第七十二話「あの娘と再会!」
学園が始まる一ヶ月ほど前に家を出て十日ほどで王都が見える場所までやってきた。クルーク商会の換え馬を利用してぶっ飛ばしてきたから移動も相当速い。
カンザ商会とクルーク商会はお互いに色々と融通し合っている……。まぁ実際にはカンザ商会がクルーク商会にお世話になっていると言うべきだろうけど、建前上はお互いに融通しているということになっている。販売網や店舗を利用させてもらったり、今回のように移動時にクルーク商会の馬を使わせてもらったり、カンザ商会はクルーク商会におんぶに抱っこ状態だ。
代わりと言っては何だけどクルーク商会にはカーン領産の様々な物品を卸したりしているから、カンザ商会の面倒を見てもクルーク商会には十分に利益が出ている……、らしい。
いや、俺はクルーク商会の会計は知らないからね?ヴィクトーリアが利益は十分出ているから良いと言うからそのまま言ってるだけだ。もしかしたら本当は多少の損もあるのかもしれないけど、敏腕経営者であるヴィクトーリアがそれでも利益が確保されていると言ってるのだから俺がとやかく言うことじゃない。
そして今回はカーン騎士爵家が買った馬車ではなくカーザース辺境伯家の馬車でやってきている。今回俺が王都にやってきたのはカーザース辺境伯家の娘として学園に通うためだ。だから俺は王都では極力カーザース家の娘として振る舞わなければならない。
住む場所もカーザース邸ということになっているし、王都のカーザース邸にカーザース家の馬車があるから学園に通うのもそれで通うことになる。
「お母様王都は久しぶりだわぁ」
「そうだな」
母の言葉に父も言葉少なに答える。うん……。何故かこの馬車には父と母とヴィクトーリアが乗っている。今回やってきたのは他にヘルムートとイザベラとカタリーナで俺を含めて御者を除いて七人だ。御者はクルーク商会の御者なので俺には関係ない。
何故父と母とヴィクトーリアがついて来ているのか。それは……、俺にもわからない。
父と母は俺の入学式?のようなものに出席するらしい。兄達の時に二人揃って王都になんて行ってなかった。俺の時だけ両親揃って参加するのか?
ヴィクトーリアなんてどうしてついて来ているのかまったく理由も知らない。学園関係ではないと思うけど……。クルーク商会の商談でもあるのだろうか。クルーク商会の馬を借りているから断れないけどわざわざ俺達と一緒に狭い馬車に乗らなくても自前の馬車に乗ればよかったんじゃ、とは思う。
俺の荷物に関しては後からオリヴァーの部隊が輸送してくれるから心配はない。輜重隊にオリヴァーの部隊が護衛について俺の荷物を王都まで輸送してくれる手筈になっている。最初は一緒にカーンブルクを出発したけど馬を換えてぶっ飛ばしてきた俺達と足の遅い輜重隊が一緒になるはずもなく、当然のように俺達の方が先に到着したというわけだ。
当分の生活には困らない程度に荷物は持ってきているからオリヴァー達が到着するまで十分事足りるだろう。それに最悪の場合はカンザ商会王都支店で欲しい物を買えば良い。
俺はあえて王都を支店にしている。普通なら王都に本店を構える方が良いのかもしれないけどカンザ商会の本店はあくまでカーンブルクだ。別に王都本店というのが嫌だから反発して、とかではなく実務的に俺がカーンブルクにいるのだから本店もカーンブルクの方が都合が良いということだけど……。
「それでは私はこれで。また後日お会いいたしましょうフローラ様」
「ええ、ここまでありがとうヴィクトーリアさん」
以前泊まったことがある王都のヴィクトーリアの屋敷でヴィクトーリアを降ろして別れる。クルーク商会の御者はカーザース邸まで御者をしてくれると言っていたけど、そこから歩いて帰らなければならなくなるのでヘルムートと交代してカーザース家の関係者だけでカーザース邸へと向かった。
「お帰りなさいませ、旦那様、奥様、フローラ様」
カーザース邸に着くと家人達が出迎えてくれた。俺はあまり王都のカーザース邸は利用しないからそれほど面識はない。ここに泊まったのは叙爵の時に父と一緒に来た時くらいだ。それ以外で王都に来たことはあるけどカーザース邸には泊まっていない。何か利用しづらいんだよね……。
カンザ商会王都支店の出店の時や、さらに追加で船の保有申請をしに王都に来たことがある。だけどその時も俺はカーザース邸は利用せずヴィクトーリアの屋敷に泊めてもらったり、王都で適当に宿を取ったりして泊まった。ここに来るのは本当に久しぶりだ。
俺の部屋として準備されていた部屋に行き荷物を片付ける。まぁ俺は何もしないけど……。荷物を運ぶのは執事達だし片付けるのはメイド達だ。俺が片付けようとしても逆に怒られて座ってろと言われてしまう。さすがにそんな言い方はしないけどね。
暇なのでカーザース邸の中をプラプラ歩いていると少し催してきたのでお花を摘みに行こうと思って俺は固まった。そうだ……。ここはカーン邸じゃない。過去に来た時のことを思いだす。あの時はあれがこの世界の普通だったから何とも思わなかったけど今はそうじゃない……。
カーン邸は上下水、水洗トイレ、お風呂完備の俺好みの設備を満載して建てた。だけどここは……、水洗トイレどころかトイレ自体なくておまるだし、上下水も完備されていない。お風呂もなくてお湯を沸かして桶で拭くのが普通だ。
やばい……。俺はこの家で快適に過ごせる自信がない……。
カーン邸の便利さを知る前だったならこの世界の常識として受け入れていたはずなのに、今更前のように生活しろと言われても耐えられるとは思えない。どうする?どうすれば良い?
「ヘルムート!ヘルムート~~っ!」
俺は急いでヘルムートを探したのだった。
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この家の状況を察した俺は急いでヘルムートにカンザ商会に向かってもらった。まずは手押しポンプだ。井戸から水を汲んでいるカーザース邸では釣瓶で水を汲んでいる。そんなことをしていたら無駄な手間がかかるだけだ。三年も俺が住まなければならないのだからまず水の確保は最優先となる。
それからお風呂を新設する。庭園になっている庭の一画を潰してお風呂場を建てることにした。父と母にも許可を貰っているから何も心配することはない。凝った作りにする必要なんてないからまずは大急ぎで臨時のお風呂場を作ることになった。同時進行で本格的な風呂場も建てる。そちらがメインになるけど完成まで時間がかかるから先に入れる場所を別に作るのは当然だろう。
さらにブーツも必要だ。カーザーンもカーンブルクも汚物が広がっているなんてことはないけど王都は汚物が堆く積り排水溝を詰まらせている。汚物を踏まないというのは不可能なので厚底の皮製ブーツでスカートが汚れないように対処しつつ、簡単に汚れが落とせるブーツを履く必要がある。
トイレもどうにかしなければならない。下水に流して終わりとはいかないのでトイレを作っても水洗で流して終わりじゃない。お風呂場と一緒にトイレも作ることになっているけど排泄物をどう処理するかについてはまだ決まっていない。トイレだけ設置しても無意味だ。
おまるにするのや、まして庭にしにいくのは憚れる。子供の頃ならともかく今の年になって今更それは難しい。せめてずっとそうやってトイレを済ませていたのなら平気だったのだろうけど、カーン邸で水洗トイレに慣れてしまった俺には今更そんなことは出来ない。
自分が出したものを人に処理してもらうのは恥ずかしい。だけどするたびに毎回毎回国の処分場所へ持って行ってなんていられない。だからこそ王都の住民達もそこらに放ってしまうわけで……。一体どうすれば……。
いや……、待てよ?国の処分場所ではどうやって処分している?確か集めたものを魔法で焼却処分していると聞いたぞ。だったら燃やせる場所を庭に作って俺が自分の魔法で燃やすか?
でも普通に燃やしたら多分臭いとかすごいことになるよな……。臭いもさせないほど一瞬で高熱の魔法で焼き尽くす?試してみるか……。
乙女の秘密なのでイザベラだけを連れた俺は王都の外へ行き、おまるで用を足してから穴を掘り燃やす実験をしてみたのだった。
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トイレと処分方法について一応解決策が出来たので急いで工事してもらう。仮設の風呂とトイレは大急ぎで完成させ本設はカーザース邸に相応しいものをじっくり完成させる。さらに庭に俺の魔法でブツを焼却処分する設備も整える。これなら用を足してすぐにこっそり一人で処分可能だ。
じっくり火にかけたら耐火煉瓦でも魔法に耐えられないけど少量を一瞬で焼き尽くすだけならある程度はもつことが確認出来ている。耐火煉瓦仕様の焼却設備ならそれなりに長く使えるはずだ。
だけど何というか……、不便だ。非常に不便だ……。この世界に生まれた当初はこれが当たり前の世界として受け入れていたけど、一度カーンブルクでの生活に慣れてしまうと他所に行った時にとても耐えられない。せめて俺が住む場所くらいはきちんと環境を整えたい……。
……建てるか?
王都にカーン邸を建ててしまうか?上下水完備とはいかないだろうけどそれに近い環境なら再現出来るかもしれない。トイレも下水には流せないとしてもどこか溜める場所に流すことは可能だろう。あとはその溜まったブツを処分する方法さえ考えれば……。
う~ん……。ただ問題は場所だな。もう王都の中心部にはそんな敷地など余っていないだろう。貴族街どころか下町ですら俺が望む規模の土地が余っているか怪しいものだ。最悪王都の外に建てるとかいうことになりかねない。
王様とかルートヴィヒに相談すれば何とかしてくれるかもしれないけど、王家に借りを作るのはあまりよろしくない。そのうちルートヴィヒとの婚約も破棄してやろうと思っているのにこんなことで借りを作ったら破棄しにくくなる。
あれ?でもよくよく考えたら婚約破棄して王都から去れば別に王都にカーン邸を建てる必要すらないんじゃ?短期間の滞在ならヴィクトーリアの屋敷か宿屋でも良いかもしれない。まぁそれでもカンザ商会の絡みもあるからカーン邸を建てることは考えておいた方が良いのだろうか。急ぎではないにしても頭に留めておこう。
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王都に来てから数日、何やかんやと忙しくしている間にあっという間に日が過ぎてしまう。今日も馬車に乗ってあちこちに出かけたり、しなけければならないことが山ほどある。
そして俺は忙しいからと理由をつけて一つだけ避け続けていることがある。それは王都の牧場の視察だ。今まで何度も王都に来たことがあるというのに俺は一度も王都のカーン家の牧場を視察したことがない。理由はもちろんあの娘に会うのが怖いから……。
あの娘がまだ牧場で働いていることは書類上で知っている。それどころか責任者としてかなり出世しているのも知っているくらいだ。だからこそ余計に怖い。ただの一労働者ならば牧場が終わった時間に行けばほとんど人と会うこともないだろう。だけど責任者はかなり遅い時間まで残っている。
何より俺が視察に行くと言えば絶対責任者達は俺を出迎えるだろう。その中にあの娘もいることは間違いない。大々的に出向くと言えば絶対に会うことになる。俺はそれが怖い。
ぼんやり王都の景色を眺めながら馬車に揺られていて……。
「――ッ!停めて!」
俺は咄嗟に叫んでいた。自分でも停めてどうしようかということは考えていない。ただあんなことを考えていたからか窓の外に見えた姿につい叫んでしまっていた。
「どうかなさいましたか?」
馬車を停めたヘルムートが驚いた顔で聞いてくるけど気にしている余裕はない。ただ俺は何かに引き寄せられるかのように停まった馬車からゆっくりと降りていた。周囲は突然停まった馬車に驚きこちらを見ている。あの娘も……。
「ルイーザ……」
「えっ!なんで私の名前を……」
見間違えるはずもない。五年半か六年近く前から久しぶりに会ったとしてもその姿にはあの頃の面影がある。プロイス王国では比較的多い少しくすんだような金髪っぽい髪色に青い瞳。少しだけソバカスのある気の強そうな女の子。
「もしかして……、フロト?」
「……」
ルイーザも俺に気付いたらしい。まだ確信は持っていないのかもしれないけど薄々俺のことに気付き始めているようだ。
ただ黙って向き合う二人。飛び出したはいいけど俺は何て言っていいかわからない。何も考えず衝動的に飛び出しただけでこの後どうしようかも考えていなかった。
ルイーザも驚いた顔で固まっているだけでそれ以上何も言わなかった。出て来たのは良いけどこれはどうしたら良いのだろうか……。そんな気まずい空気が二人の間に流れていたのだった。




