第七十三話「誤解が解ける!」
どうして声をかけてしまったのだろうか。これからどうしようというのだろうか。頭が真っ白で何も考えられない。ただお互いに驚いた顔で見詰め合っている。
「「あのっ!」」
「「あっ……」」
お互いに声を出そうとして同じタイミングで話し出してまた黙る。ルイーザも困った顔をしている。声なんてかけるべきじゃなかったのかもしれない。ただお互いにあのまま知らないままで居ればこんな気まずい空気になることもなかったはずなのに……、どうして俺は……。
「フローラ様、このような場所に馬車が停まっていては往来の妨げになりましょう。それに今日はまだ挨拶回りが残っております」
「あっ……」
俺とルイーザがお互いに気まずいまま見詰め合っているとカタリーナが馬車から降りて俺を追ってきた。そう言えばそうだな。急に俺達が馬車を停めたから周りの人間は何事かと足を止めている。往来のど真ん中に停まっている馬車を邪魔そうに避けている人もいる。このままじゃまずい。
それにカタリーナの言う通り俺は今挨拶回りの途中だ。多少時間が遅くなるくらいなら元々時間にルーズなこの世界では問題ないけどそれでも限度というものがある。いつまでも待たせているわけにはいかない。
「えっと……、ルイーザ……」
「さぁ!貴女も早く乗ってください」
「「えっ?」」
俺がルイーザに何と言ったものかと考えているとカタリーナがルイーザの後ろに回ってその背中を押しだした。わけもわからないまま俺とルイーザは馬車に押し込まれる。
「出してください」
俺が何も言ってないのにカタリーナが勝手に全て進めてしまう。ヘルムートもそのまま馬車を走らせ始めてしまった。何が何やらわからない俺とルイーザだけが席で向かい合って座りながら呆然としていた。
「「…………」」
ガタゴト揺れる馬車に乗りながら無言の時が過ぎる。チラチラとお互いに視線を泳がせつつ相手を見ているけどどちらも中々言葉を発せない。
ええい!いつまでもクヨクヨしていても埒が明かない!女は度胸だ!
「ルイーザッ!」「フロトッ!」
「「ごめんなさい!」」
「「…………え?」」
お互いに同時に声をかけあって、同時に謝る。そしてお互いに呆けた顔で相手を見詰める。
「どうしてルイーザが謝るの?」「どうしてフロトが謝るの?」
「「あっ……」」
また声が重なる。まるで示し合わせたように息がぴったりだ。
「大変仲がよろしいようですねフローラ様……」
そして何故かカタリーナにジロリと睨まれた気がした。何故だ?俺はカタリーナに睨まれなきゃならないようなことはしていないはずだ。そもそもルイーザを馬車に乗せたのはカタリーナであって……。
「フロト……、いえ、フローラ様とお呼びした方が良いですね……」
「ううん、ルイーザの呼びやすい方で良いわ。公用の時はきちんと使い分けてもらう必要があるけど普段はフロトでも良いのよ」
何かルイーザにフローラと呼ばれるのは慣れない。ルイーザと会っていた時はずっとフロトだったからフロトと呼ばれる方がまるであの頃のようで……。いやいや!違うだろう!それじゃ駄目だ。何をあの頃のようだと懐かしんでいるんだ。あの時ルイーザを裏切り悲しませてしまったというのにそれを懐かしいなどと思ってはいけない。
「そっか……。それじゃ話し方も普通で良いのかな?私敬語とか苦手だから……」
「ええ、良いわよ。私も前のように話した方が良いかしら?」
俺はフロトの時とは話し方が変わっている。あの時は男の振りをしていたから男言葉で話していた。今はフローラとして女装……、じゃない。こっちが本来だった……。女性として普通の格好をしている。それに合わせた話し方はしているけど畏まったしゃべり方は避けている。俺がルイーザに畏まった話し方をしたらルイーザも話しにくいだろう。
「ううん。フロトはそのままでいいわ。その格好であの頃のような話し方をされたらその方がおかしいもの。ふふっ」
「そうですね」
ルイーザが少し笑ってくれたから空気が軽くなった。フロトの時は極力中性的な話し方を心がけてはいたけどそれでもフローラのドレスでそんな話し方をしたらおかしいだろう。それを想像して二人でかすかに笑い合う。
「ルイーザ……、あの時はごめんなさい。貴女を裏切ってしまって、傷つけて、謝っても許してもらえるとは思っていないけれど……、本当にごめんなさい」
ようやく落ち着いた俺はやっと言いたかったことが言えた。自分だけ言いたかったことを言って満足していてはいけないけど、それでもようやく言えた。何というか肩の荷が下りた気分だ。
「どうしてフロトが謝るの?謝らなければならないのは私の方だわ。……フロト、あの時はひどいことを言ってしまってごめんなさい。そして助けてくれてありがとう……。ようやく……、ようやく言えた……」
ポロリ、ポロリと、ルイーザの瞳から大粒の涙が落ちる。ありがとうはまだわかる。恐らく角熊と戦ったことだろう。だけどごめんなさいは?ルイーザが俺に何かひどいことを言ったか?
「どうしてルイーザが謝るの?ルイーザは何も……」
「違う!私はあの時許婚と、殿下と抱き合っているフロトを見て自分だけまるで釣り合わないただの貧民だって見せ付けられたようであんな暴言を吐いてしまったの!あんなにボロボロになって戦ってくれたフロトにお礼も言わずに!フロトを殿下に取られたようで嫉妬してあんなことを言ってしまったの!私は最低なのよ!」
ワァッ!と顔を覆って泣き出してしまったルイーザに何と声をかけて良いのかわからない。こんな時つくづく俺は無駄に長く生きていただけで何と声をかけたら良いのかもわからない木偶の坊なんだなと思い知らされる。
「泣かないでルイーザ。私はルイーザが間違ったことを言ったとは思わないわ。正体を隠していた私にルイーザが怒ったのは当然だと思う。私はルイーザを傷つけてしまったのだからルイーザの言ったことに間違いはないわ」
向かいに座っていたルイーザの横に移動してその頭を抱き寄せる。ただその頭を撫でることしか出来ない。
「違うの!聞いてフロト!私は……!」
「ええ。全部教えて。ルイーザが何に傷ついていたのか。何に怒っていたのか。全部受け止めるから。それからよければ私の話も少しだけ聞いて?」
その後、俺とルイーザは胸の内を語り合った。ルイーザはフロトと一緒に居たかったのだと言った。だから本当はあんなことを言うつもりではなくただ助けてくれたことを感謝してあの後も一緒に居られればよかった。
それなのにフロトの正体が女であるフローラだと知って、しかもそこには許婚のルートヴィヒがいて、自分では絶対にルートヴィヒには敵わない。それに騎士のフロトなら庶民のルイーザとも親しくともおかしくはないけど、辺境伯の娘が庶民と親しくしていれば釣り合わない。そう思ってしまった。
自分では絶対に釣り合わない相手の横に、自分より相応しい釣り合う相手がいれば……、それは堪らないだろう。それはどれほど辛いことだろう。
ほんの僅かな時間の間に角熊に襲われそうになって命の危険を感じ、騎士のフロトだと思っていた人物はまったく別人の女のフローラであり、その横には寄り添うように第三王子という許婚がいる。
小さい子供が急にそれだけの出来事に出くわして心の整理がつかずに余計なことを口走ってしまう気持ちは俺にだってわかる。
「ルイーザの気持ちはわかったわ。そしてルイーザは何も悪くない。ね?私がそう言うんだからそうよ」
「だけど!私はっ!フロトにあんなひどいことを……。だからフロトはあれから農場に来てくれなかったんでしょう?私が謝ろうと思った時にはもうフロトは来てくれなくなっていた。それは私がフロトを傷つけたから……」
あぁ……、あの後の行き違いか……。
「それはあんな傷を負ったから家から出ることも出来ずに療養していたからよ?そしてその後すぐに王都に呼ばれて騎士爵に叙爵されて……。カーザーンに戻れたのはかなり後だったから……、ルイーザが王都の牧場へ異動する前くらいよ」
「…………え?」
ルイーザはポカンとした顔で俺を見上げていた。そりゃそうだろう。いくら何でもあれだけの傷を負えばそんなすぐに出歩けるわけがない。俺なんてただの九歳そこらの子供だったのに……。
それにしても……、俺を抱き起こしていたのも、王都へ呼ばれたのも、ルイーザの誤解の全ての元凶はルートヴィヒとヴィルヘルムじゃないのか?何かだんだん腹が立ってきたぞ。
ルートヴィヒが馴れ馴れしく俺を抱き起こしていなければ、倒れた俺を抱き起こしてくれたのはルイーザだったかもしれない。騎士爵なんて役に立たないどころか散々俺を苦しめてくれた叙爵がなければもっと早くにルイーザに会えていて誤解が解けたかもしれない。
全てはifだ。もしもの話だ。歴史にifはない。だけどそう考えずにはいられない。
「どうして私が王都の牧場へ異動した頃を知っているの?」
「それは牧場の経営者は私だし?」
「ん?」
「……ん?」
お互いに見詰め合って小首を傾げる。何だかルイーザが可愛らしい。
「え?えぇ!待って!カーザーンや王都の牧場ってアルベルト辺境伯様が経営されているんじゃないの?」
「違うよ?最初の出資はしてもらったけど経営者は私……」
あぁ……、そういえばフロトが経営者だとも言ってなかったな。あの時は秘密にしてたし今も話の流れでそんなことは一言も言ってない。
「そうだったの……。じゃあ私のことも筒抜けだったのかぁ……。あっ!じゃあどうしてすぐに会いに来てくれなかったの?!」
「えっ……、それは……、ルイーザを傷つけたと思って……、どの面下げて会えば良いかわからなくて……」
「ウオホンッ!フローラ様?どの面云々というのはさすがにお言葉が……」
あぁ……、適切な言葉が浮かばなくてちょっとお嬢様らしからぬ言葉で言ってしまったようだ。カタリーナに怒られてしまった。
「そうだったの……。まぁ私も偉そうなことを言ってさっきだってフロトだってわかってからも中々謝れなかったしお互い様なんだけどね!別にフロトを責めてるわけじゃないんだよ」
そっか……。お互いずっとそう思って……、わだかまりが残ったまま、だけど謝りにも行けず……。
「でもルイーザが王都への異動の希望を出していたからてっきりカーザーンに居たくない、フロトに会いたくないと思ってのことかと思っていたわ」
「違うわよ。フロトに謝りたくて、でも会えなかったから、フロトが来てくれなかったから、もう会ってももらえないと思ったから……、せめて王都でフロトが教えてくれた魔法の勉強をしていつかフロトの役に立とうと思ってたんだよ」
そういってルイーザは少しだけ自嘲気味に笑った。
「ルイーザの魔法の腕なら王都で学べばさぞ成長したんじゃない?」
それなのに……、俺の言葉にルイーザは自嘲気味の笑顔のまま首を振った。
「ううん……。どこの魔法を教えてくれる教室や研究室へ行ってもすぐに追い出されたわ……」
「えっ!ルイーザが?」
嘘だろ……。ルイーザは俺がかなり魔法を教えたはずだ。庶民じゃありえないほどに魔法に精通していたはずのルイーザが王都じゃどこでも門前払いになるほど?この世界の貴族や魔法が使える人は一体どれほどすごいんだ……。
ルイーザは当時まだ俺より魔法が出来ていなかったけど俺はルイーザの腕は十分だと思ってたのに……。そのルイーザが王都じゃまるで通用しないなんて……、果たして俺は学園で授業についていけるのだろうか……。
「どうして追い出されたんですか?」
「え?貴女は?」
「あっ、私はフローラ様付きのメイドのカタリーナ・フォン・ロイスと申します。カタリーナとお呼びください。それでどうして?」
「貴女も貴族様なのね……。カタリーナ様、えっと私は……」
「私に様付けはいりませんよ。それで何故?」
「そう?それじゃ楽な話し方させてもらうわね。えっとね……、フロトに教えてもらった魔法が凄すぎてどこへ行ってももうそれ以上習うことはないって断られたの……」
「なるほど……。そんな所だろうなとは思いました……」
俺が考え事をしているのに何か回りでコショコショと話している声が聞こえる。思考に集中出来ない。俺はここの所魔法の修行はサボっていた。というと少し誤解がある。バフ魔法開発ばかりに集中していて普通の魔法の勉強や研究が疎かになっていた。
もう学園が始まるまであまり時間もないけど今からでも予習しておいた方が良いだろうか……。
「……ーラ様。……ローラ様。フローラ様!」
「えっ!?あぁ……、えっと?何でしたっけ……?」
いかんな。少し自分の思考に没頭しすぎたようだ。ルイーザも居るというのにぼーっとしてる場合じゃない。俺のこの癖は前世から直らない。自分のことに集中し出すと周りの話も聞かなくなるのは直した方が良いんだろうけど……、どうやったら直せるんだ?
「着きましたよ!」
「あぁ……」
今日回るはずだった屋敷に着いたらしい。そういえば挨拶回りの途中だったっけ。それも忘れてるじゃないか……。
「ルイーザ、帰るのならばこのままヘルムートに送らせますよ」
「ううん……。よかったら待ってても良いかな?まだ話したいこともあるし……」
少しだけ照れ臭そうに……、ルイーザはそう言った。ならば俺の答えは決まっている。
「ごめんなさいね。少しだけ待っていてもらえる?すぐに終わらせてくるわ」
知らないおっさんとの挨拶なんてどうでも良い。ルイーザが待ってくれるというのならすぐに終わらせて戻ってこなければ……。




