第五百三十九話「講和条約!」
アムスタダム王城で、一人の男が木の器に入った酒を傾けながら酔い痴れていた。
「くっくっくっ!はっはっはっ!我が息子の働きは期待以上じゃないか!まさか本当に南ホーラントを取り戻してくれるとは!」
ウィレム二世は義子ウィレム三世の働きを素直に喜んでいた。フラシア王国に奪われていた南ホーラントはもう二度と戻ってくることはないと思っていた。しかし戦争も停戦と講和の交渉が行われるまでになっている。そして現時点で南ホーラント全土はホーラント王国が制圧している。このまま講和になれば南ホーラント全域の返還で決着がつくだろう。
「余の代で南ホーラントが戻ってくるとは……。余は後世に名を残す名君となろう」
良い気分のまま酒を呷る。今日は気分が良いためにウィレム二世にとっても少々お高い良いお酒を飲んでいる。気分が良い時に良い酒を飲みご満悦だった。
「このままフラシア王国に睨みを利かせたままウィレム三世に講和の交渉をさせるか?いや……、それは駄目だな……。このままウィレム三世が国際社会で存在感を増せば余がホーラント王国を取り戻すのに邪魔になる。やはり表舞台に立たせる前に始末しておくべきだろう……。まぁカーザー王、ウィレム三世様様ではあったが……、あまり目立たれても困るのでな」
ウィレム二世はニヤリと邪悪な笑みを浮かべる。戦争で利用するだけ利用して、邪魔になれば始末する。しかしウィレム二世が汚いと罵られる謂れはない。政治とはそういうものだ。それもわからずただ表で剣を振り回すことしか出来ない蛮族など、所詮はこうして知恵のある者に利用されて殺される運命でしかない。
「む?肴がなくなったか……。だれぞおらんか!」
しかし……、ウィレム二世の言葉に誰も応えない。
「どうした?誰もおらぬのか?」
その時ようやく、ウィレム二世は辺りが静かすぎることに気付いた。先ほどまで、今飲み食いしていた酒と肴を持ってこさせた時は人がいたはずだ。それなのに今はまるで誰の気配も感じない。
戦争の停戦と、講和交渉の開始で、今日は前線に出ていた将兵の一部が戻って来ているはずだ。だから普通ならウィレム二世子飼いの将軍や参謀や総督が挨拶にやってくるはずだ。それなのに誰もウィレム二世の下を訪れない。冷静になって考えてみれば明らかにおかしい。
「おいっ!誰か……」
「ウィレム二世前国王陛下」
「――っ!?ラ、ラモールか……。驚かせるな」
外へ出て行こうとしたウィレム二世だったが、先に扉が開かれて人が入ってきて驚いて飛び上がった。しかしそれがラモール提督だと気付いて気を取り直す。
「余の配下の諸将や総督はどうした?何故戻ってきてから余に挨拶しにこない?」
一人だけやってきたラモールにウィレム二世は椅子に戻ってドカッ!と腰掛けながらそう問い詰めた。普通これだけめでたい時ならば、ウィレム二世子飼いの将軍や参謀、それにこのアムスタダム城に詰めていた大臣や重臣達が祝いの言葉を述べに詰め掛けているはずだ。
まだ戦争は正式には終わっていないが、すでにフラシア王国の負けは確実。講和すればホーラント王国は大きな利益を得られる。それを祝いにこない腹心達がいるはずはない。
「ウィレム二世前国王陛下はきちんと報告書を読まれておられないご様子……。前線に出ていた貴方の息のかかった無能者どもは全て『戦死』しましたよ」
「…………は?」
いきなり雰囲気の変わったラモールと、その言葉に驚いてポカンと馬鹿のように前を見詰めることしか出来ない。ラモールの言葉の意味が理解出来ない。一体何を言っているのか……。
「そしてこの城に巣食っていた逆賊共も全て捕えられております。貴方に挨拶に来る者などおりません」
「な……、にを……」
理解出来そうで理解出来ないような、本当はわかっているのにわかりたくないような、そんな感情と思考がウィレム二世の中で駆け巡る。
「ウィレム二世前国王陛下……、貴方が我らが王を侮辱せず、ただ大人しくしているだけならば……、国庫から年金を支払って余生を送っていただいてもよかったのです。ですが貴方は越えてはならない一線を越えてしまった。我らが王を害そうなどと言った。だからお前は生かしておけない。その罪をその身で償え」
「なっ!?」
ラモールの様子が急変したことを受けて、ウィレム二世は慌てて剣を取ろうと立ち上がった。しかし……。
「ぎゃぁっ!腕が!私の腕があぁぁぁぁっ!」
剣を取りに行こうとしていたウィレム二世は即座にその腕を切り落とされてのた打ち回った。あまりの痛みに思考が纏まらない。
「ウィレム二世前国王陛下は病により急死された」
「ひぃっ!まっ、待て!待ってくれ!そうだ!お前を総督にしてやろう!な?だから見逃してくれ!カーザー王などに仕えていても先はない!私に乗り換えた方がお前のためだ!だから……、だから……」
「貴様ごときと我らが王を同列に語るな!」
「ぎゃぁっ!」
この日、ウィレム二世前国王は病によって急死した。また戦争中に多くのホラント=ナッサム系の将軍や参謀が名誉の戦死を遂げた。そして前線部隊の一部が戻った日に、ウィレム二世派は『停戦反対過激派』による停戦と講和交渉開始への不満による武力蜂起をしたということにされ、ラモール提督率いる軍によって直ちに鎮圧されたことにされたのだった。
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コンッデ公とボーフレルス公は真剣な面持ちでレイスワイクへと入った。レイスワイクはホーラント王国第二の都市であるロッタダム近郊にある小さな町だ。今回の戦争の講和はこのレイスワイクで結ばれようとしていた。
すでに事前にある程度の交渉は行なっており、交渉がまとまる算段はついている。何の事前交渉もなく、いきなり条約調印のためにやってくるような馬鹿な真似はしない。しかしそれでもまだ完全に纏まっているわけでもなければ、最終調整が必要ないわけでもない。
そもそも各国や代表達も、何度も本国などに問い合わせて、どこで折り合いをつけるか微調整を行いながら話し合ってきたのだ。その場でいきなり『じゃあそれでいいです』などと満額回答になるわけがない。ある程度纏まる目処は立ってきたがまだまだ予断を許さない状況だ。
「何としても講和条約は纏めなければならない。しかしそのための我が国の代償はあまりに大きすぎる……」
「我らはとんでもない条件で祖国に損害を与えた逆臣であると後世の史家に語られましょうな……」
「例え誰にわかってもらえなくとも……、ここで講和出来なければ国が滅ぶ……。逆臣の謗りを受けようとも……、何としてもこの講和を纏めるのだ」
「はい……」
コンッデ公とボーフレルス公は覚悟を決めてレイスワイクへと入り、案内に従い会場へと向かった。何があっても講和を纏めてフラシア王国を救う。それがこんな大戦を開いてしまった自分達の責任だとお互いに頷きあったのだった。
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プロイス王国の代表の一人、カンベエという者が取り仕切って今般の戦争の講和についての話し合いが始まった。プロイス王国のもう一人の代表はミカロユスという者であり、実質的にプロイス王国代表はこのミカロユスだと思って会話をすれば良い。カンベエは全体を取り仕切る立場に立っている。
ブリッシュ・エール王国の代表はゴトーという焼け爛れた顔を仮面で隠している胡散臭い男だった。何故このような者が一国の代表なのかと、平時であったならば言っていたことだろう。しかし今の立場の弱いフラシア王国がそのようなことを言えるはずもない。
ホーラント王国代表はラモール・エグモントだった。名前は良く知っている。ホーラント王国の英雄ラモール・エグモントと言えばフラシア王国軍の中でもそれなりに有名だ。だが将軍や提督がこのような交渉の席に出て来ることに違和感は拭えない。それもホーラント王国のお膝元での会議なのに他に誰もいないのが不思議だ。
アラゴ王国からはペドロ王が直々に参加していた。一番の驚きと言えばこれが一番だろう。自国で講和会議を開催しているのならともかく、こんな遠くまで国王が自らやってきていることに驚きを隠せない。
「それではまずは新しい国境線は現在各国が占領している地域を新たなる国境線とするということで、各国代表の皆様もよろしいか?」
司会進行のカンベエの言葉に、ほとんど全員が頷きかけて……、フラシア王国から待ったが入った。
「少しお待ちいただきたい。アラゴ王国には現在の占領地は全てフラシア王国に返還していただきたい。代わりに別の地を用意するということでいかがだろうか?」
「別の地と言われてもどこをどれだけかわからねばお答えしかねるがな……」
コンッデ公の言葉にペドロ王が応える。単純にアラゴ王国を侮って、アラゴ王国に領地は割譲出来ないという話ならばそもそもこの講和会議自体が失敗に終わる。フラシア王国がいかに誠意を見せるかで一気に失敗に終わりかねない危険がある。
「シキリア島をアラゴ王国に譲り、ペドロ王をシキリア王国国王と認めよう」
「ほう……」
ペドロ王は目を細める。シキリア島とはイタリカ半島南部、メディテレニアンの中に浮かぶ最大の島である。単純に面積で比べれば、今回アラゴ王国が制圧していた地域よりも圧倒的に広い。
ただし現在の占領地はアラゴ王国から地続きだが、シキリア島まではメディテレニアンを通ってそれなりの距離がある。しかもアラゴ王国からシキリア島までの間に、その航路を塞ぐように他にも島があり通航に際してもあまり便が良いとは言い難い。
「我が国としてはそれで構わない」
「「――!」」
余裕の表情で即答したペドロ王に提案したフラシア側こそが驚いた。もっとごねるものだと思っていたからだ。フラシア王国としても離れた海の中にある島で、フラシア本土から向かうにしても他の島が邪魔で直行出来ない。またすぐ近くにイタリカ半島もあり常に周辺の脅威と圧力を受ける場所だ。
そしてフラシア王国の圧政に苦しんでいたシキリア島の住民達は反乱を起こし、現在争いの真っ最中となっている。正直に言えばフラシア王国にとっては現在シキリア島は足枷や負担でしかなく、いらない島も同然だ。
それに比べてアラゴ王国に奪われている地はメディテレニアン沿岸部を中心にした重要な町が多くある。そんないらない島と重要な沿岸部を交換出来るのならフラシア王国にとっては願ってもない。
だがアラゴ王国は何も損をしてそれを受け入れたわけではない。住民が反乱を起こしているのはフラシア王国に対してであり、自分達が新しい支配者として入れば住民達もいきなり反乱などしないだろう。むしろフラシアよりも良い統治を行なえばすぐに自分達の人気に繋がりそうだ。
そしてこの案を受け入れた一番の理由は今後の維持だった。もしピリネオス山脈を越えたフラシア王国側を貰ったとしてもアラゴ王国では維持するのは難しい。この講和で貰ったとしても、いずれまたフラシア王国が奪還戦争を仕掛けてくればアラゴ王国では守りきれない。
フラシア王国はアラゴ王国に山脈を越えた先にまで侵攻されていては、今後の戦争で守るのが難しいと考えていた。しかしそれはアラゴ王国も同じであり、山脈を越えて突出した領地を得ても守りきるのは難しい。それならばいっそフラシアとの国境線は今まで通り山脈として、別の場所、シキリア島でも貰えるのであれば願ってもないことだった。
「それでは他は……、ブリッシュ・エール王国にはノルン公国を、ホーラント王国には南ホーラントを、プロイス王国には旧プロイス領で現在占領中の各地を……、領土としてはこれでよろしいかな?」
「うむ」
「問題ない」
アラゴ王国の占領地とシキリア島が交換される以外はほとんど現在の占領地での割譲が決まった。プロイス王国はまだ占領していない旧プロイス領まで要求してくるかと思ったが、思ったよりもすんなり交渉が進んでコンッデ公達はほっとしていた。
「あとは賠償金についてだが……、もう少し引き下げてはいただけないだろうか?これだけの金額を支払っては我が国の民が飢えてしまう。せめてもう少し……」
「我々は一切懲罰的な賠償金は請求していない。これでも我々がフラシア王国から戦争を仕掛けられたために使った戦費にも及ばない金額だ。本来であれば我々が使わさせられた戦費に加えて、賠償、懲罰目的でもっと請求しても良いくらいだ。領土も必要以上に要求はしていない。それでもまだ減額せよというのか?」
東国訛りの男、ミカロユスがコンッデ公の言葉を遮った。本当はコンッデ公もわかっている。十分破格の金額だ。それをさらに減額せよとは喧嘩を売っているに等しい。自分達から講和してくれと頭を下げたのに、相手が提示してくれた比較的穏当な講和条件をさらにまけろというのは心苦しい。
だがコンッデ公とボーフレルス公も相手を侮ってそのように言っているわけではない。莫大な戦費を浪費したのはフラシア王国も同じだ。しかもフラシア王国はこれから国内に向けてもまだまだ様々な補償や政策を行わなければならない。もし請求されている金額を全て丸呑みしたならば、国庫が枯れ果て国が傾いてしまう。
「くっくっくっ!金額をまけるつもりはありません。ですが相手の国が倒れては我々も取りっぱぐれてしまいます。そこでどうでしょう?金額はまけませんが時間的猶予は差し上げましょう。分割払いということで決着としませんか?」
仮面の男ゴトーの言葉にミカロユスも同調する。
「そうですな。確かに相手が潰れては支払いも受けられない」
「ホーラント王国もそれで良い」
そうまで言われてまけろとはコンッデ公達も言えなかった。こうして割譲される領土、支払われる賠償金、また賠償金は分割払いで支払われることが決定され、レイスワイク講和条約は関係各国全員によって調印されたのだった。




