第五百二十八話「教会!」
「ケロン大司教、世俗の権力への介入をやめ、教会の布教活動のみに専念していただきたい。ケロン大司教領は現在武装して我が国の領土奪還を妨害している。これは武装及び布教活動以外をやめるようにという周辺司祭達の署名です」
ケロン大司教領にある教会にて、プロイス連合軍なるものからの使者がケロン大司教と面会していた。差し出してきたのはこの周辺の司祭達の署名の入った書類だった。そこにはケロン大司教に軍事行動をやめ、世俗権力への介入をやめるように書かれている。
「おっしゃられている意味がわかりませんなぁ……。私はただ私を頼ってくる迷える子羊達を導くために手を尽くしているだけです」
「あくまで白を切ると?ケロン大司教領がフラシア王国軍に手を貸し、我が国の行く手を阻んでいることは明白。それでも軍事行動と世俗権力への介入をやめないと言われるのですね?」
ケロン大司教が大仰に手を開いてまるで説法でも聞かせるように言葉を紡いだ。しかしプロイス連合軍の使者は取り合わず、淡々と事実確認のみをしてくる。
「はぁ……。どうやら貴方がたには信心が足りないらしい……。私は大司教として我が教会に助けを求めてくる者達を救っているだけです。それがわからないとは……。お帰りはあちらですよ使者殿」
「…………ケロン大司教のお考えはよくわかりました。後悔することになりますよ」
使者の言葉にケロン大司教は額に血管を浮き上がらせて口元をヒクヒクさせていたが、何とか表情は崩さずに作り笑いを維持した。
「教会領に手を出せば……、どちらが後悔することになるかわかるでしょう。お帰りください」
「それでは失礼する」
プロイス連合軍の使者が出て行くまでは作り笑いを維持していたケロン大司教は、使者が出て行って音が遠くなると、使者が先ほどまで座っていた椅子を思いっきり蹴りつけた。
「生意気な!なんっと生意気な!この私を誰だと思っている!この私に向かってあのような言葉を!司祭共の陳情書だぁ?ふざけるな!私は大司教だぞ!」
バンッ!と使者が一切口をつけなかった白湯が入った器を投げつけた。木製の器は割れなかったが派手な音を立てて中身をぶちまける。
「はぁっ!はぁっ!まぁいい……。この程度のことは予想済みなのですよ……。この私がこの程度のことも気付かぬわけがないでしょう。そしてプロイス軍がこのようにしてくるということはつまり教会への手出しがどういうことかわかっている証でもある。くっくっくっ!やれるものならやってみなさい!は~っはっはっ!」
怒鳴り声の次は暴れまわる音が響き、そして最後には高笑いが響き渡っていた。教会の者達はまたいつもの発作かと冷ややかな態度で大司教の部屋を無視していたのだった。
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「交渉が決裂してしまったのに、これほどあっさり引き下がってよかったのですか?」
ケロンの教会を出た使者に対して護衛が問いかける。しかし使者はニヤリと笑うだけだった。
「これは予想通りの展開だ。カーザース辺境伯様にはこうなることはお見通しだった。そしてこれこそが狙いとも言える。これから我々は少し危険な場所に向かわなければならない。しっかり護衛を頼むぞ」
「はっ」
使者達はケロンを出てから変装をしてとある方角を目指した。多少の危険は伴うがこの策を成功させるためにはどうしてもあそこへ向かわなければならない。無事に辿り着けるかどうかがこの策の成否を分ける。その重要性がわかっている使者達は慎重に、しかし出来るだけ急いで馬を走らせたのだった。
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数日後、再びプロイス連合軍の使者がケロンの教会を訪れていた。ケロン大司教は何度訪れても無駄なことだと思いながら、先日無様に逃げ帰った使者達を余裕の表情で眺めていた。
「それで……、本日はどういったご用件で?」
もちろん用件はわかっている。ケロン大司教及びケロン大司教領に手を出せば教会が黙っていない。教会と事を構える気がないプロイス王国にとってはケロン大司教領は攻撃出来ない相手だ。
どれほどフラシア軍を追い詰めようとも、ケロン大司教領を通り、領内での軍事行動を認めてもらえない限り、プロイス軍はフラシア軍をこれ以上追うことが出来ない。そして万が一にもケロン大司教がフラシア王国に手を貸せばプロイス軍は退却するしかない。罷り間違っても教会を敵に回すわけにはいかないのだから……。
だからプロイス王国は自分達に謙り、手土産を差し出し、どうかこの戦争で中立を保って欲しいと頭を下げるはずだ。それからフラシア軍を追うための領内での軍事行動を許可して欲しいと泣いて頼むはずだ。でなければ彼らはここでは何も出来ない。軍を進めることすら出来ないのだ。
ケロン大司教は別にフラシア軍やコンッデ公と一蓮托生で死ぬ覚悟などない。フラシア軍を受け入れたのは利用出来ると思ったからだ。プロイス王国の方が条件がよければいつでもプロイス王国に寝返ってやってもいい。ただそれまでの間プロイス王国を牽制するのにフラシア軍の兵を受け入れた方が都合がよかったに過ぎない。
フラシア軍を受け入れることでプロイス王国を牽制しつつ、双方からケロン大司教にとって都合の良い条件を引き出す。そしてどちらの方がより良い条件か吟味した上でどちらにつくか考える。
フラシア王国の方が良ければこのままフラシア軍にプロイス軍を追い払わせれば良い。プロイス王国の方が良ければコンッデ公達の首を手土産にでもしてやればプロイス王国も喜ぶだろう。そうなれば大将首に対する褒賞も出るかもしれない。いや、貰わなければ割が合わない。
「教会は今回のケロン大司教及びケロン大司教領の行いに対して中立不干渉を宣言しました。これはその証書です。お確かめください」
「…………は?」
今回の面会で、プロイス王国は自分達に敵対しないでくれと泣き付いてくると思っていた。その際にどんな条件を出してくるか楽しみで面会に出て来たというのに、まったく予想外の言葉を言われて意味が理解出来ない。
しかしケロン大司教はそもそも勘違いしていたのだ。これは大司教が会ってやるという面会ではない。国家や領主による交渉の場であり、ここでの言葉一つで何がどう転ぶかわからない駆け引きの場だ。宮廷闘争に明け暮れてきたケロン大司教にはそれがわからなかった。
「なっ……、何だとっ!?」
慌てて使者が出してきた証書を確認する。そこには確かにケロン大司教領とフラシア王国とプロイス王国による争いに対して、教会は中立不干渉であると書かれていた。
「ばっ……、馬鹿な……」
その証書には、ケロン大司教領はケロン大司教の領地であり、その領地を守る行為は認めると書かれている。だがそれは教会の活動とは関係なく、現在フラシア王国貴族として振舞っているケロン大司教個人の領主としての戦いと権利であると書かれている。
教会としてはケロン領主としての戦いに口は挟まない。止めない。しかしそれは教会の活動や大司教という立場とは無関係のものであり、ケロン領主として勝手にやれと言われているに等しい。
「何故こんな……、はっ!これはっ!?」
その証書の署名を見てケロン大司教の顔色が変わる。教会からの証書の内容を認めているのはそこに署名している者だ。その署名は『リュクセムブール枢機卿』となっていた。
「リュクセムブール枢機卿ぉぉぉっ!」
ケロン大司教はブルブルと怒りに震える。リュクセムブール枢機卿……、またメッツ司教でもある。メッツ司教とケロン大司教は謂わば政敵だ。
ロスリンゲン地方の中心都市であるメッツとこのケロン大司教領はお互いにすぐ近くにある。コンッデ公が一万の援軍を連れて来たのもメッツからであり、今回の戦争においてもフラシア軍の後方を支える大都市だ。
大司教は本来司教に与えられる名誉称号であるが、しばしば司教よりも強大な権限が与えられることがある。またケロン大司教はケロン大司教領という広大な領地を持つ。その力は他の司教達を遥かに凌駕しているのは当然だろう。
それに対して周辺の司祭達やメッツ司教はケロン大司教を疎ましく感じていた。ただ上に立つだけならばまだしもケロン大司教は周囲の教会関係者達を見下し、まるで自分の子分のように扱ってきたのだ。それに反発しないはずがない。
また人間というのは他人を妬む生き物であり、それは教会の僧侶達とて変わらない。いや、結婚が禁止されて権力以外に楽しみのない僧侶達の方こそがむしろ普通の者達よりも出世欲や権力欲が強い。
とはいえ本来であれば大司教という役職と、ケロン大司教領という広大な領地を持つケロン大司教には周囲の誰も敵わない……、はずだった。だがその状況が変わる出来事が起こった。
まず一つ目にケロン大司教領のすぐ近くのメッツ司教が枢機卿に任命されたことだ。枢機卿は教皇の相談役となる最高顧問である。司教であってもその中でも権限も影響力も飛び抜けて高くなるのは必然だ。
そして二つ目に今次の戦争によってケロン大司教領周辺の情勢が変化した。この戦争によりケロン大司教領が損害を受ければ、いや、何なら領地を取り上げられてしまえばケロン大司教の権限も財力も弱る。それは周辺の他の司教や司祭にとっては願ってもない展開だ。
つまり最初から周辺司祭達による陳情書から、メッツ司教、いや、リュクセムブール枢機卿による中立不干渉の宣言まで全てが仕組まれていたことなのだ。
教会としては司祭達の陳情書で一度警告を発し、それでも聞かなかったから、『ならば領主として領地を守ることは認めるが、それは教会とは関係ない』と宣言した。これではケロン大司教はケロン領主としてのみしか保護されない。
「きっ、貴様らぁっ!最初からこれが狙いだったのか!いや、リュクセムブール枢機卿の計略か!?どっちでもいい!これが……、これが長年尽くしてきた私への教会の答えか!」
ガシャンッ!と、ケロン大司教は机を叩き、白湯が入っていた器がいくつか倒れた。しかしプロイス連合軍の使者達はまったく動揺した様子もない。
「そちらの書類は全て貴方へのものです。それを処分した所でこちらにも控えがありますので……。貴方の取れる道は最早フラシア王国貴族として我らと戦うことのみです。それでは次は戦場でお会いしましょう」
「おのれっ!おのれっ!おのれぇぇぇぇぇぇっ!」
立ち去る使者達にケロン大司教は呪いの言葉を吐き続けた。しかし……、何も諦める必要も悲観する必要もない。そうだ。奴らに勝てば良い。こちらにはコンッデ公の一万二千の兵と、ケロン大司教領兵、信徒達による二万近い兵がいる。その全てをもって戦えばプロイス王国の辺境貴族共になど負けるはずがない。
「そうだ……。そうだ!勝てば良い!私が勝てば良いのだ!教会もケロンは私の物だと認めた!ならばこの戦争に勝てばこれからはケロンは教会領ではなく私の物になる!そうだ!私が勝てば全ては安泰だ!ははははっ!ははははははっ!」
ケロン大司教はこれからの自分の薔薇色の人生を思い浮かべて酔い痴れる。ケロン大司教領が自分の物になれば、これからは教会に上納金を払う必要もなくなる。そうなれば自分はもっと贅沢が出来る。ただそんな未来だけを思い浮かべて、ケロン大司教は戦争に向けて準備を進めることにしたのだった。
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デューセルドラフに戻った使者達はカーザース辺境伯に全ての報告を行なった。
「そうか……。ご苦労だったな」
「はっ!」
全てがうまくいったことを確認したカーザース辺境伯は椅子に背中を預けてふぅっと息を吐き出した。絶対にうまくいくという自信はなかった。うまくいって良かったと胸を撫で下ろしているのは自分自身だ。
フラシア王国領内のメッツまでこっそり使者を送り、ケロン大司教と争っているメッツ司教、リュクセムブール枢機卿に働きかける。ケロン大司教を蹴落としたいリュクセムブール枢機卿ならばこの争いを静観するように運んでくれると思っていた。期待通りの結果になったことでケロン大司教領を落とすのに教会を気にする必要はなくなった。
「カーン卿、ロッペ卿、ヴァルテック卿を呼んでくれ」
「はっ!」
連合軍首脳を集めて早速報告しなければならない。教会の不干渉は取り付けたが、ケロンには大軍がいて、攻略が困難であることに変わりはない。その攻略対策について話し合おうとカーザース辺境伯は立ち上がって会議室へと向かったのだった。




