第五百二十二話「偶然?」
いきなりドルティムンドから抜け出したテュレンネ大元帥と、それを追って出て来たコンッデ公はウッパータルへと到着していた。
いくら二人が上官とはいえ下っ端の兵士達まで全ての者が将軍や参謀達の顔と名前を覚えているわけではない。護衛も連れていなければ、今日訪ねてくる予定も知らされていなければ、まさか目の前の人物達がテュレンネ大元帥とコンッデ公であるなど夢にも思わない。
しかし二人はウッパータルの門で止められることはなかった。二人がテュレンネとコンッデだと知られているからではない。ウッパータルの警備がそれだけザルだからだ。
ウッパータルはドルティムンドが落ちていないとしても比較的前線に近い。にも関わらずウッパータルの警備は緩く、城門には兵士が立っているが特に通行人を止めたり検問をしている様子はない。
戦争の真っ最中であり、最前線にもかなり近い町でありながらこの緩さは何なのか。コンッデ公はウッパータルの警備の甘さに色々と言いたい所だった。しかし今はそんなことを言っている場合ではない。テュレンネを見失わないようにぴったり同行しなければならないので、警備について苦言を呈するのはまた後だ。
「テュレンネ大元帥、ウッパータルに入ったが、まだ逃げなければならないのか?」
「……いえ、ここは大丈夫なようです。直ちには……、ですがね」
ゆっくりと馬を歩かせているテュレンネに話しかけるといつも通りの紳士的な態度で返してきた。そのことにコンッデ公は面食らう。
あの突然ドルティムンドから逃げ出そうとしていた時のテュレンネは口調も酷く、言っていることも滅茶苦茶だった。だが今はいつもの落ち着いたテュレンネ大元帥の顔に戻っている。
「本当にドルティムンドは大変なことになっているのかね?」
「それならばコンッデ公だけお戻りになればいい。私は嫌だ!絶対にあそこには戻らない!」
またしても、その話題になるとテュレンネはおかしくなる。そう、傍目にはテュレンネがおかしくなっただけのように見えるだけだ。しかし本当にそうなのか?そんな単純な話なのか?そうではないだろう。
これで……、もし……、万が一にもドルティムンドが本当に大変なことになっているとすれば……、テュレンネのこのわけのわからない行動が当たっていたということになる。
それは普通に考えたらテュレンネがプロイス王国と通じており、次のプロイス王国の攻撃先を知っているからだ、というのは容易い。しかしそれにしては不可解な言動が多すぎる。それならただ普通にプロイス軍の攻撃予定時刻までに自分が真っ当な理由で町を離れられるようにすればいいだけだ。こんなおかしな言動をする理由はない。
「まずは……、ウッパータルの指揮官達の下へ向かおう」
「そうですね……」
疲れた様子のテュレンネを伴って、コンッデ公はウッパータルの作戦本部に向かったのだった。
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ウッパータルの作戦本部に迎えられたテュレンネ大元帥とコンッデ公は少し休んでいた。暫くこれからどうするか考えていた時に駆け込んで来た伝令によってコンッデ公は驚いた。
「伝令!エーセンが陥落しました!」
「伝令です!ドルティムンドとの定期連絡が途絶えており一切連絡が取れません!」
「「「「「――ッ!?」」」」」
「なんだとっ!?」
「一体どうしたと……」
ウッパータルの作戦本部に衝撃が走る。どちらか一つが陥落したというだけでも驚きだというのに、二箇所が同時に、それも自分達も知らない間にほんの僅かな間に攻略されたなど信じ難い。
フラシア軍も馬鹿ではない。日頃から周辺と定期連絡を取っており、何かあればすぐに察知出来る態勢を作っていた。あれほどの規模の都市の攻城戦ともなれば一日や二日でケリが着くようなものではなく、異変があっても一日以内に気付ける態勢まで作っていた。
今日異変が起こったのならば明日までには自分達はそれに気付くことが出来、直ちに援軍の用意をすれば友軍の都市が落ちる前にはそれなりの支援が出来る。そのはずだった。
それなのに実際には蓋を開けてみればドルティムンドとエーセンの異変に気付いた時には、恐らくだが、両都市ともすでに陥落しているのだ。一体何が起こればそんなことになるというのか。
「エーセンが陥落したというのは間違いないのか?」
「はい!エーセンからデュイスブルクへと後退した部隊からの証言も報告もあります」
「ドルティムンドとは連絡路を遮断されているだけではないのか?まさか……、陥落しているのか?」
「定期連絡部隊によりますと、ドルティムンドにはプロイス軍の旗と思しきものがはためいており、不用意に近づいた者はプロイス兵らしき者に捕まったということです」
「ばかな……」
エーセンが落ちたのは確実だ。それだけの情報が揃っているのなら間違いということはない。そしてドルティムンドも報告だけならば陥落しているだろうと思われる。こちらは正確な情報や正式な報告書とは違うので誤りである可能性もあるが、連絡部隊がそんな嘘をつく理由がない。
もしこの報告が嘘であったならば連絡部隊は相応の罪に問われる。そこまでしてドルティムンド陥落の嘘の情報を持って来る意味がない。すでにその情報の真偽を確かめるために別の部隊が派遣されているはずだ。それらが戻ってくればすぐに嘘か本当かわかる。敵の間者が情報を撹乱しようとしているにしてもあまりにお粗末すぎるだろう。
「そういえばテュレンネ大元帥とコンッデ公はドルティムンドにおられたはず……。護衛もつけずに突然予定にない訪問があったかと思ったらこの騒ぎとは……」
「「「…………」」」
ウッパータルの作戦本部にいる者達の視線がテュレンネ大元帥とコンッデ公に突き刺さる。普通に考えておかしいだろう。突然こんな高位の人物が二人ともやってきたかと思うと、その二人がいた場所が陥落したかもしれないというのだ。
「もしや敵前逃亡……?」
「しっ!滅多なことを言うな!」
ヒソヒソと語っているが、二人の耳にも当然聞こえている。自分達に突き刺さる疑惑の目。コンッデ公は居心地の悪さを感じていたが、テュレンネ大元帥はまったく怯んだ様子もなくさっと立ち上がり、両手を広げて口を開いた。
「我々がドルティムンドの外を視察している時にはもう町は包囲されていた。我々が町に戻ろうとしていたならば我々も討たれていただろう。護衛の兵達には戻って中に情報を伝えるように言って別れた。しかし恐らく彼らはプロイス軍に討たれたのだろう」
「なっ!?」
テュレンネの言葉にコンッデ公が一番驚いた。この男は……、今この一瞬であたかも本当にありそうな嘘をあっさり吐いたのだ。やはりこの男は信用出来ない。今までもこうして都合の良い嘘を報告してきていたのだろう。それが証明されてしまった。
「なるほど……」
「いや……、しかしそれならば何故ウッパータルに到着された時にすぐに援軍の用意を指示されなかったのだ?」
「そうだ……。本当に外に出ている間にドルティムンドが包囲されていてそれに気付いたのなら、ウッパータルではなくエーセンに援軍を乞いに向かうのでは?」
作戦本部にはそんな空気が流れていた。それはそうだ。テュレンネの言葉はあまりにおかしすぎる。そしてコンッデ公もそれが嘘だと知っている。だがコンッデ公もテュレンネの嘘を糾弾出来なかった。コンッデ公はテュレンネのことを信用出来ないと確信したが、今ここで言うべきことと言わないでおくべきことはわかっている。
「敵軍の中には『血塗れマリア』の姿があった。血塗れマリアを見たならば何を置いても撤退するのがフラシア軍の鉄則だ。我々はその軍規に従ったにすぎない」
『そこまで嘘をつくか……』とコンッデ公は目を瞑って天を仰いだ。血塗れマリアがいたなどと、自分達は敵軍すら見ていないというのに、ここまで見事に嘘を吐けるものなのかと感心すらしてしまう。
恐らく自分も今までこのようにしてテュレンネに騙されてきたのだろう。大元帥というフラシア王国史上でも数人しかいない名誉ある職の名前に騙されて、今までこんな男を信じていたのかとコンッデ公は冷めた目で見ていた。
もうこんな男を生かしておく理由はない。このまま大元帥などという地位に置いておけばこの男こそがフラシア王国にとっての害悪となるだろう。この男を断罪し、大元帥の座から引き摺り下ろす。そのためには自分も敵前逃亡の罪に問われるかもしれないが、このままテュレンネの暗躍を許すよりは……。
「エーセンの部隊からも血塗れマリアの報告が入っております!」
「「「――なんだとっ!?」」」
しかし伝令の言葉により空気が一変する。ヴィレロイ公軍による正式な報告書で血塗れマリアによって四千もの損害を出し、千にも満たない残った者で這う這うの体でデュイスブルクへ逃げ込めたと報告されている。
「しかしそれが本当だとしてもエーセンに居たということでは……」
「時間がわからん……。まだ判断するには早過ぎる」
「そうだな……。エーセンが落ちたのとドルティムンドが包囲されたのがいつのなのか……」
「まだ決めることは出来ない。続報を待とう」
「直ちに伝令と偵察隊を出せ!」
「「はっ!」」
一先ずテュレンネの首は繋がった。コンッデ公はまだ、いや、他の者も疑っているが、テュレンネを信じたわけではない。そもそも口からでまかせを言っているのを知っている。何故ならば自分も一緒にいたのだから……。
ただ今はまだテュレンネを断罪するには情報が足りない。エーセンとドルティムンドの詳細がわかるまではと、コンッデ公もテュレンネの処分をまだ保留にしたのだった。
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それから一日が経ち、エーセン、ドルティムンドの情報が明らかになるにつれてテュレンネの正しさが証明されてしまった。
エーセンを脱出したヴィレロイ公軍からは正式に報告書が出され、間違いなく血塗れマリアにより攻撃を受けて四千人もの犠牲を出して、辛うじて千人が脱出出来たと報告された。それは夜中から未明にかけてのことだ。
そしてドルティムンドの方だが……、確かに陥落していた。それは間違いない。すでにドルティムンドは敵の手に落ち、完全に占領されてしまっている。今ではプロイス軍は姿を隠すこともなくドルティムンドを我が物顔で支配しており、それが間違いであると思う者は最早誰もいない。
さらに鎧を脱ぎ捨て、平民に成りすまし、プロイス軍のドルティムンド攻撃から生き延びたフラシア軍兵士の一部がドルティムンドから脱出してきていた。プロイス軍はドルティムンドを制圧して出入りにもある程度監視の目を光らせているが、完全に出入りを遮断しているわけではない。ポツポツと脱出してきた兵が戻ってきている。
その兵達の報告によれば、東側の門から突入してきたプロイス軍の先頭に血塗れマリアの姿があり、血塗れマリア一人に何千ものフラシア軍が屠られたと震えながら報告していた。
普通ならば恐怖でそんな勘違いをしているのだろう。敵を大きく見すぎているのだろうと思う所だが、その日の未明にはエーセンでたった一人で四千もの兵を殺しているのだ。直ちにドルティムンドに戻って、ドルティムンドでも同じように大虐殺を行なったとしても何ら不思議ではない。
「つまり……、テュレンネ大元帥のお話は正しかったというわけだな……」
ウッパータルの上層部は全員沈黙に包まれた。自分達は大元帥という立場にある者の言葉を疑い信じなかった。いくら信じ難いことであっても大元帥が言ったのだ。それを最初に疑った自分達には何も言う資格はない。
「良いのだ。貴殿らも信じ難いことだっただろう。それは私にもわかる。ただ今はそのようなことを言っている場合ではない。今はプロイス軍と血塗れマリアにどう対処するかを話し合おう」
「おおっ!」
「テュレンネ大元帥閣下……」
ウッパータルの上層部達はテュレンネの寛大な言葉に感動している。しかしコンッデ公は違和感が拭えない。もしかして本当にテュレンネはドルティムンド陥落と血塗れマリアの存在を知っていたのか?それならばやはり敵と通じているとしか思えない。だがそれにしては色々とおかしい。
コンッデ公は考えが纏まらずテュレンネを断罪することも出来ずに困惑していた。
「今のままでは血塗れマリアにこの町も落とされよう。まずはデュイスブルクとウッパータルを捨て後退し、デューセルドラフに結集して血塗れマリアに備えるのだ」
「「「はっ!」」」
諸将からの信を取り戻したテュレンネの鶴の一声でウッパータルとデュイスブルクの放棄が決まった。こうしてフラシア軍は一夜にして両都市を放棄し、デューセルドラフへと後退したのだった。




