第五十二話「さよならアレクサンドラ!」
喧嘩両成敗とはよく言ったものだ。俺はアルコ子爵家の娘にジュースをぶっかけられただけだというのにカーザース辺境伯領を追放されて出入り禁止にされてしまった。これから先俺は一体どうすれば……。
「ちょっとフロト!聞いてますの?」
「はいはい、聞いてますよ」
俺が大事な考え事をしているというのに呑気に話しかけてくるこの友人の緊張感のなさよ。あぁ俺はこれから一体どうすれば……。
「それでその時のリンガーブルク家の活躍と言ったら……、ってフロト!聞いてますの!?」
「聞いてますってば」
もう何回目だろうか……。リンガーブルク家の自慢は聞き飽きたよ……。
「私の話を聞く気がないのならばもう帰りますわよ!」
「待って待って!ごめんなさい!ちゃんと聞いてるから!」
危ない危ない。あまりにいい加減に聞いているとさすがにアレクサンドラも気付いて怒り出した。いつもなら家自慢の最中は自慢に熱中していてこちらが適当に聞き流していても気付かず熱弁をふるっているんだけどな……。
え?どうしてカーザース辺境伯領を追放された俺とアレクサンドラが一緒にいるのかって?それはここがカーザーンの北の森の中だからだ。
意味がわからない?カーザーンの北から北西にかけてはカーン騎士爵領じゃないですかやだ~!だから俺がここにいるのは当たり前なんですよ~?だって俺の領地だもん。
確かにフロト・フォン・カーンはカーザース辺境伯領を追放になったけど、北の小川より北側はカーン騎士爵領と決まってたから小川を越えてこちらに来れば良いだけだ。何も約束違反なんてしてない。
つまりあれは父の方便であって実際には俺には何のお咎めもなかったというわけだ。まぁ強いて言えばカーザース領内ではカーン家を名乗るわけにはいかなくなったということくらいだろうか。
だからあの日以来も俺とアレクサンドラは何の不都合もなくこうして森の掘っ立て小屋で遊んでいるというわけだ。
「ちょっとフロト?どうしたのです?」
「ん~?別に……、ちょっと……」
怒っていたアレクサンドラも俺がキュッと抱き締めると大人しくなった。かぁいいなぁ……。この感じからしてやっぱりアレクサンドラは百合の気が?それとも俺だけは特別オッケーなんじゃ?とか勘違いしてしまいそうになる。
このちょっと見た目はきつそうなのに実は心優しくて甘えん坊なアレクサンドラが可愛くて仕方が無い。……ん?今ので何かを思い出しそうになった。何だっけ……。きつそうな見た目……。
「あ~っ!すっかり忘れていたわ!」
「どっ、どうしましたの?」
俺がアレのことを思い出して声を上げたらアレクサンドラも驚いていた。だけどそれどころじゃない俺は急いであの箱を出してきてアレクサンドラの前に持ってくる。
「アレクサンドラ……、実は貴女につけてもらいたいものがあるの……」
「それは一体……」
アレクサンドラの喉がゴクリと鳴る。そして俺が箱の蓋を開けると……。
「こっ、これはっ!」
ってそんなオーバーなものじゃないけどね。そう。あの日つけてもらおうと思っていた金髪縦ロールのウィッグだ。あの日から何やかんやとバタバタしていたからすっかり忘れていた。ついでにイザベラに俺が着ていた赤いドレスも用意してもらう。
アレクサンドラがイザベラにドレスを着せられてウィッグを装着されているのを眺めながら考える。
まず流行の最先端というのは影響力のある人がしなければ意味がない。そう。奇抜なファッションや髪型で最先端のファッションリーダーとして走っていたマリー・アントワネットのように!
もし仮にそこらのただの下級貴族が社交界の慣例に反した派手な服装や髪型をしていても周囲から眉を顰められて馬鹿にされるのがオチだ。だけどマリー・アントワネットのような名家出身の王妃がそんなことをしていれば周囲は変だと思っていてもすごいだの素敵だの最先端だのと持て囃す。
つまり誰でも良いから奇抜な格好をすれば良いというわけではなく相応に周囲に影響力があるものがしなければ最先端ファッション足りえない。どころか慣例を無視して変な格好をしていると余計悪評に繋がる可能性も高い。
俺はこの世界にはないタイトスカートのドレスに、この国で流行っている髪を巻いて留める団子頭というかシニヨンの出来損ないというか、そういう髪型をせずストレートに流したままパーティーに行った。
結果は御存知の通りだ。散々な結果になってさらにはアルコ子爵家の娘に絡まれることになりアレクサンドラやリンガーブルク家にまで迷惑をかけてしまった。そりゃ俺みたいな騎士爵の者があんな格好してりゃ周囲だって眉を顰めるってものだ。
だからこういうものは影響力のある人、カーザース家で家格ナンバーワンのリンガーブルク家にしてもらえばきっと話題騒然だろう。ということでアレクサンドラには金髪縦ロールのドリル頭ウィッグと俺が着ていた赤いドレスを着てもらう。俺達は成長期だからドレスは多少サイズを直せるように出来ている。今のアレクサンドラでも着れるはずだ。
「フロト!この素敵な髪型は何ですの!?」
そしてアレクサンドラのこの喜びようだ。きっと何かの本能的にアレクサンドラはこのドリル頭に惹かれるに違いない。見たこともない奇抜な髪形であるはずなのに完全に気に入っている。
「素敵ですよアレクサンドラ」
性格のきつそうなつり目に金髪縦ロール。そして真っ赤なタイトスカートのドレス。いい!凄くいい!
「アレクサンドラ!これはプレゼントします!ですから是非この格好をしてください!」
「えっ!それはさすがに……。お高いのでしょう?このようなもの受け取るわけにはまいりませんわ……」
後ろ髪引かれるのかドレスやウィッグを少し触りながらも値段が気になって簡単には受け取ってくれないようだ。でもそんなことで俺が諦めるはずがない。
「いいえ!是非とも受け取ってください!これはアレクサンドラのために新しく作ったのです!」
「フロトがわざわざ私のために?」
「そう!商会と協力して新規開発までして!ですからぜっっっったいにアレクサンドラに貰っていただかなければ困ります!」
そうだ。俺はこの完璧傲慢お嬢様スタイルのアレクサンドラを見るためだけにウィッグ完成までアイデアもお金も全て出してきたんだ。全てはアレクサンドラにこの格好をさせるために!
「そこまで言われたら……、ありがとうございますフロト。大事にしますね」
あ~。ええ娘やわぁ……。この見た目と性格のギャップよ……。
「そうだ!今日は帰る時もそのまま帰ってガブリエラさんにもこの姿を見せてあげてくださいな」
きっとガブリエラも喜ぶはずだ。そう思って俺はその姿のままアレクサンドラを帰らせたのだった。
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アレクサンドラをお嬢様スタイルで帰らせてから三日。この間アレクサンドラは一度も来なかった。連絡もない。こんなことは初めてだ。何かあったのだろうか……。あのスタイルで帰らせたから怒ったということもないだろう。アレクサンドラも気に入っていたし家族に見せたら怒られたということもないはずだ。
どうしよう……。リンガーブルク邸に行くか?……俺は追放されてる身だからカーザーンには入れないだろうって?毎日入ってますが何か?
追放されたのはフロト・フォン・カーンであって俺はフローラ・シャルロッテ・フォン・カーザースだから毎日カーザース邸に帰ってますよ?ここへは開拓の仕事で来てるだけで住んでるわけじゃありませんよ?騙されました?おほほっ!
そんなことを言ってる場合じゃない……。アレクサンドラ……、本当にどうしたんだろう……?その時掘っ立て小屋の扉がノックされて人が入って来た。それは俺がこの三日待ち望んだ人で……。でもその顔は暗く沈んでいて……。
「アレクサンドラ?……何かあったのですか?アレクサンドラっ!?」
真っ青な顔で俯いているアレクサンドラに駆け寄る。だけどアレクサンドラの反応は薄い。
「フロト……、お別れを言いに来ましたわ……」
お別れ?それはどういう……?
「お父様が……、お父様が亡くなられました……。私はこれからお母様と一緒に王都にあるお母様の実家へ向かいます……。今までありがとう……」
はっ?ニコラウスが?死んだ?何で?それに何でニコラウスが死んだからってアレクサンドラ達がガブリエラの実家に行かなくちゃならないんだ?プロイス王国は女系でも家を継げるはずだ。だからアレクサンドラが継いでも……。
「お父様は……、お父様は殺された可能性が高いそうです……。ですからカーザース辺境伯様の計らいで私達は一時王都へ逃れることになりました……」
殺された?殺された……。いや、違うはずだ。一瞬アルコ子爵が思い浮かんだけどいくら何でもこんなタイミングでアルコ子爵がニコラウスを殺すとは思えない。
アルコ子爵は人に強請り集りを行なう酷い人間だけど短絡的に人を殺すほど馬鹿じゃない。そもそも自分の利益を考えて自分より上の者には媚び諂い、下の者には高圧的に出る典型的な虎の威を借る狐タイプだ。自分で手を汚して直接人を害するような手段はとらないだろう。
いくら前の出来事で俺やニコラウスに恨みがあったとしても自分の手を汚して直接的な手段に出ようとするようなタイプじゃない。そもそも今俺やニコラウスに何かあれば自分が真っ先に疑われる。それくらいは弁えているはずなのにいきなり殺すような馬鹿な真似はしないはずだ。
「アレクサンドラっ!」
「さようならフロト……」
最後に……、アレクサンドラは俺があげたウィッグを被って情けない泣き笑いのような顔をして去って行った。俺にはアレクサンドラを止めることは出来なかった。
俺の心がズキリと痛む。あぁ……、ようやくわかった。これが、この痛みがアレクサンドラが味わった痛みだ。もう会えないと言われて去られる気持ちだ。
いや、俺がアレクサンドラに与えた傷の方がもっと痛かっただろう。俺は今はっきりと事情はわかっていないけどアレクサンドラが望んで去るわけではなく止むに止まれぬ事情があってのことだと理解している。それでもこれだけの痛みだ。
それに比べて俺が自分勝手な理由でアレクサンドラにつけた傷の痛みは一体どれほどだっただろうか。
俺は勝手に許された気になって浮かれていた。アレクサンドラがあの時は痛かったのだと俺に恨み言の一つも言わないからそんなことなど忘れようとしていた。だけど俺は何一つ、アレクサンドラの痛みもわかっていなかったし償ってもいなかった。
俺には幸せになる権利なんてなかったんだ。だからこの別れは必然であり俺への罰だ。俺が犯した罪に下された罰に違いない。
アレクサンドラならどれだけ俺を傷つけても良い。せめて少しでもあの時のアレクサンドラの痛みを俺に教えて欲しい。そしてこの痛みと別れを乗り越えた時、その時こそ、今度こそ二人で笑い合おう。今はその時のための一時的な別れにすぎない。永遠の別れじゃない。だからさようならじゃない……。
「いってらっしゃいアレクサンドラ……。また会う日まで……」
頬を伝う涙を拭うことも出来ずに俺はアレクサンドラが去って行った扉を見詰めることしか出来なかった。
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俺は父の執務室を訪ねた。人払いもしてもらって今回のニコラウスの件について問い質す。
「リンガーブルク家のことについて包み隠さず全て教えてください」
「……いいだろう」
俺が不躾に質問しても父はすぐに答えてくれた。父に聞いた話によるとやはりニコラウスは毒による他殺の可能性が高いらしい。容疑者は不明。父の考えもアルコ子爵ではないだろうという予想だった。
アルコ子爵が復讐してくるならもっと時間をかけて根回しをして自分の手を汚さない方法で自分が絶対に勝てると思う方法で来る。あの男はそういうタイプだというのは俺も父も同意見だった。
ならば誰が?それはわからない。そしてわからないからこそガブリエラとアレクサンドラを逃がすという。本当ならアレクサンドラに跡を継がせてカーザーンに置いておけば良い。だけどもしかしたら誰かがリンガーブルク家全体を狙っているのかもしれない。相手も狙いもわからない以上はリンガーブルク家を継げる権利を持つアレクサンドラの身が危険かもしれないということだ。
王都にいる父の知り合いや王様にアレクサンドラ達のことは任せるように伝えているという。カーザーンにいるよりは安全だろうと……。あの後そのままアレクサンドラはカーザーンを旅立ってしまった。この三日来なかったのはニコラウスが死んだための混乱や身を隠すためだったらしい。
俺にはどうすることも出来ない。俺には手足になってくれる兵も配下も部下もいない。捜査をしようにも誰かを守ろうにも俺一人じゃ出来ることなんて高が知れてる。ヘルムートもイザベラも確かに優秀で信頼出来る。だけど二人だけじゃ出来ることにも限りがある。
俺は自分の身くらいは守れるくらいに強くなった気になっていた。だけど俺は結局何も出来ない……。アレクサンドラは俺が守るから俺の傍にいろとも言えないほどに何も出来ないっ!
もっと……、もっと頑張らなきゃ……。何もかも足りない。腕力も、魔力も、権力も、財力も、何もかも足りない!
「フローラ……、今日はもう休みなさい」
「……え?」
一瞬何を言われたのか理解出来ずにポカンとする。
「何でも一人で背負い込むことはない。そして何でも一人で為せるものでもない。今日は、いや、少し、何日でも良い。何日でも良いから休みなさい」
「それは……、そんなことをしている暇はっ!あっ……?」
俺の前まで来た父がまた俺の頭に手を置いた。ただそれだけ。だけどそれだけで俺の焦っていた気持ちがスーッと落ち着いてきた。不思議な手だ。これが父の力だろうか。
「……父上、それならば私は行きたい所があります」
「言ってみなさい」
「……北へ!」




