第五十五話「開拓開拓ぅ!」
森の探索と山の向こう側の確認が終わった後、何故か兵士が三人やってきた。何でも父の計らいで俺の配下として配置転換になったらしい。一応本人達が承諾して来たことにはなっているけど父に命令されてやむを得ず来たのであろうことは想像に難くない。
それから俺の配下になったというのはカーン騎士爵家の兵士になったということを意味するそうでお給料の方もカーザース家からではなく俺が払わなければならない。年金が年額900万円の騎士爵家が四人も五人も養えるわけはないのはわかるだろう。どう考えても身分の丈に合わない。
そうそう。時を同じくしてヘルムートもついにカーン家の執事へと正式に異動することになった。これでイザベラに加えて四人増えて今ではカーン家は五人も雇っていることになる。普通の騎士爵家がほとんど家族経営、領地を持つ領主騎士ならば領民もいるけど家臣はほぼいないらしいから異常と言えば異常だ。
カーン騎士爵家は事業をしているから収入があるのでなんとかお給料を払えているけど普通の家なら到底そんなに養えないのは考えるまでも無い。
「フローラお嬢様!巡回に行って参ります!」
「オリヴァー……、ここではフロト・フォン・カーン騎士爵だと何度言えば覚えてくれるのですか?」
俺の配下になった三人の兵士の中で一番若い十八歳だというオリヴァーは元気なのは良いけどあまり俺の言うことを聞いていないのか理解していないのかフローラとフロトの使い分けも出来ていない。
今居る森の掘っ立て小屋なら別にどうということはないだろう。だけど誰か人がいる前で間違えられたりしたら大問題に発展しかねない。特にフロトはカーザース辺境伯領を追放されている身だ。いくら実質的には無意味な処分だったとは言ってもカーザーンの町中でフロトと呼ばれでもしたら大事になりかねない。
この辺りの呼び分けというか使い分けというかが出来ていないとつまらないことで足元を掬われかねないのだから気をつけて欲しい。
「わかってますって!それじゃ行って参ります!」
う~んこの……。本当にわかっているのだろうか?少し不安になる。オリヴァーとヘルムートは反りが合わないのか結構反発し合っているけど今の所ヘルムートの言っていることの方が正しい場合が多い。長年一緒だからヘルムートの肩を持つわけじゃないけどああいう所を見るにヘルムートの方を頼りにしてしまうのはやむを得ないだろう。
他の二人、イグナーツとアルマンも俺に挨拶してから掘っ立て小屋を出て行った。三人には今の所開拓村と農場近辺の巡回をしてもらっている。農場の方は相変わらずカーザース辺境伯軍が巡回してくれているけど巡回の時間は決まっているからその間を三人が巡回している感じだ。
三人が出て行ったので仕事の続きを済ませる。書類仕事を終わらせた後は色々考えなければならないことも山積みだ。
まず海岸側の開拓について……。井戸の水は一応飲めた。飲んだ兵士、まぁオリヴァーだけど、はまだ生きているからすぐに死ぬような毒はない。ただ長期間飲み続けたら影響がないとは言い切れないかもしれない。それは水質検査のしようがないから実際に問題が起きてからでないと気付けないだろう。
それから大きな川はないけど小さな川なら一応流れている。川のどこかを塞き止めて溜池を作って農業用水にするのはどうだろうか。全ての水を井戸だけに頼っていたら井戸もすぐに枯れたり地盤沈下したりするかもしれない。溜池に雨水を溜めればかなり有用じゃないだろうか。
漁師と製塩業に関わったことがある人を探して連れて来て……、農業もある程度はしなければならないから農業従事者も必要になるだろう。開拓村から山を越えて漁村までの道作りもしなければならないけど完成まではかなりかかりそうだ。道が出来るまでは北東の川から船で移動するルートを確保しておいた方が良いだろう。
とくに漁村の開拓は向こうが形になるまではこちらから生活物資も含めて支援しなければまず人が定住出来ない。作物が育つ前に飢えて死んでしまう。ということは海上輸送用の船も必要になるな……。川の上り下りと海に出てから海岸沿いに渡れる程度の船が必要になる。あまりに小さかったりすると実用に耐えないだろう。
最初のうちはカーザーンの東側に今ある船着場を使うとして将来的には開拓村から川に出られるように道を拓いて、川にも船着場を作って……。
あぁ~!駄目だ駄目だ駄目だ!お金が足りない!進めるべきことは山ほどあるのに予算も人手も時間も足りない!どれも出来るだけ早く着手して早く完成させなければならないのにそれだけのお金がない!
優先すべきは開拓村の建設の継続。これは絶対外せない。一応建物は出来つつあるからそろそろカーザーンまでの道をつなげて移民を募る頃かもしれない。移民には初期の支援策として住居の貸し出しと畑の開墾の手伝い。それから二年間の税金免除。王都やカーザーンなどの大都市にいるスラムの住民を募って移住してもらう。
次に船の調達と漁村の開拓。これも早めに手をつけておいた方が良いだろう。形になるまで何年も要する。早く着手しなければ俺が生きている間に出来ないかもしれない。それに今は砂糖や油の収入があるけどあれもいつまで真似されずに安定して売れるかわからない。お金があるうちに次の収入源を作っておかなければ将来破産してしまう。
街道を繋げるのと開拓村から一番近い場所に船着場を作るのは後回しでも良いだろう。街道はもちろん重要だから早く着手すべきなんだけどこちらには少し考えがある。船着場はカーザーンから一番近くのものを使えるから本当に最悪の場合はなくても問題はない。肝心なのは漁村の開拓時に物資を送れることだ。
漁村の開拓がうまくいけば塩や海産物が自由に手に入るようになる。人の生活に塩は欠かせない。それほど高価ということはないけど絶対に必要なものだ。
また海水から塩を作ればにがりも手に入るかもしれない。にがりにも色々と使い道がある。あとは大豆さえ手に入ればあれが作れる。そう!豆腐が!白米、味噌汁、豆腐!食いたい!もう十一年近くも食べていない!
大豆は東アジア原産で二十世紀頃までほとんど他の地域では作られていない。現代地球では取引金額は他の主要作物で長年首位であった小麦すら抜いて世界一の取引高になっているけどそれまではヨーロッパでもアメリカでも作られていないマイナーな作物だ。
この世界に東アジア的な場所があるのかどうかわからないけど何とか交易でもして手に入らないだろうか。大豆が手に入れば色々と作りたいものがある。醤油、味噌、油、豆腐、豆腐が出来れば豆腐関係のものも作れるようになる。油揚げとか厚揚げとか……。あぁ食べたい……。
それはともかく開拓村と漁村は最優先だ。形が出来れば移民も集めなければならない。街道に関しては一つ秘策がある。それは俺が木を切り倒し根を掘り起こすというものだ。
人を集めて切り開くのが一番良いけどコストが高い。森の奥に入って行っての作業だから職人の護衛も必要になってコストが高くなるというわけだ。それに比べて俺一人ならモンスターに襲われても逃げるなり倒すなり方法はいくらでもあるしお金もかからない。
俺が一人で木を切り倒して根を掘り起こしてルートだけ作る。それを後から来させた人足に木材を運び出してもらって木材がなくなると再び俺が地面を掘り起こし、俺が掘り起こした場所を職人達が石畳とU字溝を埋めて街道を完成させる。これなら従来よりもコストが安く時間も短くなる。俺の手間が増えるけど……。
お金がないんだから仕方が無い。俺が働かなければお金が足りない。
農場も牧場も拡げているし収入も増えてはいるんだけど……。新商品のチーズも中々うまくいかない。最初よりは臭いが少なくなって食べられるようにはなってきたけどまだ人にウケそうな感じじゃない。試食してもらったら皆嫌そうな顔をしているからね……。
ウィッグとトリートメントはまだ売り始めたばかりでそれほど売り上げはないようだ。やっぱりこの手のものは影響力のある人が使っているとか宣伝してくれないと中々浸透しない。女性の美への追求はいつの世もすごいもののはずだけどそもそも知られてなければ意味がない。
開拓、新商品開発、色々しなければならないことが一杯で目が回りそうだ。お金も時間も人手もない!ないないない!ないながらに何とかやり繰りするしかない!
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二年後 カーン騎士爵領開拓村、領都カーンブルク
カーン騎士爵領の領都カーンブルク、その最奥にあるカーン騎士爵邸にてささやかながらパーティーが開かれていた。フロト・フォン・カーン騎士爵の十三歳の誕生日とカーン騎士爵家が永代の領主貴族へと陞爵されたことを祝ってのことである。
カーン騎士爵領は入植から二年が経ち最初の入植者達は税の免除期間が終わり今年度初めて税収が入る。税収が入るということは領地を持つということでありプロイス王国に納税しなければならないと同時に領地貴族としての権利も保障される。
「おめでとうフローラ!立派な屋敷じゃないか!」
「ふんっ!田舎娘らしい田舎の小さな家だな!」
今日のパーティーの主役であるフローラ、否、フロト・フォン・カーンに向かってルートヴィヒとルトガーが声をかける。
「ありがとうございますルートヴィヒ殿下。ですがここでは私はフロト・フォン・カーンです。それはヴィルヘルム国王陛下がお決めになられたことですのでお忘れなきよう」
フロトはルートヴィヒにそれとなく注意する。ルートヴィヒは知らないことだがフロトはカーザース領を追放されている身なのであまり混同されては困るのだ。今はあくまでこの領地を預かるフロト・フォン・カーン騎士爵である。
「それからルトガー殿下……、どうしてこのような田舎におられるのでしょうか?」
フロトはチクリと嫌味を言っておく。ルトガーから先にケチをつけてきたのだからこれくらいは言い返してやろうというのはフロトなりの意趣返しだ。
「おっ、俺はルートヴィヒ殿下が来られるというから仕方なくだな……」
「僕はルトガーは来なくて良いと言ったはずだぞ?それなのにどうしても来ると言ったのはルトガーだろう?」
ルートヴィヒに梯子を外されてルトガーは口篭る。
「ルートヴィヒ殿下もです。どうしてこのような場所に来られたのですか?開拓が進んでいるとは言っても田舎の危険地域です。このような森の中まで入られて御身に何かあればいかがなさるおつもりですか?」
フロトはルートヴィヒにもチクリと刺す。呼んでもないのに勝手に来てお前に何かあったら俺の責任になるじゃないかと考えていることはおくびにも出さない。
「何を言う!僕はフロトの許婚じゃないか。フロトのお祝いに来るのは当然のことだろう?」
嫌味が通じず良い笑顔できっぱりそう答えるルートヴィヒに内心溜息を吐きながらも表情を崩すことなくフロトは卒なく二人の相手をする。
「おめでとうカーン卿」
「これはカーザース卿、ありがとうございます」
今日のパーティーにはカーザース家と近しい家臣などが招待されている。カーザース家から出席しているのは父アルベルトと母マリアだけで兄二人はどちらも出席していない。また呼んでもいないのに何故かパーティーを知っていたルートヴィヒが駆けつけルートヴィヒについてルトガーもやってきていた。
その他に会場に入れているのは最初期からのフロトの家臣であるイザベラ、ヘルムート、今や部隊の隊長に昇進しているオリヴァー、イグナーツ、アルマンである。他の兵やルートヴィヒ達の護衛は別室にて食事が振る舞われている。
「もうあなた!硬いわよ!フローラちゃん!おめでとう!」
「お母さ……、いえ、マリア辺境伯夫人、今の私はフロト・フォン・カーンですので……」
「もう!フローラちゃんも固いわよ!そんなのいいじゃないの!ちゃんとお母様と呼んで!」
フロトはマリアの豊満な胸に抱き寄せられて窒息しかけていた。
「マリア、ほどほどにしておきなさい。カーン卿、まさか三年でこれほど開拓してみせるとは正直驚いた」
「いえ、まだまだ小さな町、いえ、村がようやく出来た程度です」
フロトは謙遜しているがアルベルトからすればこれは驚異的なことだった。今カーンブルクには183人が暮らしており漁村の方はキーンと名付けられ64人が生活している。領民247人、兵士が隊長であるオリヴァー達を含めて三隊33人、フロト、イザベラ、ヘルムートを加えた総人口は283人に達しすでに三百人近い。
ただ人口を増やすだけならばそこらのスラムの貧民や流民を連れてくれば良いがきちんと生活基盤を整えて生かすためには相応の労力が必要になる。十歳の子供が何の後ろ盾も資金援助もなく開拓し始めた領地がたった三年でこれだけのきちんとした人口を擁し税収まで上がってくるなど信じられないことだ。
もちろん今年いきなり全人口から税収が入るわけではない。毎年入植者を募集しているので今年度に入る税収は第一期入植者からだけでざっくり言っても三分の一ほどだ。それでも十分にすごい成果であることに疑いの余地はない。
また人口に比べて兵が多すぎて本来ならば養えないはずである。しかしカーン家はカーザーンと王都において事業を行なっているので金銭的な問題はクリアされている。食糧の輸入もカーザーンが目と鼻の先なために困ることはない。カーンブルクの発展はカーザーンの近くだからという恩恵は確かにある。
そしてこちらではまた別のバトルが勃発していた。
「貴様は何者だ?やけに田舎娘に馴れ馴れしいじゃないか」
「俺はオリヴァー。フロト様の一番の配下ですから」
フロトに馴れ馴れしいオリヴァーにルトガーが絡む。そこを少し離れてヘルムートとルートヴィヒが言葉を交わす。
「これは思わぬライバルが現れたものだ。君は参戦しなくて良いのか?ヘルムート」
「私は何も……」
ルートヴィヒの挑発にもヘルムートは反応しない。しかし四人ともわかっている。『こいつら絶対フローラに気があるだろう!』と。お互いに牽制しつつ機を窺う。
ルートヴィヒは許婚の上に王太子なので余裕ぶってはいるが実はヘルムートに対して危機感を持っている。身分の差はあれどいつも身近にいて頼れるハンサムな年上の男性がいて気にならない女性などいないだろう。滅多に会えないルートヴィヒと違っていつも傍にいるというのは焦燥感に駆られる。
しかしそんなことはどうでもよかった。全員がふとフローラの方へ視線を向けるとにっこり微笑んでくれた。十三歳になって女性らしい顔つきに変わりつつある。可愛いから美しいに変化する途中のような青い果実に全員が心を奪われる。
またここ数年で膨らんできた胸が嫌でも女性を意識してしまう。隣に並ぶマリアの体型を見るにフローラも将来は相当なナイスバディになるに違いない。
「今のは俺に微笑んでくれたんだ」
「違うっすよ。どう考えても俺っしょ?」
ルトガーとオリヴァーは不毛なやり取りを続ける。身分違いだというのに随分気が合うのか二人は気安く話していた。そしてルートヴィヒとヘルムートは口に出しては言わないが『今のは私に向けられた笑顔に決まっているだろう』と心の中で思っていたのだった。




