第六十八話「キーン開港!」
アインス達を紹介して暫く話をしたらヴィクトーリアは帰って行った。ヴィクトーリアもクルーク商会の仕事があるだろうし忙しいのだろう。残された三人はどうやらカーン家に仕える学者になるらしい。
まずは色々話をしてみてからと思ってそれぞれの得意な分野や興味がある分野について聞き取りしてみた。その結果アインスは化学、アンネリーゼは植物学、エーレンは工学が得意というか興味があるようだ。
それだけ聞くと難しい専門知識を持っているとか研究者かなと思うかもしれないけどそれほど本格的なものじゃない。
アインスの化学とは簡単にいえば薬品を混ぜ合わせたり分離したりして実験を繰り返すというようなものだ。この世界の科学も化学も未発達だから現代地球の日本の学生の知識にも劣るような部分も多分にある。実際にあれとこれを混ぜたらそれが出来ました、という程度のものが大半だ。その使い道や危険性も理解せず恐ろしい実験を繰り返したりしている。
まぁだからって馬鹿には出来ない。そうして先人達が命懸けで様々な研究を行なってきたからこそ今日の科学技術があるわけで、俺達はそうした積み重ねの知識を習ったから知っているだけのことだ。そのアインスに俺が知り得る限りの知識を伝えれば相応に発展させてくれるだろう。
次にアンネリーゼの植物学というのもそんな難しい話じゃない。アンネリーゼが特に興味があるのが植物などの効能についてのようだ。植物の生態や分類や品種改良を主な目的としているわけじゃなくて、この草は煎じて飲めばこういう効果がある、あの花はすり潰して塗ればこんな効果がある、というようなものに特に興味があるらしい。
それらの主な目的は化粧品や美容なのだろう。お肌に良いとか髪に良いとか、あるいは体臭や口臭などの臭いを抑えるだとか、そういったことに特に興味があるようだ。
アンネリーゼの研究は俺も期待したい。いや、別にお化粧で綺麗になりたいとか、美肌効果のあるものを作って欲しいとかそういう目的じゃないぞ?そういうのも嫌いじゃないけど……。そうじゃなくて美容は医療にも関わってくる場合が多いし、植物に詳しいということは植物由来である綿や天然樹脂にも精通してくれるかもしれない。
綿の栽培の助けになれば下着や生理用品の開発にもプラスになるし、樹脂が出来るようになれば物凄く用途が広がる。樹脂を作るためには薬品が必要でありアインスと協力して夫婦で化学の発展に協力してもらいたい。この二人が夫婦だっていうのは未だに納得出来ないけど……。
このぽやぽやした感じの美人なお姉さんが何故こんな偏屈そうな爆発頭の爺さんと結婚しているのか……。もしかして何か善からぬ手段で強引に結婚させたんじゃ……、なんて邪推しそうになるけどアンネリーゼは幸せそうにアインスに寄り添っているからそんなことはないんだろう。
そしてエーレンの工学だけどそれもそんな難しいことじゃない。俺が工学に分類しただけでエーレンが非常に興味があるのは焼成のようだ。もともと磁器などに興味があるそうなのでガラス作りに協力してもらえたら助かるかもしれない。
また折角磁器に興味があるというのだからガラスだけじゃなくて磁器も作ってみるのも良いかもしれない。カーン騎士爵領の特産物として色々と候補が出てくるのは良いことだ。
そんなわけでまずは三人にカーン邸前の大通りに面した大型の建物を提供する。それらは普段入植者達が自分達の家が出来るまで仮住まいに提供したりしているものだけど現在は利用率が低い。少し前まで第三次入植者達が利用していたけど彼らもそろそろ各自の家を建てたり生活基盤が整ってきて出て行ったので、次の第四次入植者達がやってくるまでは建物の利用者も減る一方となる。
さらにそういった共同住宅のようなものだけじゃなくて会議場や集会所として利用されている施設もある。そのうちの一画をアインス達の研究施設として一時的に貸し出そう。そこで俺の知識をある程度教えながら実験をしてもらう。最終的には東のディエルベ川近くに研究棟と工場を建てるつもりだ。
ガラスの製造工場では薪を大量に使う上に火も扱うので万が一の消火のために水辺の近くが良いだろう。他の材料が揃いやすいキーンではなくカーンブルクの方で生産するのは薪の確保が容易いからだ。キーンの方は山から海までの幅が狭く森もあまりない。釜炊き塩の生産もあってそんなに薪ばかり大量に使っていてはすぐに禿山になってしまうだろう。
そこで豊富な森があり船での輸送が簡単なカーンブルク東の辺りにガラス工場を作る。キーンやルーベークからの材料輸送も船を使えば簡単に大量輸送が可能だ。
ディエルベ川からポンプで消火用の水を撒ける設備も考えなければならない。水辺のない森の中に火を扱う工場を作って森に燃え移ったりしたらしゃれにならないからな。
川沿いにガラス工場を作りそこから西に向かってアインスの化学研究所、アンネリーゼの植物研究所を建てよう。植物は集めるために森の中の方が都合が良いだろう。アインスの化学研究所は薬品の発火や爆発もあり得るからこれも水の近くが良い。ただ薬品火災は水では消火出来なかったり余計に発火したりする反応もあるからその辺りはよく考えなければ余計大惨事になりかねない。
北側にある山脈をヘクセンナハトという。その山脈にも植物研究所の関連施設と磁器を焼くための窯を作ろう。植物の採集や研究に山に施設があった方が都合が良いだろう。それに磁器などを焼く窯はだいたい山にある気がする。山の斜面を利用して窯を作ったり粘土が取りやすいからじゃないだろうか。
そんなわけでヘクセンナハト山にも施設を作ることにしてアンネリーゼやエーレンに話を聞く。二人が中心になって作っていくわけだから俺だけが勝手に決めるわけにもいかない。
暫くはカーンブルクの臨時の施設を利用してもらいながらアインス達の希望に沿う施設や工場の建設に取り掛かったのだった。
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あと数ヶ月もすればフローラ達が十五歳になろうかという頃、カーン騎士爵領では盛大なセレモニーが催されていた。
「本日は当家のためにお集まりいただきありがとうございます」
挨拶を始めたカーン家当主の言葉に参列者達の視線が一斉に集まる。風に靡く長い金髪はサラサラと柔らかく揺れ薄いブルーの瞳に見詰められた男達はその瞳に吸い寄せられて目が離せなくなった。
カーン騎士爵家が設立したという植物研究所で発明されてクルーク商会で販売されている新作の真っ赤な口紅を塗った唇が動くたびに男達はその動きを目で追ってしまう。
大胆に開けられた胸元から見える二つの膨らみはとても十五歳になる前の少女の胸だとは思えないほどに豊満であり、抱き締めたら折れてしまうのではないかと思うほどの腰に丸みを帯びたお尻とどこをとっても男達の視線を釘付けにしてしまう。フローラが動くたびに胸やお尻が揺れて男達は前かがみになって歩けなくなっていた。
フローラ、否、フロト・フォン・カーン騎士爵の挨拶もついに終わりに差し掛かり本日の目玉の催しの幕があがる。
「それではご覧ください。こちらが本日開港いたしますキーン港です」
「「「「「おおっ!?」」」」」
幕が下ろされて後ろが顕わになると参列者達からどよめきが起こった。これまで見たこともない徹底的に合理性を追求したかのような整然とした港が姿を現した。今日はキーンの新港の開港の式典が行なわれている。そしてその式典にはヴィルヘルム国王陛下の姿やルートヴィヒ第三王子の姿もある。
またクレーフ公爵家のディートリヒ公爵やルトガーといった王族や大物貴族も参列しており、その式典がどれほどのものであるのかは推して知るべしである。
「こちらが本日進水しますキーン港の最初の一隻となる船、最新型の遠洋航海用帆船、キャラック船です。ヴィルヘルム国王陛下、命名をお願いいたします」
造船所へと移動した一行の前にはとてつもなく巨大な船が船渠に収められていた。そのあまりの巨体に参列者達は驚きを隠せない。世界初となるキャラック船にヴィルヘルム国王に命名してもらい進水するのが本日最大のイベントである。
「うむ……。そうだな……。この素晴らしい船はヴィルヘルム号と名付けよう!」
「「「「「おおっ!」」」」」
自らの名前を授けたことに参列者達はまた驚きの声をあげる。国王が自ら自分の名前を授けるなど名誉を重んじる貴族達にとってはこの上ない名誉なことだろう。
「父上……、ご自分の名前を贈るおつもりですか……」
ルートヴィヒがジロリと父王を見るがヴィルヘルムは意にも介さない。何しろヴィルヘルムは今ヴィルヘルム号と名付けたキャラック船に釘付けなのだ。
すでに進水して運用されているもう一つの新型船、キャラベル船ですら巨大だと驚いたものだった。全長20mを越え80トンほどもあるキャラベル船はそれだけで威圧感がある巨船だと思った。しかしこのキャラック船はその比ではない。
全長は30m近くにもおよび250トンを超える巨体は最早要塞のようにしか見えない。まるで子供のようにヴィルヘルムはキャラック船に夢中になっていた。こんな船を並べて海を渡ればさぞかし素晴らしい景色が見えるだろう。
そして実はそれはヴィルヘルムだけのことではなかった。遡ること半年少々前、カーンブルクで新型船の進水式が行なわれた時にキャラベル船の命名式が執り行われ、命名を任されたアルベルト・フォン・カーザース辺境伯は新型のキャラベル船にアルベルト号と名付けたのだ。ヴィルヘルムはそれを知っていたわけではないが結局二人とも同じことをしていたのである。
進水台を滑り水面に入水したヴィルヘルム号は大きな波を起こしながら無事に進水した。そこで再び一斉に拍手が沸き起こる。
進水式が終わると海上の先で待機していた船が次々に入港してきてキーン港に次々接舷、停泊していく。これほど大規模で先進的な港を見たことがない参列者達はその港の機能性に驚きを隠せなかった。
「素晴らしい港だな」
「ありがとうございます」
式典が終わり各々が立食式のパーティー会場へと移動し食事を楽しんでいるとフローラ、否、フロトのもとにヴィルヘルムがやってきて声をかけた。
「さらに三隻ものこの最新大型船の建造を計画しているようだが……、これほどの『海軍』を作り上げて一体何を考えておるのやら?」
「いえ……、これらは軍艦ではなくただの民間船ですよ?」
ヴィルヘルムの言葉にフロトは苦笑いするしかない。ヴィルヘルムの言葉はつまりフロトの反乱を疑っているということだろう。
「それとキャラック船を三隻ではありません。申請した通りキャラック船二隻にキャラベル船一隻です」
フロトは造船所の仕事が切れて職人が仕事を失わないようにすでに次の船の建造計画をプロイス王国に届け出ていた。カーンブルクの造船所ではすでに次のキャラベル船の建造が始まっており、キーン港では今日進水式を行なった造船所とは別にもう一つある大型キャラック船が建造可能な造船所でさらに大型のキャラック船建造が始まっている。今日空いた造船所でも次のキャラック船の建造が予定されており順次進めていくことになっていた。
他に類を見ない新型の大型船五隻を含む八隻にも及ぶ巨大船の船団を個人で保有するなど前代未聞どころではない。もし万が一にもカーン家が反乱を起こし海上封鎖すればプロイス王国は相当に手を焼くことになるだろう。
しかし当然フロトには反乱の意思などない。単純に技術の発展と職人達の保護、技術の継承のために造船業を途切れさせないために行なっている。そもそもそれほど次々と建造していくことはカーン家にとっても大きな負担となっており出来ることならもっと縮小したい気持ちもある。
ただ船の需要が高まっていることもあり実際には儲けの方が莫大でありカーン家の財政を潤している面は否めない。初期投資が莫大であるがために負担が大きいように感じられるが、いざ船が運航されて貿易を開始するとイニシャルコストなどあっという間に回収出来るほどの利益を上げている。
「この船や港も恐ろしいですが私はまた別の所も恐ろしいですけどねぇ……。私は是非カーン騎士爵家の技術の粋が集められていると言われている研究所と工場を見学してみたいものです」
そこへディートリヒ公爵も会話に加わってきた。再びフロトは苦笑いするしかない。
「いえ……、ディートリヒ殿下にお見せ出来るようなものは何もありませんよ……」
すでに稼動して多大な利益を上げているカーンブルクの工場地帯。この世界ではカーンブルクでしか生産されていない巨大で平坦な板ガラスに、その板ガラスを利用した巨大な大鏡。また世界中の誰も発見していない発明の数々を生み出し続けている化学研究所と植物研究所。
さらに最近ではカーン騎士爵領製の磁器、白磁を持つことが貴族のステータスとして非常に高価で取引されている。美しい白を基調としてフロトが絵付師達に教えたロココ調の白磁は大貴族でもなければ持てないほどの価格にまで高騰していた。
「まぁそういうことにしておきましょうか。今日はルトガーも来ているのですよ。まだ生意気な盛りで困っていますが是非話をしてあげてください」
「はい。それではヴィルヘルム陛下、ディートリヒ殿下、またのちほど」
表情を崩すことなくヴィルヘルムとディートリヒから離れたフロトは何とか顔に出さずに済んだと若干引き攣った笑みのまま参列者達の挨拶を受けながらパーティー会場を回ったのだった。
ここまで序章でようやく始まりそうな予感です!




