第六十九話「新たなメイドがやってきた!」
何とかヴィルヘルム陛下やディートリヒ殿下の前でボロを出さずに済んだ俺は参列者達に挨拶されながらパーティー会場を歩く。野外での立食形式のため海の方を眺めればすぐにキーン港が見えている。港の建設開始から二年近くもかけてようやく完成した理想の港に俺も感慨深い。
「やぁフローラ!素敵な口紅だね」
「これはルートヴィヒ殿下。本日はこのような場所までお越しいただきありがとうございます。それと今日ここでは私はフロト・フォン・カーンですのでお間違えなきよう……」
適当に受け流しつつも俺も少し上機嫌になってしまう。ルートヴィヒなんてどうでも良いけどこの口紅を褒められるのは少しうれしい。この口紅を開発するのにアンネリーゼと一緒に相当な苦労をした。
プロイス王国では紅花は油を搾る用途にしか使われていなかった。だから栽培もあまりされていなかったし染料としての利用はまったくされていない。そこから俺のおぼろげななんちゃって知識をもとにアンネリーゼと一緒に紅花から染料を作るのにかなり試行錯誤したものだ。それがようやく完成して出来たこの口紅は苦労もあってか自慢の一品でありその色と艶はこれまでの既存の口紅とは比べるべくもない。
「僕にとってはフローラはフローラさ。それにしても……、もうすぐ王都で毎日会えるようになるんだね。早くフローラが王都に来てくれる日が来るのを待っているよ」
「そうですね……。あと数ヶ月ほどで王都へ向かうことになるでしょうか……」
そうなのだ。俺はもうすぐ十五歳になってしまう。今年十五歳の世代はあと三ヶ月もすれば王都の学園に通わなければならない。尤も王都の学園に通えるのは貴族の中でも相当上位の家だけだから騎士爵どころか男爵や子爵でもまずいないだろう。王都の学園に通えるとしたら最低でも伯爵以上だと思う。
その学園に俺が通うことになるということは当然カーン騎士爵家の当主としてではなくカーザース辺境伯家の娘としてだ。
俺はかなり独立していてカーザース家の娘という感覚はあまりないけど王都ではカーザース辺境伯家の娘として扱われることになる。それを意識しておかないとまた色々と面倒なことになりかねないから今のうちから注意しておく方が良い。
移動や学園が始まるまでの王都での準備も考えれば最低でも一ヶ月以上前には出発する必要がある。出来ればもっと前もって出発して余裕を持っておく方が良いけどそうもいかない。俺は今かなり忙しい。本音を言えば王都で学園に通うよりも領地開発している方が面白いし忙しい。行きたくないとは言えないんだけど行きたくない……。
「はんっ!どうせお前みたいな田舎娘じゃ洗練された王都じゃいじめられるだけだろ。そうなったら俺に言いに来いよ。田舎娘をわざわざいじめるような卑怯者は俺が成敗してやるさ」
「ルトガー殿下……」
こいつは十六歳にもなっているはずなのに未だに昔と変わらない。ルートヴィヒとルトガーは俺より一つ年上なんだから去年から学園に通っているはずだ。
「相変わらずルトガーは素直じゃないな。フローラが心配だから何かあったらいつでも相談に来いと素直に言えばいいだろう?」
「なっ!ルートヴィヒ殿下!俺はそんな!こんな田舎娘のことなんて心配してませんよ!俺はただ田舎者をいじめるような卑怯者が許せないだけです!」
ルートヴィヒの挑発にルトガーはプリプリ怒っていた。別にどうでも良い。俺がルトガーに何か相談することなんてまずないだろう。
……いや、待てよ?
今まで滅多に顔を合わせなかったからどうでも良いかと思ってたけどルトガーは使えるかもしれない。俺も忘れかけていたけどそろそろルートヴィヒとの婚約解消に向けて動き出さなければ本当に結婚させられかねない。となるとルートヴィヒの情報に詳しいルトガーは使いようによっては利用価値がある。
ルトガーをうまく使いルートヴィヒとの婚約を解消する。これは俺が学園に通う上で重要なポイントだ。
「「あっ……」」
ガチャン
と皿の割れる音が響いた。ルトガーがルートヴィヒと話してる間に興奮して手に持っていた取り皿を落としてしまったようだ。うちの者がすぐさまやってきて割れた食器や散らばった料理を手早く片付ける。イザベラやヘルムート以外にも優秀な執事やメイドがたくさんいて助かる。
イザベラやヘルムートに教育されたうちの家人達は皆相当精鋭揃いだと思う。カーザース家の家人達と比べても何ら遜色がないレベルだ。普通に考えて騎士爵家の家人が辺境伯家レベルの家人と質がそう変わらないというのはすごいことだと思う。これだけの者達を育ててくれたイザベラやヘルムートには頭が上がらない。
「わっ、わりぃ。弁償するよ」
皿を割ってしまったルトガーがシュンとしている。さすがに白磁の皿が安いものではないということくらいは知ってるようだ。普段はあんなに偉そうなのに何だか面白い。
「ふふっ、いえ、大丈夫ですよ。お気になさらないでくださいルトガー殿下」
「いや!そういうわけにはいかないだろう!いくらだ?」
ルトガーが懐に手を突っ込んでそう聞いてくる。どうやら自分のポケットマネーで出そうというつもりらしい。
「これは新作のロココ調の白磁なので……、確かこのサイズですと300万ポーロ以上でしたでしょうか」
「さっ、三百万っ!?」
懐に手を突っ込んだままルトガーが固まった。まぁ無理もない。こんなしょーもない皿一枚が一億円近いと聞かされたら驚くなという方が無理だろう。うちは生産元だからこんな立食パーティーにも白磁の皿をホイホイ使ってるけど普通の家ならこれだけこの皿を集めるだけで家が破産している。
俺にはあまり理解出来ない世界ではあるけどこの世界でもそれどころか現代地球でも磁器などは非常に高価な物が多数あった。昔の皿が何億円だとかそういう話を聞くたびに信じられない思いがしたものだ。それをまさか自分が作って売る方になるとは思ってもみなかった。
「すっ、すまない……。今は手持ちが足りない。これはいずれ弁償させていただく」
本当にシュンと落ち込んだルトガーがいつもとはまったく違う大人しい声でそう言った。大人しくしてくれるのは良いのだけどこんなに落ち込まれたら俺が悪いみたいで後味が悪い。クレーフ公爵家ならこれくらいいくらでも買えるだろうけどルトガーのお小遣いで買える額ではないだろう。
「欠けたり割れたりすることは当然織り込み済みです。ですのでお気になさる必要はありません」
「しかしっ!」
俺が気にするなと言っているのに諦める様子はない。いつまでも食いつかれても困る。それに周囲の参列者達も皿をコトコトと置きだした。それはそうだ。もし万が一にも割って一億円払えと言われたら堪ったものじゃない。
カシャン
と再び皿の割れた音がする。それはそうだ。俺が自分で近くにあった皿をわざと落として割ったのだから。ついでにもう一枚くらい割っておく。
「なっ!何をしている!?」
「良いですかルトガー殿下。お皿とは飾るためにあるものではありません。このように皆様に使っていただいてこそお皿は作られた意味があるのです。そして使っていれば必ず欠け、いつか割れます。それを気にしてお皿を使わないことはお皿を作った職人達への冒涜です。割ったことに対する謝罪も弁償も必要ありません。美しいお皿を眺めながらおいしい料理を堪能していただきたい。そのために用意された料理やお皿を使わないというのでしたらこのようなお皿は全て割ってしまいましょう」
もう一枚俺が落とそうとした所でルトガーに手を掴まれた。周囲の人はハラハラと俺達の成り行きを見守っているようだ。
「わかった!わかったから!もうやめてくれ!俺の心臓に悪い!」
まぁね。今ので数億円分の皿が割れたと思うと俺の心臓にも悪いわ。だけど折角用意したお皿が使われず料理を食べてもらえないのならばこんな皿に意味がないということは本心だ。
パチ
パチパチ
パチパチパチパチパチパチパチ
周囲から拍手が響き始めた。その拍手はあっという間に会場中に広がり俺達に向けられている。やがて拍手が収まった時、参列者は一度置いたお皿を再び取り使い始めた。どうやら割ることを気にせず使って良いと理解してもらえたようだ。
「フローラは相変わらず無茶をするね」
「ルートヴィヒ殿下……、お見苦しい所をお見せしてしまいました……」
この後は特に問題もなくキーン開港の式典とパーティーは滞りなく終えたのだった。
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キーン開港も終わり数日が過ぎて通常の業務に戻った俺は溜息が止まらない。王都の学園に行くことになれば長期休暇で時々戻れるとしても三年も王都で生活しなければならない。
今カーン騎士爵領は物凄い勢いで発展している。これは俺が領主だから自画自賛しているというわけじゃなくてデータ上で明らかな事実だ。
現在カーンブルクの人口は1207人、二年前の6.6倍近くにまで達している。キーンに関しては872人で13.6倍以上だ。兵も154人にまで増えている。
初期の頃から俺に仕えてくれているオリヴァー、イグナーツ、アルマンの三人の隊長にそれぞれ20人の歩兵がついている。歩兵が63人だ。それに加えて水兵が91人。王様には海軍なんて持ってませんとか言っておいたけどちゃっかり海軍は用意しております……。
まぁ海軍というほど本格的でもない。ただ船の護衛をしたり運用したりする乗組員だ。単純な労働者の乗組員はまだ別にいるけど……。
それからカーンブルクからずっと西へ向かった先に新たに村を新規開拓中だ。こちらは北西じゃなくて西のフラシア王国の国境にかなり近い位置になる。そこにも大きな川があり川の東側を中心に新たな村の建設が行なわれている。国境にほど近いからフラシア王国との緊張が高まれば最前線になるかもしれないけど立地は良い。
開拓中の村の所にある川を北上していくと北の海に出るらしい。ディエルベ川を北上して出る海と繋がっているのかはわからない。ただカーンブルクからみて北西にある魔族の国とやらが半島のようになっているのか、その部分だけ括れていて東西の海は繋がっていないのか、その辺りに関しては俺は知らされていない。
魔族の国が半島になっているにしろ、その先も陸地が続いていて北西の海と北東の海が繋がっていないにしろ、ディエルベ川流域と開拓中の村の川の流域と両方を押さえて貿易を手中に収めればかなりの利益が見込めるだろう。
新規開拓もだし、カーンブルクやキーンの発展も急速に進んでいて俺はかなり忙しい。ヴィクトーリアが紹介してくれた三人の管理者達が俺の仕事を手伝ってくれているけどそれでも手が回らない。
三人はお互いに独立していてお互いの顔も知らない。三人全てを知っているのは俺だけでありお互いの存在すら知らないんだ。
何故このようなシステムになっているか。それは例えば俺が誰か一人に全ての仕事を任せたとしてその人物の不正や横領をどうやって知り、止めるか、という問題が出てくる。
そこでヴィクトーリアはクルーク商会で昔から使われているという、複数人の管理者をお互いに誰が何人そのような者がいるか知らせずに別々に同じ仕事をさせる方法を教えてくれた。
会計や新規事業の立ち上げなどかなりの権限はその三人に与えてある。ただし三人がお互い誰がそうかも知らずに会計しているので三人の内容が違えばすぐにおかしいことがバレる。もちろんそれでも三人が結託して会計を誤魔化す等の方法はなくはないけどそう簡単に出来ないように出来ている。
クルーク商会でも一人で全てを管理しきることは出来ないのでそのような方法で不正がなくきちんと管理されるようにそうしているそうだ。
ヴィクトーリアが俺に紹介したのは若い男のメルキオル、中年のバルタザル、老人のカスパル。この三人はお互いのことも知らないし連絡先も知らない。バラバラに俺から出される仕事を同じようにこなしている。三人の仕事の結果が違えばそれは調べられどこがおかしいのかすぐに判明する。
単純な計算ミスならそれを直せば済む話だけど横領や不正があれば一発でバレるのでお互いにそのようなことはしない。三人がお互い監視し合いながら仕事をしているからある程度安心して仕事を任せられるんだけどそれでも俺の手が空くことはない。
もうすぐ王都に行かなければならないというのにしなければならないことが多すぎる!仕事が減らない!
「フローラお嬢様、新しく雇い入れていただきたい者がおります」
「ヘルムート?」
そんな俺のもとへヘルムートがやってきた。
「執事やメイドですか?家人はいつも通りイザベラとヘルムートの好きなように雇って良いのですよ?」
俺はいちいち執事やメイドの雇い入れにとやかく言わない。あまりに変な人が入るのは困るけどこの二人がそんな人物を入れるはずもない。いつも二人が入れてくれる人は優秀な人ばかりで騎士爵家に仕えてもらうのが申し訳ないくらいだ。
何しろ主人が最低ランクの騎士爵なのだから家人達に爵位を持たせるわけにはいかない。何故なら家人達が爵位を持てば主人である俺と同等かそれ以上になってしまうからだ……。だから辺境伯家には伯爵家の配下もいるけど騎士爵家の配下は無爵しかいない。主人を超える爵位や地位を持つ配下はいなくて当然だろう。
「是非一度会ってみてご判断ください。入りなさい」
どうやらもう扉の外で待っていたようだ。一人の女性が入ってくる。その姿は……。
「カッ、カタリーナッ!?」
もう何年も会っていないのでかなり姿は変わっている。昔は痩せて肌も髪も爪もボロボロでお腹だけぽっこり出ていた少女だったのに……、それでも一目ではっきりわかる。今俺の目の前に現れたのは見違えるほど可愛く綺麗になったヘルムートの妹、カタリーナだった。




