第六十話「似た者夫婦!」
全然意味がわからない。母があの鬼のような父を超えるほどの実力を持った武人?あのほんわかした母が?巨乳の母が?正確な年齢は教えてくれないけど俺が十三歳で上の兄が二十歳に近い歳なんだから最低でもそろそろ四十歳近いはずの母が?
あっ……、今滅茶苦茶睨まれた……。歳のことはタブーらしい。
でもそのことが嘘じゃないと思える。ブォンブォンと物凄い風切り音を唸らせながら巨大な方天画戟のような槍を軽々と振り回している。穂先は槍、その手前側の両サイドに刃がついている。そこまでならただの方天画戟だろうけど刃の所に引っ掛けるための鉤爪のようなものまである。これはハルバードに近い。でもやっぱりハルバードとも違う。
見た目からしてわかる相当な重量なはずなのにさらに柄が長い。先端があれほど重そうなのにあんなに柄が長いということは前に構えたまま保持するだけでも相当な腕力が必要なはずだ。それなのに母が振り回すそれはまるで重さを感じさせないほどに片手で軽々と振り回されている。
「さぁフローラちゃん、遊びましょ!」
ピタリと、本当にピタリと穂先が俺に向けられて止まる。あれほど高速で振り回していたのにそのままピタリと構えられるということは本当に母の腕力は信じ難いほど強いということになる。そもそも俺ならあの重そうな槍を前に構えて保持することも難しいかもしれない。
「うぅ……」
いや、呑まれるな。呑まれたら戦う前に負ける。いつもと同じだ。むしろ今日は父以下いつものメンバーは少し離れた場所で見ている。それはつまりいつもの四人を相手にするよりも母一人の方が危険ということか……。だけど俺だって何年も訓練に明け暮れてきた。昨日は父に掠っただけとはいえ一撃も入れることが出来た。
……ところで何で父はいつもの剣と違って身の丈ほどもある巨大な剣を持っているんだろうか。それも俺と対峙するわけでもなく遠くに立っているだけだというのに既に剣を抜いていつでも振れる体勢を維持している。
だいたい母の槍は……、これ刃を潰してないよね?本物の刃だよね?鉤爪も鋭いしまともに食らったら本当に大怪我じゃ済まないんですけどこれは……?
「フローラちゃん……、真剣にならないと本当に大怪我しちゃうわよ?」
「うっ……、ごめんなさい」
怒られた……。母に怒られたのは生まれて初めてだ。ふざけてないで真剣になろう。本当に本気でないと一瞬で大怪我をしてしまう。
「いいわね。それじゃいらっしゃい」
「……」
どうやら先手は譲ってくれるらしい。俺が仕掛けた時が開始の合図だ。ジリジリと間合いを詰める。俺の方が小柄なんだからリーチが短い。しかも俺は剣、相手は槍だ。遠い間合いは相手の間合いであり俺が勝負するためには懐に入るしかない。
「――ッ!」
ダンッ!と踏み込んで一気に間合いを詰める。真正面から何の駆け引きもなく愚直に突っ込む。
「ふぅん……。怪我をしないように気をつけるのよフローラちゃん」
「――ッ!」
突き。神速の突きが俺に迫る。そりゃ槍なんだから突いてくるわな。でも突きは直線的な動きだ。これをかわして相手の引きより早く間合いを詰めれば槍は使え……。
「……え?」
左にかわしたはずの槍が薙ぎ払われる。そうか。そうだよな……。ドミニクの普通の穂先の槍とは違うんだ。突くだけじゃない。こうして払ったり斬ったり引っ掛けたり出来るのがこの手の武器の強みだ。
「――くぅっ!」
払われた槍をさらに姿勢を前に屈めてやり過ごす。俺の頭の上を物凄い音を残して通り過ぎる槍の風圧と音を聞くとぞっとする。もしあれが少しでも俺に当たればボロ雑巾のように吹っ飛ばされることだろう。いや、刃の部分が当たれば真っ二つに両断される。
だけどかわした。そして間合いは詰めた。これで……。
「甘いわねぇ。まだまだよフローラちゃん」
「なっ、ん……、で……?」
間合いを詰めたはずだ。槍の一撃をかわして……。それなのに母が遥か遠くにいる。この距離はまずい!
「もう一突きいくわよ」
「ひぅっ!?」
息が止まる。恐らく母はバックステップで下がったのだろう。たったそれだけのこと。当たり前の反応。だけどあまりに動きが速すぎる。あんな重い槍を持って、そもそも突いた途中から払いに変えたのにその槍の勢いもあるままに前進する俺よりも速くバックステップする?あり得ない。どんな動きだ……。
そして再びやってくる必殺の突き。当たれば俺なんか貫通してしまうと確信出来るだけの威力を秘めた一撃必殺の突きが再び俺に迫る。
一度目は避けられた。だけど次は母も俺の回避を想定して動いてくるだろう。そもそもあの当たれば必ず死ぬ突きに向かってもう一度突っ込むというのが怖い。本当の命の危険がある攻撃がこれほど恐ろしいなんてすっかり忘れていた。所詮訓練は死なない配慮がされている。それに比べて母の一撃はそのどれもが俺の命を奪う一撃だ。
だけど離れたら余計危ない。そう、槍の間合いになれば俺に勝ち目はない。だから前に出るしかない。
「ふぅっ!」
再び迫る必殺の突きに飛び込む。また左に避けた。母は先ほどと同じように途中で払いに切り替える。今度はかわすんじゃなくてこの払いを剣で受ける。
「ここっ!」
俺の剣の間合いに母の槍が入った時、剣で槍の刃を受け……、受け……。
「――ッ!」
剣が触れた瞬間、受け流すことも往なすことも出来ずに、ほんの一瞬の間に俺の剣はへし折られていた。この払いにはどれほどの力が込められているというのか。触れ合った瞬間に往なす暇もなく剣が粉々になるなんて信じられない。
剣は折られ、今度の払いは俺が屈んで避けられないように先ほどより低い位置を狙ってきている。飛んで避ければ着地する前に次の攻撃を避ける術はない。だけど飛ぶしかない。他に避けられる場所は存在しないんだ。
「あらら、飛んじゃったわねフローラちゃん」
「こっ、こっ、だっ!」
「え?」
飛んで払いを避けた俺に母は追撃しようと槍を引く。その瞬間俺はバフ魔法をかけて折れた剣の鍔を槍に引っ掛けて槍と共に母に向かって引き寄せられる。母の引きによっても勢いを増した俺は剣を捨てて母に飛び掛った。
「う~ん。今のは良い反応だったわよぉ。でもおしまいね」
「……え?」
今度は俺が呆けた声を出す番だった。俺は全力でバフ魔法までかけて母の懐に潜り込んだはずなのに……、一瞬のうちに母はまた俺から離れて槍の間合いにいた。なん……で?
「今のは……、バフ魔法?」
今一瞬母は間違いなくバフ魔法を使っていた。一瞬すぎて術式は見えていない。そしてその効果は俺の比ではないほどに劇的だ。およそ人間とは思えない速度で俺から離れた母の槍が振り上げられて……、俺に振り下ろされる。その瞬間またしても母が光った。バフ魔法だ。ものは別かもしれないけど同種のものであることは間違いない。振り下ろされてくる槍の刃が目に映る。
強……!速……、避……無理!!
目の前に迫ってくる確実なる死。物凄い速さだというのに妙にはっきりその軌跡が見える。
(死んだ……)
ただ呆然と、そう考えることしか出来ない。だけど……。
ガギィンッ!
と物凄い金属音が聞こえて俺を殺すはずだった一撃は途中で止まっていた。
「そこまでだ」
「ちっ、父上……」
ドサリと地面に落ちた俺が上を見上げると巨大な剣で母の槍を受け止めた父がいた。どうやら父が間に入って止めてくれたようだ。もし父が止めていなければ俺は今頃肉塊になってこの辺りに散らばっていたことだろう。
考えるだけでゾッとする。今間違いなく俺は死を体験した。今頃になってドッと冷や汗が流れ出て心臓がドクドクとうるさいくらいに鳴っている。
「やぁん、パパ素敵~!止めてくれてありがとう~!もうちょっとでフローラちゃんに大怪我させちゃうところだったわぁ」
いやいや!大怪我違う!絶対死んでた!食らったら死ぬ!あれは殺す気で来てた一撃だ!
「マリアは手加減が苦手だからな……」
手加減とかそんなレベルの話ですか?もっと根本的な問題だと思うよ?
母はどうやら戦闘狂だったらしい……。こんなに若くて綺麗なのに……。
「良い経験になっただろう?それでは訓練を始める」
えぇっ!今からまたいつものアレをする?マジか……。結局この後俺はいつもの四人がかりでしごかれたのだった。
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今日は母もこのままいるということで朝の訓練が終わってから少し話を聞くことにした。よくよく考えれば俺は母のことも何も知らない。
「お母様はねぇ、元々パパと結婚出来るような身分じゃなかったのよ」
「え?」
この母が?こうして見ていればどこの貴婦人かと思うような気品に溢れてる母が低い身分だった?まぁ今朝の槍を振り回していた姿は確かに衝撃だったけど……。
「それでもパパがどうしてもお母様と結婚したいって言ってねぇ。最初は断っていたのだけれどとうとう熱意に負けちゃってね。周囲の反対を押し切れるように二人で頑張って、頑張って頑張って、そしてようやく結婚が認められて結ばれたのよ」
「そっ、そうだったのですか……」
頑張って、の内容が恐ろしい。二人でひたすら戦場に出て武勲を挙げまくったそうだ。その功績で結婚が許されたそうだけどついでについてきたのが救国の英雄、武神アルベルト辺境伯と血塗れ聖母ブラッディーマリアという物騒な二つ名だそうだ。
「それではお母様が時々ふらりといなくなられるのは?」
「あぁ、あれはね。時々強力なモンスターの討伐に向かってるのよ~。これでもお母様はまだ現役なのよ」
いや、知ってます。身を持って味わいました。俺もちょっとは強くなったんじゃ?とか思いあがっておりました。まったくそんなことはなかった。父だって全然本気じゃなかったんだ。今日母の一撃を止めたのを見てわかった。俺との訓練なんて全然本気を出していなかった。あれでも父は手加減していたんだ。
俺は完全に天狗になっていた。バフ魔法があればそこそこ強いと思っていた。全然そんなことはない。俺のバフ魔法なんて子供の遊びだ。
一瞬しか見えなかったけど確かに母もバフ魔法のようなものを使っていた。魔力の輝きが見えた。あれは見間違いなんかじゃない。
その後また母と父のノロケ話を聞かされてから俺はカーン邸へと向かったのだった。
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今日は時間が遅くなったからミコトはいないだろうか。そうは思うけど確認だけはしようと思っていつもの場所にやってきた。
「何よ!今更やってきて!私がどれだけ待たされたと思ってるの!」
「ごめんなさい」
今日は母と話していたから遅くなってしまった。だけどそれはミコトには関係ない話であって全面的に俺が悪い……。あれ?そうなのかな?別に時間を指定して待ち合わせしてるわけじゃないんだけどな?
まぁいいか。ここで『別に待ち合わせしてないだろ』とか『時間なんて決まってないだろ』なんて言ってもミコトを怒らせるだけだ。ここは素直に謝っておこう。
「どうしたら許してくれる?」
だからまずは相手に許してもらおう。謝って許してもらう。それが一番だ。
「うっ……。そんな目で見ないでよ!何か私が悪いみたいじゃない!」
別にそんなつもりで見てないけどね。まぁミコトがそう思うんならそうなんだろう。
「どうすればいい?」
「そっ、そうね……。あっ!明日!明日はお昼前にここに来て!そしてお互いにお弁当を交換するの。どう?」
「それで二人でここで食べるのね?」
「そうよ!そうしましょう!」
何か知らないうちに明日は二人でお弁当を交換して一緒にランチをすることになったようだ。それは別に俺の償いにはなっていない気がするけど……。俺が作ったお弁当を食べてもらうとかならわかるけど交換したらミコトもお弁当を作らなければならないわけで……。
まぁいいか。可愛い女の子の手作り弁当を食べられるなんてむしろご褒美じゃないか。俺にとってはメリットしかなくてミコトにも許してもらえるなら否やはない。
「あっ!言っておくけどメイドや料理人に手伝ってもらったら駄目だからね!」
「私はそれでも構わないけどミコトもそうするってことよね?」
俺は一応簡単な料理くらいは作れる。おいしいかどうかは別にして日本の簡単な料理なら出来るし食材も作ってきたから色々と再現出来るものも増えている。
「わっ、私だって料理くらい出来るんだから!明日びっくりさせてやるんだからね!」
「ふふっ、楽しみにしておくわ」
こうして今日もまたミコトと楽しくおしゃべりして明日の約束を取り付けてから俺は良い気分で帰って行ったのだった。




