことを繰り返す研究だの、囲碁・将棋だの、職人だのということには向いていない。注意力散漫で感情的にパニックを起こしやすく車の運転などが苦手で事故を起こしたりしやすいのもこのためだ。
代わりに複数のことをほどほどに同時進行することは得意であり、一つのことを極めるのではなく複数のことを程よく器用にこなすという面では女脳の方が圧倒的に優れている。逆に男脳ではいちいち一つ一つのことに集中しすぎるので複数の仕事を同時にほどほどにこなすというのは苦手だ。
料理しながら掃除と洗濯をする、というような全てを完璧にきっちりする必要はなく効率的に複数の仕事を適度にこなすというのには非常に向いている。男尊女卑で女は家事だけしていれば良いんだ!ということではなく昔ながらの知恵として得手不得手を役割分担していただけのことにすぎない。
何が言いたいかと言うと俺は肉体的に女性になったんだから女脳になっている可能性が高いはずだ。それなのにエンマに言い返したいのに言い返せない。脳が女脳でも思考が男の思考のせいかエンマのように感情的に捲くし立てられたら対抗出来ない。
「何とか言ったらどうなのよ!」
「これは一体何の騒ぎですか?」
エンマが俺を問い詰めようとした時、教室に入って来たヘレーネが俺と五人組の間に割って入ってきた。
「ヘレーネ様、お聞きください。この野蛮人がゾフィー様の机に……」
「事情はわかっています。ですが彼女がやったという証拠はどこにあるのですか?聞いていた限りでは貴女達の証言以外に証拠はないようですが?」
おお!ヘレーネ様格好良い!流石のエンマもヘレーネには捲くし立てられないのか『くっ!』と言って黙ってしまった。
「この件は私が預かります。それぞれ自分の机だけ拭きなさい。これ以上この件で騒ぐことは許しません」
「「「「「はい……」」」」」
ヘレーネは一方的にそう言い切ってこの場を収めてしまった。でもそれはおかしい。公正に痛み分けで終わったように見えるけどそうじゃない。俺は何も悪くないのに何故か俺は汚された机を自分で拭かなければならないことになっている。
確かにあのままだったならば俺が悪いということにされてゾフィーに謝罪させられて机を拭かさせられていたかもしれない。それを思えばお互い自分の机だけ拭いて謝罪もなしになっただけマシになったように思える。でもそうじゃないだろう?本来ならば俺の方が五人組に謝罪されて机を拭かせる立場のはずだ。
今のやり取りでヘレーネは公正でリーダーシップがあると周囲に思われただろう。だけどその裁定は本当に正しかったのか?俺は物凄いマイナスにされていたところを少しのマイナスにまけてもらっただけだ。だけどそもそも向こうが勝手に俺にマイナスなことをしてきたのにプラスマイナスゼロどころかマイナスの所で手打ちにされてしまった。これでは俺だけが一方的に不利益を蒙っている。
いまいち納得出来ない。それでもこの場は収まり全員がバラバラと解散し出した。その場の雰囲気に飲まれていたら気付かないことかもしれないけどこれは何かおかしい……。
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授業が終わって帰りの馬車に揺られながら考え事をする。授業はまだ始まったばかりだからか俺が三歳くらいの頃に家庭教師達に習ったようなことからやり始めている。こんなことを今更授業でやる必要があるのかと思ってしまうけど、それは俺が子供の頃から家庭教師達に習っていたからで習っていない者にとってはここからする必要があるのかもしれない。
まぁ普通は貴族というのは幼い頃から英才教育を受けているものだから、ほとんどの者達も事前に家庭教師に習っている内容ばかりだろう。ただ学校として教育を施すので最低限のスタートラインとして同じ所から授業を始めているのだと思う。全員が前提条件をクリアしていないと均一な授業など出来はしない。
それよりも五人組を含めた学校での俺に対するまるでいじめのような状況についてだ。
今の俺がクラス中からいじめられているのかどうかについては人それぞれ意見があるだろう。あんな程度イジメじゃないと思う者もいるかもしれないし、いや!あれはイジメだ!と思う者もいるかもしれない。それについては言ってもキリがないので省くとして……、普通に考えておかしくないか?
例えばこれが俺がカーン騎士爵家と認知されていてイジメられているというのならわからなくはない。何故騎士爵程度の者が伯爵以上しか通えない学園に通っているんだ!とか、ルートヴィヒの許婚として相応しくない!と言われるのならわからなくはない。だけど俺は今カーザース辺境伯家の娘として生活している。
確かに序列上カーザース辺境伯家はアルンハルト侯爵家やヴァルテック侯爵家より多少下になっている。だけどそれは致命的なほどの差ではなく僅差にすぎない。普通そんな相手にあそこまで露骨に嫌がらせをして喧嘩を売るか?
例えば侯爵家が子爵や男爵家にあのような扱いをするというのならまだわかる。そこには超えられない圧倒的な身分差が存在し揉めた所で絶対に勝てるという自信もあるだろう。
だけど侯爵家が辺境伯家と争えばどちらに勝敗が転んでもおかしくはない。中央での政治力という意味ではアルンハルト家やヴァルテック家の方が上回っているだろう。だけど万が一にも武力衝突に発展すれば長年国境を守ってきた辺境伯軍の方が圧倒的に強いことくらい馬鹿でもわかるはずだ。
そもそも辺境伯家と争って勝てた所で自分の所のダメージも大きすぎる。リスクとダメージを考えればわざわざあそこまで露骨に嫌がらせをして喧嘩を売ってくる理由がわからない。
俺がルートヴィヒの許婚だから、というのが理由ならますますおかしいだろう。もしこのまま俺がルートヴィヒと結婚したら俺は王族の仲間入りだ。そんな相手にあんな露骨に喧嘩を売るか?もし俺が妃殿下になったら将来自分達がやばいというのに?
俺がルートヴィヒと結婚しないと知っている、ヘレーネとルートヴィヒが良い仲だと知っているのならば俺に絡む理由もない。俺がダミーの肉壁であると知っているのなら俺に嫉妬する理由もないし放っておいてもそのうち婚約破棄されるのだから、自分が悪者になってまで俺に喧嘩を売る必要はないだろう。
いくら十五歳の子供だとは言ってもきちんと教育を受けた高位貴族の娘達がそこまで愚かなはずがない。侯爵家が伯爵家にですら喧嘩を売れば大事になりかねないのに、侯爵家と辺境伯家ほどの差しかない相手にあそこまでするのは異常すぎる。多少の嫌味や牽制はあるかもしれないけどあれだけ露骨なのはあり得ないはずだ。
今のクラスの状況は何かおかしい。俺がイジメのターゲットになっているからとかそういうことじゃなくて、兄二人も学園に通っている時にあそこまで露骨な嫌がらせなんて受けなかったはずだ。反りが合わないとか仲が悪い相手もいただろうけど、貴族なんて自分が悪くならないように立ち回るのが普通であって遠まわしに小さな嫌味や嫌がらせする程度が精々だろう。
ゾフィーやエンマ達に対抗したり正面切って喧嘩を受けることは簡単だ。カーザース家も流石にあれだけ舐められていたら俺が彼女達と揉めても俺を支持してくれるだろう。俺を勘当して切り捨てて終わりなんてことはないはずだ。
だけどそれじゃいけない気がする。これはもっと根が深い何かが関わっている……、と思う。それを探らず俺が簡単にゾフィー達を跳ね返してしまったら真相が、本当の闇が隠れて見えなくなってしまう。だからもう少しだけ俺はイジメられているか弱い乙女の振りをしなければならない。せめて今の状況の裏がわかるまでは……。
「フローラ様、もうすぐ牧場ですよ」
「ええ。そのようね」
今日は折角ルイーザと……、じゃないね。王都の牧場の視察だというのに何だかテンションが上がらない。それでも俺の私事のせいで暗い雰囲気で視察するわけにはいかない。
気持ちを切り替えた俺は初めて見学する王都の牧場に少しだけ興味を惹かれながら馬車に揺られていたのだった。




